第148話『旭』
『連中―――――特に泰影は狡猾じゃ。……警戒だけは解くなよ』と天后は言い残し、その場は一旦解散となった。
翌々日である、8月25日の夕刻――――――。
それまでは互いに必要なことをして時間を過ごすこととなる。
「……」
奏多は一人、屋上に来ていた。
東の空は既に紫色に輝き始めていて、夏の朝日が今にも頭を出したがっている。
奏多は屋上の手すりに寄っかかり、腕に顔を埋め、夜から朝へと変わりゆく様子を見ていた。
「奏多」
「……?」
誰かに声を掛けられ振り向くと、後ろには京香が立っていた。
「昼頃から特訓始めるんでしょ?
……休まなくていいの?」
「……うん」
奏多は元の態勢になり、再び新都の街々へと目線を向ける。
すると、俺のすぐ横に京香が佇む感覚。
「……さっきまで気失ってたから、眠れなくて」
「……」
「……いや、違うかな。
きっと……、動転してるんだ。
色々なことが変わりすぎて……。
色々なことが起こりすぎて……」
―――――そう。
ほんの数日、たった数日で俺の周囲を取り囲む環境や状況は大きく変わってしまった。
それこそ、元の生活に戻ることはもう……叶わないのだろう。
「……後悔してる?」
「まさか。
俺が自分で臨んだことだから……、何とも思っていないよ」
少し不安げな表情で問いかけてくる京香に、奏多は静かに微笑みを浮かべながら応える。
―――――俺がそうしたかったから。
ただ、それだけ。
後先考えない性格だと、自分でも思う。
俺の選択の結果、誰かが悲しい思いをするのかもしれない。
京香も、多分それを案じている。
虎や2-Fのクラスメイト、そして先生たちにも迷惑をかけることにはなるのだろう。
先の一件―――――。
京香の話によると、泉堂学園への「近衛奏多」に対する問い合わせが後を絶たないらしい。
昨日、職員室ではひっきりなしに電話が鳴っている状況。
ネットで取りだたされているのは俺ではないとはいえ、俺と存在を同じくしている人物には他ならない。
……新太のことを、別に恨んではいない。
「京香は、どう思ってるの?」
「……」
言ってしまえば、京香は今回の一件に対しては当事者ではない。
巻き込まれた側―――――と表現するのが正しいのかどうかは分からない。
しかし、関わらなくていい場所に足を踏み入れているのは事実。
「……」
その旨を伝えたところ、京香はしばらく静かに新都の街々へと目線を向けていたが、やがて何かを思い悟ったように、口を開いた。
「どーでもいい」
「……えぇ?」
「アンタが自分のやりたいことをした、って言うのなら……、今の私も同じ。
私のやりたいことをしているから、――――――別にどうなろうが関係ないって感じ」
京香の性格を忘れていた。
そうだった、これが古賀京香だった。
成績優秀、品行方正、運動も何でもできる稀代の才能マンにして、自分の願望は実現させたいエゴイスト的思想の持ち主。
「……ふっ」
「……何笑ってんのよ」
眉間に皺を寄せ、いかにも不機嫌といった体でそっぽを向く京香。
不意に、金色の髪の毛が紅く照らされ翻る――――――。
「……!」
「……朝、ね」
思わず目を細めてしまうほどの閃光が新都の街々を駆け抜け、奏多の体感温度を僅かに上昇させる。
めくるめく色々なことが変わっても、太陽は普通に上るし、長い夜はいずれ終わり……朝は来る。
そんな当たり前のことなはずなのに。
「―――――朝陽って、こんなに安心するんだ」
「……!!」
それは。
まさしく、俺が今しがた考えていたことだった。
心の底から安心したような顔で、京香は上ってくる太陽を視界に収めていた。
***
翌々日である――――――8月25日20:00。
新都中央区にて、暁月所属十二天将の術者三名と、清桜会陣営十二天将術者三名が戦闘状態に入る。
後に清桜会によって「第一次新都血戦」と命名されたこの戦闘は、一人の陰陽師の死と、一人の陰陽師の離反を以て終結することとなる。
死亡者、『暁月』一条寧々。
そして、――――――離反者。
――――――――黛仁。




