第145話『満身創痍』
数刻前――――――。
『故に、お前は式神操演に自信がなく、霊力を用いての戦闘しか行わない。
……いや、霊力を用いた戦闘しか行えない。
要は、初心者そのものであることが伺える』
「……!!」
相対する天后と、眉間に深い皺を刻んでいる白髪を見ながら、奏多は乱れた呼吸を整えていた。
『(――――――転移のタイミングが僅かに遅れた。
……集中が足りていない)』
「(そんなこと、言ったって……!)」
霊力の供給路―――――、それは同時に脳内での意思疎通を可能にした。
不意に脳内に響く天后の声に、油汗を滲ませながら奏多は答える。
今しがた、白髪を翻弄した天后の発現事象『空間転移』。
その制御を、『血盟』を結んでほんの数分足らずの少年が行っていた。
『(―――――奴は何か企んでおる。
面倒なことになる前に、「位相」でどこか遠くへ跳ばせ!)』
「(遠くって……!
どこへだよ!?」
『(知らん!!
陰陽術の制御はお前が行っているんじゃ!!
お前が自分で判断せい!!)』
「(っ……!)」
―――――そんな余裕、とてもじゃないけど……ない……!
歯を食いしばりながら再度『位相』を発動するべく、眼前の天后と白髪を視界に収めた。
―――――有り得ん。
建前では奏多に文句を言っている天后だったが、その心中は奏多の陰陽術への適正に感心していた。
「位相」。
空間転移の基本的戦術であり、その効果対象範囲は自身や他者に及ぶ。
視覚的情報などを座標として認識し、霊力を開放することで対象を転移させる。
空間制御という三次元的な情報量の処理と演算を必要とする陰陽術であるため、その発動には困難を極める。
――――――しかし。
「はぁ……はぁ……」
息を切らし、多量の汗を流しながらも陰陽術発動への過程を適切に踏んでいる。
―――――恐ろしい。
粗さこそ目立つが、私からの不親切な説明だけでここまで形にするセンスの良さ。 土壇場にして実践でこれほど術を使いこなす自力の強さ。
練度を高めれば、どれだけ化けるかは想像に難くない。
奏多ならば、もしかしたら―――――。
『(長距離の「位相」には、転移先への具体的なイメージが必要。
できるだけ遠く、お前の想像の及ぶ場所を想像するのじゃ)』
――――――できるだけ……、遠く?
想像の及ぶ範囲……、どこだ……。
……北。
行ったことのある中で、一番遠いところは……北だ。
奏多の脳裏に浮かんだのは、日本国の最北端である、とある北国だった。
***
白髪の霊力が霧散し、その残滓も消え去った。
「―――――……!」
全身の力が抜け、その場へと崩れ落ちる。
滝のような汗が背中や頬を伝い、体感したことのない疲労感が全身を覆っていた。
「はぁ……はぁ……、うっ、ぐっ……!!」
堪えきれず地面へと倒れこみ、仰向けになると木々の隙間から月明かりが見えた。
「『位相』は、成功……したのか……?」
にわかに奏多を照らしていた月明かりが何かに遮られ、そちらへとぼやけている目線を向ける。
すると、天后が奏多を上から覗き込んでいるのが分かった。
『……術者の転移先のイメージが薄弱だったり、霊力出力が十分でないと、術そのものが発動せん。
そうでないということは、無事に北送りにされているはずじゃ』
――――――そっか。
良かった。
安堵に胸を撫で下ろすと、緊張の糸が切れたのか、ドッと体が重くなる。
『……』
唐突に。
ふわりと、何か温かくて柔らかいものが奏多の頬に触れた。
それが天后の手だということに一拍遅れて気付く。
すぐ傍にしゃがみ込み、頬を赤らめながら真っすぐに奏多の方を見つめている。
天后はモゴモゴと言いづらそうに口を動かしていたが、やがて何度か頷き、蚊の鳴くような声で言葉を紡ぎ始める。
『……改めて。
私を、助けてくれてありがとう。
――――――お前は、私の命の恩人じゃ』
「……!」
本当であれば満面の笑みの一つでも浮かべ、カッコつけたいところだったが、消耗した今の奏多では、「……うん」と何とも情けない表情で力のない声を捻りだすことしかできなかった。
――――――俺は、何もしていない。
天后の力があったから、奴を退けることができた。
俺一人では……、抗ったところで無様に殺されるのが関の山だったと思う。
「……俺こそ、ありがとう。
天后」
『……』
天后の手が、熱い。
それに目もどこを見ているのか、虚ろで……。
「天后……?」
ゆっくりと天后の体から力が抜け、そして―――――。
奏多の隣へと倒れこんだ。
「ちょっと……!!
天后……!!?」
奏多は慌ててその場に起き上がり、自身の式神を見やる。
すると顔を紅く火照らせ、粗い呼吸をした天后の姿があった。
顔には玉のような大量の汗を搔き、苦し気に眉根を潜めている。
「おい!!
天后、しっかりしろ!!」
声をかけても、苦しそうに唸るのみで反応がない。
疲労感でダウンしている奏多とは対照的に、その様子は明らかに病的。
「おい……!!
天……后……」
――――――……!!
背筋に、悪寒が走った。
こちらへと近づいてくる霊力の気配に気づいたから。
天后と接触し霊力を知覚し、「十二天将」という式神と『血盟』という契約を結んだ。
そして、今しがた戦闘を終え、『位相』で跳ばした敵勢力も十二天将の術者だった。
――――――それ故に。
奏多は、今感じた気配が「十二天将の霊力」を携えていることを一早く察知し、敵か味方かも不明な現状、自身の身に霊力を充填することを試みた。
――――――しかし。
「っ―――――――!!!」
全身に激痛が走り、そのまま前のめりに倒れこんだ。
……それもそのはず。
当然のことだった。
「近衛奏多」は、陰陽師としての適正を備えていた。
しかし、椿により拝殿へと吹き飛ばされたことによるダメージ。
霊力を長時間、全身へと充填したことによるフィードバック。
『空間転移』という並々ならぬ集中力を有する陰陽術の連続発動で、奏多の体は既に限界を超えていた。
「……!!」
―――――ちくしょう……!!
動け……、動けよっ!!
来栖もっ……、いるのに……!!!
歯を食いしばり、その場に起き上ろうとするが、それすらも不可能だった。
次第に、昏くなる視界。
それが夜の闇によるものでなはないことはハッキリしていた。
意識を刈り取る猛烈な眠気の中で奏多は必死に抗いながら、とある声と足音を聞いた。
「――――――」
「――――――」
――――――誰か、いる。
一人なのか、数人なのか、分からない。
でも……どこか、聞いたことがあるような声がこちらへと近づいてくる。
「……」
抵抗しようにも、体が鉛のように重くて言うことを聞かない――――――。
薄れゆく視界の中で。
苦しそうな表情を浮かべている、天后の顔が見えた。
そして。
意識は、闇の中へ。




