第141話『契』
椿は、今しがた霊力で吹き飛ばした男と女を一瞥した。
女の方は誰だか分からなかったが、男の方には見覚えがあった。
―――――この前、僕を助けてくれた泉堂学園の高校生。
ここではなく、元の世界での話である。
十二天将を追って来てみれば、この男が共にいた次第。
向こうでも、見ず知らずの僕に手を差し伸べるほどのお人よしだったが、まさかこの世界でもそうなのか。
大方、傷ついた十二天将と出会い、そのまま行きずりで助けた、とかそんなところだろう。
可哀そうとか、そんな安っぽい同情で、この化け物を助けた気になっていたんだろう。
―――――だから、こうなる。
椿は、目線を目の前の少女へと移した。
こんな化け物が。
存在するから。
「~~~~~~!!!
~~~~~~~!!!」
コイツは。
ずっと何かを叫んでいる。
涙を目にいっぱいに溜め、そしてジタバタと抵抗を続けている。
「……」
「――――――!」
椿は、静かに天后を拘束していた手を離した。
重力と共に落下する天后の小さい体躯。
天后はその場にうずくまり、「げほっ、ごほっ」と数回咳き込んだ後―――――自身を今しがた拘束していた白髪をキッと睨みつけた。
「っ……、奏多達になんてことをっ!」
「……」
「この際、お前が誰なのかはどうでもいい!!
もう許さん!!!
許さんからなっ!!!」
転瞬。
天后の纏う霊力の総量がほんの僅かに上昇する。
重ねて言う。
「ほんの僅か」である。
自立型の式神と言えど、術者がいない現状で満足な戦闘が行えるなずもない。
ましてや、次元を超える転移を行い、本日も何度か発現事象を使用している。
こんな搾りカスのような霊力しか出せないのであれば……、『空間転移』を行うことは恐らく不可能―――――。
「……」
―――――許さん?
化け物風情が。
誰にモノを言っている。
「―――――五月蠅い」
『あっ……!!』
椿の足の下には、天后の頭。
せっかく充填した霊力が霧散し、そして後には残滓だけが残る。
「五月蠅い五月蠅い五月蠅い五月蠅い五月蠅い五月蠅い五月蠅い五月蠅い五月蠅い」
『……!!』
「化け物が説教か?
笑えるな」
『……!!!
っ――――――あああああぁあぁぁぁぁぁっぁあ!!!!!』
椿の足に力が入り、天后の小さな頭を圧迫する。
『……!!
やめ…………!!』
―――――情けない。
かつて清明様に仕えたこの私が、蛮族一人にこの有様とは。
情けなくて情けなくて。
涙を流すことしかできない。
奏多も、そして名も分からぬ少女も。
……本当にすまぬ。
私が、この世界に来てしまったばかりに。
安寧を破壊してしまった。
負わなくよい傷を、負わせてしまった――――――。
「……」
『うっ……!
ぐっ……!!』
涙と土埃で、ドロドロになっていた。
次第に増す痛みに、天后は歯を食いしばることしかできなかった。
「お前らは必要ない。
消えろ」
『……!!!!』
―――――浅ましい。
こんなになっても尚、自分の中に生まれる感情。
『血盟』が途切れ、一人になって、誰も助けてくれる人がいなくなった。
自分がいかに矮小な存在か思い知らされた。
結局、私は誰かに。
助け――――――。
『っ…………!』
言ってはいけない。
私は、助けられてはいけない。
助けられる資格なんてない。
優しい人たちがいたから。
私は、ここまで来れた。
これでいい。
ここで、私が消えれば――――――。
――――――それが、本心?
心の中で、私に誰かが問いかけた。
本心?
――――――――そんなわけない。
そんなわけ、ないっ!!
『…………れか』
「……?」
『誰……か……』
「……はははっ」
『助……け…………!』
「はははははっ」
翡翠のような瞳から絶え間なく溢れる涙。
―――――そう。
私は、誰かに助けてもらいたい。
救ってほしい。
助けて。
助けて……!!
『っ―――――、助けてっ……!!!』
「お前を助ける奴なんて、いない」
「――――――いるよ」
突然背後から聞こえた声。
振り返った椿が目にしたのは、自身の顔面へと迫る拳。
「――――――――っ!!!!!!」
椿の視界が、揺れた――――――。
「がっ……!!!!」
二度三度、慣性の働くままに地面を転がり、境内の木々を巻き込む。
しめ縄の撒かれた御神木らしき大樹にぶつかり――――――ようやく、その動きが止まる。
先ほどの非力な一撃とは異なり、十二天将術者である椿と張るほどの霊力出力を発揮した一撃。
―――――意識があることが奇跡、か。
当たりどころが良かったのか、目立った外傷は顔面ぐらい。
頬が腫れ始めているのは感覚で分かったが、戦闘は恐らく継続可能。
全身を纏う霊力にも、何ら問題はない。
「……何で、動けんだよ」
椿は遥か遠く―――――月明かりの下に立っている、今しがた自身を殴り飛ばした、血まみれの男子高校生へと視線を向けた。
***
「……奏多」
信じられない心持ちで、天后は傍らの少年を見た。
非にならないほどの霊力が全身を覆い、それはまさに一陰陽師と言っても差し支えないほど―――――。
「大丈夫……なのか?
そんなに血塗れで……」
「―――――全然、大丈夫じゃない。
背中とかすっげぇ痛いよ」
笑みを浮かべながら、天后へと手を差し伸べる奏多。
天后は一瞬その手を掴むことを躊躇ったが……。
「……よいしょっと」
奏多に無理矢理手を掴まれ、その場に立たされる。
「『助けて』って、声が聞こえた」
『……!!』
「だから、助けに来た」
『お前っ……』
「……?」
『お前はっ、馬鹿じゃっ!!』
「……!?」
ポカポカと奏多のボロボロの制服を叩き始める天后。
『相手は陰陽師なんじゃぞ……!?
殺されるかもしれないんじゃ!!』
溢れるモノを抑えることができなかった。
叩けば叩くほど。
奏多の顔が、滲んでゆく。
『お前は、本っ当に大馬鹿じゃーーーー!!!!』
「……そりゃ、どうも」
――――――嬉しい。
ありがとう。
奏多。
『奏多』
「ん?」
殴る手を止め、天后は奏多の胸を顔を埋めた。
『……ありがとう』
「……はいよ」
天后は涙を拭い、奏多が殴った白髪の方へと目線を向けた。
砂埃が舞い上がる中、御神木を背に時折動いているのが見える。
恐らく奏多の一撃は、奴にとって青天の霹靂ではあったことは伺える。
しかし。
―――――奴の霊力出力は、未だに顕在。
私への態度から感じる、十二天将への並々ならぬ怨恨。
ここから無傷で逃がしてくれる、わけもない。
「天后」
「……?」
「『陰陽師』は、『式神』と契約を結ぶことで使役できるんだったよな」
『……あ、あぁ。
その通りじゃ』
「―――――俺と、契約を結んでくれ」
『っ!!?
無理じゃ!!
私は十二天将、ただの契約ではなく『血盟』を伴う――――――』
「だったら、それでいい」
『……!!!』
確かに、この世界では「十二天将」は存在しない。
故に、奏多は近衛家相伝『六合』との『血盟』も存在しない。
挙句の果てに私自身の『血盟』も途切れている。
でも。
――――――なぜ、コイツは躊躇しない?
平和な世界で平穏に過ごしていたはずじゃ。
自ら血生臭い闘争の世界へと足を踏み入れることもない。
私に助けを求められたからって、自分自身を蔑ろにしていい理由にはならない。
『……どうして?』
「――――――俺が、そうしたいから」
真っすぐ。
真っすぐに、奏多は私を見つめてそう言った。
そして、天后は一つの事実を悟る。
――――――やっぱり、コイツは馬鹿じゃ。
『後悔、するぞ』
「……望むところ」
天后は血の滴る奏多の人差し指を掴み、そして――――――。
小さな口で齧りついた。




