第136話『8月22日7:09』
「奏多!! 起きろ!!
朝じゃ!!!」
「ふんがっ!!?」
意識を無理矢理に覚醒させる、腹部に走る衝撃。
そして、ズリズリと俺の上を這いずり回っている何か。
何だよ……と思い、寝ぼけ眼で腹の方へと視線を向けると。
「……」
「(キラキラ)」
目をアホみたいな輝かせた少女と、目が合った。
俺の腹に馬乗りになっていた。
「……」
「(キラキラ)
乗馬の練習じゃ」
「……おやすみ(ぼふっ)」
「あーーーーー冗談、冗談じゃっ!!
ほんの戯れであるとなぜ理解できん!!?」
「いだっ、ちょっと、ほんとに痛い……!!」
少女―――――こと、天后は俺の腹をバンバンと力任せに叩き始めた。
奏多は鈍い痛みに顔をしかめながら周囲を見渡す。
かび臭い和室、そこにこれまた年季の入った布団が二組。
そして、馬乗りになっているこの少女。
色の薄い肩ほどの髪の毛に、年相応のフリルの付いた半袖に七分丈ほどのズボン。
髪の毛以外は、どこにでもいるかのように見えて、個性的な「のじゃ」口調――――――。
朝の陽に照らされている少女は、どこか神秘的な雰囲気を漂わせていた。
「……今、何時?」
「朝の七時じゃ、健康的じゃな!!」
――――――あー、そうだった。
結局、本家に泊ったんだった。
ここから離れたくない、という天后の願いを聞き入れ、誰のモノかも分からない布団さえも引っ張り出して。
……しかし、よく寝たな。
流れとは言え制服で寝てしまったのに、体の調子は酷く良い。
むしろここ最近で一番調子がいいと言ってもいいほど。
「何か……体……、軽いな」
腹に乗ってる女の子は重いけど。
「―――――そりゃそうじゃ。
私と一晩中つながっておったんじゃからな」
「……」
あらぬ誤解をされそうだから一応言っておくけど、断じてそのようなことではない。
手。
そう、手だ。
手をつなぎながら寝たと、ただそれだけの話。
だから何もやましいことは無い!!
断じてやましいことは無いのだ!!
「お前は何を一人でぶつくさと言っておるんじゃ……」
「いやいや、……言い訳は一応しておかないと」
天后は宙に向かって話している俺を、何か奇怪なものを見る目で以て訝し気に見ている。
――――――コンプラとか、色々と厳しい昨今ですからね。
「まぁ、どうでもよいが……。
とにかく十二天将である私の霊力と触れて何の影響もないわけがない。
よく目を凝らして、自分の体を見てみよ」
「……?」
俺は上体を起こし、天后に言われたように腕に視線を送る。
目を凝らす……?
あ……何か……、立ち上っている?ような気がする。
え、湯気?
風呂に入った後のように、体から湯気が立ち上っている気がする!
「湯気が出てる!!」
「……湯気ではない。
それは、霊力じゃ」
天后は何か可哀そうなものを見る目で俺の一瞥し、「ほれ」と自身の体を指さした。
―――――確かに。
よく見てみると、天后の体からも何か立ち上るものがある。
「霊力は、身体能力の強化も行うことができる。
知覚することで自由自在に制御することも可能になる」
「――――――!!」
転瞬。
天后の周囲に立ち上る霊力が、爆発的にその総量を増やす。
それは、純粋なまでの圧倒的な圧力。
それに伴う風圧が古い屋敷自体を大きく軋ませる―――――。
「……!!」
「とまぁ、こんなものじゃな」
――――――いや、何だよ急に。
漫画やアニメじゃあるまいし、急にそんな力に目覚めたって……。
むしろ、そのようなフィクションは既に卒業したまである。
「……信じられない、という顔をしておるな。
でも、これは――――――現実じゃ。
お前の目で見たモノなんだから、信用せい」
ふんっ、と腕を組みツカツカと縁側の方へと歩みを進める天后。
「……どこに行くんだ?」
「察しろ、馬鹿者」
「……あぁ、トイレ!!
縁側を突っ切った先にあるよ。ボットンだけど」
「……っ!!!
百回死ねっ!!!!!」
その後、顔を極限まで真っ赤にした天后のチョップが、奏多の脳天に直撃したのは言うまでもない。
――――――デリカシーって、ほんとに大切ですね。
***
『返信よこせ
殺されたいの』
「――――――!!」
京香からの殺害予告めいたメッセに気付いたのは、優雅にBGMでもかけながら顔でも洗おうかと思い、スマホに手をかけた時だった。
―――――え、何で……?
そんな緊急の用事でもあったのだろうか。
恐る恐るアプリを開き、京香との個人チャットを確認する。
先ほどの物騒極まりないメッセが最新のものなのは間違いない。
しかし、その他多くは俺の身を案じるものがほとんどだった。
数々の京香からのメッセを遡っていくと、―――――始まりは今日の明朝。
一つの画像と、『これってホント?』という一言。
「……何だ、これ」
その画像には、俺が映っていた。
しかし、その手に握られているのは……日本刀?
とにかく鋭利な何かを、これまたよく分からない何かの動物に突き立てている瞬間を捉えたものだった。
鬼気迫る表情を、画像の中の「俺」はしていた。
「え、俺……だけど。
……さすがに、コラ……だよな」
よく分からない画像を作るやつもいたもんだ、とスマホをスクロールした。
『アンタだって、ネットでもバレてる。
「近衛奏多」の名前も』
ネット……?
「……?」
俺は何気なくよく使うSNSアプリを開き、タイムラインや現在のホットワードを確認した。
「新都で……、化け物……?」
一体、何のことだ……?
そのすぐ下だった。
今現在、ホットワードランキングに乗っている一つの名前。
『――――――近衛奏多』
「俺……、じゃん」
その名前をタップすると、俺の顔写真や、泉堂学園の写真、さっきの刀を構えたような画像が、わんさかと出てきた。
スクロールしてもスクロールしても、俺の顔、名前。
名前。顔。顔。名前。名前。名前。名前。顔。
暑いはずの夏の朝。
冷たい汗が、背中を伝った。
「……うわあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!!!!」
気付いたら俺は、スマホを床に放り投げていた。
「……一体全体なんじゃ?」
縁側でくつろいでいたはずの天后が、すぐ傍にいた。
急に吠えた俺に訝し気な目線を送ってくる。
「俺がっ……、何か、その……!!
ネットに晒されてて……!!」
「ねっと……?
……あぁ、瓦版みたいなやつじゃな」
そう言いながら天后は床に転がったスマホを広い、画面を見た。
「それ、俺じゃないっ……!!
俺じゃないのに、何か……俺が………!!」
「……昨日の夜か。
思ったりよりも早い……。
安心せい、奏多。
ここに映っているのは、お前じゃない」
「……?
じゃあ、一体、誰……」
「私が、この世界に連れてきた者じゃ。
平たく言うと『別世界のお前』、じゃな」
「……へ」
「霊力を制御し、『陰陽師』と呼ばれる者たちが闊歩する世界。
私たちは元々、そこから来たのじゃ」
「……」
「まぁ、詳しく説明するとわけが分からないじゃろうから……、あまり詳細は言わん。
しかし、それが真実じゃ」
「……」
この少女は……ずっと、何言ってんだ?
真面目顔で滔々と語り出している天后には悪いけど、受け入れることができない。
話している内容は分かる。
理解できる。
でも、それを受け入れる、という過程を踏めない。
「――――――とにかく、事は既に起こったようじゃな。
さすが没落したとはいえ……、元十二家紋。
外界の様子に気付かないほどの結界。
術者は誰か分かるか?」
「……」
「……おい。聞いておるのか、奏多」
明らかに正気を失っている俺に、天后はため息を一つつき、真っすぐに射すくめる。
「―――――混乱している時間さえ惜しい」
「……!!」
「順応し、結果のみを迅速に受け入れるのじゃ。
じゃないと……、ここから先は、本当に」
「―――――死ぬぞ?」と、天后は普段と寸分たがわぬ、まるで世間話でもするかのような表情で、俺へと言葉を放った。
―――――死ぬ。
その言葉の重みが、嘘偽りのない類のものであると、俺は半ば直感的に理解した。
「死」が常に隣り合わせにある日常に生きている者。
奏多自身、そのような存在に会ったことはなかった。
「私を助けてくれたことは……、本当に感謝している。
それ故に。
巻き込んでしまったことも……、同じくらい申し訳ないのじゃ」
天后は俺から目線を逸らし、声音を抑えながら言葉を紡ぐ。
悲しげな表情――――――。
それを、俺は昨日の朝も見た。
瀕死であるはすなのに、助けを乞うわけでもなく。
ただ悲しげな表情を浮かべていたこの少女。
だから、俺は――――――。
「……分かったよ。
順応した、めちゃくちゃ順応したーー」
「……??」
「……だから、そんな顔しないでくれ。
昨日の夜も言ったろ?
『俺が何とかするって』さ」
「……!」
俺は、俺のやりたいことを。
この子は何かのっぴきならない事情に巻き込まれているのは分かった。
「――――――だからまずは、色々と教えてくれ。
今がどういう状況なのか。
何が起こっているのか。
俺たちは今後……どうするべきなのか」
だったら、俺がすることは一つ。
自分の現状なんて関係ない。
この子のために何ができるか、だけを考えろ。




