第131話『崩壊』
[新都南区センタースクエア annmonn 19:01]
時刻は既に夕飯時という頃合いだったけど、来栖はこの時間のスイーツに特に何も思っていないようだった。
女子高生に人気の美味しいクレープの店があるんですよー!と連れてこられたのはセンタースクエア。
多くの若者が所せましと道を闊歩し、それぞれ思い思いに夜の繁華街を謳歌している。
その光景は、やっぱり俺にとっては馴染みのないものだった。
「うわーーー、見てくださいよ!!
キャラメリゼがこのお店の特徴なんですよっ!!」
路面店である店で少し並んだ後に目当てのクレープを入手。
しかし路面店であるため特に食べれる場所もない。
俺たちは行儀悪いこと承知の上、仕方なしに「食べ歩き」という手段をとっていた。
「うっわ~~~、パッリパリ!!!
何この触感~~~~!!!」
「む、確かに美味しい……」
ほんの少し焦げたキャラメリゼ……?が生クリームの甘さと相まって絶妙なハーモニーを作り出している。
バカ舌であるという自負はあるけれど、それでも今食べているものが話題になるほどの逸品であることは分かった。
「いや、これリピですよね!?」
「うん、これはリピだね」
空腹も相まってめちゃくちゃ美味い。
何だこれ。
やめられない止まらない……!
味わうことも忘れ、俺と来栖はクレープをとにかくせっせせっせと口へ運んでいた。
そして僅か数刻、俺らの手には空となったクレープの包み紙だけが残っていた。
***
クレープを食した後、服が買いたいという来栖も要望に応えて、俺らはセンタースクエア前の店を物色していた。
あーでもないこーでもない、と何度も試着を繰り返す来栖に、いい言葉をかけられているのか不安になった。
それでも俺に「可愛い?」と何度も聞いてくる来栖が、ただひたすらに可愛かった。
そしてそのまま夜も深まりを見せ、そろそろどこかで夕飯を食べようかと話をしていた――――――そんな頃合い。
「どうしたんですか?」
「うん、いやなんでも……ない」
明らかに「なんでもないわけがない」言い方をしてしまったことをすぐに後悔した。
時刻はすでに20時を回っている。
こんな時間に、これほど多くの人がひしめき合っているのを見慣れないからだろうか。
首筋の裏側辺りがチリチリするような……、そんな感覚。
「何か、落ち着かなくって……」
来栖は俺のことを不思議そうな表情で見つめ、やがて何か思いついたのかビシッと俺の顔めがけ指さした。
「それはですね……、多分「夜の彼女とのイチャイチャデート!」のドキドキですね!!」
「???」
イチャ……何?
「だ~か~ら~、新太さんは女性経験がこれまでなかったじゃないですか?
初めての彼女との色々な経験に体がなれていないんですよ、多分!!」
「……」
――――――色々な経験に、体がなれていない。
来栖の言うことも最もだ。
と、今の俺にはごくごく当たり前に思えた。
なぜならば。
俺は、この状況を楽しんでいたからである。
陰陽科に所属し、そして陰陽師であれば、夜は出撃し悪霊を祓うもの。
そういう認識の下、これまでの日々を過ごしてきた。
しかし、それがどうだ。
普通の彼女と、普通の放課後を過ごしている。
学園でもそうだった。
俺は、楽しかったんだ。
陰陽師として、上を目指すことのない「普通科」の学園――――――。
同じクラスメイトととりとめのない話をして、昼休みには悪態をつきながら再試に向かう友人を馬鹿にし、遊びのような授業に興じる――――――。
そこにはクラスメイト同士の軋轢も、プライドを削るやり取りも戦闘訓練も何もかにも存在しない。
それはもちろん、「序列」でさえも――――――。
俺にも、こんな日常があったんじゃないかと思わせるほど夢のような日々。
先ほど来栖に「式神の機構」について問いを投げかけてみた。
そして、返ってきた「何ですかそれ……?」という返答。
来栖は式神を改造しうる天才ではなく、ただの女子高生。
天真爛漫に、今を全身全霊で楽しみながら生きている少女。
それが、ただひたすらに眩しかった。
そんな来栖のことを心から愛しいと思えたし、大切にしたいと本気で思った。
「……どうしたんですか?」
突如黙り込んだ俺に首を傾げる来栖。
街の喧騒は未だやまず。
「あっ……」
雑踏の中で、俺は来栖の手を握る。
頬を染める来栖。
しかし、彼女が欲する言葉を俺が言うことはない―――――――。
「――――――俺はさ、人を殺したんだ」
「……はい?」
「何言ってんの?」と、来栖の表情が語っていた。
「それでも、君は俺を肯定してくれた。
『守ってくれて、ありがとう』って」
「えぇと……、何の話……ですか」
目の前の来栖に、俺の言っていることを理解できるはずもなかった。
それでも俺は、静かに言葉を紡ぐ。
「嬉しかった半面……、すごく怖かった。
『この子は、俺の罪も一緒に背負う気なんだ』……ってさ」
「え……、ちょ……!」
手が振り払われる。
「ホントにどうしたんですか!!?
何言ってんのか、マジで訳わかんないです!!」
先ほど感じた首筋の違和感。
それが慣れ親しんだものであると、俺は確信していた。
「俺が好きなのは、『来栖まゆり』。
――――――君じゃ、ないんだ」
「何言って……。
ウチも……、来栖まゆりじゃ……、ないですか!」
泣き出しそうな顔を俺へと向ける。
そりゃそうだよな、いきなり。
ただ楽しく遊びに来てただけなのに。
突然こんな話。
「ウチ、何かしましたか!!?
何でっ、こんなっ……!」
そして、ついに来栖の感情の堤防が決壊する――――――。
「何とか言ってくださいよ!!
――――――奏多さん!!!」
『奏多』
『奏多さん』
『おい、近衛ー』
『おはよう、近衛君』
昨日から幾度となく、呼ばれた名前。
皆一様に俺の顔を見て、宮本新太ではなく『近衛奏多』と呼んだ。
世界が違えば、名前も違うのか?
―――――――否。
虎や京香、そして来栖は同じ名前だった。
最大の違和感に、俺は思考を止めていた。
皆、俺ではなく「近衛奏多」を見ている。
皆が声をかけているのは、紛れもない「近衛奏多」。
不意に。
通りに響き渡る嬌声。
声の方を見ると、一人の若い女性がセンタースクエアの中心部を指さしていた。
その商業ビルの一角に、それはしがみついていた。
それを視界に入れた人たちの声が、ざわめきとなってやがてセンタースクエア前を包む。
「……何、アレ」
今にも零れそうなほど涙をその目に溜めた来栖も、同じ方向を見ていた。
体感では実に二日ぶりだけど、もっと長い間見ていなかった気がする。
階をまたぐほどの巨体。
その身を商業ビルに巻き付けながら、悠然とこちらを見下ろす異形の姿。
――――――悪霊。
『菴輔□縲√♀蜑阪i!!!!』
禍々しい陰の霊力。
醜悪な見た目。
気圧されてしまいそうなほど濃密な―――――――、生体光子
―――――――均衡が崩れた。
恐らく、俺らのせいで。
安定していた、この世界の磁場と霊力。
そこに突如として出現した――――――十二天将と、その術者。
本来現れるはずのないモノ。
視えるはずのないモノを呼び覚ましてしまった――――――。
『調整』を受けていないであろう、周囲に人間たちにも悪霊が視えてしまうほどに、その磁場の性質に偏りが生じている。
俺が感じた違和感。
それはむしろ、違和感ではなく―――――――心地よさ。
体に馴染む霊力の本流。
悪霊の生体光子の満ち満ちた気配。
そして、数多の命の駆け引きを前提とした、夜の気配。
俺が、生きるべき世界。
懐から、一枚の護符を取り出す。
「ごめん、来栖」
「……?」
「近衛奏多に、よろしく」
俺は、陰陽師――――――宮本新太。
「―――――――『閃慧虎徹』、起動」




