第130話『荒れ野に立つは、少年唯一人』
『寧々に逆らうなんて、百年早いのっ!!!』
一人の少年が、一人の少女に足蹴にされていた。
少年は地面にうずくまり、目に大粒の涙をため、嵐が過ぎるのをただひたすらに耐えていた。
『何とか言いなさいよっ!!!』
『うっ……!』
鈍い痛みが背中に広がる。
怖い。
怖くて怖くて、仕方がなかった。
声なんて……、とてもじゃないけどでない。
喋ったら喋ったで、理由のない暴力に晒されることを、幼き仁は理解していた。
『裏切者の「桐月」のくせに!!
そのくせアンタ、式神操演の才能もないんでしょ?
せめてサンドバックくらいにはなりなさいよねっ!!』
暴論。
論理なんてとっくに破綻している。
しかし、反論することすらできない自分にも一番腹が立つ。
どうして自分は何もできないんだろう。
こんなことをされて、どうして声が出ないんだろう。
歯を思い切り食いしばると、口の中は血の味がした。
でも、寧々の言うことも全てその通りだった。
つい先日、『血盟』を結んだ桐月家相伝の十二天将『天空』。
病に伏した桐月家当主の父親が逝去し、幼き仁がその家督を受け継いだ。
その成り立ち故に、他の十二家紋からは蔑まれ、ろくな扱いを受けてこなかった。
まして、次期当主が若干五歳やそこらの幼子である現状、抗う力なんかあるはずもない。
そして、式神の扱いも仁は才能がある方ではなかった。
血盟を結んだ『天空』は、とても優しい式神だった。
しかし、式神といくら良好な関係を築いていても、それがそのまま術者本人の練度に出るかと言われればそうではない。
それこそ目の前の寧々のように、仁と同じくらいの年齢で相伝の式神を巧みに扱っている十二家紋もいる。
でも……仁は、違う。
明らかに術者本人の力量の問題だった。
『これが次期当主っ!!?
雑魚すぎでしょ!!!!』
トドメと言わんばかりに、寧々の足が仁の顔面を踏みつけるその瞬間――――――。
『やめろ!!!!』
辺りに響き渡る声。
声と同時に寧々の動きもピタリと止まる。
そして、自身の行動を妨害されたことに対するイラつきを込めて、来訪者の方を睨みつけた。
『……!』
声が同じ子供のものであるのは間違いがない。
でも、仁を庇う人間なんているはずが――――――。
『お前……近衛の……、一体何の真似?』
『それ、やめろよ』
ビキビキと寧々のこめかみに青筋が浮かぶのを仁は見逃さなかった。
『お前も没落側の人間だよねぇ?
どうして寧々に指図できるのかなぁ?』
笑顔こそ浮かべている。
しかし、その内心は明らかに激情が渦巻いている――――――。
『どうして?
……俺が、そうするべきだと思っているからだっ!!』
そう言いながらあの時、奏多は寧々と相対した。
その結果、どうなったのかを仁は全く覚えていない。
式神同士の戦闘になったのか、はたまた徒手空拳による立ち合いになったのか―――――――。
その結果も、何もかも。
仁は、思い出せなかった。
***
『――――――――!!!!!』
寧々は普段身に纏う十二天将の霊力とは、異質なまでの濃密さを感じていた。
――――――認めない。
こんなの認められないっ!!
薄れゆく意識の中で、寧々は自身の装纏体が破壊されるのを感じた。
成神弐式、断――――――。
接触した対象の霊力の結合を強制的に『断つ』、成神時における黛仁固有陰陽術。
寧々の装纏体は十二天将『太裳』を術の起点として発動し、霊力を媒介にその形を成している。
故にその霊力結合を断ってしまえば、術はおろか装纏体自体維持することが不可能――――――。
――――――嘘だよ。
そうそう、嘘嘘。
こいつはあの仁じゃない。
寧々に踏まれて蹴られて、ピーピー泣いていたあの弱虫。
それが、仁。
それが、仁のはずでしょ……!!?
『……!!』
般若の面に、ヒビが入る。
目の前に急激に明るさを取り戻し、成神状態の仁が視界に入る。
どこまでも神々しくて、目障り。
どうして、邪法のくせにこんなに輝いて……。
面が完全に割れた――――――。
仁の口が、ゆっくりと動く。
《寧々》
『……!!!』
やめて。
聞きたくない。
アンタの言葉なんて。
今はもう。
《――――――ごめん》
――――――――!!!!
転瞬。
寧々を、水面を、周りの木々を、周囲に存在するもの全てを巻き込み。
――――――仁の霊力が、爆ぜた。
***
――――――確かに、これは必要だったな。
『成神』による破壊を極力最小限に抑えるための結界。
十二天将同士の衝突なんて比じゃない。
最初からここまでの規模を想定していたからこそ、仁は……。
周りの破壊の状況を見ながら、土御門泰影はただ一人口角を上げた。
爆ぜた霊力と風圧で木々は薙ぎ倒され、池の水はその体積を大きく減少させている。
一体どれほどのエネルギー量が働いたのか――――――。
その池の中心に、既に成神状態を解除……いや、解放率を下げた仁が立っていた。
力なくうなだれている寧々の体を肩で担ぎ、俺へと視線を向けている。
「……よいしょっと」
これ以上、寧々に振り回されるのは仁に対して申し訳ない。
俺は仁に向かって、ゆっくりと水面を歩く。
「……ほんと、何しに来たんだよ」
「……宣戦布告、のつもりだったんだけどね」
現状、十二天将持ちで最大の戦闘力を誇る寧々が――――――この有様。
「まだ、余裕があるね」
「……」
『成神』による被害を抑えるために強固な結界を維持しながら戦闘を行い、あまつさえ「解放率」という言葉さえ彼の口から飛び出した。
仁は全力ではない――――――。
やはり仁にぶつけられるのは、「大嶽丸」くらい、か。
「寧々を、ありがとう」
「……」
気を失っている寧々を、仁はゆっくりと俺に手渡す。
「……天后の発現事象が欲しくてね。
捕獲しようとした矢先にこれだよ。
新都中の十二天将の術者ごと転移させられちゃった」
「……」
「僕らは今から天后を探す。
そして、俺達が目的を果たす。
……そうそう。それを伝えたかったんだ」
「お前らに、やすやすと渡すと思うか?」
「……ふむ。
それじゃ競争、だ」
「競争?」
「早く見つけた方が、天后を手に入れられるってことで、どう?」
俺の話を聞き、仁は鼻で笑った。
「――――――俺としては、泰影をここで殺して、そのあとでゆっくり探したいんだけど」
「……あー、それいいね~。
というか、仁的にはそっちの方が全然効率いいね」
しかし、仁は俺を殺さない。
いや、殺せない。
「俺弱いし……。
寧々も負けちゃったし……
俺を守る人は、あと一人だけになっちゃったよ」
「あと一人……?」
仁の眉根があからさまに陰る。
彼の中で完全に想定外の人物の名を、投下――――――。
「――――――御琴ちゃん」
「……っ」
目が見開かれ、ただ茫然と。
仁は俺の方を見ていた
「な……、は……?」
「あ、ちなみにこれマジだから。
ということで、どちらが先に天后を見つけるか競争開始ー」
当惑する仁。
彼の精神状態に呼応するかのように、結界が解除された。
嘘は言っていない。
あとは、仁がどう自身の中で結論付けるか、かな。
既に純黒が支配する闇夜へと、俺は寧々を抱えながらその身を投じる。
最後に目線を仁へ送ると、彼はただ茫然とその場に立ち尽くしていた。




