第117話『変異』
何が、起こってる……?
「……冗談なら、面白くないぞ」
「いやいや、訳わかんないこと言ってんのはお前だろぉ?
ほら、さっさと行かないと遅れる遅れる」
混乱している俺をよそに、虎は踵を返し、校門をくぐって校地内へと歩き始めた。
―――――昨日の放課後から急ピッチで工事を行い、校舎を改修した?
だから、今俺の知っている校舎と目の前の校舎が異なる。
泉堂学園は「陰陽科」の学校ではなく、最初から「普通科」の学校だった?
だから、これほどまでにたくさんの生徒が学校へと向かっている。
脳裏で現在の状況を無理やり説明づける。
そして、再認識する一つの事実。
もはや絶対的である、たった一つの結論。
―――――――そんなわけあるか。
これは恐らく、発現事象。
肌が泡立つような感覚。
暑いはずなのに、じんわりと背中を撫でられるような寒気。
それは陰陽師としての本能が訴えてくる感覚に他ならない。
これが陰陽術の類なのは間違いない。
が、しかし――――――。
「おーい、早く来いよ!!」
「……っ!」
先を歩く虎の後姿を追いかけ、見慣れぬ校舎へと俺も歩みを進める。
虎の後に続き、「2-F」と書かれた靴箱……、俺の名前が書かれているところにスニーカーを入れる。
「発現事象」と仮定してしまえば、現在のおかしな状況にも少し余裕をもって受け止めることができる。
自然と握られた拳に、力が入る。
そう。
そうだ。
今はただ、順応しろ。
虎の後に続きながら、階段を上る。
――――――仮に、発現事象だとして。
こんな発現事象が本当に存在するのか?
「時間、意外と余裕だったなー」
虎の話を聞き流しながら、俺は生唾を飲み込んだ。
定義するならば。
この発現事象は、言わば改変。
……何の?
それは、俺を取り巻く周囲―――――――。
思考をめぐらす俺の目の前で、虎はとある教室のドアを開けた。
上にかかっているクラスプレートには、先ほどの靴箱と同じく「2-F」と書かれている。
「おっ、虎来た」
「いーす」
適当な挨拶を交わす虎の後ろから教室へ足を踏み入れると、そこには始業前の喧騒があった。
何も考えずについてきたけど……。
2-F。
馴染みのないクラス表示。
泉堂学園陰陽科は一学年に二クラスしか存在しない。
F組、それが意味することは所属する膨大な生徒数を抱えていること。
見知らぬ教室。
見知らぬクラスメイト。
拍動が僅かに上昇する感覚。
「……おっす」
「今日もおっせぇな」
「サボりかと思ったわ」
「……!」
近くを通るたびに、誰とも知らぬ男子生徒達から声を掛けられる。
愛想笑いをしながらも俺は、自分の席を探していた。
俺の座席。
普段の教室での俺の座席は、窓際、前から二番目……。
目線を送ると、対象の席に人影はない。
あそこか……?
「……」
目的の座席に腰を下ろし、さりげなく周囲の様子を伺う。
止まない喧騒。
誰もこちらを気に留めない。
指摘する者は、いない。
「遅かったじゃない」
「……!」
不意に呼ばれた名前に背筋が伸びる。
声の方へ視線を送ると、喧騒と机の間をかき分け、こちらへとやってくる一人の女生徒。
「京香……」
それは紛れもなく俺の姉弟であり、陰陽師として共に切磋琢磨している古賀京香だった。
―――――――しかし。
目に見えて分かる差異点。
「……その恰好、どうしたの」
それは、京香の見た目。
泉堂学園の夏服に身を包んだ京香だったが、チェック柄のシャツが腰に巻かれていて。
普段は後ろでまとめられている金髪も、これまた見事に巻かれに巻かれている。
そして、似合っていないことはなかったが、化粧も普段よりもしっかりめにしているようだった。
「どうって……、別に普段通りだけど?」
「……」
そこに誇り高い、向上心を胸に修練を続けていた序列第一位の姿は見られない。
目の前にいる京香は、派手な女子高生そのものだった。
「……?
顔色悪いけど、大丈夫?」
―――――何なんだ。
本当に発現事象なのか?
発現事象一つで、ここまで現実を改変できるものなのか?
夢、と言ってもらった方がまだ納得できるというもの。
もしくは、精神に影響を及ぼす発現事象……。
幻覚のようなものを見させられているのか?
俺一人だけが、違和感の中心に取り残されている。
否応なしに叩きつけられる、俺の記憶と乖離する現実。
「――――――!」
視覚的な情報量だけでもパンクしそうだってのに……!
こめかみを押さえると、拍動に合わせて痛みが生じているのが分かった。
「ねぇねぇ京香ァ?
週末の予定決めよ?」
教室の端っこに陣取っている派手目なグループの一人が京香に声をかける。
「あっ、うん!
ごめんごめん!
……とにかく。
具合悪いんだったら、保健室行った方がいいよ」
それだけ言い残し、京香はそのグループの中へと戻っていく。
そして再度始める談笑。
虎は虎で、前の席の男子にちょっかいをかけているのが見えた。
それは、決定的に「陰陽科」とは異なる雰囲気だった。
教室中にあふれるクラスメイト達から感じることができた。
状況を理解できていない現状は変わりはない。
しかし、どこか安らぎすら覚える教室内の様子を、俺はしばらく見つめていた。
不意に。
学校中に響き渡る予鈴。
何てことない。
始業の合図に他ならない。
そして。
俺は、目を疑った。
予鈴が鳴り終わると、ほぼ同時に教室に入ってきた人物。
それと同時に、談笑に興じていたクラスメイトも自分の席に戻り、にわかに騒がしかった教室内が静寂を取り戻す―――――。
「―――――お前ら、席につけ」
その声、抑揚。
俺の中にある記憶が揺さぶられた。
カジュアルめなパンツスタイルに、出席簿を手にもったその女性。
頭痛が、激しさを増した気がした。
「……ん?
どうした?」
―――――何で。
『なれたじゃないか、陰陽師に』
あの時の言葉が、脳内に反響した。
「先生……?」
俺の目の前には、新都大霊災で死んだはずの担任。
―――――服部楓がいた。




