第103話『それぞれの夜』
[新都東区某所]
「はぁ……はぁ……!」
式神との霊力の供給を解除した途端、額から噴き出す汗。
それと共に、言いようのない脱力感が全身を襲う。
「……ツ~バキっ!!
なかなか調子いいんじゃないっ!?」
既に式神を解除させた寧々さんが、タカタカとこちらへと走り寄ってくる。
「十二家紋でないのに、この霊力出力が出せるって、やっすんの力は伊達じゃないって感じだね!!」
天真爛漫に、ただひたすら無邪気に親指を上げている寧々さん。
この人、冗談だろ……?
僕と全く同じ出力で十二天将を扱ったというのに、この余裕――――――。
さすがは十二天将の正統継承者、というべきか。
「寧々……さん、すごい、ですね」
「ありゃ、もうバテちゃった?
アタシまだ、出力上げられるよ~!!?」
「僕……、もう……」
膝で自重を支えきれなくなり、やがて力が抜けるように、その場に倒れこんだ。
「ツバキもよくやってるよ~。
普通そこまで拒絶反応あってさ、十二天将、使おうと思わないもん」
「……」
――――――むしろ、ここまで拒絶反応を抑えられているのは泰影さんのおかげというもの。
陰陽師の家系でもない、ただの一般人である僕に十二天将を使用できるはずがなかった。
僕の宿願を果たすための力、そしてその機会をくれた泰影さんには感謝してもしきれない。
「仁と『六合』の術者のこと、よっぽど殺したいんだねぇ」
「……」
沈黙するしかできなかったのは、息切れによるものじゃなかった。
それは、――――――答えに窮したから。
殺したい、その程度の言葉に自分の感情を収めることができたら、どれほどまでに簡単だっただろう。
だから。
僕は、ただ静かに呟いた。
「……陰陽師なんて」
「……ん?
何々??」
「……何でも、ありません」
姉は、ひたすらに優しかった。
僕の世界は、ただそれだけ。
それだけで、良かったのに。
「ってかさー、瑞紀っちと白蓮のおじさんはどこ行ったの~?
さっきから姿見えないけど……」
「白蓮さんは何か用があるとかで、街に出てます。瑞紀さんは熱海……?に行くとか何とか……」
「えー!!? もしかしてバカンス!!!?」
僕は、「いや、違うと思いますけど」という言葉を飲み込む。
瑞紀さんなら有り得ると思ってしまったからだ。
「でも……、泰影さんと話しているのを見ました」
「やっすんと!!? 怪しいなぁ……」
***
[8月9日(金) 熱海市泉堂学園合宿所『睦月』第20修練場 19:20]
「つか……れた……!!」
式神を解除するとともに、その場に崩れ落ちる。
十二天将を使用した後特有の、疲労感。
全身の生命力が全て吸い取られているような、そんな錯覚。
「……でも、これで、形には……、なったんじゃない?」
薄目を開けて見上げると、俺同様に肩で息をしている京香が見える。
全力の京香相手に、ここまで完封できるとは思わなかった。
改めて、新しい式神の性能、そして『六合』同調時の発現事象。
それを可能とした秋人さんには、敬意を表さずにはいられない。
――――――俺専用の固有式神『蛍丸』。
仁と京香から着想を得たこの発現事象は、『六合』との同調を経て、ようやく完成する。
『拡大・拡張』という発現事象を生かす方向で練られた術式に他ならない。
「あー、疲れた……」
「俺に付き合ってくれてどうも」
結局俺は明星会の最中、京香とずっと式神操演を修練するスケジュールだった。
それは京香も同様。
ずっと顔を合わすのが俺で、こちらとしても申し訳ない気持ちになる。
「ホントよ。なんで今更アンタと……」
流れる汗を拭いながら、俺の隣に腰を下ろす京香。
俺との修練で、京香自身も『赤竜』の新たな可能性を見出したらしく、その表情はどこか晴れやかだった。
「でも、アンタと本気で闘り合う日が来るなんてね」
「……そうだよなぁ」
二年の元序列一位と対等に。
つい半年前までは、想像だにしなかったこと。
京香は言ってしまえば雲の上の存在で、俺はそれを一番下から眺めているだけのちっぽけな存在――――――。
それ故に、京香には泉堂学園に入学してからというもの、ずっと後ろめたさがあった。
俺なんかが、気軽に話していい人じゃないんだ、と。
「……昔に戻ったみたいで、嬉しいよ」
「一体いつの話してんのよ、中学?」
「中学か……。
コガケンの車にさ、虎が爆竹を……」
「あー、あったわね。
顔の原型無くなるまでボコボコにされたやつ」
「全治二週間な。アレ今じゃアウトだよなぁ……」
「いや、全然当時もアウトでしょ」
そして。
くだらない話をして、どちらともなく笑う。
……そう。
そうだ。
忘れていた。
これが俺らの日常だった。
京香は何も変わっていない。
勝手に京香との間に線を引いたのは、俺の方だ。
俺と京香は、昔こうしてよくしゃべっていた。
互いに飽きることなく、よくもまぁそんなに喋ることがあったもんだと感心してしまうほどに。
「それで、新太」
「……?」
ひとしきり話した後、急に京香が真面目な顔になって俺の方へ首を傾ける。
「どうするの?」
「???」
「まゆり、のこと」
「……!!」
「いつまでもなあなあにしちゃダメ。まゆりはアンタのこと、本気で好きなんだから」
「……」
正直、あの屋上で告白されてからというもの、色々なことが立て続きに巻き起こり、返事をするタイミングを逃してしまった。
返事はいらない、と。
あの屋上で、来栖はそう言っていた。
でも、それは来栖の優しさだ。
いつまでもそれに甘えてはいられない。
いつかは俺も返事をちゃんと伝えなければいけない。
「アンタはまゆりのこと、どう思っているの?」
「……俺は」
正直、これまでに色恋沙汰とかなかったから……、恋愛云々はよく分からない。
でも、来栖から向けられる好意は素直に嬉しいし、そして応えてあげたい気持ちもある。
でも、それが俺に可能なのかどうか……。
と、グダグダ言ってみたら京香に「キモい」と一蹴。
「まゆりって、可愛い?」
「すごく可愛い」
「彼女にしたくない?」
「……したい」
「答え出てるじゃん!!
さっさと行ってきなさい!!!」
バチコン!と思い切り背中を叩かれ、思わず背中をすくめる。
「……今?」
「今行け、馬鹿」
マジか……!!
「えっと……、どうすれば……」
「とりあえず、連絡取る」
「う、うん……!」
スマホで『今会える?』とメッセを飛ばしたところ、ものの数秒で既読がついた。
そして、『もちろんです!!』と返信が返ってくる。
うわちょっと展開が急すぎないか……?
あまりのテンポ感に、若干引いている自分がいる。
「まゆりがアンタの誘いを断るわけがないわよね。
……あっ、『どこで会います?』だって」
「とりあえず、人がいないところ……、合宿棟裏の森林公園とか、かな」
俺はとりあえず、手短な合宿所近くの場所を挙げてみる。
しかし。
「馬鹿、虫すごいでしょ、あそこ。
それに暗いし」
なるほど……、そうか……。
となると、どこがいいかな。
「誰にも邪魔されないところ……、それこそ降りてってもいいんじゃない?」
―――――降りていく。
それが意味するところは、山間部であるここから下、つまりは海。
「時間的に帰りのバスとか……、大丈夫かな?」
「……アンタって、ほんと馬鹿ね。
その時は二人でよろしくやればいいじゃない」
「……?」
よろしく……?
「……もういい。
とりあえず後先のことは考えずに行ってきなさい!
アンタと同じ部屋の奴には、アタシとか虎から一言言っとくから」
再度背中をバンバンと叩かれ、その勢いで立ち上がる。
そして、トドメとばかりに太ももをスパンと叩かれた。
「とりあえず、合宿所前のバス停に呼ぶ!」
「は、はい!!」
高速でフリック入力をすまし、来栖にメッセを送る。
「『15分後、行きます』だって!!」
「女の子は色々と準備があるの!
アンタもほら、五分でシャワー浴びて行け!!
遅れたらアタシが怒るわよ!!」
「何で、京香が……!!」
悪態をつきながらも、俺は修練場の入り口に向かって走り出していた。
時間がないのは事実。
かといって、こんな汗まみれの姿で会うわけにはいかない……!
「……!」
入り口を出たところで、俺は一つ忘れ物を思い出した。
急いで修練場内を覗き込み、未だに座り込んでいる京香に向かって大きく手を振る。
「京香、ありがとう!!!」
たった一言それだけ言い、再度合宿所への道を走る。
返事は聞こえなかった、ただ――――――。
視界の端で、親指を立てている京香の姿が目に入った。




