第98話『追想 弐』
女の人が立っている。
今日の朝から、教室の前の方にずっと。
周りのクラスメイトの様子を見ても、誰も何も言わない。
見えているのは、恐らく僕と楓のみ――――――。
肝心の霊は、ただそこにいるだけで、普通の人と何ら変わらない。
これは、生きている人間か死んでいる人間か判別がつかなくなるのも分かる。
しかし。
視えるようになって初めて知ったこと。
それは、霊は体から不思議なものを発している。
光り輝く何か、それは普段の生活で見るはずのないもの。
のちに陰陽師になり、その正体が生体光子であることを知ったのだが、当時はもちろんそんなことは知る由もなかった。
「支倉?」
「えっ、あっ……」
「どうした?
アホみたいな面して」
「いえ、何でもありません……」
***
今日も今日とて、同じ下校時間―――――――。
異常なまでに綺麗な夕暮れの紅、その中を二人で歩みを進める。
「でもさ、仕方ないよね。
視えちゃうんだからさ」
楓の言葉に深く頷くことで応える。
同意。激しく同意。
どれくらい身の回りに僕たちと同じ人種がいるかは分からない。
もしかしたら、皆、口にしないだけで結構な数の人間が調整を受けていて、僕たちと同じものが当たり前に視えているのかもしれない。
もちろん、それを傍から見て確かめる手段もないのだけれど。
―――――調整を受け、数日が経過した。
僕らは最初こそ、あまりにも普通に視えるそれらに戸惑いはしたが、別に向こうから害を加えてくるわけじゃない。
風景の一部として昇華するまでに時間はかからなかった。
「それで、楓。
君の世界は変わった?」
少し意地が悪い笑みを作り、楓へと向き直る。
元々よく分からん理由で、今回「調整」を受けるに至った楓。
煽る意図も込めての僕の発言だったけれど、楓から返ってきた言葉は意外や意外。
「――――――変わった、かな」
いつにない真剣な表情で、藍色に染まりつつある天頂を見つける楓。
「……どう変わった?」
普段とは異なる楓の様子に、僕は気づいたら真面目な表情で声を発していた。
しかし、それに対しては「……分からない」と要領を得ない回答。
「でも、変わった。
変わったんだよ、秋人。
うまく言葉にできないけど……。
私の世界は、確かに――――――」
「……!」
楓の瞳は、輝いていた。
見たことがなかった。
こんな楓を。
腐れ縁故に、昔から知っている。
運動も勉強もそつなくこなし、いつもつまらなそうに頬杖をついている―――――。
そんな姿が普段だった。
しかし――――――――。
楓の瞳には、希望が宿っていた。
その声音には、期待で満ち満ちていた。
まるで、知らない誰かと喋っているみたいで。
「秋人、私は―――――――」
楓の声が、搔き消される。
音の方向を見ると、自衛隊のヘリがすぐ直上を飛行していた。
あまりの音圧に、会話もできず。
僕らはただ、茜色の夏空を見上げることしかできなかった。
確かに、変わった……のかもしれない。
楓も、僕も。
そして、この世界も。
音が、戻ってくる――――――。
「―――――帰ろっか」
「……そうだね」
会話の続きをする気分でもなかった。
帰宅方向に向けて、楓が歩き出した。
―――――が、数歩でその歩みを止めてしまう。
「楓、どうし―――――」
『縺雁燕繧峨??」溘≧縺』
楓は、固まっていた。
それは多分、僕と同じものを視ているからだろう。
一言で表すなら――――――異形。
この世のどの生きものにもカテゴライズされない、醜悪な見た目。
人間と爬虫類を無理矢理ぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたが如き外観。
それに加え、霊から立ち上っていた光り輝く何かが、目の前の異形からも立ち上っていた。
でも普通の霊とは明らかに異なり、昏い色、だった。
――――――――!!
全身に鳥肌が立つ。
体に備わった本能が、警鐘を鳴らしていた。
「いやああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「っ!!」
楓の悲鳴。
それと同時に、目の前の化け物がこちらを視認する。
『……縺雁燕繧峨?√%縺」縺。蛛エ縺』
「っ……!」
口らしい部分がひん曲がり、笑みのようなものを作る。
そのあまりにグロテスクな光景に僕は目を背け、楓を引きずって走り出した。
「楓っ!! 逃げるよ!!!」
「う……あ……」
楓は、完全に腰が抜けていた。
自分で歩くのもままならない。
やがて、僕の手を握りながらその場にへたり込んでしまう。
『騾?£縺ェ縺?s縺?縺」縺溘i縲?」溘≧縺』
楓のすぐ目の前に、異形がいた。
いつの間に――――――。
手のようなものを振りかぶる異形。
僕は咄嗟に楓との間に割って入り、そして。
「っ……がっ……!!!」
――――――背部への衝撃。
肺の中の空気が全て、強制的に外へと排出される。
それと共に、これまでに味わったことのない質の痛み。
電柱?
ここまで吹っ飛ばされたのか、僕。
異形の姿が、ぼやけて酷く遠くに見える。
眼鏡も、外れている。
揺らぐ視界。
そして、脱力感――――――。
「あ、秋人ぉ……!」
遠くに聞こえる楓の声。
熱い。熱い。熱い。
「痛覚」が「熱さ」として全身を駆け巡る。
異形は、楓のすぐ傍に立っている。
僕が、立たなければ。
僕が。
それはまるで、先ほど見た光景の再現を見ているかのよう。
手のような、触手のような、異形の体の一部が。
振りかぶり、その先にいるのは――――――楓。
今まさに、異形の凶刃が楓を抉るその瞬間。
『縺ッ?』
――――――異形は、横一文字に切り裂かれた。
それと同時に、形が崩れる異形。
夕刻の新都の大気へ消えてゆく粒子――――――。
今しがた点いたばかりの電灯の光に照らされ、キラキラと反射している。
「……ギリギリセーフ」
女の子の声。
一体……誰。
「あー、大丈夫大丈夫、怯えないで」
どうやら楓に話しかけている様子。
しかし、その様子を確認しようにも、メガネが……。
ただでさえ、夕刻ということもあり、視界が悪い。
「こっちは……。
あまり大丈夫じゃ、ないか」
「メガ……ネ……」
「……何?
メガネ?
あっ、目悪いんだ、アンタ」
えっと、どこにあるかな~と目の前の人影は、周囲を探し回り、そして。
「はい、これでしょ?」
重い右手を何とか動かし、差し出されたものを受け取った。
そして、そのままいつもの定ポジションへ。
「……!」
―――――一人の女の子。
僕の目の前には、一人の女の子が立っていた。
どこかで見たことある制服に身を包み、背丈は僕よりもだいぶ低い。
しかし。
背丈よりも何よりも、少女の外観で気になったのは、二点。
一点目。
少女は、そのショートカットの髪の毛を含め、睫毛や肌の色に至るまで真っ白。
そして、二点目。
少女は、その背中に。
身の丈はあろうかというほどの大鎌を携えていた。




