第97話『追想 壱』
「秋人」
何かに視界を遮られて、ようやく僕の頭上に誰かがいることに気付いた。
と言うか、この声。
今更、誰か分からない方が不自然というもの。
ズレたメガネを元に戻すと、ぼやけていた視界が元の鮮明さを取り戻す。
「こんなあっついところで……、よく寝れるね」
「いや、まぁ……、そうだね」
彼女が言っているのは、今の僕の状況だと思う。
真夏の屋上、日の当たるコンクリートの上で、寝っ転がっている―――――僕。
見ようによっては、自ら熱中症になりにいっているように見える、だろうな。
でも、これが好きなんだから仕方ない。
真夏を全身で感じているようで、いい。
「それより、どうしたの?」
「……あっ、そうだった。
秋人だけだって、進路希望調査出していないの。
小田センにドヤされるよ?」
「……ヤバい、今日までだったっけ」
彼女の口から出たのは、紛れもない僕達のクラスの担任。
提出物にはめっぽう厳しくて、日々、忘れっぽい僕は苦労している。
「どうせ一高でしょ?
決まってるんだからさっさと出せばいいじゃん」
「まぁ、そうなんだけどね……」
逆に皆、そんなすぐに提出できてすごいな。
ただの進路希望調査とは言え、一応今後の自分の将来に関わってくる重要な書類。
もっと熟考する時間が合っても良いとは思うんだけど。
「とりあえず、私は伝えたから」
そう言いながら踵を返す少女。
途端に八月の陽光が僕の頭上に再度降り注ぎ、眩しさに目を細める。
「何て書いたの?
―――――楓」
黒いミディアムショートの髪を翻し、楓は「一高」と呟いた。
……まだまだ、腐れ縁は続きそうだな。
―――――16年前。
僕達はまだ、霊が見えなかった―――――。
***
「霊」という存在を世界で始めて科学的に解明したのは、とある歴史上の人物の末裔、「安倍清次」だった。
人に備わった六つ目の感覚器官として「磁覚」を提唱、脳への「調整」により、電磁波を主とする「霊」を知覚する技術を編み出した。
一番始め、この「磁覚」論争の起こりは、どこか宗教じみていたのを覚えている。
―――――「霊は、本当にいるんです。」
そんなことを口にしている安倍清次に対し、熱心な囲いが周りで賛同する。
その様子はワイドショーなどで積極的に取り上げられ、どこかの大学の教授らが唾をまき散らしながら異を唱えていた。
しかし、実際に「調整」を受けた人たちが増えるにつれて―――――、
ワイドショーも、異を唱える人たちも、鳴りを潜めていった。
「秋人はどう思う? 調整者の言うこと」
「……う~ん。
正直、信じられないかな」
学校からの帰り際。
茜色に染まる道すがら、突拍子も無くそんなことを口にする楓に若干驚きながらも、僕は自分の考えを答えた。
「すごいくっきり見えるらしいね、霊。
普通の人と同じように」
「やっぱ、想像できないよなぁ……」
人からの話だけじゃ、どうも要領を得ない。
実際に自分の目で見てみないことには……。
「……私、受けてみようと思うんだ」
「え?」
「調整」
僕は、随分と間抜けな顔をしていたんだろうと思う。
「何その顔」と、楓が目に見えて不機嫌になったから、努めて普段通りの表情を心がけた。
「……どういう心境の変化?」
「私、スピリチュアルとかそういうの好きだし……。
何か、世界が変わるみたいだし」
確かに、世間的に見ても、日に日に調整を受けている人たちは増えている、らしい。
我が西中でも、隣のクラスの○○が調整を受けた、程度の風の噂は流れてきている。
それでもまだ眉唾の類いだろう。
人気者の中心になれるほどの話題性は、まだない。
「まぁ、受けてみてもいいんじゃない?
あー、でもなー……、僕は止めた方が良いと思う」
「……?
何で?」
「見えなくて良いものってあると思うんだよね。見えないならそれに越したことないって言うか……」
別に見えるようになることで、メリットがあるわけでもないし……。
「秋人にお願いがあるんだけどさ」
「何?」
「一緒に調整受けに行かない?」
「あれ、僕の話聞いてた?」
今、受けに行くメリットが無いって言う話をしていた真っ最中だったんだけど。
あと、なぜ僕同席?
楓に聞いたところ、巻き添えを食らって一番心が痛まない人選だったようだ。
……解せん。
「どうせ、受験勉強にも力入れていないんだし。
暇なんだから付き合いなさいよ」
何て言い分!
僕をハナから暇人と決め打ちでの発言!(暇なのは否定しない)
何もしなくても行ける高校なのに、わざわざ時間を使って勉学に励むのはバカバカしいという非常に合理的な理由の元、僕は勉強をしていないというのに……。
……と正当化したところで、楓の冷たい視線が返ってくるだけと分かっている。
よって、反論は脳内のみに留めておく。
「怖いものが怖くなるのは、いいかもしれないけどね」
この頃の僕は、霊が見えるようになることに対し、案外満更でも無かったのかもしれない。
娯楽の延長線上で「調整」を受けても良いのかもしれないと、本気でそう思っていた。
楓の言う通り、どうせ暇だ。
「調整」を受けてみて、話題のネタにでもなればいいと。
僕は、漠然とそんなことを思っていた。




