「温崎さんって、実はいい家の御曹司ってほんと?」
「温崎さん、今日飲み会行く?」
夕方。
大部分が営業で出払って静かな社内。立花 弥生が話しかける。
校正の途中で手を止め、陽真は周囲を見回した。
校正は外部に頼むこともあるが、急ぐときや原稿の量が少ないときは自分でやったりもする。
情報量の多い住宅情報誌なんかは、締め切り前は外部に発注しても人手が足りず、他の担当の奴を引っ張って行っては校正を手伝わせたりする。
さいわい今は、締め切りが近いわけではないので静かだが。
「誰と誰。行くの」
「住宅情報誌の人たちと別冊の編集長以外。あと外食のお店担当の方は……」
立花が指をおり人数を数える。
「あと、朝石市のタウン誌の会社と系列の印刷会社の人たち来るって」
「うちだけじゃないんだ」
「グルメ誌の編集長が声かけてくれたみたい。早い話がコンパもどき?」
あまり興味もない感じで人数を数えていた立花は、ふと顔を上げ目線をこちらに向けた。
「コンパじゃ温崎さん無理か。同棲してる彼女いるもんね」
「ごめん」と続ける。
「……いねえし」
陽真は顔を歪めた。
「うっそだ。ノロケまでかましたくせになに言ってんの」
立花がその場から立ち去ろうとする。
ちょうど外から帰ってきた女性社員に声をかけた。
「いや行くし。行くからな」
陽真は椅子から身を乗り出し声を上げた。
さくらを避けて過ごすにはちょうどいい。できる限り時間を潰してやる。
八時すぎに仕事を終える。
ほほ同じ時間帯に終えた社員数人と教えられた居酒屋に行くと、すでにお座敷席のテーブルの上はいくつもの空のコップと皿があった。
銘々が座った姿勢で身体を少しずらし、空いた空間を指してて「こっちこっち」と手招きする。
「温崎さんはなににする?」
立花がメモ帳を片手に声をかけてくる。
「……立花って幹事だったの?」
陽真は目を丸くした。
「あんまそういうのはっきり決まってないけどさ、だいたいいつもこんな感じなの気づかなかった?」
そうだっけ、と思う。
「ご苦労さま」
「彼女には電話した? 怒られなかった? 温崎さん」
メモ帳を破りながら立花が尋ねる。
「だから彼女とかいねえし」
「喧嘩とかしてんの?」
「何もしてない。そもそもいない」
「あ、やっぱ喧嘩だ」とつぶやきながら、立花が座敷から降りる。靴を履いて店員に声をかけた。
「喧嘩じゃねえし」
戻ってきた立花に陽真はもう一度そう告げたが、聞こえていなかったのか無視された。
「温崎さんってどの人?」
別の会社の女性社員が三人ほど、チューハイのグラスを持ったままあたりを見回している。
「あ、俺だけど」
陽真は右手を上げた。
女性社員たちが顔を見合せた。
とたんにきゃあと甲高い声を上げる。
「イケメンじゃん」
「なんかイケメン」
口々にそう言い、テーブルに手を付いてこちらに身を乗り出す。
「温崎さんって、実はいいとこの御曹司ってほんとなんですか?」
きゃあきゃあ言いながら聞いてくる。
陽真は顔を軽くしかめた。
「誰。そんなこと言ってんの」
少しほろ酔いになってきた。ふぅ、と息をついて膝を立て手をかける。
「営業で来たそっちの人が言ってましたよ。同じ温崎って大企業あるけど関係ある?」
「ない」
陽真は即答した。
「あれ、そうなんだ」
「あれは別の温崎?」
女性社員たちがチューハイを口にする。
「ちなみに彼女いるんですか?」
一番若いっぽい女性社員が聞いてくる。
「いな……」
「温崎さん、同棲してる彼女いますよ」
メモを持った立花が横から口を挟んだ。
「栄養バランスちゃんと考えた朝食と夕飯つくってお弁当まで作ってくれて、健康に配慮してくれる、めっちゃ出来た彼女」
「いねえし」
陽真は顔をしかめた。
「いま喧嘩中の模様」
「してねえし」
眉をよせる。
「起きて待ってんじゃないですか? 電話してあげたら?」
「幽霊だから寝ない」
陽真は答えた。
別会社の女性社員たちが、なんのことと言いたげな表情で目を丸くする。全員が解説してほしいというように立花の方を見た。
立花が横にしゃがむ。
「同棲してる彼女を幽霊に例えるのって、なんの心理? 心理テストでも中々見かけないけど、空気みたいってのと同じ意味?」
なに真面目に分析始めてんだ、こいつ。
「例えも何もない。幽霊だから幽霊って言ってる」
陽真は、ふぅ、と息をついた。
「温崎さん、酔ってる?」
立花が問う。
「珍しいね」
「ほろ酔い。久々に幽霊の呪いの恐怖から逃れてくつろいでんだから、ほっとけ」
陽真はそう答えた。