「もう一回階段から落ちれば元通りになるかなって」
午後八時。
バス停で降り、アパートに帰る。
さくらがまだアパートにいるのかは知らんが、今日も泊まるのなら必要なものを持ち出さなければならない。
さっきスマホに電話したときには、「今日も泊まるから」と膨れっ面してそうな声で言われた。
親父さんと改めて喧嘩でもしたのか。
話がどんどん自分の望まない方向に突き進んでるんだが。
だいたい、親の許可なく結婚決めたうんぬん以前に、こちらの気持ちの確認はどう考えてんだと思う。
動揺してスタッフルーム奥まで言ったさいに言ったという言葉が、返事ととらえられてんのか。
自分も何しとんじゃと陽真は思った。
このさい少しでも軌道修正する方法は、まずさくらに実家に帰るよう説得することだろうと思うが。
アパートの階段までたどり着くと、さくらが階段の最上段にいた。
手すりに手をかけ、下段を覗きこんでいる。
「あ、はるくん」
「何してんの、お前」
陽真は尋ねながら、二、三段ほど上がった。
「うーん」とうなりながら、さくらが改めて階段の下の方を眺める。
「生霊になれなくなってはるくんに届け物もできなくなっちゃったから、もう一回階段から落ちれば元通りになるかなって」
「はあ?!」
陽真は眉をよせてさくらの手前まで昇った。
「なに言ってんの、お前」
さくらを見上げる。
「でも、いざ落ちようとすると怖いんだよねー」
さくらか苦笑した。
「馬鹿か、お前」
陽真は残りの段を駆け上がると、さくらの腕をつかみ部屋のドアの前に連れ出した。
「今度こそ頭打ったらどうすんの、お前」
言いながら、鍵を出そうとポケットをさぐる。
「でも、うまい感じに微妙に頭打った方が生霊になる率が高そう」
さくらが両手で頭をかかえる。
「何だ、生霊になる率って」
陽真は部屋の鍵を取り出した。鍵穴に入れる。
「ちなみに、お前って運動神経いいの?」
「ふつうかな」
さくらが首をかしげながら答える。
過大評価じゃないだろうな、それ。陽真は軽く眉をよせた。
何かトロそうな感じがするんだが。
短期間で二回も階段から落ちてるところとか。
鍵を回して、ドアノブをつかむ。
「ん? あれ?」
鍵がかかった状態になっていた。
「もともと開いてたよ? はるくん」
さくらが手元を覗きこむ。
「えっ?」
さくらと目を合わせた。
「何でお前。鍵開けたまま外出んな、無用心だろ」
「でもここの鍵、持ってないし」
さくらが言う。
「あ」
そうだっけと気づく。
三ヵ月も一緒に住んで、そのあとも毎日ここで過ごしていたのだ。
そういや渡してなかったかと今さら気づく。
「しょうがねえな」
陽真は通勤カバンをさぐった。
念のため持っている合鍵をさくらに渡す。
「えっ? いいの? はるくんいいの?」
さくらが声を上げる。
「仕方ねえだろ。今日は大学行くときはどうしたんだ、お前。開けっぱ?」
「清水さんに連絡したら、合鍵持ってますから大丈夫ですよって。出かけるときと帰って来たときに来てくれたの」
クソ秘書が──。
陽真はドアの横の壁に手をついて項垂れた。
言われてみればそうだ。統真の合鍵をコッソリ作ってるなら、俺のも作ってるよな。
すっかり油断した。
「お前……なら俺に連絡しろ」
「はるくんは、朝の出勤の用意で忙しい時間かなって」
さくらが言う。
確かに今朝は、統真と途切れることのない口喧嘩の応酬をしながらの出勤の準備で、いつもの数倍は忙しかったが。
「はるくんに何かあったときに困るから持ってるんだって。いい人だね、はるくん」
「……どこがだ」
項垂れながらドアを開ける。
清水が中にいそうな気がして、一瞬だけ鳥肌が立った。
さすがにさくらしかいなかった部屋にいるほど非常識ではなかったが。




