「いつもの幽霊バージョンどうした」
バスを降り、アパートの玄関口に着く。
玄関ドアの横にある換気用の小窓が暗いのを見て、さくらは今日も来てないのかと推測した。
まあいいけどなと思う。
まだ八時少しすぎ。
寝るには早い。
自分で鍵を開け、ドアを開けて手さぐりで明かりのスイッチをさがす。
明るくなった水場を通りながら、流し台のシンクを見た。
何もない。
今日はレンチンのおかずも無しか。あいつ来なかったのかなと思う。
冷蔵庫にいくらか夕飯の材料になるものがあった気がするが、今から作るの面倒くさい。
親父さんと顔を会わせにくいが、もういっかい外出てコンビニに行くかと思った。
奥の和室に入り、引き紐を引っ張って明かりをつける。
掃き出し窓にスーツを着た自分の姿が映る。
カーテン開いてたのか。
自分でカーテンを開け閉めするのは、さくらが成仏したと思って身元をさがしていたとき以来か。
玄関の呼び鈴が鳴る。
誰だ。
清水か統真だったら叩き出すことに決めて、玄関に近づく。
魚眼レンズを覗こうとして、屈んだ。
「はるくん」
ドア越しにひそめた声が聞こえた。
「……さくら?」
何してんだこいつと思う。
「お前、いつもいきなり部屋の中にいねえ?」
「今日は生身なの。開けてくれる?」
「は?」
どういうことだと思いながら鍵を開ける。
「え……いや」
ドアを開けてやってから、さらにややこしい事態を招きかねない予感に気づいた。
スニーカーを脱ぎ、当たり前のように上がり框にあがったさくらを目で追う。
「待て待て待てっ!」
さくらの肩を両手でつかみ、引き止めた。くるんと自分の方を向かせる。
さくらの体温と呼吸を生々しく感じて、とたんに緊張した。
「……いや何でお前、生身。いつもの幽霊バージョンどうした」
「生きてるから生霊だよ、はるくん」
さくらが顔を見上げる。
今さらだが、幽霊より生霊って方が呪いに来た感が半端ないなと感じる。
ものすごくどうでもいいが。
「どっちでもいい。なんで身体まで持って来てんだ」
「寝ててもはるくんのところに来られなくなっちゃったの」
さくらが答える。
「昼間、講義中も居眠りして試してみたんだけど」
「居眠りすんな」
陽真は顔をしかめた。
「親父さんには何て言って来たんだ。こっそり出てきたのか」
「はるくんのところにお夕飯作りに行きますって」
陽真は、その場にずるずると座りこんだ。
「……お前、これからお前ん家のコンビニに買い物行こうとしてたのに行きにくくするんじゃねえ……」
陽真は頭を抱えた。
「はるくん放っとくとコンビニ食ばっかりなんだから。コンビニのお弁当は、お野菜がものすごく少ないからダメ」
さくらが目の前にしゃがみ、ぷっと頬をふくらます。
「コンビニの娘が言うな」
「待ってて。いま急いでお夕飯作るから」
さくらが立ち上がり、冷蔵庫を覗く。
「だから、親父さんには何て言ったんだ。退院したあとも何か言われなかったか」
「言われたよ」
さくらが答える。
「おんざきの御曹司さんとは、いつからだって」
“陽真” でいいと言ったのにな。顔をしかめる。
「……何て答えた」
「昏睡状態になってた間からだよって言ったよ」
阿呆だろうかこいつ。陽真は口元を歪めた。
いや頭はいいらしい。紙一重ってやつだろうか。
「あたしからプロポーズしましたって答えたよ。はるくんからは返事もらってないけどって」
何やらどんどん話がややこしい方向に追いこまれてないかと陽真は思った。
どいつもこいつももう少し整理してから話を進められないのか。
「そしたら、親に内緒で結婚まで決めるやつあるかって言われて喧嘩になって」
陽真は額に手を当てた。
ここでもし帰りにくいから泊めてとまで言われたら、さらに話がややこしくなる。
「……送ってやる。このさい俺も親父さんに謝ってやるから」
先日の自分の暴言と不法侵入も含めて。
「おんざきの御曹司さんが傷モノにしたとか言ってたけどって」
ぶっ、と陽真は噴き出した。
よくは覚えてないが「仮にそうなら」って意味で言ったんじゃないのか、俺。
何でしたことにされてんだよ。
陽真は床に手をついてうつむいた。
「はるくんはそんなことしないよって言ったら、お父さん、男はそんなもんだって」
幽霊や生霊とヤれるか、馬鹿親父があああ!
「もうっ、分からずやだからいいって出てきたの。はるくんに泊めてもらうからって」
「はああ?!」
マジできた。陽真は声を上げた。




