「はるくん、助けてください」
アパートに帰ると、玄関横の換気用の窓は真っ暗だった。
さくらは今日は来てないのかと思いながら、陽真は自身で鍵を開けた。
ドアを開ける。
手探りでスイッチをさがし、明かりをつけた。
「あ━━」
何かどっと疲れた。
何となくうめいてその場に座る。通勤カバンを床に放り投げた。
昨日は心の準備もできてないところにいたくせに、何で今日は居ないんだよ。
タイミング悪すぎだな、あいつ。
ふと目線を上げると、流しのシンクの上にラップにかけた夕飯の皿らしきものが見える。
横のガス台にある鍋は、味噌汁だろうか。
「何時だ今……」
呟いて、四つん這いで奥の和室まで行く。
和室の時計を見ると十時近い。
「まだ寝てねえのかよ……」
ぼやいて畳の上に座り直し、ネクタイを緩めた。
「はるくん、はるくん」
いったん目を伏せて顔を上げると、さくらが目の前でしゃがんでいた。
「ぅわ」
ここまで唐突だったことは初めてなので少々ビビる。
畳に脚を投げ出したまま、陽真は後退った。
「何だ。別に待ってねえし」
聞かれてもいないのにそう答える。
「はるくん、助けてください」
「は?」
「階段から落ちちゃったんだけど、お父さんお店にいて全然気づいてくれないし」
ぽかんと目を見開いて、陽真はさくらのうるうるした顔を見た。
「……は?」
ようやく話の内容を理解し、身を起こす。
「はああ?! 何回階段から落ちたら気が済むんだお前! 男女で入れ替わる映画かよ!」
「はるくん、元ネタがよく分かんない」
さくらがふるふると首を振る。
男前なこと言った次の日にこれかよと内心で文句を言いながら立ち上がる。
緩めたネクタイを片手で雑に直しながら、玄関口でいま脱いだばかりの靴を履いた。
「どこ。コンビニの中の階段か? あそこ平屋じゃなかったのか」
「中二階があるの。あたしとお父さんの部屋と茶の間」
となると、元は別の店あそこでやっててコンビニに転身したパターンか。
今どうでもいいが。
アパートを出てほど近い駐車場に行き、外灯に照らされた桜の樹の前を通りすぎる。
コンビニの店舗に入ると、以前会ったさくらの父親がレジからこちらを見た。
「いらっしゃいま……」
いったん言葉を切ってから、お辞儀をする。
「お世話になってます」
そういうのいいと言ったのに。
というか、万が一会社の人間か統真が来てたら即バレするからやめろってのと思う。
「おい、階段ってどこ……」
陽真はうしろについて来てたはずのさくらを振り向いた。
いない。
どういう理屈なんだと思ったが、ここで親父さんの前に幽霊だか生霊だかの姿で出てこられたらむしろ説明が面倒くさいかと思う。
「娘さんはご在宅ですか」
陽真は、レジに手をつきスタッフルームの奥の方を見た。
「娘は……そろそろ寝たんじゃないかと」
さくらの父親が、少々困惑した表情で言う。
「呼んできてもらえますか」
「いえ……あの?」
さくらの父親が、戸惑った様子でこちらの顔を見つめた。
「娘に何か用事で?」
まあ、そりゃこういう反応するよなと思う。
いくら世話になっている店のオーナーとはいえ、夜中にとつぜん押しかけて寝入った娘を呼んで来いは確かに尋常じゃない。
分かるが、ことは緊急だ。
「呼んできてもらえばいいです」
そうすれば気づくだろう。
まさか本人の霊が知らせに来たとも言えない。はよ行けと陽真は内心で急かした。
「あの……明日では」
「今すぐだ! 呼んで来い!」
陽真はついつい声を上げた。
さくらが正確にどういう状態なのかは分からんが、昏睡状態であることは確かなのだ。発見が遅れて後遺症でも出たらどうするんだと焦る。
さくらの父親がムッとした表情でこちらを睨んだ。
「……おんざきの御曹司さん」
「陽真で結構だ」
なぜかさくらの父親と睨み合う形になる。
「……陽真さん」
「いいから早く呼びに行け。階段のところだ」
さくらの父親がいったん下を向き覚悟を決めたような表情になる。
「いくら助けていただいてる御曹司さんとはいえ、こんな夜中にとつぜん年頃の娘を呼び出すような話に応じるわけにはいきません」
「娘の貞操云々を心配してる場合か。さっさと呼びに行け」
陽真は、イライラと眉間に皺をよせた。
話にならんと強引にレジのスペースに入り、奥のスタッフルームに向かう。
「自宅スペースはこっちか」
「何するんですか!」
さくらの父親がスーツの袖をつかむ。
「娘に何をするつもりなんですか!」
「ちょっと黙ってろ! 離せ!」
陽真は、つかまれた手を振り払った。
「離しません! いくら大企業の御曹司さんとはいえ傲慢が過ぎるでしょう! こんな夜中に娘に何をするつもりですか!」
さくらの父親が、陽真の腕を両手でがっちりとつかむ。
陽真は振り向いて睨みつけた。




