「悪徳秘書が」
「さくらさんからお聞きしました。さくらさんの方からプロポーズしたとか」
おんざきコーポレーション系列のイタリア風バー。
近世イタリアのバールをモチーフにした店内は、蝋燭に似せた灯りで薄暗く、木製で統一したカウンターやテーブルは独特の雰囲気がある。
カウンター席で、父の秘書の清水は陽真から一つ隔てた席に座りカランと氷の音をさせた。
「まあ、今どき風といえばそうなんでしょうが……」
陽真は黙ってウォッカベースのカクテルに口をつけた。
「わたしはむかしの人間なもので、できれば陽真さんの方から言っていただきたかったかなと」
「言うな」
陽真は眉をよせた。
今の時代だって、女にあそこまで堂々と “安心して婿になって” などと言われたら格好つかんわと思う。
「あんたも、昨日の今日で情報早いな」
「さくらさんの大学を訪ねたら、ちょうどお帰りになるところだったらしくて」
清水がシレッとそう言いオン・ザ・ロックを口にする。
なにがちょうどお帰りのところだか。どうせ帰る時間を調べさせて待ち伏せしたんだろと内心で詰る。
陽真はカクテルをグッと飲んだ。
「カミカゼ。もう一杯」
そうバーテンダーに告げる。
「将来の社長夫人になるかもしれない方ですから、多少の素行調査は目を瞑ってください」
清水が言う。
「何度も言うが、あいつはただの二十歳の学生だ。勝手に決めつけてそういうことするな」
「それで、陽真さんは受け入れるお返事はしたんですか?」
清水にそう問われ、陽真は「あ……」と呟いて呆然となった。
「お返事もせずに、ただ聞き流したんですか?」
清水が呆れたように眉をよせる。
「いや……あいつが講義中に一生懸命考えてたとか言ってたんで、ちゃんと講義聞けって話になって」
「では、統真さんに関する情報の提供は、お流れということで」
清水がグラスを置く。
スーツの内ポケットをさぐり出した仕草を見て、陽真は会計して帰るつもりだと推測した。
「いや待て」
あわてて清水を引き留める。
「別に期限切ってないだろ、お前」
「ですが、やる気もなさそうなので。こちらも別にしたくもない結婚を無理やりさせるところまで古い人間ではありませんから」
よっく言うよなと陽真は口元をひきつらせた。
「せっかく統真さんに関しての情報をいくつかご用意してきたんですけどねえ」
清水がグラスをもてあそびカラカラと氷の音をさせる。
「複数あるのか?」
「全部お渡しするかどうかは、条件の遂行状況しだいですね」
当初の目的を陽真は思い出した。
そもそも自身の弱味を利用されないよう統真を牽制するための情報だったはず。
このさい子供のようなことは言っていられないかと思った。
とりあえずさくらにプロポーズして、情報を得たあとに破棄するとか。
ビジネス上ではそういう手もあるのだと、子供の頃から教わっていた。
もちろん信用に関わるので、おいそれと使える手ではないが。
「……分かった。条件きっちり飲んでやるから用意してた情報全部よこせ」
清水がちらりとこちらを見る。
注がれた二杯めのオン・ザ・ロックに口をつけた。
「まあ、陽真さんも努力はしてみたということで一つだけどうでもいい情報はお渡ししましょうか」
陽真は少し驚いて清水の顔を見た。
「……どういうつもりだ」
「どういうつもりも何もないですよ? 交渉のコツはむかし教えたでしょう。“相手に同意して、相手の要求を少しだけ飲む”」
陽真は無言で顔をしかめた。
「……完全に拒否されるより、少しだけ飴を与えられた方が、相手は要求がすべて通るのではという気分になり乗って来る」
この元家庭教師から教えられたことを反芻し、陽真はケッと吐き捨てた。
「悪徳秘書が」
「どこの経営陣もやっていることですよ。陽真さんの会社の社長さんもおそらく」
清水が微笑する。
「んで? 今ここで飴としてくれてもいいっていう、どうでもいい情報は?」
ええ、と返事をして清水はグラスをテーブルに置いた。
「統真さん、お付き合いなさっている方がいるようですよ」




