「俺の嫁のつもりでいたんじゃ……」
「はるくん、お弁当箱は?」
夜八時。
陽真がアパートに帰ると、さくらが台所で洗い物をしていた。
こちらに手を差し出す。
ここのところさくらの来る時間帯が不規則だったので、前日の洗い物が少し溜まっていた。
来られる前に片づけておこうと思っていたが、見つかったか。
素直に通勤カバンから弁当箱を取り出し、渡す。
さくらが受け取ってパカッと開けた。
「今日も完食です」
嬉しそうに言う。
例えばどこかに捨ててるんじゃないだろうかとか、そういうことは疑わないんだなと思ってしまった。
ちゃんと食ってるけど。
「完食はしたけど、いい大人の弁当にイカさんウインナーとか入れるのよせ」
「あれウサギさんだよ。はるくん」
さくらが目を丸くする。
「何でもいいからウインナー入れるならふつうの形で入れろ。“温崎さんの彼女さん、お料理好きなんですねーくすくす” とか言われる方の身にもなれ」
「え? あたし、会社ではるくんの彼女とか言われてるの?!」
さくらが顔を真っ赤にして後退る。シンクに背中をつけて、「ひぇ」と小さい声を上げた。
「……何のつもりでいたの? お前」
「なんだろ?」
さくらが首をかしげる。
ハイパークラスの大ボケだとは思ってたが、ここまでだったか。
「俺の嫁のつもりでいたんじゃ……」
「でもはるくんが、もっと大人の色っぽいお姉さんがいいって言ったし」
「……色っぽいお姉さんはまでは言ってない」
陽真は顔をしかめた。
こいつにしてみれば、元々は夢の中だと思っていた生活から始まっているのだ。そこからの何となくの惰性でここに来ていたのだろうか。
大好きだの格好いいだの言っていても、夢の中の続きの感覚なのか。
「でもはるくんはお嫁さんのつもりでいると思ってたんだ」
「思ってない」
陽真は眉をよせた。
くるりとさくらに背中を向ける。
「その後、清水は何か連絡してきてんの?」
言いながら陽真はネクタイを緩めた。雑に外しながら和室の方に入る。
「 “陽真さんの承諾を得たから、黙秘権は行使しなくていいですよ” って言われたよ」
さくらがにっこりと笑う。
陽真は無言で顔をしかめた。
「清水さんて、いい人だね」
「……どこがだ」
シュル、とネクタイを外しハンガーにかける。
「まっててね、はるくん。お夕飯すぐあっためるから」
そう言い、さくらが鍋に火をかけた。
「清水になに聞かれたの」
「就活のさいには、おんざきコーポレーションの面接を受けてみませんかって」
ぶっと陽真は吹き出した。
「開発部門もいろいろあるから、希望の部門があればとか」
あとは……とさくらが宙を見上げ、記憶をさぐる仕草をする。
「社長秘書に興味はありますかとか」
「社長秘書?」
シャツのボタンを外しながら、陽真は聞き返した。
「自分の後継にでもする気か?」
ムリだろと思う。
開発の方ならともかく、さくらのようなぽややんとした奴は秘書には向かないと思うが。
「陽真さんが社長を継いだら、一人くらいは近しい方からの秘書がいた方がいいですからって」
さくらが言う。
陽真は頬をひきつらせた。そういうことか。
まったく油断ならない。
頻繁にさくらと連絡を取り合って取りこもうとしていたのは、そんな作戦で来るためだったか。
「あの野郎……」
陽真はつい低い声でうめいた。
「将を射んと欲すればなんちゃらの戦法で攻める気か」
「ん? どういうことかな、はるくん」
さくらが目を丸くする。
「お前、馬だとよ」
陽真は言った。
鍋がグツグツと音を立てる。
さくらがくるくるの癖毛を両手で軽くつかんだ。
「ごめん、はるくん。あたし理数系は好きだけど例え話とかはあんまり」
ああ、そんな感じだなと思う。
やっぱり秘書には向いてないわこいつと思った。行間の読めないポンコツ秘書になりそうだ。
「つまり、俺におんざきの跡を継がせるためのエサにされかけてるわけ、お前」
さくらが目を丸くする。
「馬鹿か。俺がそんな見え透いたもんに食いつくとでも」
「はるくんがあたしに食いつく……」
さくらが宙を見上げてセリフを反芻した。
陽真はシャツを脱ぎ、何となくもういちど着た。
さくらがふたたび目を丸くする。
「ん? ん? いちど脱いだシャツ、なんでもういちど着ちゃうの? はるくん」
「……お前、変なとこでセリフ切んな」
陽真は眉をひきつらせた。




