「……カミカゼ」
会社帰り。いつものようにバスから降りたところを陽真は呼び止められた。
最寄りの駐車場に停められた乗用車の前。スーツ姿の壮年の男が会釈する。
父の秘書の清水だ。
進んで雑談をしたい相手でもない。陽真は立ち止まった。清水がゆっくりと近づく。
「さくらさんはお元気なようですね」
清水が言う。
駐車場の奥に見えるコンビニを陽真は目を凝らして見た。
明るく照らされた店内。さくらがコンビニの制服を着てレジにいるのが見える。
改装の間二、三日営業を休ませてしまったが、まあまあ順調そうだと思う。
「経営には携わってはいらっしゃらないんですか?」
コンビニの方を振り向き、清水が問う。
「さくらの親父さんに任せてる。あんたに伝えてもらった通りだ」
「いちど店をたたもうとした人です。ご心配になりませんか」
清水が微笑する。
「さくらの介護がなければ順調に経営してた人だ。俺の方が経営の経験はまったくないし」
「お父さまに教わったでしょう」
清水が緩く腕を組みこちらを見る。
「理論と実際は別だろ。中学生でもあるまいし、同じだとは思ってねえよ」
「少々、お時間よろしいですか」
清水がそう切り出す。
あとの話は無視してきびすを返そうとしていた陽真は、眉をよせた。
「アパートには来んな。スパイ放つ奴なんか自宅に入れられるか」
「さくらさんからお聞きになりましたか」
清水がクスクスと笑う。
「提案したのはお前か親父か、どっちだ」
「わたしですよ」
清水が言う。
「……どうせ親父が提案しててもそう言うんだろうな、あんた」
陽真は目を眇めた。
「近くにちょうどいいお店がありますから、そこで」
清水にしたがい、社用車に乗る。
車で十五分ほどの繁華街で社用車は停まり、清水にうながされて地下店舗の入口に案内される。
店名を見て、陽真は顔をしかめた。
何がちょうどいいお店だ。うちの系列のバーじゃねえかと舌打ちする。
いい感じに薄暗い店内。
蝋燭の灯りを模した照明とクラシックな内装は、近世イタリアのバールをイメージしている。
「なに飲みます。スクリュードライバー?」
「……女か。しかも昭和のやり方」
陽真は顔をしかめた。
「陽真さんもそういうのが分かる年頃になりましたか」
清水がクスクスと笑う。
「飲み口いいんで、どんどん飲ませて酔いつぶすって手口のやつだろ?」
清水がカウンター席に座る。陽真は一つ椅子を間に置いて座った。
「ロックで」
清水が注文する。
さくらの「オン・ザ・ロック」を思い出して、陽真は唐突に複雑な気分になった。
「陽真さんは」
「……カミカゼ」
カウンターに頬杖をつき陽真はそう注文する。
「シンガポールのハードロックカフェでお飲みになっていたカクテルですね」
「覚えてねえ」
「ウォッカベースなので、度数は案外高いですよ」
「知ってる」
カウンターにトン、と置かれたカクテルを陽真は口にした。
「フランチャイズ契約の件ですが」
「……ああ」
陽真はそう返事をする。
「名義変更をしたいとのメールが届いていましたが、どういった訳で」
「言葉そのままだ。いま勤めてる企業は、副業は認めてないんでバレたらまずい」
「ご自身が契約するというお話を持ち出した時点で、何とかする気がおありだったのでは?」
清水が少々驚いた顔をする。
さくらの顔を見てとっさに提案しちまったとは言えず、陽真は無言でカクテルを飲んだ。
「さくらの親父さんの名義にできないか?」
そう陽真は提案した。
「手続きとしては可能かもしれませんが、さすがにお父さまが反対なさるのでは」
だろうな……と陽真は眉をよせた。
「財産分与の受け取り分を前借りして、陽真さんが経営するならともかく赤の他人では」
「さくらの親父さんには、オーナーの名は伏せてもらうよう、さくらを通じて言ってある。とはいえ俺が定年退職するまでそれで通すわけにも」
「……名義をさくらさんにされては?」
清水がオン・ザ・ロックを口にしながら発案する。
「なに言ってんだ。あれも他人に変わりないだろ」
「籍を入れてしまったらどうです。奥さまが名義というのは、よくある話です」
ぶっと陽真はカクテルを吹きそうになった。
「いや……ちょっと待て」
「さくらさん、専攻は量子物理学だそうですね。調べて驚きました」
「調べてんじゃねえ」
陽真は眉間に皺をよせた。
「量子コンピューターの開発にもご意見をいただけそうだ。聡明できちんとしたお嬢さまなら、お父さまも特に反対はしないのでは」
「勝手に決めんな。あっちはあっちの将来がある」
陽真はカクテルを一気に飲み干した。




