「食ったら帰れよ」
「あの野郎……」
週明けの月曜日。
父の秘書、清水との通話を終えて陽真は眉をよせた。
やや乱暴な感じでちゃぶ台にスマホを置く。
「どうしたの? はるくん」
ちゃぶ台にきちんと正座し、さくらが尋ねる。
夕飯の用意をすっかり終え、食べ始めようとしたところにかかってきた電話だった。
先ほどよりも料理の湯気が小さくなっている気がする。
「あっため直そっか。はるくん」
「いやいい」
陽真はそう答えた。
「親父は、どっちに継がせるなんて別に言ってないんだとよ。統真の野郎、大嘘つきやがった」
「よっぽど跡継ぎたくないんだねー」
さくらが目を丸くする。
「だからそう言ってるだろ」
陽真は箸を持ち、焼き鮭に手をつけた。
「なぁにが自由に恋愛できるだ」
「好きな人とかがいるのかな」
さくらが自分の分の鮭を箸で分ける。
以前は食事はしなかったんだが。陽真は怪訝に思った。
さくらが美味しそうに鮭をほおばる表情をじっと見つめる。
「なに? はるくん」
茶碗を手で持ち、さくらが尋ねる。
「……お前、食えんの?」
「いま生身だよ?」
さくらが答えた。
「はあああああ?!」
陽真は大声を上げた。
つい隣との間にある壁を横目で見る。壁を叩かれて咎められていたことよりも、あれが親父のスパイだったということの方がトラウマだ。
「はるくん、しーだよ」
さくらが口の前に人差し指を立てる。
「いや、なに。お前いつから生身」
座ったまま畳をこするようにして陽真は後退った。
「さっき言ったよ。はるくんが清水さんと喋ってるとき。目覚めそうだから、鍵開けておいて、あとで生身で来るねって」
さくらが言う。
「はるくん、うんうん頷いてたじゃん」
覚えがない。
たぶん契約のことやら財産分与のことやらで説明を受けてる真っ最中だったので、適当に返事したんだろう。
「はるくんのお陰で、交通費かけずに来れます」
さくらが嬉しそうに言う。
強引に契約を買って出て良かったと思ってしまう。
実家や兄との面倒くさい話になると、やっぱ選択間違えたと思うが。
「……食ったら帰るよな」
「うん?」
さくらが味噌汁の具を食べながら不思議そうな顔をする。
「食ったら帰れよ」
陽真は眉間に皺をよせた。
「ん? ん? はるくん、前は生身で来ればって言ってなかった?」
「言ってない」
「言ったよ。そのときは交通費かかるからって言ったの覚えてるもん」
ずず、と陽真は味噌汁をすすった。
「……どこで寝る気だ。送ってやるから帰れ」
さくらがピタッと動作を止めた。
今ごろ気づいたのかこいつと呆れる。
「はははははははははるくんのお布団かなあ……」
「なに言ってんだ、お前」
陽真は顔を逸らして答えた。
「だいたい、お前っていくつ」
「はたち」
さくらがそう答える。
「この前まで未成年だったんじゃねえか。俺と七つも違う」
「うーん」
さくらが意味不明な返事をする。
「昭和じゃあるまいし、まだまだ結婚とか言ってる歳でもないだろ、お前」
「どしたの? はるくん」
さくらがご飯茶碗を手にする。
「お前にとっちゃ夢の中の新婚ごっこの延長だろ? 復学すんだし、そろそろやめたら?」
「ん? ん? どうしたの? はるくん」
「お前と縁が切れても、ちゃんとお前の親父は雇い続けるって約束するから」
「え? はるくん?」
しばらくしてから、さくらが声を落とす。
「どしたの? あたしはるくんに嫌われた?」
泣きそうな顔に見えて、陽真はさらに顔を逸らした。
「嫌いとかそういうんじゃなくてさ。大学復学したら、同い年くらいの男と山ほど出逢いあるだろうし。……お前、それでいいの?」
何言ってんだろうな、俺。
自分でもよう分からんと陽真は思った。
財産分与の金を前借りして、勤務先に内緒の副業を持つハメになって、そうして近くに住まわせておきながら、他の男との出逢い考えろとか。
とはいえ、夢の内容だと思っていた新婚生活が実在していて、その興奮のまま新婚ごっこを続けて。その流れで先々まで決めてしまって、こいつ本当にいいのかとずっとモヤモヤしていた。
「あたしははるくん大好きだけど、はるくんはもっと大人の色っぽい女性がいいのかな……」
箸を持ったまま、さくらが言う。
いやそうじゃない。ちょっとズレてる。
そう言おうとしたが、さくらが今にも泣きそうな顔をしていた。




