間話[過ぎ去りし教会の日々・2]
見習い聖女の勉強が始まり1ヶ月半。アリサ・グレイの私物が隠されると云う事件が発生した。
(下らない)
犯人は不明。アリサ本人は何処かに落として紛失してしまったのだろうと考えて誰かの所為とは想像だにしない。
紛失物は〈聖具〉。基本的に腕輪型で統一されたそれは聖気の伝導効率を著しく増加させ聖術の効果・威力を格段に向上させる。見習いから熟練者まで幅広く用いられている必需品とも呼べる物品である。
聖具は素材からして特別でそれを個人に合わせて調整している。なので魔物との戦闘などによって自己修復不可能な破損をしたなどの正当な理由がない限りおいそれと新しい物は支給されない。落として紛失したのならば探して見付けなければならない。
(本当に下らない)
聖具を見付けられないまま数日が経ち、その間アリサは聖具無しで聖術を学ぶことになるのだが……そもそもが最弱と称される才能の無さ、彼女が悪戦苦闘しているのを同じ学年の見習い聖女全員が見ることになっていた。
「ん~……! どう!? ……駄目だー! 出来てないー!?」
辛うじて作れていた聖水すらも作れなくなって頭を抱えるアリサ。大体の者はそれを呆れたように不憫そうに見ているだけだが……一部、せせら笑う者も居た。クスクスクスクスと、心底馬鹿にするように。
(うんざりする)
アリサの額から流れる汗が顎先まで伝い垂れて落ちる。荒れそうな息を深呼吸で落ち着けながら精神を統一し、彼女は器に注がれた真水に向かい掌を向けて浄化を行使し続ける。
聖気は体力と同じで使えば使う程に疲労する。まるで長距離を走り続けている様相を見せるアリサはそれだけ消耗していることになる……だが苦労した分だけ成果が伴うとは限らない。結局聖水を作ることは出来ず終わってしまう。
再び肩を落とすアリサ。それを見てゲイルは「無理はするな」と声を掛けたがアリサは「全然大丈夫です!」と明るい笑顔を浮かべて再度浄化に挑戦する。
無駄な努力。才能など無いのに。またせせら笑いが―――
バン! と、机を叩いた強烈な音が教室に響いた。
「…………」
静寂。突然の事態に全員の視線が音の発生源……セシルに集まる。
「……セシル。一体どうした」
「手本を。見せようと思っただけです」
叩き付けた手を動かすとその下には聖具が。
教室中の注目が集まる状況でセシルは表情一つ変えずに行動する。彼女は聖具を外した無手の状態で掌を自らの机に置かれた水に向け浄化を行使する。
「――――――」
時間にして約3秒。器に注がれた真水は美しい聖水に姿を変えていた。驚異的な早さ。セシルの実力を完全に把握しているゲイルは驚かなかったが他の者達はそうはいかない。教室に居た全員が息を吞みセシルが示した驚異的な力量を目の当たりにする。
「す、すご―――」
「私からすれば」
誰かの称賛、それを押し潰すようにセシルは告げる。
「同じよ。先程から必死にやって聖水一つ満足に作れない無才も……聖具を使ってさえ何十秒も何分も掛けて作るような者も。皆同じ」
「……ッ!?」
吹雪のような視線が教室を睥睨する。視界に映った者は顔から血の気を失い青褪めその体を震わせる。
「そんなに足下を見て笑うのが好きなら、私が皆……踏み潰してあげましょうか?」
凍て付いた聖気が漏れ出る。術の体を為していないただの力の発露のみ、それで水を張った器に霜が降りる程に周囲の気温が急速に下がる。
白い息を吐くばかりで反論一つしない出来ない見習い達をセシルは心底下らなそうに見る。ただ教壇に立ち厳しい視線を自分に向けてくるゲイルにだけは敬意を払いつつ。
(誰も彼も、相応しく無い。何が聖女か。天から与えられし力を何だと思って―――)
この場に居る未熟な者全てに失望したセシルは本当に言ったことを実行してしまおうかと考えた……その時だった。
「―――すごい! 本当にすごい!」
「……え?」
アリサが居た。セシルの目の前、まるで机に齧り付くように近づきアリサは聖水をキラキラした瞳で見詰めていた。
「セシルさんすごい! 私全然出来ないのにそれをブワーってして! パーっと作って! ……すごいすごいすごい! セシルさんすっごく格好いい!」
「…………」
憧憬。ただそれだけが込められた瞳を前にセシルは身動きが取れなくなった。アリサはそんな彼女の手を両手で包むように握ると嬉しそうに笑顔を浮かべる。
「私頑張るね! セシルさんみたいに出来るよう、すっごく頑張るから!」
寒さで吐く息白く、耳や鼻も赤くなっている、それでも彼女の笑顔は屈託無い。
「…………」
張り詰めていた空気が霧散した。低下した室温は窓から吹き込む外気によって直ぐに入れ替わり温もりを取り戻す。
「よーっし、やる気出てきたよ! 今なら何か出来そうな気がする!」
気合いを漲らせたアリサが何度目かの浄化に挑戦する。しかし一朝一夕で上達するわけも無く「うあー!? 駄目だー!?」とまた体力を使い切って突っ伏すハメになっていた。
静寂に沈んでいた教室に少しずつ活気が戻る。見習い達は先よりも真剣な面持ちで浄化に取り組んでいく、ゲイルはそんな彼女達とまた挑戦を始めたアリサを見て笑みを浮かべる。
「…………」
セシルはアリサと云う無才の少女をジッと見詰める、凍て付いていた場の空気を瞬く間に溶かしてしまった少女を。
先程握られた己の手、普段なら触れられた瞬間に弾いていた筈のその手を握る。握り締める。
(何? ……この熱は……何なの)
手から伝わる熱に鼓動が上がる。セシルはその感情が何なのか理解出来ぬまま今日一日を過ごすことになった。