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第一章 5.ラスカお姉ちゃんの魔術講座①

「あっ!ソウシくん!?寝てる!ちょっと!居眠り禁止!起ーきーなーさい!ほらっ!もう!全然起きない!こうなったら……えいっ!」


「いったぁっ!?」


 昼下がりの穏やかな時間。パァン!っと軽快な音が宿屋の一室に響きわたった。

 場所はリコス村唯一の宿屋。一階は酒場で2階が宿場になっているのだが、基本的に辺境にあるリコス村に訪れる客は殆ど居ないので今現在も1人しか泊まっていない。一階の酒場もよくある冒険者の溜まり場としての酒場ではなく、地元の人達が集まる飲み屋という方が適切な印象だ。


 意外と異世界も前の世界も多少見え方が違うだけで慣れれば変わらないものだ、っとソウシはこの居酒屋を見た時に感じた。“獣人”も見た目に慣れれば中身は“人間”と大差なかったし、“魔術”も慣れれば水道や扇風機と大差ない。ここでの生活を経験したからこそわかるが、蛇口を捻るだけで水が出るのもスイッチを押すだけで風が吹くのも充分に魔術じみたものだ。何なら、魔術よりも以前の方が便利な点も多とさえ思えてくる。


(それにしても、久しぶりに()()()()のことを鮮明に思い出したな。懐かしい。……母さんにはもう会えないのかな)


 夢の内容を思い返して、もう2度と見られないかもしれない日本の風景や人々に思い耽る。学校の友達に先生。そして、夜空の様な髪の幻想的なあの人。此処でもまた会えるだろうか。いや、ここでなら、ここだからこそ会える。そう信じている。その希望があるからこそ、誰も居ないこの世界でも生きる気力を絞り出せる。

 だが、目下の問題は明日の生活だ。そのためにもまず日々を生き抜き、目の前のやるべき事を一つずつこなさなくてはならない。


 ソウシは寝起きでぼんやりと取り止めのない事に想いを馳せたところで、後ろに立っている女性を思い出す。先ほどの破裂音は彼女がソウシの頬を平手で引っ叩いた音である。頬を張られたにも関わらず、未だにソウシの意識は完全に覚醒していないらしい。相当に疲れが溜まっているのかもしれない。


 ヒリヒリと痛む頬をさするソウシに、叩いた張本人はプンスコッ!っという擬音が似合いそうな表情で頬を膨らませながら怒っている。


「ソウシくん。まさか一対一の授業で寝るなんて。良い度胸ね?」


「う……すみません。ラスカさん……」


「ちーがーうっ!いつも言っているけど、ラスカ“お姉ちゃん”でしょ?」


「ラスカ……お姉さん……?」


「うーん。“さん”だけど……及第点かなぁ」


 彼女の名前はラスカ。身長は160cmと少しで歳は20半ばだろうか。いかにも魔女という大きなとんがり帽子に黒と紫を中心にした衣装。髪は黒髪のウェーブのかかったロングだが、所々に燻んだ金髪が混ざっている独特で印象的な髪質であった。また、腕や脚に綺麗な入れ墨が多い。色は黒に近い赤色で、模様もレースの様な女性らしい綺麗なものであった。これだけでは凄く“お姉さん”といった容姿に思えるが、言動と顔つきから雰囲気はもう少し幼く感じる。そういう意味では“お姉ちゃん”の方が適切なのかもしれない。呼ぶのは何かちょっと恥ずかしくて言いたくないんだけどね。


 そんなラスカとの出会いは、ソウシがこの世界に来てリコス村で保護されて少しは村での生活に慣れてきた頃。おそらくは1ヶ月ほど経つかどうかだろうか。ふらりとリコス村にやってきたラスカは、ソウシを見かけると喜色満面で話しかけてきたのである。それがラスカとの初対面であった。

 それからは何だかんだで面倒見の良いラスカに優しく様々な事を教えて貰っており、とても感謝している。異世界に来てからソウシが最も頼りにもしている人物の1人だ。

 ただ唯一“お姉ちゃん”呼びに酷く拘るのが玉に瑕なのだ。もちろん本当に血の繋がった姉などではないし、そもそもこの世界にソウシの親族はいない。故に彼女の趣味(?)だと思われるのだが、流石に“お姉ちゃん”呼びはキツいので、せめて“お姉さん”呼びにして欲しいのである。でも、ちょっと押し切られそうな気配を感じつつある今日この頃。会う度に刷り込まれて、徐々に“お姉ちゃん”呼びに抵抗感がなくなってきているのを感じる……ヤバい。


 聞くところによると、ラスカは何かを探して旅をしていて、偶然にリコス村に立ち寄ったのだそうだが、その割にはあれからずっとリコス村に滞在している。まぁ時々居なくなるので、その時に何かを探しているのかもしれない。とはいえ、ラスカの長期滞在はソウシとしては様々な知識を教えてもらえるのでありがたい。


「つまり、現代は強権体制から解放されたフォムバロック時代と大規模な地殻変動による新大陸の形成、それによる変革期を通して主に3つの大きな勢力圏に分裂しているの。このリコス村は人間中心の魔術勢力圏と獣人が率いる国であるコーツピースの国境付近に位置する学園国家の辺境にある。それで……って、ちゃんと聞いてるの?」


「うっ、すみません。どうも疲れてるみたいで。今朝からの荷物運びで疲労と筋肉痛が……」


 ソウシがうつらうつらと授業を聞きながら思案していると、ラスカに注意されてしまった。どうにも今日は集中力に欠けている。わざわざ時間を割いてくれているのに申し訳がない。


 ソウシから原因を聞いたラスカは顔を顰め、貧乏ゆすりをしながら少し不機嫌そうな口調で話す。


「荷物運び……?それで眠そうなのね。確かにソウシくん、いつも真面目だものね。それにしても、どうして急に荷物運びを?体格的にソウシくんにやらせる作業じゃなくない?」


 どうやら、不機嫌なのはソウシが眠そうであるためではないらしく少し安心する。いや、それ以前に授業中の居眠りなど厳禁だ!気合を入れなければ!


 そこでラスカは貧乏ゆすりを辞め、目を細め、少し低い声で囁く様に言った。


「……お姉ちゃんが、何とかしてあげようか?」


 その言い方に、表情に、その“何とか”の含む意味にソウシは微かな不安を覚える。とはいえ、困っているのも事実。正直どうにかして欲しいのは山々だったのだが、ラスカに掛ける迷惑と微かな不安からソウシは断ることにした。


「えーっと、お気持ちは嬉しいのですが大丈夫です。初めて活躍できる仕事ですからね!頑張ります!」


「ふーん。じゃあいいか。頑張ってね!お姉ちゃんも陰ながら応援してるから!」


 そう答えておいて早くも(やっぱり何とかして貰えばよかったかも)と思ってしまうのだから、ソウシは自分の意志の弱さにゲンナリする。しかし、やっと来た活躍の機会で張り切っているのも事実。何でもかんでも誰かに頼っていては身寄りのないこの世界で生きてはいけないだろう。それに何とか役に立って村のみんなから受けた恩を返したいという気持ちも強かった。


 そこでラスカが先程の疑問を提示する。


「それにしても、何でソウシくんを荷物運びなんかに?お姉ちゃん、イジメとかだとやだなぁなんて心配しちゃうんだけれど?」


 ソウシはなるほど、と納得した。先程からラスカが不機嫌であるのはソウシの身を案じてのことだったのだ。たしかにソウシも、もし妹の様に可愛がるシェロがイジメられていたとすれば間違いなく激怒するだろう。


(そうしたら、虐めた奴を殴りに行ってボッコボコだな……僕が。うん、殴りに行く想像をしてみたけど、この世界の獣人のフィジカルが強すぎて勝てる気がしないぞ。魔術すら使えない僕ではまず勝ち目がない。まぁ放って置くことはできないから、シェロの父親であるタイアーさんに相談するのが無難だろうな)


 ともかく、ラスカに心配をされてもイジメられているという事実はない。しかし、助けてもらった恩人であり変人のキリオスに何故か荷物の運搬を指名されるという困った事実はある。


「あー、何か鮮血狼に襲われてたところを通りがかりの男性に助けてもらったんですけど、お礼に毎日米一俵の食事を要求されて。それで、運び屋は僕をご指名だそうで……。僕より獣人のみんなの方が明らかに体格が良いですし、何故指名されたのかはよくわからないんですけど。でも、恩人ではあるので、できる限り指名には応えたいんですよね」


 それを聞いたお姉さんは額に手を当てて「あちゃー」と言った。


「まぁた、面倒な人に絡まれちゃったわね。毎日米一俵なんてとんでもない量だし。でも、恩があるから無碍にもし辛いっと。というか、米一俵って普通に人間が食い切れる量じゃないでしょ。どんな胃袋……」


 そこまで言ったところで、ラスカは考え込む様に顎に手を当てる。

 何かが引っかかる様に数刻の間を開けると、難しい顔をしながらソウシに聞いてきた。


「ねぇ、ソウシくん。その助けてくれた暴食の人って、どんな人だった……?何ていうか、見た目とか。服装とか。例えば、質の良い祭服だった、とかない?」


「祭服……?むしろ、何か原始人みたいな人でしたよ。髭ボォーボォーの髪ボサボサ。服も腰巻だけでめっちゃ臭かったです。祭服の様な綺麗さはカケラもなかったというか。何か気になることでもあるんですか?」


 話してから(そういえば今朝は綺麗になってたな)っと思い出すが、どちらかと言えば初対面の印象の方が強いので問題はないだろう。


 それを聞いたラスカはパッと明るい顔をして手を振る。


「ううん!何でもないの。知り合い……というか旧敵?因縁の相手?みたいなのかと思ったんだけれど、どうやら違ったみたい。気にしないで!」


 ラスカは話題を切り替える様に、両手でパンッと音を鳴らす。


「じゃあ、ソウシくんも今日は眠くて歴史の授業には集中できない様だし、歴史は此処までにしようか。んで、最後に……魔術の授業!やっちゃおうか!」


「よっしゃぁ!魔術だぜぇ!ヒャッホーイ!」


 飛び上がりながらソウシは歓声を上げる。

 疲れている状況で休憩なしに魔術の授業へと移るスパルタっぷりではあるが、魔術の授業は特別だ。体格の問題もあり村の仕事ではあまり貢献できていないので、早く活躍するためには実用的な魔術の習得は急がれる。実生活に直接には役に立たない地理歴史とは違って、この世界で日常的に使用される実用的な魔術のモチベーションは非常に高い。それに、何と言っても魔術だ!これこそ異世界の醍醐味ではないか!それもあり最初の魔術の授業では心から飛び上がって喜んだものである。

 そう、最初の頃だけは。もちろん今も身体は飛び上がっているのだが、心の面持ちは当初とは大きく異なっている。


(いつもの流れで喜んでみたものの、正直なところは最初ほど嬉しくはないんだよな。ここまで全く成長がないと流石にな……。やっぱり、僕には才能がないのかな)


 最初の2ヶ月までは仕方ないと思っていた。何の知識も感覚もない状況から魔術を習得し始めたのだ。ソウシも漫画や小説の様に簡単にできるとは思っていなかった。

 例えばスポーツだっていきなりできるようになるものではない。中には初めから上手いやつもいるにはいるが、それは元々足が早かったり、他のスポーツをやっていて基礎ができていたりする場合だ。対して当たり前ではあるが、ソウシはこれまで一度も魔術に触れたことがない。できなくて当然なのだ。急に魔術を使えるのは漫画や小説の中だけで、現実はそう甘くない。


 例えるならば、万年インドアの丸メガネを掛けたガリ勉がある日に転校生の女の子に一目惚れをしてしまう!しかし、その女の子はどうやらスポーツが得意な男子が好きで、ガリ勉はスポーツは一度もやったことのないカラっきし。でも、負けないガリ勉!好きな子を振り向かせる為に、生来の真面目さで不慣れなスポーツに全力で打ち込み始める!頑張れガリ勉!っと、そんな状況のガリ勉が今のソウシとでも言えば良いか。我ながらわかりやすい例えであるが、つまり最初が辛いのは当たり前で一歩一歩進むしかないのだ。


 ……念のために言っておくけど、別に今は好きな子とかいないからな。あくまで例えだからな?というか、ヴォルク達とばかり絡んでいて全く女子と話してないかも。僕、これでいいのか?一応、妹みたいなシェロとはよく遊ぶけど、女子って感じではないしなぁ。


 こほん、話を戻すと、現在は魔術の修練を始めてから5ヶ月目。勉強を始めて5ヶ月と全く本当にカケラも成果が出ないと流石に落ち込むというものだ。もちろんサボっていた訳ではないので、魔術の知識は増えている。魔術の系統だの、詠唱の文言だの、魔法陣だの、場の利用だの、魔力の扱い方だの、相性や環境の影響など、だ。しかし、肝心の魔術の発動ができない。何の呪文を唱えても、何を詠唱しても、何も起きなかった。起きそうとかでもなく、本当に何も。魔力を感じてと言われるのだが、マジで何も感じない。魔力って何処よっといった具合である。そんな状態で二進も三進もいかなかった。こんな状況では、魔術の授業と言われても流石に内心までは最初の様には喜べない。


 そんなソウシの内心を知ってか知らずか、ラスカはいつもよりも興奮した面持ちで今日の授業内容を説明する。


「ソウシくん!今回はなんと!赤ちゃんでも何かが起こると言われる固有魔術発掘の詠唱だよ!本来なら基礎魔術を習得していて、尚且つ、本来なら成長と共に自然と使い方を覚える固有魔術が発動の取っ掛かりすら一切ない、そんな極々少数の特殊な状況の治療にのみ使用する詠唱でね!症例が殆どないから見つけるのにすっっごく苦労したんだけれど、お姉ちゃん頑張っちゃったよ!ねぇねぇ!褒めて褒めて?」


「お、お姉ちゃんすごい!!流石っ!カッコイイ!ありがとうっ!!」


 予想外の授業内容に驚きながらも、今度は心から喜んで飛び上がるソウシ。

 どうやら、蹉跌をきたすソウシにラスカが何か秘策を用意してくれたらしい。本当に、このお姉ちゃんは……感謝しかない。お礼もここぞとばかりに“お姉ちゃん”を使う。この気持ちを言葉にするには、もはや恥ずかしいとか言ってられない!


「ソウシくん!?お姉ちゃんってっ!あぁ、努力したかいがあったよ……」


 とはいえ、授業内容には聞き流せない単語も多かった。


(普通は基礎魔術を習得してからと言ってた気がするけど、僕はその基礎魔術すら使えないんだけけど……。そんな前提が異なる手段にすら頼らなきゃいけない位に後がないってことなのか?しかも、赤ちゃんでもって。もしや、これダメなら本格的にもう希望がないのでは……?)


 “お姉ちゃん”の響きに染み渡っているラスカに対して、ソウシには緊張が走る。身体的にもダメ、魔術もダメとなれば、長所が何一つ無くなってしまう。長所が無ければ、何の活躍もできない。恩返しもできない。自分は要らない存在になってしまう。何の能力も持たない落ちこぼれの異世界人が身寄りもなく独りぽつんと取り残される。そうなれば、もうこの世界でどうやって生きていくのは絶望的だ。


 しばらく恍惚としていたラスカはハッと気を取り直した。


「ふぅ、危ない。意識が飛んでいたわ……。よし、じゃあ始めるよ!」


 そうして、ソウシにとって一世一代の運命の瞬間が何の前触れもなく訪れた。

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