第一章 3.傍若無人な善人
キリオス・ルトカ・ユースティシア。彼はソウシ達にとって命を助けてくれた大恩人ではあるが、現段階で既にその印象は必ずしも良いものではなかった。むしろ、やや悪いとさえ言っても良いだろう。
というのも、ソウシ達が救出された後、つまり昨夜の話だ。当初にキリオスの要求を飲んだ際にはリコス村の大人達を含めて、誰も本当に毎日米一俵も食べると思わなかったのだ。きっと大袈裟に言っているだけなのだろうと。伝わり辛いだけの、その場の緊張を解す為のただの冗談なのだと。もしくは毎夜に村の大勢を招いて食事会でもするのだろうかと想像していた。子供たちを助けるくらいであるし、少し変だが良識ある善人だと思ったのだ。そう思ってしまったのだ。
しかし、その楽観は初日の夕食の歓待で霧散した。村人含めた参加者全員分のつもりで作った料理を、殆ど全てキリオスが平らげたのだ。あの冷静沈着な鉄面皮で有名である村長のアスアジャの顔が徐々に青ざめていき、あのプライドの高い食料管理主任ハントが泡を吹いて倒れる様は見ものであった。全く笑えはしなかったが。
ちなみにキリオスに助けられた4人の少年(ソウシ、マーパー、チョノ、ヴォルク)はというと、とんでもない奴を招いたと責任感からブルブルと震え、その日の夜もまともに眠れなかった。
そんなキリオスの印象である。簡単に言えば、正義感に溢れ快活で爽快である様に見える反面、話が通じず予測不能で行動や言動に一貫性が無い様にも感じられる。そこに加えて、超人的な戦闘能力を兼ね備えている。その性質から、急に怒り出して暴れて危害を加えてくるのでは?という恐怖感を持つ声も聞こえてくるほどだ。そして何より清潔感のまるで無い装い。感謝はしているが、できればあまり関わりたく無い。それがリコス村の村人達にとってのキリオスの第一印象であった。
そのキリオスにソウシは1人で食料を届ける、つまり今からあの底知れないキリオスにただ1人で会うのだ。どうしても緊張で手が震えてしまう。
この世界に来て獣人以外の“人間”に出会うのは2人目であるが、最初に出会ったラスカとキリオスとでは男女の違いも含めて雲泥の差である。
ラスカは清潔で丁寧で、何より優しかった。こちらに来て少し後に出会ったが、それからこの世界について週に1〜2回のペースで魔術や歴史など様々な事を教えてくれ、とても世話になっている。自らのことを“お姉ちゃん”と執拗に呼ばせたがる点は玉に瑕であるが。
ともかく何が言いたいのかというと、これからキリオスのいる民家へ1人で向かうのがとても不安であり、できるならば1人で行きたくないということだ。
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ソウシがキリオスの泊まる民家に到着した時、既に玄関は開け放たれていた。
戸締まりをしないとはなんて不用心なんだ、と思う訳がない。自称勇者の超人である。盗人がキリオスの持ち物を盗んだが最後、生きては帰れないだろう。南無三。まぁ、このリコス村にそんなコソ泥はいないと思うのだが。
ちなみに荷車はすぐそこまでマーパーが運んでくれ、マーパー自身はキリオスとの約束である“ソウシ一人で”を守るためにそっと無言で立ち去った。
とりあえず、ソウシは荷車から食料の一つである水増しした粥の入った大きな壺を背負って、開いている玄関を覗きながら挨拶する事にした。
「……お邪魔しまぁ」
「おうッ!少年ッ!!待っていたぞ!!」
「うぇっ!?って、ウッソだろぉ……」
ソウシが玄関を覗くと、自称勇者のキリオスは高速スクワットを行っていた。全長2mはありそうな巨大な岩を片手で持ちながら、だ。床は抜けているし、天井は岩が掠めてパリパリと音を鳴らして木屑が落ちている。
もしリコス村で唯一の真っ当な宿屋兼飲み屋に泊まって居たらどうなっていたか、少なくとも店主のルポさんは呆然と崩れ落ちるに違いない。仮にそうなっていた場合の状況は怖くて想像もしたくないが、きっと2階の宿屋の床が抜け落ちて、真下の1階の居酒屋で圧死体が出来上がっていたに違いない。やばい、想像してしまった。こちらに来てから動物の死体は頻繁に見ていたけれど、圧死体は見たことがなくて鮮明には想像できないのが救いだった。
ともかく、ここは仮にもリコス村からの借屋なのだ。使われておらず綺麗ではなかったとはいえ、それを初日に破壊しても意にも介さない。そんな非常識なキリオスと今からマンツーマンで会話しなければならない。そのことによりいっそう不安になってくる。
っと、そこでソウシはふと違和感に気がつく。岩にばかり気を取られていたが、キリオスの容姿が以前とは全く異なる。主に綺麗さが。
「……あれ?キリオス……さん?」
「ん?そうだが?」
昨日までとのあまりの違いに、ソウシは咄嗟に本人か確認してしまう。巨大な岩を持ち上げながらスクワットをする変人的超人などキリオスしかいないので間違いではないのだろうが。
しかし、確認したくなるのもそのはず。初対面では原始人の様相であったキリオス伸び切った髪の毛は綺麗に整えられており、髭も綺麗さっぱり剃られていた。キリッとした眉をつたい中央には筋の通った鼻先。少し垂れた優しげな瞳。そこから覗く端正な顔立ちは少年ですら惚れてしまいそうな程だ。服装も腰巻ではなく、村から貰ったズボンを履いている。上半身は依然として裸ではあるが、入浴のお陰で汚れは綺麗に落ちて引き締まった筋肉質な肉体美を惜しげもなく晒している。
そう、キリオスは原始人から美丈夫へと鮮やかにジョブチェンジしていたのだ。快活な声や言動と異様な雰囲気を除き、見た目だけならば全くの別人と言っても差し支えないだろう。
ソウシが見惚れていると、キリオスが待ちかねた様に唐突に叫んだ。おそらく、本人は叫んでいるつもりはないのだろうが、一般人の耳には叫にしか聞こえない。どうやら、その強靭な肉体は喉ですらも例外ではないらしい。
「遅かったなッ!待ちくたびれたぞッ!」
予想外の顔面の圧と高速スクワットの異様さに加えて190cmを超えるであろう長身に、ソウシは気圧された。加えてそんな偉丈夫に、唐突に“待ちくたびれた”と言われ非難されたことが、16歳のひ弱な少年をさらに萎縮させる。
「え……えっと、すみません。あっあの、荷物が多くて引くのが大変で……えっと、明日からは早く出ます……。すみません……」
出発前にもヴォルクや村の大人達にも念を押されていたのだ。キリオスを怒らせるなと。尋常ならざるキリオスが暴れると村にどれだけの被害が出るかわからないからである。鮮血狼が縄張りを越えて、集団でソウシ達を襲った件もあり、とりあえずキリオスについては保留、つまり数日は現状維持という結論になったのだ。そして、その現状を維持するのはソウシただ1人に他ならない。
「あの……料理とか……」
「ハッハッハ!構わんッ!大概のものはそのまま食えるからな!質より量!!俺が食う量の料理を待っていては時間が足りん!!」
少年は安堵して深く息を吐いた。
昨夜は初日なのもあり、多くの大人達が料理を運んでくれていた。しかし、今日は自分1人であり、運ぶ量を考えても調理したものを複数運ぶのは困難であった。事前に用意できたものは良くて粥くらいである。そして、ソウシは料理が不得意だ。もし調理をしろと言われたら、土下座をする覚悟であった。
鮮血狼を一凪で屠った腕力。彼を怒らせたら、簡単に自分など死んでしまうという恐怖。またそうでなくとも、少年にとっては大人に怒鳴られること。それがただ素直に震える程に怖いことであった。その当初の最も大きな懸念が、とりあえずは払拭されてソウシは安堵したのだ。
ソウシはキリオスと共に玄関から居間へと歩いていた、その時。
珍しく、静かに、キリオスが口を開いた。
「少年、さっきまで1人じゃなかったよな。俺は1人で来いって言ったよな。なんで?」
ドクっと心臓が跳ねた。
思考が白く染まる。
安心したところでの不意な一言。
今までの叫びとは違う、囁く様な言葉。
この超人相手に、安心などしてはいけなかったのだ。一手間違えるだけで、それが死へ直結する。異世界のこんな辺境で、倫理観や法の抑止力などありはしない。そう、わかっていたはずなのに。
ソウシは白痴状態の頭を叱咤して、最善を模索する為に無理矢理に思考する。
ーーー民家の近くでは話してはいないし、キリオスは家の中にいた。わかるはずはない、と思っていた。油断?いや、そもそもマーパーが居なければ荷馬車を引くことすら出来なかったのだ。油断していなかったとしても、どうすることもできなかっただろう。違う、今はそんなことはそうでもいい!すぐにでも言い訳をしないと!
「あ、え、あの……あ、にばっしゃが重くてっ!引けなくて……ぼく、小さいから、その、手伝ってもらって、すみません。ほんとうに……すみ」
「なるほどッ!まぁ大したことでもないかッ!ハッハッハ!!さぁ!突っ立ってないで早くこっちに来い!」
ソウシの謝罪を遮って叫ぶキリオス。先程までの静かさなどは無かったかのように、いつもの声色に戻る。
その感情の振れ幅に、纏う空気に、予想のできない言動に、ソウシは怯えながら居間へ入る。もはや、そこには村のみんなの為に活躍しようと息巻く少年の姿は何処にもなかった。
キリオスはまたもや唐突に、少年が背負う巨大な壺を奪い取る。
「さぁって、食うか。お、この壺は粥か!ハハ!壺粥ならば大量に作れて腹も膨れる!考えたなぁ!!俺はいつも備蓄を食い尽くすからな!ハッハッハ!!さぁ少年も食え!!」
「ありがとうございます……」
ソウシの前にも置かれる巨大な壺。とうてい食べ切れる量ではなかったが、もはやリアクションを取る元気さえなかった。壺の粥もあまり喉を通らなかったが、形だけでもチマチマと食べる。
しばらく黙々と食べる2人。そして、ソウシが(そういえば外に置いてある荷馬車から壺は一個しか持ってこれなかったのに、このもう一つの壺はいつ持ってきたんだろう)と考えられる程に落ち着いてきた頃。
壺を丸々一つ食べ切ったキリオスが口元を拭いながら喋り出した。
「いやぁ!少年がいてくれて助かったよ!やはりオレは運が良い!獣人は苦手でね!臭いのなんのって!正直に言えば、この食事も気が進まないのだが……。まぁ!そこは仕方ないッ!食わなきゃやってられないからな!少年!獣人は悪逆非道で傍若無人!!信用しちゃあダメだぞ!」
「……はい」
そのキリオスの差別的な発言に、ソウシは顔を顰めた。
村には獣人の友達もいる。村長には半年も居候させてくれている恩もある。もちろん必ずしも良い顔をする獣人ばかりではないが、手伝いや挨拶などを通じて話し合えば良い人が多かった。ひょっとすると、ヴォルクやタイアーなどが知らないところで気を使ってくれているのかもしれない。
すなわち、ソウシにとって獣人は悪逆非道で傍若無人とは正反対。彼らに対する謂れのない侮辱には酷く腹が立ったのだ。
それに、要らないならば、食うなという話である。この米はソウシも半年前から農作業を手伝っているものだ。どれだけの苦労の上に作られたものかも、全てではないが少しはわかっているつもりだ。これらが何人分の食料か、どれだけの時間と労力の上にできたものか、それが文句を言われながら大量に消費されている。それを考えるだけで気が重くなるし、腹が立ってくる。
食料備蓄の問題だってある。米の収穫は夏の終わりから秋にかけて。これから夏真っ盛りである今が、最も蓄えが少ないというのに。食べれなければ、命にも関わる可能性だってある。食料が飛行機で運ばれてくる地球とは違うのだ。食料不足は死活問題である。
それらの考えをソウシはぐっと腹の奥底に押し留めて我慢をする。キリオスを怒らせてはならないのだ。ここで短慮を起こせば、また村のみんなに迷惑をかけてしまう。
そんなソウシの気も知らずに、キリオスは楽しそうに満面の笑みを浮かべる。この笑顔がまた、惚れそうな位のイケメン微笑で優しそうな善人に見えるのでタチが悪い。
「あぁ!そうそう!君は“ディオナシオ教”に入信する気はないかい?嫌な獣人も1人もいない!少年だって、行くところなしに仕方なく獣人と暮らしているんだろう?母父兄弟も一緒に来ると良い!まさに渡りに船とはこのことだ!いやぁ!良い事をするのは気持ちがいいな!二つ返事で了承してくれていいぞ!ハッハッハ!!」
(行くとしても、家族はいないけどね。ここにも前にも)
そこで、ソウシはキリオスの発言に何か引っかかりを覚えて首を捻る。
(あ、そうだ、“ディオナシオ教”。以前の授業でラスカさんに教わった覚えがある。獣人国を越えた東の大陸、ここのほぼ反対側にあるんだっけ。やたらとここだけ熱心に教えてくれるから印象に残っていた。孤児を引き取ったりと人道的な支援に積極的だって話だっけ?)
しかし、その宗教がどんなに人道的な行いをしていようと、そんな事は今のソウシにとっては問題ではなかった。今、目の前のキリオスが村の友人や恩人を侮辱した。その時点で答えは決まっている。決まって、いるのだが……。
「……少し、考えさせてください。急に決められる事ではなくて……」
断りたいが、キリオスもまたソウシを助けてくれた恩人。バッサリと一刀に拒否をするのも失礼であろう。それに、機嫌を損ねないためにも断り方を考える必要がある。無難に解答を引き伸ばすしかなかった。
その返答が予想外であったのか、キリオスは少し驚いた様に片眉を上げる。
「……そうか。少し以外だなっ!まぁ、しばらくは居るから、ディオナシオに行きたくなったらいつでも声をかけてくれ!待っているぞ!」
それを聞いてソウシは(しばらく居るんかいっ!)っと思うが、もちろん顔には出さずに「ありがとうございます」っと返す。ソウシもキリオスに対して少し慣れてきたのか、僅かに余裕が出始めていた。
「よしッ!じゃあ、食事も終えたし今日の運動に行くとするかぁっ!」
会話の間に最初の粥の入った壺以外にも大量の食事を終えたキリオスはスクッと立ち上がると、ソウシには見向きもせずに目にも止まらぬ速さで玄関を飛び出して行った。当然の様に戸締まりもせずに。
哀れ、散々振り回された挙句に放置されるソウシは必死に叫ぶ。
「あ!ちょっ!僕は!僕はどうすればっ!!」
すると、遥か遠くから
「今日はもう帰っていいぞぉぉ~!」
っと声が響いてきた。
それを聞いたソウシは緊張から解放され、崩れそうな屋根を見上げつつ大きく息を吐く。
「マジで色んな意味で凄い人だな……。でも、思っていたよりは話せる人だったような、そうでもないような……。にしても、こっからどうするかなぁ。しばらくキリオスさんは居るらしいから、食料の問題は絶対に出るし。よくわからん宗教に行くのもなぁ。でも、いうてキリオスさんも助けてはくれたし、一概に悪い宗教と断定するのも良くない気もするし……。あぁ、どうしよう」
ただでさえ、ソウシは居候の対価として様々な手伝いで毎日が忙しいのだ。そこに加えてのキリオスの食料運搬にトラブルの増加は、時間的にも精神的にもキャパオーバー寸前である。
異世界に来てただ一人。これからどう過ごして、生きていくのか。
それだけでも、16歳の少年にとっては不安でいっぱいであるのに。