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姉の受け売り

作者: 此岸

 勇気、ひとつだけだよ。


 姉さんはそう言って、いつもぼくにご飯を食べさせてくれていた。父さんと母さんがいない貴重な二人きりの時間。それが、ぼくらの唯一の平和な時間。


「今日は運がいい。ゴミ箱に賞味期限切れのパンがたくさんあったからね」

「わあ⋯⋯! ほんとうだ、すっごくうんがいいね!」


 興奮気味に、しかし小さな声でぼくが言えば、姉さんはくすくすと大人っぽく笑って頭を撫でてくれる。そして袋に入ったまん丸のパンを一つ取り、ぼくの手のひらにそっと置いた。


「はい、勇気」

「きょうも、ひとつだけ?」

「うん、ひとつだけ。⋯⋯明日も食料が見つかるとは限らないからね」


 ごめんね、と言って、姉さんはまたぼくの頭を撫でる。ぼくは大丈夫と伝える代わりに強く抱きつき、姉さんの首に頭をすり寄せる。すると、姉さんは優しく抱きしめ返してくれた。この時間がずっと続けばいいのに……なんて願いは、姉さんが体を離したことで実現することはなくなった。


 姉さんはパンをひとつ取り、目を閉じながら手を合わせる。ぼくもそれを真似ると、姉さんはいつもの『おまじない』を言った。


「どうか明日は、幸せになりますように。⋯⋯いただきます」

「いただきます!」


 言い終えた瞬間、ぼくは急いでパンを口に入れて飲み込んだ。姉さんは口が小さいからまだ食べてるけど、父さんと母さんが来るまでには食べ終わるだろう。


 そう思っていた。


「おいガキども!! どこにいやがる!!」


 父さんの怒鳴り声と、ドアが勢いよく開く音が聞こえた。大きな足音が、こっちに近づいてくる。

 姉さんは食べかけのパンを放ってぼくの腕を引っ張り、ゴミ袋の山の後ろに向かった。そしてぼくが奥に入って隠れると、姉さんは隣にぴったりくっついて中身がいっぱいのゴミ袋を真上にたくさん積み上げる。


 ガンッ__!!


 部屋のドアが開く。カラカラという音がする。多分バットだ。一番不機嫌な時に使う、あの硬くて痛いもの。


「⋯⋯⋯⋯」


 姉さんは自分の口とぼくの口を塞いで、じっとしている。やがて、父さんは諦めたのか大きく舌打ちをして部屋を出ていった。姉さんはゴミ袋の隙間からこっそり外を覗くと、小さく息をついて笑いかけてくれた。


「⋯⋯勇気、もう大丈夫だよ」


 そう言って姉さんはぼくの頭を優しく撫でて、ゆっくりとゴミ袋をどかし始めた。ぼくも一緒になって小さな隙間を作り、音を立てないように慎重に抜け出していつもの布団を目指す。もう外は真っ暗だから、そこに行っても問題ない時間だって姉さんが言っていたから。


「おいで、勇気」


 先に布団に入った姉さんの声に導かれ、ぼくはその腕の中に潜り込んだ。姉さんの匂いと香ばしい布団の臭いが混じって、今日も生きていると安心してぼくは眠りについた。


___


 目が覚めた時、すでに姉さんはいなくなっていた。多分、学校に行ったんだ。

 ぼくはゆっくりと布団から這い出て、そのまま昨日のパンが無くなっていないか確認するためにリビングに向かった。


「⋯⋯あれ?」


 いつものようにゴミ箱を見に行こうとすると、テーブルの上に青色の袋が置いてあることに気づいた。それは姉さんが学校に持って行っているもので、一日一回のご飯が中に入っている。前に姉さんがそう話してくれたのだ。ということは、姉さんはまだ家にいるのかもしれない。


「ねえさん?」


 小さく声を出してみるが、返事は返ってこない。入っていい部屋全部に行っても、姉さんの姿は見当たらない。⋯⋯もしかして、忘れて行っちゃったのかな。


「とどけなきゃ」


 お腹が空くのはとっても悲しいから、姉さんもきっと悲しくなっちゃう。それは、ものすごく嫌だった。

 ぼくは青い袋を持って玄関に向かう。⋯⋯外に出たら、小さいころに見た姉さんみたいに眠るまで叩かれるだろうな。でも、姉さんが悲しくなるほうが嫌だから、ぼくはまだ寝ている父さんたちを起こさないように、音をたてないようにドアを開けて外に出た。


「⋯⋯わあ」


 外は、目が痛くなるくらいに眩しかった。黄色の壁の上にある青色がすごくきれい。ちょっと暑いけど、風が吹いているから汗をかくことはなさそうだ。ぼくは初めて見る外にわくわくしながら、姉さんの学校に向かって歩き出す。姉さんが絵本で教えてくれた、かいだん? をおりて、大きな音がする方に向かってみる。壁だらけの道から広い場所が見えたと思ったら、真っ赤な何かがすごいスピードで通っていった。多分、くるま、だったはず。


「じゃあ、あっち!」


 ぼくは姉さんから聞いた話を必死に思い出しながら歩く。

 壁を抜けた先の大きな道を、物を掴む手の方を向いて進む。黄色の屋根の家の近くにある、丸い鏡の横を通ってもう一回物を持つ手の方に歩いていく。


 そうすれば、姉さんの通っている学校に着くはず。


 キーンコーンカーンコーン__。


「ひっ!?」


 突然大きな音が鳴って、ぼくは慌てて草の中に隠れた。同時に、人の声がたくさん聞こえてくる。


「ヤバいヤバいチャイム鳴っちゃったじゃん!」

「桐島さん早く行こ! けんちゃん先生に怒られる!」

「はいはい、あんまり焦ると転ぶよ?」


 パタパタという音と一緒に、いつもの大人っぽい話し方で注意をする姉さんの声が聞こえた。ぼくは急いで草から抜け出して、声の聞こえてきた方に走る。しかし、そこには誰もいなかった。けど、声は聞こえる。⋯⋯この透明なドアの向こうにいるみたいだ。


 うまく動かない足を一生懸命に前に出しながら、透明なドアに近づく。でもそれを何回押しても全然動かないから、色んな方を見て中に入れそうな場所を探してみた。すると、後ろの方から父さんみたいな低い声が聞こえてきた。


「君、こんなところで何してるの?」


 ぼくは、振り返ることができなかった。ただ、姉さんのご飯が取られないようにその場にしゃがみ込んでいた。そんなぼくに、誰かが近づいてくる。


「ちょ、大丈夫!? お腹痛い?」


 その人はぼくの頭を触る。ぼくは頭を守るために腕を上げてダンゴムシみたいに丸まった。するとその人はなぜか驚いたみたいで、ゆっくりとぼくから離れていった。⋯⋯叩かれない、のかな。

 注意しながらゆっくり顔をあげると、ぼくを見ていた男の人がふう、と息を吐いてから笑った。


「ねえ君、どうしてここにいるのか教えてくれないかな」

「あ⋯⋯え、と⋯⋯ねえ、さ、が⋯⋯ごはん⋯⋯」


 青い袋を持ち上げながら、ぼくは必死に話した。その人は、ぼくが黙るまでずっと喋らなかった。


「そっか、分かった。じゃあ僕が君のお姉さんを呼んでくるから、保健室で待っててくれるかな?」


 ほけんしつ、という知らない言葉の意味は分からないけど、姉さんに会えるみたいだからぼくは小さく頷いた。その人はまた笑うと、ぼくの手を握ってどこかに連れて行く。どうしてか分からないけど、この人は痛いことをしないだろうと思って大人しくついていった。


「じゃあここに座って待っててね」


 そう言ってその人はぼくをふかふかな高い布団の上に乗せると、どこかに行ってしまった。変なにおいがする、けど嫌な感じはしない。後ろに倒れても痛くないし、ばんそうこう? っていうものをいっぱい貼ってくれたから血の臭いもしない。


 それがなんだか心地よくて、ぼくはいつの間にか眠っていた。

 次に目が覚めたとき、隣にはきれいな服を着た姉さんがいた。


「ねえさん!」


 嬉しくなって抱きつくと、姉さんは「うわあっ」と言いながら抱きしめ返してくれた。そしてぼくの頭を撫でながら、いつものように微笑んでくれる。


「⋯⋯おはよう、勇気」

「あのね、ぼく、ねえさんのおべんとうね、とどけにきてね!」

「うん、先生から聞いたよ。ありがとう」


 姉さんはそう言ってぼくのてを握る。その目はなぜか濡れているように見えた。


「ねえさん、どうしてないてるの?」


 ぼくが聞くと、姉さんは嬉しそうに笑ってぼくを強く抱きしめた。びっくりして何もできないでいると、姉さんは笑いながら話してくれた。


「勇気、私たち、もうあんなところにいなくてよくなったんだよ! 新しい家族ができるんだよ!」


姉さんは、そう言いながら笑う。だから、きっとそれは嬉しいことなんだ。⋯⋯よく、分からないけど。


 それから、ぼくは姉さんと一緒に青い服の人たちとお話して、新しい父さんと母さんができて、ぼくと姉さんは『普通』になった。


___


「⋯⋯それが、僕が保護された経緯だよ」


 そう言って前を向くと、話を聞いていた同級生の友人、前原が大号泣している地獄絵図が見えた。


「おまえ、ぞんなごどがあっだんだなあ〜〜⋯⋯!!」

「ちょ、いくらなんでも泣きすぎでしょ」


 僕はドン引きしながら青い風呂敷を机に置き、中から姉さんの作ってくれた弁当を取り出す。前原も「悪い悪い」と言いながら乱雑に涙を拭って、いつもの重箱弁当を勢いよく置いた。


「とりあえずさっさと食べて、テスト勉強するよ。お前けんちゃん先生の範囲やばいんだから」

「うっ、なあそれ、明日やるってのは」

「だめ」


 間髪入れずに言えば、前原はあからさまにショックを受けて萎んだ。それに苦笑いしながら、僕は「いただきます」と言って弁当を食べる。前原も萎んだまま弁当を食べ始めた。


「お、その卵焼き美味そー。ひとつくれよ!」

「えー、やだ」

「いいじゃんかよ〜! 俺のミートボールやるからさ! な?」


 前原は両手を合わせておねだりしてくる。それに呆れながらも、僕は彼の弁当箱に卵焼きを入れながら口を開いた。


「ひとつだけだよ」


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