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病棟の死神

 ここは都市中心部に位置する大病院。その病室のとある一角。


 「お母さん……行かないで……お願いだから……」


 瞼を深く閉じる母の手を、長女は強く握る。彼女の主治医、突然の一報に飛んできた家族全員。その場にいる全ての人間が、彼女の生存を望んだ。


 しかし、彼の大鎌は容赦なく振り下ろされる。


 心停止を告げる電子音が部屋中をこだまする。主治医は丁寧に確認を行い、その場にいた人たちに一言だけ告げる。


 「……今、死亡が確認されました。」


 ひたすら泣き喚く長女。理解が追いつかずに口を開けっぱなしにする長男。しきりに部屋の隅を眺める夫。後悔に悶える医者。


 皆が悲しみに明け暮れるなか。彼は一言も発することなく、部屋を後にした。


 ✴︎


 昔むかし。人間をこよなく愛する神が、『死神』という職業を作り出した。


 仕事内容は主に二つ。人に術をかけ、予定通りに死ぬよう下準備すること。そして、死期が近づいた人間の魂と体を切り離し、魂を死後の世界に送るというものである。


 私の担当は都市の病院だった。派遣先としては比較的当たりである。業務量は多いが、仕事のスケジュールを立てやすい。突然死の対応も稀で、何より災害時に駆り出されるということもない。死神にとってはありがたい職場である。


 黒フードに白の仮面、大きな鎌。古典的な死神の姿で、私は病院に赴く。今日は仲間への業務連絡が数件と、805号室の患者を送るだけ。時間が来るまで暇を潰そうと、私は持ってきた本を取り出す。どこで読もうかと辺りを見回すと。


 休憩室でぽつん座っていた、一人の少女が目についた。肌は黄色人種とは思えないほど白く、全体的に痩せ細っている。髪は長くぼさぼさで、子供の元気さというものを微塵も感じられなかった。


 私はふと思い出す。彼女は確か、半年後にあっちに送る少女だったか。元々心臓が弱く、そこにさまざまな合併症を患っているらしい。


 彼女の首元にはひし形の刻印があった。恐らく、同僚が彼女に施したものだろう。あれが刻まれた人間は絶対に助からない。


 思えば、1人で本を読む彼女をたびたび見かけていた。彼女が読む本は決まって喜劇であった。シンデレラ、ラプンツェル、リトルマーメイド……本の中のプリンセスたちは、優しく彼女を抱擁する。


……何故、いつも一人で本を読んでいるのだろう。


 私は初めて、人間に興味を持った。彼女の方に向かい、近くの机に座る。


 すると。彼女は本を閉じ、突然私の方を向いたのだ。


 「ねえ、もしかして死神さん?」


 私は大層驚いた。噂には聞いていたが、本当に死神が見える人間がいるとは。私は持っていた鎌を机に置き、一言「そうだ」とだけ言った。


 それを聞き、彼女は口を押さえ嬉しそうに笑う。


 おかしな奴だ。率直にそう思った。死神なぞ、人にとっては恐怖の象徴でしかないだろうに。病魔に侵された人間というのは、頭のネジが外れているものなのか。


 私の当惑を尻目に、彼女は話を続ける。


 「ねえ、死神さん。一緒にお話ししましょう。私、死神さんに会ったの初めてだから、色々と聞いてみたいの。」


 ますます訳がわからなくなった。嬉々として死神と会話しようとする少女なんて、聞いたことがない。


 私はひどい戸惑いを覚えていた。と同時に、彼女への関心も高まっていた。仕方ない。付き合ってやるか。私は少しの間、この少女と雑談することにした。


 仕事のこと。家族のこと。人間のこと。好きな食べ物、好きなもの。いろんなことを聞いてくる少女の瞳は、澄んでいるようで、暗く濁っていた。


 「ねえ、死神さんの名前、教えてよ!」


 「断る。」


 「えー、けち!んーと、じゃあさ、じゃあさーー」


 彼女は質問するばかりで、自分のことを話そうとしなかった。彼女自身について聞こうとしても、適当な理由をつけて有耶無耶にしてしまう。何故、自分のことを話したがらないのか。考えても答えは浮かばない。


 気づいたときには、時計の長針が1周していた。同僚とあまり会話を交えない私にとって、この体験は新鮮で存外楽しい時間だった。心地よい、と表現を変えた方がいいかもしれない。


 そろそろ、仕事の時間だ。私はそう告げ、鎌を手に取る。腰を上げ、少女のそばを離れようとしたときだった。


 「死神さん。……もしかして、人を殺しに行くの?」


 引き止めるように手を差し伸べ、少女が質問する。私は「ああ。」とだけ言った。


 「……いつか、私も殺すの?」


 「そうだ。」


 私は極めて事務的な返答をした。死期は予め設定されたものであり、人間に抗う術なんて存在しない。ならいっそ、初めから言ってしまった方がいい。


 「そっか……そうだよね。」


 意外にも、少女はすぐに納得した。自分の運命に文句を言うことも、赤子のように泣き喚くこともない。ただ、少し悲しい顔をするだけだった。少女はなんとなく、自分に望みがないことを自覚していたのかもしれない。


 こんなとき。こんな顔をされたとき、私はどうしていいかわからなかった。私は逃げ足で外へ出ようとした。


 「……死神さん!」


 立ち去ろうとする私を、少女が1番の大声で呼び止める。


 「なんだ。」


 「……また明日も、一緒にお話したいな。」


 「……いいぞ。またここに来よう。」


 再開の約束を結び、私はその場を後にする。何もない休憩室には、少女のみが取り残された。



 それからというものの、私達は毎日、決まった時間に話をするようになった。


 『死神さんは、ご飯とか食べないの?』


 『我々に食事は必要ない。我々は霊体だからな。取ろうと思えば取れるが。』


 昼下がり、朗らかな太陽の光が窓から差し込む。緑の春風がときたま通り抜け、カーテンを静かになびかせる。思わず眠たくなるような、あったかい空間の中。私たちは言葉を交わす。


 『えー!ごはん食べないなんて、そんなのもったいないよ!』


 『もったいない、とは。』


 『だって、ご飯を食べるってのは、とても楽しいことだから!』


 『……よくわからない。』


 『よかったら、今度一緒に食べよ。ね?』


 『……考えておく。』


 彼女と時間を共にするうちに、自分が情緒的になっていく気がした。知らないうちに、人間臭くなったのかもしれない。でも、少なくとも悪い気分ではない。


 『人を殺すのって、辛くないの?』


 『……何故そう思う?』


 『だって、誰かの命を奪うってことは、誰かを悲しませることじゃない。それってとっても悲しいことだと思うの。』


 『……なるほど。そういう考え方もあるのか。勉強になるな。』


 彼女と触れ合うたび、私の心には様々な価値観が刻まれた。罪悪感、正義感、幸福論……今思えば、それらは死神業をする上で邪魔な存在かもしれない。でも、不必要なものとも思えない。この感覚を持って正解かどうか、今の私には判断がつかない。


 『何故、お前は喜劇を好むのだ?』


 『あはは。喜劇って、なんか固いなぁ。まあ、死神さんっぽいと言ったらそうだけど。』


 彼女はよく笑う。どんなにくだらないことでも。どんなにちっぽけなことでも。彼女には、この世すべてのものが輝いて見えるのだろう。


 ……その笑顔は明るく、そして脆かった。


 『そうだなぁ。明るいお話が好きな理由か……お話の中でくらい、お姫様でいたいから、かな。』


 私たちは交流を深めていき、友と呼べるほどの関係になっていた。知らないうちに、彼女は自身の境遇を私に話してくれるようになった。


 彼女は生まれつき体が弱かった。激しい運動はもちろん、学校の登下校ですら息切れするほどだった。両親は共働きで、彼女の面倒を見ることが難しかった。そこで、彼女はしばらく叔父の家にお世話になっていた。


 しかし、病気持ちの彼女を快く思わなかったのだろう……叔父は彼女に対し、冷たい態度をとった。虐待とか、暴力とか、そういった大層なものではない。しかし、日常の些細なことにトゲを感じたそうで。会話はどこかそっけなく、おはようの挨拶もなかったらしい。


 『でも、それってしょうがないの。お父さんもお母さんも忙しいし、おじさんも私の面倒を見るのなんて本当は嫌だったはず。でも、こんな私の面倒を見てくれている。だから、我慢しないとって、ずっと思ってた。』 


 叔父だけが、彼女を冷たくあしらったわけではない。それは、日々の学校生活でも同じだった。みんな、彼女を腫れ物に触るように扱った。誰からも遊びに誘ってもらえず、誰からも相手にされない。いつも一人、図書館で本を読んでいたそうだ。


 『きっと、私って望みすぎなの。何もできない私が、みんなと同じ幸せを得られていいわけがない。そうわかってる。……でも。せめて、夢の中でくらい。幸せになっていたいなって。』


 彼女の心は、体と同じくらいボロボロだった。それはまるで、崩れかけの石彫刻のようであった。誰かが補強してあげないと、きっと壊れてしまう。


 『ごめんね。きっと迷惑だったよね。この話は無し、忘れて!えっと、その……ちょっと水取ってくる。』


 彼女はきっと、何か大きな強迫観念に囚われている。自分は現実では幸せになれないと。なるべきではないと。


 しかし、果たして彼女に非はあるのだろうか。彼女は自身に課せられた運命を、ずっと一人で抱えていた。そしてあろうことか、自分が生きているという事実さえ呪っていた。それはとても、救いようのないことに感じる。彼女は天災すら、自分のせいだと呪うのだろうか。


 ……いつしか、私は彼女に対して複雑な感情を抱いていた。


 守ってあげたい。側にいてあげたい。もっと彼女を知りたい。今まで感じてこなかった奇妙な感覚。私が知り得なかった重い感情。


 彼女と過ごす時間が積み重なるほど、想いは私の心の臓に絡みついていく。


 彼女のことを考えるだけで、胸が苦しくなる。いつか彼女を殺さなければならないことに、目を背けたくなる。


 私はこの感情の正体がわからなかった。死神のくせに人を殺すのを躊躇するなんて、気が狂ったとしか思えなかった。



 私はとうとう我慢の限界に達し、一番信頼できる同僚にこのことを話した。


 「……えっと。つまるところ、だな。なんというか、あの。彼女のことを考えるだけで、狂いそうになるというか。」


 彼女への思いを上手く言葉をまとめることができない。こんなときに限って、冷静に話せない自分が嫌になる。


 そんな私を見かねたのか。同僚は一つの答えを、何気なく出した。


 「なあ。それってさ、その子が好きってことじゃねえか?」


 「……は?す、すき?」


 初めは意味がわからなかった。彼は恋愛感情のことを言っているのだろうか。仮にそうだとして、死神が人間にそんな感情を抱くことなんてあるのだろうか。


 「まあ、人間と深く関わりすぎるのは契約違反とか、色々言いたいことはあるけども。」


 混乱する私を諭すように、同僚は話を続けた。


 「お前、そのまま行ったら絶対後悔するぞ。彼女を殺すにしても、そうでなくても。とにかく、自分の気持ちを伝えないと。……まあなんだ、万が一の時にゃ、俺が代わりにしてやるからさっ。」


 彼は私の背中を勢いよく押し、親指を立てた。


 ……ああ、そうだ。決着くらい、自分でつけなきゃな。


 私は彼に、親指を立て返した。



 ……しかしながら、私は驚くほど臆病だった。この気持ちを伝えてしまえば、きっと関係が崩れてしまう。元に戻らなくなってしまう。そんな妄想が頭にこびりつき、中々言えなかった。


 そんな私を蔑むかのように、残酷に時は過ぎていく。衰弱の紋章は彼女をどんどん弱らせ、彼女はとうとう寝たきりとなってしまった。私は毎日通い続けたが、彼女には私と話す気力は残っていなかった。病魔に苛まれ、苦悶の表情を浮かべ眠る彼女を、ただ黙って見ている他なかった。


 ……そして。ついに、この日がやってきてしまった。


 直前まで、この感情を言うべきか迷っていた。同僚に全て押し付け、逃げてしまいたいとも思った。


 しかし、この胸のもやもやをそのままにすることなんて、絶対にできなかった。


 私は鎌を手に取り、病室に入る。そこには、様々な医療機器に繋がれた彼女がいた。口元は人工呼吸器がつけられ、心電図モニターは弱々しい鼓動を記録する。彼女の目は深く閉じられ、もう開くことはないだろう。


 ……仮に、この声が届かないとしても。もう、手遅れだとしても。それでも。



 「私は、君が好きだ。」



 彼女の耳元で、一言ささやく。


 もう迷っていられない。これが私の、本当の気持ちだ。


 すると。開かないと思っていた彼女のまぶたが、少し空いたのだ。


 「し……にがみ……さん?」


 おもむろに、彼女の手が私の仮面に触れる。


 「ああ。そうだ。ここにいる。」


 「……そっか。ききまちがいじゃ、なかったんだ。よかっ、た。」


 彼女は無理やり肺を動かし、声を出す。見ているだけで痛々しかった。でも、私は彼女を止めない。


 「わたし、ね。いま、とってもしあわせなんだ。わたしをすきだって、いってくれて。こんなわたしをすきになってくれるそんざいが、このよにいるなんて。ほんとうに、しんじられなくて。」


 「……こんなときまで、自分を卑下するな。」


 暗い青の光が、妖しく部屋を照らす。観葉植物はぐったりと倒れ、風はもう吹かない。


 「わたし、いきててよかった。じぶんをあいしてくれる、そんざいにあえて。ありがとう、しにがみさん。」


 「……死神さん、なんて言うのはやめてくれ。私には私の名前がある。私の名はーー」


 私は彼女の耳元で、自分の本名を呟いた。彼女にしか聞こえないように、小さな小さな声で。


 「絶対に、誰にも言うなよ。」


 「……うん。」


 しばらくの間、深い深い沈黙が訪れる。等間隔に刻まれる器具の電子音だけが、静かな空間に響く。


 「ねえ。そろそろ、だよね。」


 「ああ。」


 「それじゃ、おねがい。」


 「……わかった。」


 彼女の頬に、一筋の涙が流れる。彼女は目を閉じて、もう動かなくなった。


 機器は彼女の異変を察知し、看護師を呼ぶために緊急のナースコールを発信する。甲高い電子音が、事の異常事態を告げる。


 私は一言も発することなく、部屋を後にした。

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