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二人の木

作者: N(えぬ)

 わたしは、まだごく小さい少年時代に家族と日帰りのキャンプに行き、野山の道を歩いたことがある。

 それでも、まだ小さかったわたしにとっては、茂っている木は大きく、道の草もわたしの肩か背丈ほどもあるものがあったから、わたしは遠くを見通そうと思ってもよく見えなかった。

 わたしとわたしの両親は、その場所で、都会では見られない自然の中に入って歩き回り、午後には野外で食事を作って食べた。

 そのイベントの終わりごろ、陽が傾いて帰路につく時間が迫ったとき、車でこの場所を離れる前に母親からトイレに行くよう促された。

 トイレは車の場所から遠いわけではなく、すぐ目と鼻の先という距離だった。

 わたしはトイレを済ませて建物の外に出て、親の所へ戻った。だが親も車も、いくら探しても見つからなかった。

 不安になったわたしは待ち合わせ場所である駐車場を離れて、範囲を広げ、親を探した。

「もしかすると、さっきの野山の道にいるのかも知れない」

 この、わたしの判断は誤りだった。

 駐車場を離れて、その先の、もう陽が陰った上に木々の生い茂る暗い森に一人で入り込んでしまった。

 焦燥感が足に伝わり、わたしは駆けるように山の中を突き進んだ。そして、程なくして自分がもう周りに何の明かりも見えない場所にいることに気づき、足を止めて呆然と立ちすくんだ。そこまで来てわたしは、「もう一度、さっきの駐車場の方角へ戻ってみよう」と決心して、今来た道を戻った。だが、その道はどこまで行っても駐車場へ出ることが出来なかった。

 わたしは親の顔を思い浮かべて、今度は流れ出す涙がわたしの視界を遮った。必死に走ったが、前はまるで見えなかった。

 わたしは急に体力を失い、足を緩めて歩き出した。暗く何も見えない世界がわたしに恐怖を与えて困惑させた。幼いわたしに冷静な判断など何もなかった。ただ親の顔を見たい一心で「歩かなければならない」と思った。

 夜の山の冷たい空気がわたしの流した涙を干からびさせた。そのときのわたしを誰かが見ていたなら、きっと何かの異常を感じて声を掛ける人もいたかも知れない。けれどわたしの周囲に人はいなかった。

 わたしは、もうどこへ向かって歩いているのか分からなかったが、「歩かなければ」と、また思った。

 歩き疲れ、しかもどこかでぶつけたような足の痛みも覚えた。

 そのとき前方に初めて薄明かりを見つけた。わたしはそこへ駆け寄ったがそれは人工の明かりではなかったし、人がいるわけでも無かった。わたしの背ほどある岩肌から小さな木が生えていて、その木に実が成っていた。その実が光を放って周囲を明るくしていたのだ。

 わたしは喉の渇きを覚えて、その光る木の実に惹かれて、もぎとって見た。幼いわたしのその手の上に載せても、小石ほどの大きさだった。わたしは実を指でつまみ囓ってみた。

「甘い」

 そして、

「すっぱい」

 その実の味は、さっきのバーベキューの味より素晴らしい、今日一番、おいしいもののように感じた。

 木の実で喉の渇きをうるおし、わたしはまた歩き始めた。なんの根拠も目標もなく歩き、草をかき分けているとき、わたしの名を呼ぶ大人の人の声が聞こえ、その声の方へ向かった。

 わたしが駐車場に現れて発見されたとき、わたしが多くの人たちに方々で名を呼ばれ探されていたことに気づいた。

 わたしは見知らぬ男性に名を聞かれ促され、それから涙を流している母親に抱かれ、父親にその上からまた抱かれた。

 わたしの行動はトイレから出たときに駐車場の戻るべき方向を誤り、そこにいるはずの無い親を探して見つからず、怯えて山に踏み入ってしまったのだと結論づけられた。

 このことは、それからずっと幾度となく家族の中で話題になった。

 わたしにとってはこのことは思い出したくない出来事だった。だからわたしは、何もかもすっかり忘れてしまいたかったが、しばらくしてそうは行かない事情が出来た。

 数日後わたしは、わたしの頭のてっぺんにできものがあること気づいた。指で触ると僅かにこんもりとしていた。

 できものは、わたしが気にしないうちに大きくなり、そしてまた数日、朝目覚めるとわたしの頭に何かの植物の芽が生えていた。

 わたしは、「あのとき食べた実のせいだ」と直感した。

 わたしはそれで、誰にも言えない秘密を抱えてしまったと思いながら密かにその芽を大事に育てた。育て方など分からなかったが、時々水をやって撫でて、育ち具合を鏡で確かめた。

 わたしの頭のその植物の芽は、しばらくは大きくなったが、やがて数センチの大きさになるとそれ以上は大きくならなかった。それからは茎が太くなって木のようになり、やがて枝を広げた。1年ほどもすると立派な木のようになって、枝に緑の葉を付けた。

 わたしがその木を育てる間、どうやって誰にも知られずにいたかというと、わたしは何もしなかった。その木は、何か危険を感じたり人目に付きそうになると自然にわたしの髪の毛の下に潜り込んで身を隠していた。その、木の習性を初めて見たとき、わたしはおもしろくておかしくて、一人で笑い転げて不思議がられたのを思い出す。

 だからわたしは、両親が、あのキャンプ場でのわたしの行方不明事件を語るときは少し嫌な気分になったが、入れ代わりに今、自分の頭にある小さな木のことを思って楽しい気分にもなるのだった。


 それから3年ほどが過ぎたとき、わたしは小学生の高学年になった。わたしの頭の木も樹齢3年というわけだ。木は小さいが風格のある堂々としたもので、幹は根元が太く、上に向かって細く真っ直ぐに伸びて、枝に緑の葉を付けていて、そして春になって初めて小さな花を咲かせた。わたしは踊りたいくらいに喜んで、ずっと鏡を見ていた。そのわたしの姿を母親は、わたしが自分の容姿を気にしだし、色気づいたように誤解していた。

「鏡ばっかり見て、イヤねぇ」

 母がわたしにそう言うときは、頭の木はスッと姿を隠して見えなくなっている。だからわたしは、鏡にくっつけるようにして自分の顔を見ているように思われていた。

 頭の木は花を咲かせたあとに今度は実を付けた。実は木の大きさに対してはだいぶ大きく立派なものだった。

「あの時の実」

 それは懐かしいものだった。

 わたしはこっそり手鏡を持って部屋に籠もり、明かりを消し、ぼんやりと光る木の実を見て楽しんだ。

「この実はおいしかったナァ」

 そう思い、もいで食べて見ようかと思ったが、せっかく育てて出来た実を取るのは、もったいない気がした。

 その年の夏のことだった。わたしは同級生のカズオが病気で入院したことを知った。そして、わたしの父母が、「この夏は越せないだろうって」と話しているのを聞いた。

 わたしは夏休みにクラスの何人かと連れだってカズオの見舞いに行った。カズオは見るからに元気がなく、それでも彼はわたしたちに微笑もうとした。その彼がわたしに与えた感情は「不憫」というものだった。

 家に戻ったわたしはぼんやりとした気分で鏡の中の頭の木を見ながら、木がわたしに、木の実をカズオにあげてみなさいと言っているように思えた。

 それでわたしはカズオを見舞った数日後に、今度は一人で彼を訪ねた。

「どうしたの?」

 カズオはわたしが一人で彼の元を訪れたのを驚いているようだった。確かにわたしはカズオとすごく仲がよいというほどの友達ではなかったから、意外なことだったのだろう。

「うん。あげたいものがあったんだ」

「僕に?」

 わたしはそのとき、青い野球帽を被っていた。そして彼の前で帽子を取った。わたしの頭の木は、帽子を取っても姿を隠さなかった。

「それは……」

 カズオは驚いた表情で不思議そうにわたしの頭の上に伸びた小さな大樹を見、その木が付ける光る実を見た。

 わたしはカズオの方へ頭を突き出し、

「この木の実を取って、食べて」

「え……」

「きっといいことがあるよ」

 カズオはわたしの頭に恐れるように手を伸ばし、触れるのを躊躇しながら木の実に触れた。

「さぁ!」

 わたしはさらに少し頭を突き出してカズオを促した。それで彼はついにわたしの頭の木の実をつまんでゆっくり力を入れてもいだ。

「食べて大丈夫」

 わたしは頭を引いて、手のひらの上で光る木の実を見ているカズオに言った。

 カズオはわたしのことばに頷き、意外にも一口に木の実をほおばった。

「カリッ」っと静かな音がした。

「おいしい」

「そうだろう。よかった」

 カズオは木の実を口の中で数回、カリカリと音をさせて飲み込んだ。


 わたしがカズオに木の実を与えて一週間たったとき、母がわたしに言った。

「カズオ君、だいぶ元気になったそうよ」

 それは奇跡的なことだと言った。

 わたしはそれでまた、一人でカズオの病室を訪れた。

 彼は顔色がだいぶよくなって、微笑みも無理のないものになっていた。そして、彼の頭にはわたしが経験したのと同じように木の芽が出ていた。それでわたしは彼に鏡を見るように言った。

「これはなに?植物の芽みたいだけど」

「それはこの間、君が食べた僕の木の実が芽を出したんだよ」

「そうなんだ……」

「たぶん、そのうちに育って、この、僕の頭の木のようになるよ」

 わたしは野球帽を取って見せた。カズオはわたしの頭の木と、鏡に映る自分の頭の木の芽とを見比べた。

 カズオはそれから病気がよくなり、夏休みが終わるころには退院して家に戻った。そして学校の新学期が始まると登校してきた。

 わたしとカズオは二人で頭を見せ合った。わたしは彼に、この頭の木はほかの人が来ると姿を隠してしまうことや、育つとそのうちに花が咲き、実を付けることなどを話した。

「そうなんだ。たのしみだよ」

 彼の頭の木の芽はだいぶ大きくなっていた。



 頭に生えた木は、恐らくわたしの体の中に根を伸ばしているのだと思った。この木は、根から養分を吸収しているのではなく、逆にわたしの体に不思議な生命力を流し込んでいるようだった。わたしは病気どころか風邪ひとつ引かず、ケガもせず、体のどこかに痛みを覚えたことも無かった。それはカズオも同じだった。かつて死の淵に立った彼が、以来10年がたっても輝くほどの健康体にになっていた。

 わたしとカズオは、ずっと連絡を取り合っていたが、大人になればそれも互いの生活によって離ればなれになる。わたしはカズオのことを気に掛けながらも時は流れて行った。

 30才を少し超えたころ、わたしはカズオから連絡を受けた。相談したいことがあるという。

 わたしは何年ぶりかで彼に会った。カズオは仕事の関係でかなり遠くに住んでいたが、わたしに会うためにまだ地元に住むわたしの所へやって来た。

「僕は結婚しようと思う女性がいるんだ」

「そうか」

 わたしはカズオが言ったことばに「おめでとう」とはいえ無かった。彼の顔は暗く落ち込んで見えたからだ。

「彼女。病気なんだ。それがとても重くて……それで、僕の頭の木の実を食べさせて上げたんだよ」

「うん」

「それで、木の実を食べたあとは少しの間、よくなったんだけど……彼女の頭の木の芽は萎れてしまって、病状がまた悪くなって」

「そうだったのか」

「木の実は、きっとまた来年も採れると思うのだけれど、彼女はそれまで持つか分からないし、僕の木の実ではダメなのかも知れないと思って」

「なるほど……わかったよ。僕の木の実をあげてみよう」

 わたしはすぐにカズオの婚約者のいる病院へ足を運び、わたしの木の実を彼女に与えてみた。けれど結果は、カズオの木の実を与えたときと同じようだった。彼女の頭の木の芽は一時的に元気を取り戻して立ち上がり、彼女の病状も僅かに改善したが、すぐにまた萎れて行った。

 カズオの落胆は大きなものだった。

 わたしの自信と願いは、カズオとその彼女の姿を見て押しつぶされた。


 カズオの婚約者は治療を中断し、家に戻ったと連絡があった。実家に戻ったのではなくカズオの家に戻ったという。最期をカズオと一緒に過ごしたいということだった。

 わたしは2人に何もしてやれないのだろうかと悩んだ。頭の木の実の奇跡を漫然と信じるだけで何も考えてこなかった自分に怒りを感じた。

「木だ。木を育てるんだ」

 わたしはそこで思いついことを何でも試してみようと思った。

 わたしは植物の育て方を調べてカズオと婚約者の家を訪ね、彼女の頭の木の芽を観察し肥料を与えたりした。だが、状況は改善しなかった。

 わたしは彼女が哀しげでありながら、わたしに薄く微笑んで「ありがとう」と言った顔に目を伏せた。

「やっぱりダメだよ。もう、いいんだよ」

 カズオは彼女の陰でわたしにそう言った。そして、

「僕は、この自分の頭の木を切ろうと思う」

 わたしは、カズオが自分の頭の木を切り落とすことで、またむかしの病気をした時のようになり、自分も一緒に命を落とすつもりなのだと思った。

「木を切る……そうか」

「うん」

「……そうだ。木を切って」

 わたしはまた植物の育て方を調べ、思案と想像を巡らせて、それから2人に提案をした。その夜。

 二人は最後に抱き合ったが、それが、木を木に繋ぎ育てる方法、「接ぎ木」になった。接ぎ木は同じ系統の木でなければ、うまく行かない。二人はお互いを認め合い尊重し、愛があったからこそ、この接ぎ木がうまく行ったのだと思う。彼らは接ぎ木などと言うことは考えもしていなかっただろう。わたしも今までそんな方法があることを知らなかった。わたしは自分に与えられた不思議な力に満足しているだけで、それを発展させようとしなかった。わたしは2人に、わたしが授かった以上の神秘の力を見せられたのだ。それは愛が生んだ奇跡の偶然というほか無かったと思う。

 と、言ったがこれはあくまでわたしの想像でしかない。わたしはこれらの一連の事について、2人に聞いてみたかったが、2人と話せる機会は今のところもう無いようだ。

 翌日、カズオの部屋で一本の木の苗が見つかり、2人の姿は消えていた。

 2人はひとつの木となったのだ。わたしはその木をもらい受け、木の彼らをわたしの家の庭に植えた。木はそれから少しずつ大きくなっている。茂らせる葉の緑も濃い。見ているだけで彼らが元気だと分かる。そしてその木に触れると温かく脈動し、二人が間違いなく生きているということがわたしの手に伝わって感じられるのだ。

 わたしは庭のこの木の葉陰にテーブルと椅子を置き午後のお茶を楽しむのを習慣にした。

 この木は今のところ、花も実も付けないが、いつか花を咲かせて実を付けることを期待して止まない。

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