第4話
「皆に悲報がある」
深淵を思わせる暗い闇の中、若い男の声が響く。
同時に、闇の中にぼうと蒼い炎がいくつか立ち昇った。
「我らの同胞であるスケアピグが斃された」
「ウオォォォーーーーン! 我が友よ!」
狼の顔をした炎が嘆いた。
「うるさい、です……」
「ワタシは嫌いじゃなかったけどねぇ」
琴の形をした炎が眉をひそめ、蜘蛛の形をした炎は素直に悼んだ。
「魔王様、あいつは馬鹿だけどそう簡単にやられる奴じゃあなかったハズだ」
「あら、ついに魔王様の恐れていた事が起きたのかしら」
螺旋模様の殻の形の炎が訝しみ、ハート型の炎が問いかけるように語る。
「そうだ。ついに奴が……勇者が現れた」
一瞬、闇の中が静まり返る。
そして次の瞬間、全ての炎が激しく燃え盛った。
「ワオォォーン! 我が友を喰らったのは勇者か!
魔王様、友の敵討ちをどうかお許しくださいませ!」
「ついに来た、ですね……! ああ、どんな悲鳴をあげる、でしょうか……」
「リリリリ……そいつもワタシの仔になるんだろうねえ……楽しみだ」
「なんてことだ、あらゆる策略を張り巡らせてから出てくるなんて!
何もすることがないじゃないか、やったー!」
「そのコはどんなココロを持ってるのか、気になるわぁ」
「静まれい!」
ここまで一言も喋らなかった獅子の顔をした炎の一喝により、燃え盛っていた炎たちが一瞬にして鎮火する。
「魔王。そいつは貴様より強いか」
「さて、どうかな」
沈黙。
獅子顔の炎と魔王と呼ばれた声の間には、何者も入り込めない。
「……ワシは見極めさせてもらう。ワシが相手するに足る強敵かどうかをな」
「好きにしてくれ」
獅子顔の炎は小さく鼻を鳴らすと、そのまま闇の中から消えていった。
「……さてと、勇者が現れたからには
このままでは人間界を滅ぼすことは難しいかもしれない」
魔王の声が響く。
「そこで今攻め込んでいるメンバーに人員を追加しよう。
ウェアウルフ大将軍ルガレッド」
「ワフ!」
「アラクネ大将軍スパライト」
「あら」
狼顔の炎と蜘蛛型の炎が大きく燃える。
「お前達にはエステラーに任せているヴェルポリス陥落作戦に参加してもらう」
「やれやれ、ボクの指示通りに動いてくれよ」
「キサマこそおれの弔い合戦の邪魔をするんじゃねえぞ!」
「リリリ……楽しくなりそうねぇ」
螺旋状の殻の炎がため息をつく。
それに狼顔の炎は噛みつき、蜘蛛型の炎は意味深く笑った。
「さて、これで消えてくれるといいけど」
小さく呟かれた魔王の言葉は、どの炎にも届かずに消えていった。
――――――
「うぇ……?」
「勇者様? どうかなさいましたか?」
「い、いや、なんでもないよ」
悪寒を感じたショーカは、気のせいということにした。
現在、彼女たちはヴェルポリスと呼ばれる場所に向かっている。
十数人の避難民と、数える程の兵士たち。
騎士隊と呼ばれる白い甲冑の戦士たちと聖女パラシア、勇者ショーカ。
これがスケアピグの軍勢から生き残った全てであった。
(それにしても、本当に生まれ変わったんだな……)
ショーカは鈍く銀色に光る左腕を眺める。
所々に彫られた細い線からは時折緑の光が漏れでており、
とても人間の肌とは思えない。
右手に目をやれば、スケアピグから取り戻した巨大な右腕がはめられており、
やはり人間の手ではありえない光景だ。
それに戦いになれば手首から先はスラスターを吹かして
敵に突撃させる事も出来る。
生まれ変わり、転生をしたのだと今になってショーカは実感が湧いてきていた。
(人間じゃなくなったのかも。けど、こうして考える事が出来る。
記憶だってちゃんとある。それに……)
ショーカはスケアピグとの戦いを思い返す。
空色のハルバードを投げつけられ、咄嗟に防御した時はもうダメかと覚悟した。
だが、この体は傷つかなかった。
(どんなものにも負けない頑丈な体なんだ、本当に)
ショーカの顔には自然と笑みが浮かんでいた。
そして足元に視線を落とす。
(この体はもう無くさない。腕や足の一本だってくれてやるものか)
「あの、勇者様」
「え? な、何?」
パラシアに声をかけられてショーカは意識を現実に戻す。
気まずそうな表情のパラシアの隣で、白い甲冑を纏った老人が苦笑していた。
「勇者殿、思いふけておられる所失礼しますぞ」
「い、いやいやそんな! えーっと……」
「我々マーゲン騎士団と申します。
私は団長のリューゼル・カーラブレ、以後お見知り置きを」
「あ、これはどうも。勇者のショーカです」
自分の足を見つめてたなんて理由で周りを見ていなかったショーカは罰が悪そうに頬をかく。
そんな勇者にリューゼルは柔和な笑顔で頷いた。
「民たちの守りはお任せください。勇者殿のお手を煩わせる事はありませんぞ」
「それは助かります」
ショーカは後ろを振り向く。
生き残りは少ししか居ないとはいえ、
先ほどまで大軍勢から人々を守っていたのは騎士達である。
ショーカとしても、戦いの時に気が散らなくなるというならありがたかった。
そこで、彼女はふとあることに気がつく。
「そういえば、リューゼルさんたちの鎧と
パラシアちゃんの服って模様が似てる?」
「ええ。私とリューゼル様は同じ聖界教の聖教徒ですから、
衣服にあしらわれる聖印が同じなのです」
「……せいかいきょー? せいきょーと?」
翡翠の宝石眼をぱちくり瞬かせながら首をひねるショーカ。
そんな彼女にパラシアはなるほど、と手を合わせる。
「説明いたしますね、勇者様」
「う、うん。お願い」
人差し指を立て、表情をきりりと引き締めたパラシアに、
ショーカは自然と背筋をのばした。
「聖界教とは、私達人族の多くが信奉している主教です。
聖界神様のおかげで人族は魔王の軍勢と戦えているんです」
「どういうこと?」
「聖界教では、洗礼を受ける事で聖界神様より聖力を授かる事が出来ます。
この洗礼を受けた人を聖教徒と呼びます」
「聖力……それで結界を張ったりとかしてたんだ」
「はい。あれは基本的な聖術のひとつなので、
騎士のみなさんも使ってらっしゃるんですよ」
パラシアが騎士達に水を向ければ、リューゼルは小さく笑い、いやいやと謙遜をした。
「我々の使う聖術など、聖女殿のそれに比べれば児戯でございましょう」
「そ、そんなことは……」
「勇者殿、パラシア殿は百聖衆と呼ばれる
世界に百人しかおらぬ飛び抜けた才の持ち主なのですぞ」
「そうなんだ」
リューゼルからの思わぬ賛辞に顔を赤くしてうつむくパラシア。
そのかわいらしい様子をショーカは感心しながら見つめていた。
「主神聖界神様と交信出来るほど聖力への適性がある聖教徒は、
特別に聖人の称号が与えられるのです」
「パラシアは女の子だから聖女ってことなんですね」
「左様。ヴェルポリスへたどり着けば
まだ戦っておられる聖人の方々にも会えましょう」
他にもパラシアみたいな人がいるのか、とショーカはおおまかに理解した。
その時、リューゼルの後ろでガシャン! と大音が響く。
「何をしている!」
「も、申し訳ございません団長!」
後方に険しい顔で叱咤するリューゼル。
騎士たちは即座に謝罪しながら落とした物を数人がかりで抱え直していた。
「あの、やっぱりあたし持ちますよ」
「いえいえ、お気になさらず。勇者殿は襲撃に備えていてくだされ」
「それはそうですけど……」
騎士たちが運んでいるのは、
スケアピグの得物だった巨大ハルバード『ハルバトース』だ。
空色に輝くオリハルコンで出来たそれは、
ショーカの起こした大爆発にも耐えた業物である。
「あれをヴェルポリスまで持ち込めれば、
溶かして武具の強化に使えるかもしれませぬ」
リューゼルのこの一言で運ぶことになったそれは、
初めはショーカが運ぼうとしていた。
だが、先ほどのように襲撃への対応を理由に運ぶことを断られ続けていた。
変な所で頑固だな、とショーカが思っていると、突如パラシアが慌てだす。
「えっ、聖界神様!? あの、お声がよく聞こえず……」
「どうしたの、神様が何か言っているの?」
「は、はい。あの、聖界神様の天啓をそのままお伝えしますね」
神からの天啓ということもあり、一行は立ち止まりパラシアの言葉を待つ。
『勇者ショーカ、そして聖女パラシアよ。
魔王の配下との戦いを制した事、よくやった』
『だが儂は勇者召喚に力を使い果たし、さらに魔王からの妨害を受けておる』
『よってお主らに言葉を届け続ける事は不可能であると判断した』
「神様……」
ショーカは恩ある神が自分の為に追い込まれている事に心を痛めた。
同時に、恩神にちょっかいをだしている魔王への敵意も強めた。
『聖女パラシアよ、お主が本当に助けが必要だと判断した時のみ
儂を呼び出すと良い』
『勇者ショーカよ、お主が約束を違えずに魔王を倒し、
この世界を救う事を願っておる』
『頼んだぞ、儂の世界を』
聖界神からの天啓を伝えきったパラシアは、ふうと息をつく。
「この言葉を授けられて以降、聖界神様からの天啓は聞こえておりません」
「そっか。ありがと、パラシアちゃん」
思わずショーカはパラシアの頭を優しく撫でていた。
驚いたパラシアは顔を赤くし、それに気付いたショーカは慌てて手を退ける。
「ご、ごめん! つい弟にやるみたいに撫でちゃった」
「い、いえ! 勇者様が謝られる事は……」
互いに顔をそむけ、気まずい空気が生まれる。
それを微笑ましく見守っていたリューゼルは、こほんと咳払いをした。
「勇者殿と聖女殿の仲が深まるのは良いことですが、今は先を急ぎましょうぞ」
「そ、そうですね! はやく助けに行かないと!」
「リューゼル様のおっしゃるとおりです!
立ち止まる時間は一時もありませんよね!」
慌てた二人が歩き出し、それに人々が続いて旅が再開される。
(神様からの声が聞こえなくなった時のパラシアちゃん、
凄い悲しそうな顔をしてたな)
ショーカは自分の失態をしでかした時のパラシアの表情を思い返していた。
(あんな顔を誰にもさせないためにも、早く魔王をやっつけないと)
ヴェルポリスへ向かいながらも、
ショーカは神との約束を遂げる決意を改めてするのであった。