第1話
荒野に設営された簡易的な野営地。
旅路の途中で体を休める為に作られたはずの安息の地は今、
阿鼻叫喚の地獄と化していた。
「た、助けてくれぇー!」
「グオオォ!」
「ぎゃっ!」
オークが力任せに振るった斧で逃げ惑う人々の首が刈られる。
「いやぁ! 死にたく……ぐげッ」
「グルルル!」
コボルトの貫手が逃げ遅れた人々の心臓を抉り出す。
「ゴブゥ!」
「ぎゃあああ!」
負傷で倒れこんだ兵士の四肢をゴブリンが楽しそうに引きちぎる。
残虐な光景から必死に逃げる人々を、
怪物たちの群れの中からあざ笑う巨体がいた。
「ラーッラッラッラ! 喚け、泣き叫べ! そして惨たらしく死んでいけェ!」
「カーカカカ! 流石は七大魔将がひとり、オーク大将軍スケアピグ様!
あなた様の進軍は無敵ですじゃい!」
人間の数倍はあろう巨大な体を持つ猪顔の怪物『スケアピグ』が
邪悪な笑みを浮かべる。
その肩に乗った老齢のゴブリンもよだれを垂らしながら
カタカタと笑っていた。
野営地を襲ったのは彼らの率いる下級魔族の大軍勢。
地の果てまで埋め尽くすほどの無尽蔵な軍勢であった。
「兵士は前に! 騎士隊は私と共に包囲網に穴を開ける!」
「騎士団長様、結界の準備が整いました!」
「おお、パラシア殿! 守りは頼みましたぞ!」
だが、周囲をぐるりと怪物達に囲まれたてもなお、挫けぬ者たちがいた。
兵士たちは少しでも多くの人を救おうとゴブリンたちに立ち向かう。
陶器の如く純白な鎧に身を包んだ騎士達は、
騎士団長と共に起死回生の一撃に出ようとしている。
そして、パラシアと呼ばれた金髪金目の少女も
また自らの役割を全うしようとしていた。
金模様があしらわれた白のローブをまとった彼女は、
両手を天にかざし、小さく詠唱することで聖なる結界を作り出す。
「みなさんは早く結界の中へ!
少しでも動ける方は負傷者の手当をお願いします!」
「た、助かった……」
「聖女パラシア様が結界をお作りくださった! もう安心だ!」
人々は結界の中に逃げ込み、安堵の声を漏らす。
下級魔族たちは結界に触れた瞬間、煙のように消滅していく。
「ラーッララッ、無駄な事を! オレさまのパワーとオリハルコン製の
『ハルバトース』はこの程度じゃ止められねェぞォ!」
「きゃあっ!?」
その巨体をも優に超える長大さを誇る
空色の巨大ハルバード『ハルバトース』を力任せに振り下ろすスケアピグ。
凶刃が結界に触れた瞬間、結界の表面はまたたく間にひび割れ、
ついにはパリンと割れてしまう。
その衝撃でパラシアは吹き飛ばされてしまった。
「パラシア殿!」
「「「ギャギャギャギャー!」」」
「くっ、倒しても倒しても減らん!」
騎士隊は魔物の群れに埋もれてしまっている。
兵士たちの殆どは負傷し、もはや人々を守る者は誰もいなかった。
「さあ殺せィ! なぶれィ! 潰し尽くせェ!」
スケアピグの号令に下級魔族達は歓喜の叫びを上げ、人間を蹂躙していく。
なすすべもなく人々が虐殺されていく光景をパラシアは、
ただ眺めることしか出来なかった。
「う、ぁ……」
「聖教徒の女ァ……貴様は本当に腹立たしいなァ!」
「ぐあっ……!」
パラシアの元までスケアピグは地響きを鳴らしながら歩み、
その豪腕で彼女の体を鷲掴みにした。
醜悪な猪顔は怒りで歪み、
今にもパラシアを握りつぶそうとしているようだった。
「楽には殺さねェ。じわじわと苦しませてから貪り食ってやるゥ!」
「ま、おうの……てさき、め……!」
傷つき、全身から血を流し、片目を開けられなくなっていたパラシア。
彼女に残されたのは、無事な片目でスケアピグを睨みつける事だけだった。
――――――
「沙河咲佳よ、これが儂の世界だ」
威厳ある老人の声だ。
その姿は光で隠され咲佳には分からなかった。
「もはや人族は滅亡寸前。
だがお主を送り込み、魔王を打倒すればこの状況を逆転出来よう」
「はぁ……」
「それが条件だ。
お主の体を何者にも傷つけられぬ最高の体に生まれ変わらせる為の、な」
咲佳は考えこんだ。
死に際の妄想にしては変に抽象的であるし、自分に都合が良かった。
それに先程までの光景は空想と断じるには嫌に現実味があった。
「……夢みたいな幻なのかもしれない。
けど、もし本当に生まれ変われるなら……」
声は聞こえない。
だが、雰囲気は感じられる。
ならばと、咲佳は自分の思いを叫んだ。
「……取り戻したかったモノが手に入るチャンスを、
無駄にしたくない! だから!」
「その意気や良ぉし!」
咲佳は謎の声の提案を呑んだ。
故に、声の主は高らかに宣言する。
沙河咲佳という少女の魂の運命を、その使命を。
「聖界神が祝福しよう!
これより転生するは人間の行き着く可能性を集約した『最硬の勇者』!
勇者咲佳よ、魔王を倒し世界を救うのだ!」
――――――
「死ねェ、聖教徒ォ!」
「あ、が……」
スケアピグの拳に力が入り、血管が浮き出る。
もはやパラシアの命は風前の灯火。
次の瞬間には人外の握力に体を圧壊させられてしまうだろう。
(本物の勇者様を召喚できなかった、我々人族への罰なのでしょうか……
それでも、私は……)
最期の時まで彼女は力に屈しなかった。
(聖界神様、どうか生き残った人々にご加護を……)
最期の時まで彼女は敬虔な聖教徒だった。
――それが、奇跡を引き寄せた。
『ようやく間に合った! 最後の聖女よ、我が祝福を受け取れ!
彼の者こそお主らが待ち望んだ者!』
天啓が降りた。
次の瞬間、聖光がパラシアに降り注いだ。
「ぐああァッ!?」
「ギャアアーッ!?」
聖なる光は周囲の下級魔族たちを瞬時に消滅させた。
スケアピグたちも消滅こそしなかったものの目を焼かれ、
激痛のあまりパラシアを離してしまった。
(え……?)
落下の浮遊感を一瞬感じたパラシアはひんやりとした何かに受け止められた。
それは確かな硬さがあったが、地面のものではない。
奇妙な感覚に訝しみ、片目を恐る恐る開いたパラシアは驚いた。
「もう大丈夫だからね」
「……てんし、さま……?」
パラシアを抱えていたのはただの人間ではなかった。
その肌は銀色に鈍く輝き、純白に煌めく長髪が風にたなびく。
翡翠色の瞳はまるで宝石のように美しく、
体の節々には薄緑に光る溝のようなものが多数彫られていた。
人の形をしているだけの人外。あるいは機械の体。
人間離れしたその風貌にパラシアは目が離せなかった。
「な、何ィ! まさか、今更勇者が召喚されたとでも言うのかァ!?」
「そのとーり!」
パラシアを抱えたまま勇者はスケアピグをずびし! と勢い良く指差す。
「神様の願いを叶えて魔王をやっつける!
あたしこそが『最硬の勇者』ショーカちゃんだよ!」
怪物相手に啖呵を切った勇者――ショーカの降臨に、
人々は一筋の希望の光を見出していた。