8.軽い体
本日、三話目の投稿となります。
先ず何よりも、目前の害悪から遠ざけようと奪い取った体は、驚くほど薄かった。
その事実に、胸を突かれる。
怒りを露わに、彼女を抱き込み女を睨みつけた。
「君は、いったい何をしているんだ……!」
俺は牙をむき出しにして、目の前の女に咆哮する。
女はポカンと、間抜けな顔で俺を見上げていた。
「近寄るな、と警告した筈だ。それを無視したからには、それなりの手段を取らせてもらう」
一切の手加減をせずに、俺は最大級の怒気を込めてこう言い放った。
「覚悟しておけ」
女の瞳に、恐怖が浮かぶ。
脅しに相応の効果があった事を確認して、腕の中の薄い体を抱え上げた。
―――驚くほど、軽い。
苦々しい気持ちを噛み締めつつ、俺は女に背を向け歩き出した。
常日頃から、特に何を考えていなくとも威圧感を与える容姿だと言う自覚はある。だからこそ相対する人間に対して悪意や敵意を向けることは避けて来た。
それは、全てこの会社の為だ。灯が立ち上げたこの会社を、その傍らで俺も育てて来たのだと言う自負がある。揚げ足を取られ弱みを握られないよう、腹の立つ相手に対しても努めて丁寧に、平常心で接して来た。
その俺が、思わず怒りに我を忘れてしまった。
あの女に捕まれた灯の手首に朱い痣が浮いている。どれほど強く、握られていたのだろうか。
ああそうだ。事前の警告通りに―――きちんと筋を通してやる。
灯が止めても、庇っても、灯と俺達の会社を侮った行動を、あの女に確実に後悔させてやろう。
細い体を横抱きにして、既に人けのないを大股で進む。するとそこに秘書の春日が駆け寄って来た。
「石堂さん!……社長!!」
激しく動揺した春日は、灯の周りでアワアワと手を動かした。
「大丈夫ですか? まさか……怪我でもさせられたんですか?!」
春日の慌てっぷりに、流石に頭が冷えた。
そう、会社の為にも灯の為にも―――だかろこそ、ここで安易に事を大きくするわけには行かない。攻撃は簡潔にタイミング良く、徹底的に行わねばならない。それまで余計な騒ぎは御法度、だ。
「いや、腕を引かれてよろけただけだろう。上で手当てついでに休ませる。……それより春日」
「はい!」
良い返事だ。
ビシッと背筋を伸ばし、春日は犬のように俺の指示を待つ。俺は忠実な犬に指示するがごとく、簡潔に命令を放った。
「乗りつけた車がハザード無しで止めっぱだから、駐車場に移動させておいてくれ」
鍵をスーツのポケットから出して、渡した。
「わかりました! すぐ戻りますね」
「ああ、頼む」
俺が抱き上げた所で、灯は一瞬意識を手放したのかもしれない。俺達の話に僅かに反応するから意識は戻っているのだろうが、目を薄く開く程度で呻きつつ朦朧としている。
会社でこんな状態になる彼女は、珍しい。いつだって……例えば四十度の熱に浮かされていたって、正気を保って指示を出していたぐらいなのに。
手当の後、暫く灯を会社の休憩室で休ませた。その間に春日に再度外を確認して貰ったが、女の姿は無かったという。その後、満を心配する灯に促され、車で彼女を送り届けた。
あれから灯は何かを吹っ切ったかのように、明るくなった。
しかし母子家庭になって、満と関わる時間が増えた。それによってやむを得ず会社に関わる時間を削らなければならず、最初はかなり苦労していたようだ。
けれどもやがて彼女は家政婦やシッターの世話になりながら、掃除業者を上手に使い、家庭を難なく切り回すようになる。
それから満や彼女の学校との距離感を掴み始め、その影響で会社でも人に仕事を任せる事がより上くなったように思う。以前はブルトーザーのように根こそぎ仕事を抱えて、ピリピリしていた部分があった。しかし今はゆったりと、母親らしい眼差しで社員を育てる余裕が出来てきたようだ。
俺も勿論、出来る限り、灯の負担を減らそうとサポートしてきた。
その後、生活や体調が落ち着いた頃合いを見て、灯は悠馬へ満との面会を申し出ることとなる。
月二回の父子の面会は―――それから細々と、確実に続いている。
次話で最終話となります。