5.小さな婚約者
満の唐突な宣言に、思わず珈琲を噴き出しそうになった。
「えぇっ! あらあら、まぁ……」
灯も一瞬驚きに目を見開いたが、直ぐに頬を緩めて目尻を下げた。
これは元気な娘を眺める、母親の顔だ。おまけに妙に嬉しそうなのが、解せない。
いや、そこはキチンと否定してくれないと……!
批難を込めて睨みつけると、灯はニヤリと目を細めた。
「じゃあ、石堂さん。私の義理の息子になっちゃうのね……?」
「…… 冗談はやめてくれ!!」
思わず、敬語が取れる。
「アハハ! おっかしい……!!」
慌てる俺を見て、灯がいかにも楽し気にコロコロと笑い転げた。
その全開の笑顔を目にした俺は、つい反論も忘れて見入ってしまう。以前彼女がこんな風に屈託なく笑ったのは―――いつのことだっただろう? 随分と久し振りのことだ。
胸が熱くなる。
こんなにも、彼女の笑顔を待ち望んでいる自分がいた。
「ふっ……」
釣られるように、自然と口元が緩んでいた。
笑い過ぎて涙を指で拭う灯と目が合い、微笑み合う。
そこに、トン! と掴みかかってくる小さな生き物が飛び込んで来た。
「ケッコン! しようね!」
「は? えーと……」
何と切り返してよいか分からず視線を彷徨わされると、その母親はニヤニヤと悪い笑顔を浮かべている。完全に面白がっている顔だった。
「するよね……?」
俺の煮え切らない態度に焦れたように眉を落とした満が、ギュッと細い腕に力を込める。
「……あ~……」
大きな瞳がウルウルと潤み始める。
コイツの泣き顔は、もう見たくはなかった。俺は両手を上げて、ホールドアップの姿勢を取る。完敗だ。
「する。ケッコンするから、泣くな!」
するとピタリと、間一髪で涙が止まった。どうやら今度は間に合ったようだ。ホッとしたのも束の間、勢いで発した言葉を俺は後悔することになる。
「ホント?! わーい!!」
満が飛び上がって、母親の胸に飛び込んだ。
「じゃあ、これで石堂さんは満の婚約者、ね」
「『コンヤクシャ』? って、なぁに?」
「結婚の約束をしたカップルってこと」
灯が俺に同意を求めるように、無責任にウィンクを放つ。
ウィンクが似合うって、外国人かよ。彼女の整い過ぎた、ともすれば冷たく高飛車に見えてしまう美貌が、急に人懐っこいものに変わった。
その魅力的な仕草に、みっともなく鼓動を揺すられ言葉が詰まる。
ああ、ったく。この女どもがっ……!
「ああ、もう……いい加減にしてください。面白がって!」
速まる鼓動を誤魔化すように、俺はクスクス笑い合う彼女達を睨みつけた。
なのに、またしても爆笑で返される。何故だ。
「アハハっ! あの……鉄面皮の石堂さんが、そんな顔するなんて……!」
大笑いされて、あまりの恥ずかしさと気まずさに首と耳が熱を持つ。
誠に不本意極まりない。「石堂さんって、子供に弱いのね。知らなかったわ」などと追い討ちをかける。
けれどもお陰で、久し振りに大笑いしている彼女を目にすることができた。
まぁ、良い―――ママゴトの婚約者でも何でも、やりますよ。貴女が、こんな風に笑ってくれるなら。
気まずい表情を浮かべながらも、心の中でそう呟く。
俺は本当にその時、心底ホッとしたのだった。
四、五日ほどパソコン前を離れます。
無念にも最終見直しが間に合わなかった後半部分は、戻ってから追加更新する予定です<(_ _)>