*どうやらハッピーエンドのようです*
この国の女性は貴族平民問わず素敵なラブストーリーに憧れる人が多いと思います。
実のところ私も素敵な恋愛にあこがれているうちの一人で、たびたび父が持ってくる政略結婚の話を毎回断り、仮面舞踏会に参加しています。もちろん目的は、素敵な人と素敵な恋に落ちるため、なのですが…。
突然バッと開かれた会場の扉。そこに一人の男性。優雅に扉を開ける余裕はなかったのでしょう。そんな印象を受けます。仮面をつけていないというだけで、彼はこの場で最も異質で最も浮いています。ですがそんなことみじんも気にしていないようです。
火龍騎士団の証である漆黒のコートをクールに着こなしている彼は噂の公爵閣下。なぜ噂かというと、その最愛の妻である奥様が仮面舞踏会に参加しているから。
彼は周りに目を向けることなく、まっすぐに彼女の元へ向かって歩きます。ようやく奥様が仮面舞踏会に参加していると気づいたようです。
「セレナーデ・フェリス・ディバイカル」
点呼でしょうか、そう思いたくなるほどに、彼は大きな声で奥様の名前を呼びました。そういえばお二人は元生徒と教師でしたか。
「はい!」
奥様もピシッと姿勢を正して返事をしてしまうあたり天然さんです。仮面を外し、綺麗な姿勢で公爵閣下を見つめています。まあ、条件反射だったのでしょう。気持ちはよくわかります。相手は旦那とは言え元教師ですし。無意識に背筋を伸ばしてしまうような威厳と圧が、彼の声にはあります。
「…ここで何をしている…?」
おおっと、気温が下がりました。公爵閣下は、先日お城の何部屋かを凍らせたとかいうお話でしたから、気温下げるくらいどうってことないのでしょう。
真っ白いコートを羽織った水龍騎士団の皆さんが、数十名がかりで外から彼の魔力を抑えているからこそ、これだけで済んだのでしょう。恐ろしいです。
「はい、旦那様。仮面舞踏会に出席しているのです」
口元に笑みを浮かべて、奥様もお答えになりました。正しい答えではありますが、そうじゃ無い気がするのはおそらく私だけでは無いでしょう。つっこみたいのを抑えた気配があちこちからしました。
「……理由を…説明してもらえないだろうか」
絞り出すような小さな声で、公爵閣下はおっしゃいました。けれどここは夜会の会場で音をよく拾います。普段なら掻き消す喧騒も今は一切ありません。公爵夫妻の様子が気になりますから誰しもが息を潜めているのです。したがってよく響くのです。
「…理由……ですか?」
奥様は困ったように眉間にしわを寄せました。
「せっかくですからサプライズで旦那様の新しい奥様を見つけて差し上げたかったのに…。言ってしまってはサプライズにならなくなってしまいます。どうしたら良いのでしょう…」
奥様、心の声が漏れてますよー!そう言いたいのは私だけではなかったようで、様子をうかがっているやじうまの数人がこけています。公爵閣下も顔を手で覆ってしまわれています。
「…新しい……奥様…?」
彼は寂しげにおっしゃいました。奥様の口から“新しい奥様”というワードが出ているのですからそれも仕方のないことでしょう。自分が奥様でいることに嫌気がさしているのだと言っているようなものですから。奥様を溺愛している公爵閣下からすればとてつもなくショッキングな出来事に違いないのです。
奥様はゆっくりと打ちひしがれている彼に近づきます。
そして背伸びをすると、彼の眉間にそっと指で触れました。
「…旦那様のここ、いつもグッてなってます。美味しいものを食べてても、誰かとお話ししてても、お仕事をなさっててもです」
「……すまない」
「謝ることではありません!ただ……私は旦那様にもっとリラックスなさってほしいのです」
「……そうか…。……考えて、くれているのだな…」
公爵閣下はほんの少しだけ口元を緩ませました。激レアです。無表情すぎて鉄仮面なんて呼び名もある公爵閣下が微笑んでますよ!やじうまの数人が失神してます。
「ですから、まず、環境をと思ったのです」
奥様がそういった瞬間、公爵閣下は少しだけ口を開けてしまわれました。奥様を見つめる優しく細まっていた目は、また少し見開かれてしまっています。
「お屋敷や使用人の皆様は完璧だと思いました。ですので、やっぱり悪いのは私で「…そう…思わせているとは思わなかった」」
途中で公爵閣下に阻まれた奥様はきょとんとして公爵閣下を見つめています。傍目から見てもわかるほどに、公爵閣下の紅の瞳が、揺れています。ゆるゆると奥様の手をつかみ、公爵閣下は指を絡めました。色気がすさまじいです。
「…あなたは悪くない……。私が…いや、俺があなたにきちんと伝えられなかったから…俺の責任だ…。…すまない」
「…旦那、様…?」
「……名を、呼んでほしい」
「ですが学生時代は、ディバイカル公爵様とお呼びしていた時にダメだとおっしゃいました…。ですのでずっと教官とお呼びしていましたし…結婚してからは旦那様とお呼びしていたのですが…」
「……他人行儀だから」
どこか気まずげに公爵閣下は言いました。公爵閣下は奥様に名を呼んでほしかったのでしょう。きっと以前……おそらく学生時代にも、名前を呼んでほしいと言ったことがあるのでしょう。さすがに学生時代に教官を名前呼びは無理でしょうに…。
けれどおそらく、彼の意図は天然すぎる奥様には伝わらなかったのでしょうね。公爵閣下は少し口下手なのでしょう。もう少し良い言い方があるでしょうに…。
「…名を呼んでくれ、セレナ」
奥様の愛称を呼ぶ甘く色っぽい声に、またやじうまの数名が倒れました。
愛称を呼ばれ、ようやく察したらしい奥様は、頬を赤らめて微笑みました。
「……ルークハウト、様」
「…ああ…」
嬉しそうに笑って、公爵閣下は奥様の身体を引き寄せました。奥様は公爵閣下の胸に両手と耳を当てるようにしておとなしくなさっています。
その光景が絵画のように美しいのですが、忘れないでほしいです。ここは夜会の会場ですよ?まあ、誰もが見入っていますし、つっこむことはもはやしないでしょうが。
「………怒って、いらっしゃいますか?…仮面舞踏会に出席していたこと」
「………俺のため、だったのだろう?」
「はい。旦…いえ、ルークハウト様に素敵な奥様を見つけて差し上げたかったのです」
「………セレナ…、俺にはあなたさえいれば良いんだ。あなた以上に素敵な奥さんなど、考えられない。………あなたが好きなんだ」
「…っ!だ、旦那様…?」
驚くように奥様は真っ赤な顔を上げ、公爵閣下を見上げました。公爵閣下の気持ちを今、知ったのでしょう。少し鈍感すぎやしないでしょうか。公爵閣下が奥様を溺愛しまくっているのは、もはや大陸の端っこまで届いているほどに有名な案件ですのに…。
表情や言葉は伴わなくても、オーラとか行動から誰でも察するレベルの溺愛ですのにぃ…。
「だから、この先もずっとそばにいてくれないか…。あなたでないとダメなんだ」
「ルークハウト様……。はい、私も、あなたのそばにいたいです。私で良いのなら…この先も…ずっと…」
そう言って奥様は公爵閣下の両手を掴みました。そしてその瞬間、ワッと拍手が沸き起こったのです。
びくっとしてあたりを見回した彼らはようやく、ここが夜会会場だと気づいたようです。
二人は恥ずかしそうに微笑みましたが、ゆっくりと会場を後にしました。その手はつながれていました。おそらく、ハッピーエンドなのでしょう。
末永く爆発しろ、いえ、末永くお幸せに。
私は拍手しながら、そんな視線を二人に送り続けました。