*陛下とは胃薬仲間だと申しておきましょう*
「無理を申し上げているのは承知ですが…どうにか、なりませんか……」
絞り出した声が薄暗い部屋に響く。
「そなたの気持ちはよーくわかる。だが儂の一存で決められることではないのじゃ…。それに早速、王弟がその話を聞きつけてな…」
目の前の男が片手で自らの腹をさする。胃が痛みだしたのだろう。気持ちが痛いほどにわかる俺は静かに宮廷医師特製の胃薬を差し出した。
「…どうぞ」
「いや、良い…。儂は、そなたの意見に賛成じゃ。火龍騎士団の問題は迅速に改善すべきである。西の宮には空いてる部屋もあることじゃし…あの男の奥方のために部屋を用意することは難しいことではない」
上司の表情を思い浮かべてしまった俺は、すぐさま胃薬を飲み込んだ。
火龍騎士団、団長補佐を務める俺は当然直属の上司と関わることが多い。一生独り身と噂されていた団長が結婚したのは良いことだ。そのおかげで団長が定時に帰るようになった。昔は定時過ぎても団長が帰らなかったため、部下は帰るに帰れなかったのだ。とてもありがたい。だがその代償としてか、団長に追加の仕事を頼みにくくなった。仕事にものすごく集中する彼は意図せずだろうが誰も近づけさせないようなオーラを放っている。あの状態の彼に近づけるのは少々(だいぶ)空気を読む能力に欠ける第三王子くらいなものだ。
団長が帰りたい理由は最愛の奥様に会いたいから。つまり奥様さえ近くにいれば何ら問題はないという意見がまとまり、国王陛下と個人的に仲良くさせていただいている俺が陛下に頼むこととなったのだ。
かなり秘密裏で話が進んでいた。少なくとも軍の人間でも9割の人間が知らないであろう事実だったはず。けれど軍のトップであり、今目の前にいらっしゃる陛下の、弟であらせられる双龍騎士団の総帥の耳に届かないはずもなかった。
ーー僕の愛娘を城に軟禁するって案が挙がってるんだって?正気なのかい、兄上?
満面の笑みで王弟殿下は陛下に尋ねたらしい。
残念なことにこの国はあまり国王の力は強くない。もちろん国の頂点として国王という地位は存在するが、政治は行政省が行うし、法にまつわることは司法省が行う。治安維持は騎士団に一任されているため、双龍騎士団の総帥であらせられる王弟殿下がすべての実権を握っていると言っても過言ではない。
陛下が思いついたことを通そうと思っても行政省と司法省のチェックが入るため、なかなか思い通りにはならない。
そして今代の国王陛下は言っちゃなんだがヘタレでいらっしゃる。強く、ツテも多く、腹黒い王弟殿下には色々敵わない。
「軟禁ってほどではないでしょう…」
「…少しでも自由を奪うのなら軟禁だそうじゃ…」
涙目で陛下は言った。どうやら王弟殿下が相当怖かったらしい。
王弟殿下はとても有能で基本的には温厚で素晴らしい人材だ。他国へのパイプやツテも多く、残念なことに国的には失って困るのは国王陛下ではなく王弟殿下の方、誰もがそういうだろう。けれど娘愛が深すぎる。軍のトップでありながら、娘が不幸になるなら自国とて滅ぼすと言い切るやばさである。本来なら軍のトップに立つなどあり得ない話だがそれでも軍のトップにいるのは、彼の威光があると他国の王はだれ一人としてこの国に攻め入ろうなどという気は起こさないからだ。第一、戦略に長け、剣と魔術の才能を持ち、血筋も素晴らしい彼に代わる人材はいない。彼の娘に危害さえ与えなければ、彼は最高の人材であり、国の平和は保たれるのだ。
「けれど奥様に近くにいてもらわないと団長の機嫌が…」
これも死活問題だ。別に集中してるオーラがたとえ真っ黒すぎていても、すこし出てるくらいなら俺が胃痛を我慢すればなんとかなる。だが実害が出てしまった。
団長の魔力が強すぎるゆえ、強すぎる願いは魔術となって外に出てしまうのだ。一度、追加業務により残業を余儀なくされた時、団長の部屋の扉とその上下左右を含めた5部屋が凍りついたことがあった。本人に悪気はなく、ただただ早く帰りたいだけなのだがコントロールできるものではないので危険だ。そのうち死人も出兼ねない。団長の魔力は規格外すぎるのだ。
「妻との時間が減るなら軍をやめると言っていたとの報告もあるのです」
俺は震えながら言う。彼もまた国的には失えない逸材だ。彼一人で国一つ滅ぼせるとさえ言われているのだ。それに彼ほどのカリスマ性と実力がなければ猛者ばかりの火龍騎士団はまとまらない。
彼と王弟殿下、二人の存在によってこの国は現在、100%戦争は起こらない国だと言われている。世界で一番平和な国として名が挙がるほどなのだ。
「…どちらを取っても軍が内部から崩壊し…国の平和が乱れるか…」
陛下はついに両手で顔を覆った。たった一人の女性によってここまでの危機になるなんて前代未聞だ。歴史に名を馳せる悪女たちですらここまで自国に危機をもたらしはしなかっただろう。傾国の美女なんて呼ばれる歴代の悪女たちも顔を真っ青にする傾国っぷりだ。もちろん、彼女には一切の非がないのだからどうしようもないのだが。
「…こうなったら奥様に直談判するしか…」
俺は再び胃薬を飲み込んだ。また思い出してしまったからだ。たまたま仮面舞踏会の会場で奥様を見かけてしまったことを。まだ団長に言えてない(言ったら部屋が吹き飛ぶ気がするからいう気もない)が。
「奥方なら、近頃仮面舞踏会に出席していると聞く。言う機会はあるじゃろう」
「………陛下から、奥様に言うことはできませんか?」
「ばかもん。お前は独り身だからまだ良いが…儂がわざわざ仮面舞踏会なんぞに出向いて奥方に話しかけるようなことがあればまた王妃が何というか…」
陛下はついに机に突っ伏してしまった。陛下の言った王妃とは、陛下の正妃であるが、元々は幼馴染で姉貴肌であらせられるため、陛下は頭が上がらない。
しかもこの陛下ヘタレで気弱で、変な喋り方をするが見目だけは50を超えるとは思えないほどに若く美麗であるため女性が放っておかない。浮気をしては王妃に怒られるのは貴族社会の常識のようになってしまっている。本人にやめる気は毛頭ないが。
「……私が、お伝えしましょう……。今夜は新月ですしね」
俺は少し会いたカーテンの隙間から空の様子を見る。すでに空はほんのり赤く染まっている。すでに仮面舞踏会は始まっていることだろう…。俺はもう一度胃薬を飲んだ。
願うはどうか、まだ奥様が団長に見られていないことだ…。
もし団長が奥様が仮面舞踏会に出てることを知ったらどうなってしまうだろう…!
それを想像するだけで俺は胃薬一箱消費できると思う。