*旦那様のことをお話しさせていただきます*
私は長年公爵家に仕えてまいりました。当然、旦那様の幼少の頃も存じております。
先代の公爵ご夫妻は少々穏やかすぎる方々でございました。あまり権力に興味をお持ちにならず、花をめで、季節の移ろいを楽しむような風流人と言える方々でした。貴族には珍しいタイプの方々であったことは間違いありません。公爵としてのお仕事をすべてこなしていたかと問われれば、正直なところ頷くのは難しいでしょう。
旦那様はそんなご夫妻のご子息であらせられましたが、昔から生真面目で責任感が強くていらっしゃいました。そんなご両親の様子が歯がゆくていらっしゃったのでしょう。
物心ついたときには自分に厳しく、何でも手際よくなさっておいででした。ですので他の方々より幼子らしさを見せる期間が短かったように思います。旦那様は少々不器用で堅物で無愛想で無表情にお育ちになったのでございます。あの美貌なら女性も寄ってくるでしょうに、婚約者も持たず、浮いた噂1つ立てず、仕事命だと言わんばかりに日々を過ごしておられたのです。
それが突然変わったのは数年前からでしょうか。お仕事の都合で、自身がご卒業なさった学院に講師として招かれた際のことだったと記憶しております。
そのころから旦那様は時折どこか物憂げな表情をお見せになるようになりました。学院にいかれると必ず上機嫌でお帰りになるようになったのでございます。屋敷の誰も気づいてはいない様子でしたが長年使えてまいりました私にはわかりました。
やがて旦那様は無機質な公爵家のお庭の一角に花壇を作るように命じたり、応接室の調度品を変えるように命じたりと、少しずつ屋敷の様子を変えるようになったのでございます。
やがて月日がめぐり、旦那様が奥様を娶ることを報告してくださいました。
感無量でございました。まさか、仕事に命を懸ける旦那様にご結婚なさる日がこようとは…。使用人一同奥様を迎え入れる準備をいたしましたのをよく覚えております。
奥様とご結婚なさった旦那様は幸せそうでございました。いつも無表情で淡々と仕事をこなすだけの旦那様が、奥様の前でだけ楽し気な表情を見せるのでございます。
わざわざ昼食のためだけに屋敷に戻ってきて、奥様とお昼を召し上がったり…奥様のお話を聞いて頷き、時折返事をしようと口を開いては良い言葉が見つからずにやめてしまったり…休みを取って奥様をお出かけに誘おうとしては勇気が出ずに辞め、奥様と過ごせずに落ち込んだり……旦那様は少しずつ表情豊かにおなりになったのです。
まあ、少々ヘタレだというのは否めません。未だに照れて名前も呼べず、乱暴するの怖いと寝室を分け、お出掛けしようと誘うことも叶わず…一方的に奥様を眺めることはあっても目を合わせることはなさいません。
ですから奥様が勘違いをしてしまうのは…無理ではないと申し上げたいところですが、奥様が少々天然すぎるというのは否めません。
朝は使用人が起きるような時間から起きて朝稽古をし、お仕事に向かい、夜は使用人が寝静まるような時間にお帰りになるような生活を送っていた旦那様の生活が一変。
奥様が旦那様の生活リズムに合わせようとするのを知るや否や、起床時間を三時間も遅らせ、帰宅時間を七時間も早めるようになりました。おまけにわずか一時間の昼休みに、奥様とお食事を召し上がるだけのために屋敷に戻るのですから少々わかりやすすぎるように思います。
ご帰宅なさってから寝るまでの時間、奥様を自身の書斎に呼びつけて共に過ごすように命じていらっしゃるのです。…奥様はなぜ、旦那様のお気持ちにお気づきにならないのでしょう?旦那様が無愛想すぎるからでしょうか。
ついには仮面舞踏会に参加なさるようになってしまったのを私は未だ旦那様に報告できずにいます。旦那様は私に奥様の行動を報告するようにはおっしゃいません。きっかけがないと話しかけることができない旦那様は、それをきっかけに奥様に声をかけていらっしゃるのです。ですので旦那様は私に奥様の様子を聞くことはなさらず、奥様に直接お聞きになります。
ですが仮面舞踏会に最愛の奥様が参加する、というのはいかがなものでしょう。旦那様がお聞きになればショックを受けるのではないでしょうか。
心配ではありますが、使用人一同、公爵夫妻を見守っていく所存です。もとはといえば奥様に勘違いさせるような言動がすべての原因です。ここは心を鬼にして黙って見守ります。別にすれ違いを楽しんでいるだとか、奥様が勘違いしてから回っている様が大変に御可愛らしく面白いだとか、思ってはおりません。
これは言うならば恋の試練。
旦那様、ご安心くださいませ。
奥様には、三人の影と、二人の護衛、そして四人の侍女をつけております。きちんと見守らせているので、不埒な輩は近づけません。奥様は責任をもってお守りいたします。
ですのでどうか、男らしくその御心を奥様にお伝えくださいませ。