童話 坊っさん
その男は坊っさんと呼ばれておりました。坊っさん。お坊さん。でもお寺にはあまり行きません。坊っさんは頭が禿げていて、それで太っていましたから、皆にからかわれていたのです。でも坊っさんもあまり気にしません。むしろ自分て禿頭をからって居たのです。
そんな坊っさんも恋をしました。
誰かといいますと、雑貨屋の由美さんです。それは壊れた椅子を買いに出掛けた日のことでした。
おっとその前に何故椅子を壊してしまったのかを教えてあげましょう。
坊っさんはよく自分の禿頭をペチペチ叩く癖がありました。
ペチペチペチペチ、ペチリリリ。
左手で叩くと右手を持ち上げ、右手で叩くと左手を持ち上げる。木魚のように、ペチペチペチペチ。坊っさんはこの音が好きでした。頭のてっぺんから、せぼねの底まで伝わる振動が心地よくて好きでした。
ある夏のことです。坊っさんは今日も元気に叩きます。
ペチペチペチペチ、ペチリリリ。
しかし何かが足りません。
ペチペチペチペチ、ペチリリリ。
なぜでしょう。音はいつもと同じくらい。セミのなきごえ「みーんみーん」よりも大きく、そして夏らしいのです。
ペチペチペチペチ……。
坊っさんはようやく気がつきました。どうやら振動が弱いのです。禿頭のてっぺんからくる振動は、ちょうどお腹に吸い込まれていくようでした。
ペチペチペチペチ……。
坊っさんは困った時にも頭を叩きます。うーん、なぜだろう。その時でした、坊っさんの目に木製の古い椅子が飛び込んだのです。
ふむこれだ。坊っさんは片手で椅子の頭を持ってむんずと引き寄せました。そして椅子を自分の後ろに立たせ、いっぺんストンと座ってみました。そうしておもむろに立ち上がり、また座ります。今度はもっと早く立ち上がり、そしてもっともっと早く座りました。坊っさんは水を得た魚のように何度もそれを繰り返します。
ペチペチペチペチ、ペチリリリ。
坊っさんの尻と椅子がぶつかって音が鳴ります。
ペチペチペチペチ、ペチリリリ。
すると背骨の根本から振動がやってきます。
ジワリ、ジンジン、ジワリリリ。
次第に坊っさんも気分がよくなって、禿頭も叩きます。
ペチペチペチペチ、ペチリリリ。
椅子のペチペチペチペチと禿頭のペチペチペチペチが重なって、坊っさんはとてもとても愉快でした。
しかし盛者必衰、栄枯盛衰。世の理は坊っさんも例外ではないのです。
バキリ、バキバキ、バキリリリ。
それは坊っさんにとって諸行無常の響きでした。なんと椅子が壊れてしまったのです。
こうして坊っさんは新しい椅子を買うことになりました。
坊っさんは雑貨屋で新しい椅子を見つけました。
ピカリ、ピカピカ、ピカリリリ。
坊っさんはその椅子を手にとって調べると、とても丈夫にできてます。やがて坊っさんは満足し、勘定を済ませる為にお店の人を呼びました。これが由美さんとの出会いです。
あら珍しい。由美さんはそう言いました。それは椅子のことなのか、来客に対してか。でも坊っさんにはその意味がよくわかりません。それよりも由美さんに見とれてしまって黙っていました。
由美さんはそんな坊っさんを見て、付け加えるように椅子へ視線をずらして言いました。椅子なんて珍しいですね。
しかし坊っさんにとって店の事情など到底どうでもよく、やはり由美さんに見とれて黙ってしまうままなのです。
そうすると由美さんも黙ってしまいます。
そのまま時間が経って、坊っさんはようやく驚いたように謝りました。
いいんですよ。と由美さんは言ったあと、もういちど椅子を買った理由を尋ねました。
坊っさんは困りました。かわいいかわいい由美さんに、太っているから椅子を壊したのだと言えるはずもありません。坊っさんはまた黙ってしまいました。
由美さんも何かを察したのか、椅子の値段を言いました。坊っさんはお金を払って、ようやくありがとうございますと言えました。由美さんもありがとうございましたを言えました。
由美さんとはそれぎりでしたが、どうやら坊っさんの心にはいつも由美さんがいるのです。そうしてその隣には痩せた自分が立ってます。しかし鏡の前に立つ自分を見るとため息がでてしまいます。
ペチペチペチペチ……。
坊っさんは痩せようと決心しました。
ペチペチペチペチ、ペチリリリ。
坊っさんは椅子とのペチペチペチペチがいい運動になると気づきました。
ペチペチペチペチ、ペチリリリ。
禿頭を叩きながら尻で椅子を叩きます。
ペチペチペチペチ、ペチリリリ。
心臓もドクンドクン。三つの音が部屋の隅まで響きます。
ピカリ、ピカピカ、ピカリリリ。
新しい椅子も壊れる気配はありません。
ペチペチ、ドクドク、ピカリリリ。
しかし坊っさんにも挫けそうな夜がありました。でも由美さんの上でペチペチペチペチする為にペチペチペチペチを頑張りました。
バキリ、バキバキ、バキリリリ。
とうとう新しい椅子も壊れてしまいました。坊っさんはまだ痩せていないのかとがっかりしました。
しかし鏡の前には痩せた禿頭の坊っさんが立っていたのです。
ペチリ、ペチペチ、ペチリリリ。
太っていたからではありません。三つの音の中で、椅子を叩く音が最も大きいから、椅子が壊れてしまったのです。
そうしてまた坊っさんは壊れた新しい椅子の代わりの、新しい新しい椅子を買うために由美さんを想いました。
ドキリ、ドキドキ、ドキリリリ。
今度は心臓の音がいちばん大きくなってしまいました。