魔界の車窓から・6
すごい。
ヒルダさんの作業場の様子は、すごいとしか言いようがなかった。
ジークと私とヴィリハルトさんは、ハーゲンティ邸の庭に建つ小さな離れがヒルダさんの工房を訪れていた。
所狭しと並んだトルソーや布のロール、型紙にメジャー、大量に詰まれた本や雑誌の資料は、お店の裏側そのものだ。
部屋の中心には、肝心のミシンの代わりに、大きな魔法陣が描かれた床が顔を出していることから、あそこで素材を錬成して服を製造しているんだろう。
「ごめんね、これでも足の踏み場作ったほう」
「あ、お、お構いなくっ」
魔導士の研究室なんてみんなこんなものなのは、実体験で以て承知済みだ。あれだけ実力のあるジークの部屋ですら、整頓されているとはいえ床が抜けないか心配になる程だ。ここに篭りっきりで、しかも今この瞬間までスパートをかけまくっていた修羅場にしては、うん、ほんと、床が見えるだけ凄いというか。
「じゃ、早速だけどジークから着せるから。脱いで」
「はいはい……」
私はさっさと目元を覆う。布擦れの音を聞きながら、全く関係ない魔法の術式を頭に思い描いて、しばらく意識を逸らした。
よし、というヒルダさんの納得を合図に、ジークに向き直る。
「う、わー……!!」
ジークは、細かい刺繍が艶やかに光る真っ黒なタキシードを身に纏っていた。シルエットはスタンダードなそれではなく、コートや軍服のように固く、広い印象だ。ジャケットの下には、光沢感のあるドレスシャツを着こんでいる。
大胆にフリルがあしらわれたスカーフや、細かいビーズが縫いこまれたコルセットも、総じて黒。胸元にも黒い薔薇のコサージュ。ボタンやカフス、どこを取ってもヒルダさんの拘りを感じられる、どこまでも作りこまれた衣装だった。
燕ならぬ鴉のようなタキシードが、ジークの真っ赤な髪と対比になっていて、すごく……決まっている。言葉が出ない程に。
そもそもジークは、筋肉質で締まった体つきをしているので、派手な服に着られないのだ。身内でタダとはいえお姉さんが彼をモデルに選ぶのも納得の出来栄えだった。個人的に手袋との絶対領域イズ最高ですね。
「胸のとこ絞って正解だったな……見栄えが最高すぎる……。ディテールも問題ナシ……。後ろ向いて。……脚もうちょっと細くならない?」
「ならねえよ!」
「なんっでこんなお尻出てるかな~」
「やめろ!」
ヒルダさんはそんなジークが着た自分の衣装を、入念に確認している。ジークはお尻を叩かれて不服そうだけど。何度も直に触れたり、近くで寄ってはまた遠くから捉えを繰り返していた。
「着ててココほつれそうだよヤバイよヤバイよ~みたいなとこもない?」
「今のところは」
「じゃあちょっと歩いてみて」
「歩きづらい」
「我慢して」
「うーん……あとは当日のライティングかな……ここが隠れるのは……こうしちゃえ」
「針を向けるな、針を」
さすがは姉弟といったところか。感激している私とヴィリハルトさんを差し置いて、二人は完全に作業モード。何の感慨もなく淡々と意見を交わし合っていた。
「明日部下に自慢しよう……」
とは、既に自前のカメラで連射しまっくているヴィリハルトさんの呟きだ。
「並んでるバランス見たいし、ザラちゃんも着替えようか」
「あっ、はい!?」
すっかり見惚れていたが、ここで私もご指名だ。
「はい、男二人出て。ジーク、それ汚したら殺すから」
「そんな短い間で汚すか、お前じゃあるまいし」
「はーい、姉弟仲良くね。お父さん悲しくなっちゃうよ~」
一触即発の空気を、ヴィリハルトさんが嗜める。この姉弟、本当に仲良いんだか悪いんだか謎だ。
ヒルダさんは男性陣をアトリエの外に締め出すと、布と紙で丁寧に覆われたトルソーから、真っ黒なドレスを脱がせた。
私も着てきたブラウスとスカートを脱いで、やや肌寒さを覚えながら、ヒルダさんの後ろ姿を見守る。
「そのペチワンピも脱いで」
「ひええ」
この間、採寸してもらったときもだけど、こんな美人の前で裸になるのはやはり何というか、同性といえど気恥ずかしい。こんな体たらくで申し訳ないとすら思う。が、有り難いことに、ヒルダさんは全く気にしない。気にしないっていうか服にしか興味が無さそうだ。
「よ……っこいしょ!」
「お、おふ……」
掛け声とともに、力づくでドレスに身体を捩じ込まれる。腰はクリアーしてもね、その次がね、難関ですかね。
「ザラちゃん、ちょっと息吸って」
「ハイ……」
「しばらく止めてて!」
ヒルダさんに言われるがまま、自分史上最大級に縮こまった状態で、背中の金具が留まるまで耐え続けること数十秒。正しい位置に正しい布が来ていることにほっと安堵の息をつく、と、そのまま色々弾き飛びそうな気がした。やばい、全く油断できない。
「ふうん……人間って、本当にこんな感じなのね」
「ま、まじまじ見ないでください……!」
「不思議」
黒く短いヴェールを私の髪に留めながら、ヒルダさんが微笑んでいた。
これまたヒルダさんが入念なチェックを終えて、ようやく、私とジークが並んで鏡の前に並ぶことになった。
「おお~……二人ともかっこいい~~~……!!」
「わあ……やっぱり凄いですね……!!」
ジークの隣に居る私が、私じゃないみたいだった。
当然だけど、ジークの衣装とセットになるような真っ黒な配色のミニドレスは、同じ色のレースパニエで、かなりボリューミーに膨らんでいる。まるでバレエのプリマドンナみたい。デコルテの露出に対して、腕部にはシックなジャケットのような袖が通っていて、これぞヒルダさんの個性全開といった風だ。ドレス自体も、レース、ベルベット、シルクと、何層にも渡って違う素材で作られていて、見る角度によって黒の光沢の度合が変わる。
ていうかここでも感動してるのが私とヴィリハルトさんだけだった。おい。ジークさんよ。一言くらいあるだろうよ。
「パパ、何で泣いてんの?」
「いいのかなあと思って……ザラさんのご両親よりも先に……」
「お、お気になさらず…………」
本当にすごい。これが、ヒルダさんが作ったものだなんて。あ、変な意味じゃなくて……。
私のファン気質の問題というか。むしろ、これを作った人が目の前に居るという感動。是非、作品集とノウハウの講義にお金を払いたい気持ちだ。
人間の私からしても、かっこよくてかわいくて美しい。悪戯好きの悪い魔法使いの夫婦みたいで、わくわくしちゃう。
……しかしひとつ疑問が。ていうか、魔界に来てから、ずっと思っていたことなんだけど。
「あ、あの、ウェディング……なんですよね?」
私達人間にとっては通常、ウエディング衣装と聞いて思い浮かべるのは、男性なら黒、白、灰色。女性なら真っ白なロングドレスが一般的だ。
それがこんな、両者真っ黒のど派手な衣装で、大丈夫なんだろうか。私はアリだと思うけども。
「そうよ。――ああ、人間界だと何か違う?」
「こっちだと、黒が気品や華やかさの象徴なんだ」
私の言わんとすることを察したジークが、目で合図してくれた。
「そうなんだ……!!どうりで……!!」
どうりで。
あっちこっち黒いわけね。つまり人間でいう白がそのまま反転しているのね。魔族の人たちにとってはこれが自然……むしろ綺麗なイメージなわけか。怯えまくってて悪いことしたかな……。
ここでふと、更に疑問。
「あれ。じゃあ式に参加する人は?」
「だいたい黒だな」
「えっ。主役と被っちゃうじゃん」
「ああ。だから、上から下まで黒一色なのが新郎新婦のみで、他の参列者はそれ以外に赤か金を差し色に使うのが一般的だな」
「最近はオレンジとか紫色も流行りよ。そこに月や果物、薔薇や髑髏をモチーフにした模様やアクセサリーを身に着けて出席するの」
ああ。ヒルダさんの説明で合点がいった。魔界独特の雰囲気の正体に。ジークのセンスがたまたまアレなのかと思ってたけど、みんなそうなんだわ。
思い返してみれば、魔界に来てからこっち、むしろそういったホラーテイストの物しか目にしてない気がする。他にも骨とか目玉とかも、この人たち好きなんだろうなって。
「へ~……。なんだか……ちょっと想像したら怖いかも……」
「怖くするんだ。特殊メイクとかしてくる奴もいるしな」
「き、気合い入ってるなあ」
「魔族にとって婚姻の儀式は、新郎と新婦が同じ墓に入ると、皆の前で誓う祭りであり呪いだ。盛大に脅かして、二人にこれ以上の不幸が訪れないようにと祈る」
「ああ……!ほんとにお祭りみたいな感じなんだね!それ聞くと、すごく優しい思いやりに感じるね」
人間界でも、一部の地域ではお葬式でパレードを催したり、それこそ全く飾りっ気なしで神殿で厳粛に執り行われる結婚式や、魔除けのために不気味な格好をするお祭りだってある。
私も端くれではあるけど、魔導士たちや魔法に親しんでいる人々にとって、行事は儀式で、祈りや戒めの効果があることを強く意識している。
そういう点から考えてみれば、魔界式もただ怖いだけじゃなくて、沢山の想いがこもった様式のひとつであることが窺える。
「まあ、実際は仮装大会だと思ってる人ばっかりだけどね。主役より目立ってナンボみたいな」
「ええ~……感動返してほしい……」
ちなみに最近だと、一番派手な格好をしてきた人が次に結婚できるというジンクスまで広まり始めているらしい。うーん、魔族は悪ノリが好きだなあ。
……とか思っていると。突然、ヒルダさんの動きが止まった。
「ごめんやっぱあと一枚分濃くする」
そう言ってヒルダさんは私の髪からヴェールを引っこ抜くと、そのまま部屋の魔法陣まで持って行ってしまった。そして部屋の隅に詰まれた素材の入った箱から、レースや細かい飾りらしきものを取り出して、おもむろに魔法陣の上で重ねる。
「――“我は序列四十八位、地獄の大公である。朝を夜に、心臓を脳に、大地を海に変える者。ヒトに富と知恵を唆し、真理を視る紅き雄牛である。意志なき万物よ、有魂の万象よ、我が手によって汝らが到達すべき姿へと導かん。”」
私はその詠唱に、あ、と思わず声を漏らす。ジークが普段、アイテムを錬成するのと全く同じだ。
魔法陣の上で布と布がぶつかり合うと、軽やかな音と煙が噴き出す。そうして黒いヴェールは、さきほどよりやや影を増して、ヒルダさんの手元に収まっていた。
「やっぱり姉弟なんだね」
「姉貴のは、俺の魔法ほどじゃないけどな。ああいう使い方をするのは斬新だ」
ヒルダさんの集中に水を差さないよう、二人で耳打ちする。ヒルダさんはふうと息を吐き、改めて私たちを鏡越しに厳しく見まわす。
「……これをあと三十回くらいやります」
「「え゛」」
そして衝撃の告白。
「さーて、二人の着替えも堪能したし、僕はこれで!」
唯一ヴィリハルトさんだけが軽い足取りで、工房を去っていく。私とジークは二人、これは長期戦になるぞと唇を固く結んだ。
そこまで細かい作業ならいっそここでやったほうがいいのではと思ったけど、ヒルダさんの手つきを見るに、この人は相当不器用なんだろうなということが何となく察せられた。
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その後、ヒルダさんは最終調整と言って、私達から衣装を剥ぎ取ると、また自分の工房に篭ってしまった。
工房のなかからバンバン魔法が発動する気配を感じながら、今日のお手伝いはひとまず終了。絶賛修羅場中のヒルダさんを除いて、私とジークとヴィリハルトさんの三人で夕飯を済ませ、あとは自室で寝るまでの時間を過ごすだけというところだった。(ヒルダさんには別で、ジークが夜食を用意していた。)
私はというと、自分の荷物を整理していた。足りないものはないか、すぐ使うものはどこに出しておくか、悩みながら床にあれこれお店を広げていると、扉を控えめにノックする音を聞いた。
「ザラ、起きてるか」
ジークが訪ねてきたことに気付いて、私は慌てて彼を出迎えた。
大変だ。
ちょっと待ってと声を掛けて、鏡で髪と肌をチェックする。ビビアンほどスッピンを恐れているわけじゃないけど、せめて、少しでも可愛いと思ってもらいたいじゃない。さっきスキンケアしたばっかだし大丈夫、お風呂あがりだから血色もいいし。――寝間着!変なとこ……ナシ!よし!荷物……下着とかそのへん出てないよね!?オッケー!!あっでもこんな格好で出たらはしたないと思われるかな……!?ああもう待たせてるんだって!!
「どうしたの?」
私は出来るだけ、何でもないような笑顔を努めてジークを出迎えた。
「少し、外に出ないか」
夜の散歩に来たジークもまた、普段見ない、緩い寝間着姿だった。互いに互いの姿を見て、一瞬、戸惑っているのが分かった。
「あ、ご、ごめん……」
「別に。他に誰が居る訳でもないし……」
こ、これがお泊り効果。危険だ。ジークの赤面を初めて見た。
「いいよ、行こう。ちょうど眠れなかったんだよね」
「そうか。冷えるから、上着を持っていったほうがいい」
「うん」
助言どおりにカーディガンを羽織って、私はジークの後を着いていくことにした。
ジークの部屋を突っ切った先の階段から裏庭に続いていて、私達はそこのベンチに腰を下ろした。
「何か飲み物でも持って来れば良かったな」
「えー、いいよ別に」
視線の先では、暗色の薔薇の花壇と石造りのビオトープが、魔界のほのかに紅い月光を反射して、幻想的な風景を作り出していた。昼間黄色かった空は深い紫に染まっていて、薄霧の向こうにぼんやりと浮かぶ動物の形の灯りが、月の中の兎や蟹を思わせた。
「魔界の夜って綺麗だねえ……」
「……そうか。良かった」
私にとっては小説や、子供が自由な発想で描いた絵の世界にそのまま侵入したような気持ちだ。どこを切り取っても、私が認識してきた世界の中には無かった価値観が、魔界には溢れている。
「そういえば、廊下に飾ってあったのって、お母さんの写真?」
「ああ……。女優をやってたんだ。自分が出演した映画や舞台のポスターを貰うと、自分で壁に貼ってたんだ」
「ふふっ、何だか可愛いね」
何故だろう。ヴィリハルトさんやブリムヒルダさんを見た後で更にそういう話を聞くと、ジークがめちゃくちゃまともに見えてしまう相対マジック。
ジークのお母さん―カレンさんが眠っているという、ビオトープの真ん中のお墓を眺める彼の横顔を見て、今なら聞いてもいいと思った。私も来たときにご挨拶をしたけど、その時のジークは、あまり目を合わせてくれなかったから。
「お母さん……どんな人だった?」
「…………厳しくて、我儘で、子供みたいだった。でも俺や姉貴といつも遊んでくれて……今思えば、変人だ」
「あんなに美人なのに?」
カレンさんは、肖像画や写真を見る限りでは、ジークやヒルダさんに似た紅い髪を持つ、華やかな女性だった。切れ長の目で、大きな口元にいつも微笑みと笑窪を湛えている。いかにも表情の筋肉が豊かそうで、髪型や化粧によっては、別人に見えることもある。けれど写真写りが抜群で、そこにいるだけで、カレンさんだとわかるような何かがあった。
一見するとヒューマーのような姿だったけど、魔族特有の変身能力によるものだそうで、その能力を生かして女優業で成功を収めていたとか。そうか、こっちの人にとってヒューマータイプの容姿は、逆に珍しいのか。
「そうだ。いつも目まぐるしく機嫌が変わって、親父はタジタジだったよ」
「なんか想像つかないかも」
「もっとテンションの高い姉貴を想像してくれ」
「ふふっ……!そりゃー大変だ」
失礼かもしれないけど。個性の強い家族に囲まれたジークがどれだけ苦労したのかも、どれだけ家族を愛しているのかも、その溜息から伝わってきた。
「……お前にも少し似てるかもな」
「ほんと」
「我儘でマイペース」
「うっ……」
ジークが刺すような視線を送って来る。悪かったわね。自覚はあるのよ。あんただって私のそういうところが好きなくせにね。
「でもみんな、そんな母さんが大好きだった。毎日滅茶苦茶で、退屈知らずで」
「そっか……」
「だからきっと、親父も姉貴も、ザラのことを好きになったと思う」
「だったら嬉しいな。会った時は、緊張したけど」
「威圧感あるからな、二人とも」
「あはは。もう慣れちゃったけどね」
ぽつぽつと、思いつくままに他愛ない会話を交わしては、消えるようにして沈黙が訪れる。
それは下らなさと平穏の象徴で、不思議と私はいつも、ジークに気まずさを覚えたことがない。ジークもきっとそうだ……といいな。同じ空間を共有して、ときどき隣を窺うことの心地良さは、どんな安心にも優る。
――安心しすぎるのも難点で。私はいつの間にか、ジークがこっくりこっくり船を漕いでいることに気が付いた。
「ジーク、眠い?」
「……ん、まだ眠くない」
「そろそろ戻ろっか」
「いや……」
そう言っているあいだにも、ジークの瞼がくっつきそうだ。
「ほら行こ。ここで寝たら風邪引くよ」
私は無理矢理ジークの腕を引っ張って、ベンチから引きずり出すように立たせた。
「すまない……少し、緊張して疲れてたみたいだ」
「緊張?」
「ああ。ザラを紹介するの」
「……そっ、か」
顔にだけ夜風が当たっていない気がした。暗くて良かった。
眠気のせいかわからないけど、ジークって、こんなに柔らかく笑うのね。
「部屋まで送る」
「いいよ、わざわざ!眠いんでしょ?」
「お前の顔を見てから眠りたい」
「もう十分見たでしょ!ハイ行くよ!」
瀬戸際でも粘るなこの男は。あんまり調子に乗らせないほうがいいかしら。
目を擦るジークの背中を押しながら、私は二階へ戻る階段を登る。
最後になんとなくもう一度お墓のあたりを振り返った時、ワインボトルのようなものが光っていたのを見た気がした。
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・ハロウィンという言葉がつかえない不自由さ。




