魔界の車窓から・5
「では──ザラさん。ようこそ、ハーゲンティ家へ!」
私たちを乗せたヴィリハルトさんの車は、霧に包まれた郊外にある、真っ黒な豪邸の門をくぐったところで止まった。
駅の賑わいとは違う、薄暗くて静かな雰囲気に、私は思わず固唾を飲む。
だって――まるっきりお化け屋敷なんだもの。ジーク、コワイの苦手なのに実家こんなんなの?
門も黒ければ石の塀も黒い。平べったいお屋敷の壁には、棘の生えた茨のようなものがそこらじゅうに這っている。あれよね、シンディに監禁されてた廃城を思い出すわ。
この間行ったネロ先輩のお家とはまた異なる緊張感に、足が竦みそうになったけど、ジークが既に、私のキャリーケースを持って、大きな扉の前で待ち構えている。
ようし、いざ。
「お、お邪魔します!」
重厚な扉の向こうは、意外にも普通の玄関口だった。いや、まあ、既に私の家の倍くらい広いんだけど。
壁にコートや帽子、額に入った家族写真が掛けられていたりして、確かな生活感がある。
魔族が住んでいると思って、てっきりもっと上下左右反転しているようなめちゃくちゃな内装を予想してたんだけど――でも思い返してみれば、ジークは人間界で普通に、不自由なく暮らしているんだから、まあ最低限の常識の範疇はそんなに変わらないのかな……。
ヴィリハルトさんが、玄関を真っ直ぐ進んだところにある牛の胸像を通り過ぎて更に奥、二階へ続く階段を登っていく。ヴィリハルトさんの陽気な足取りを追う道中、ジークのお母さんと思われる紅い髪の女性の肖像画や……ポスター?が、何度も目についた。
「さあさあ、客室に案内するから、まずは荷物を置いてお茶にしよう!積もる話もあるしね。あっ、それともジークウェザーと同室で良かった?」
「俺が繊細な息子だったら二度と口聞かなくなるレベルのセクハラだぞ今のは」
「うーん、ジークウェザーとザラさんが図太そうで良かった!」
「すまん……伏して詫びる……」
「い、いや、いいよいいよ!魔界の人が並みのテンションじゃないってのは覚悟してたから……!」
前言撤回。やっぱり人間の常識はあまりアテに出来無さそうだ。
用意していただいたのは、階段を上がってすぐ左手、元はヒルダさんのものだったという部屋だった。
ヒルダさんは現在別棟に設けた自分のアトリエで寝泊りしているらしく、彼女のものであったらしい暗色の家具だけがシンプルに配置されていて、たしかに普段から人が出入りしている気配のない“客間”そのものだった。
ちなみにその隣の角がジークの部屋である。(階段を挟んだ向こうは、大きな窓と日差しを堪能する室内サンルームだか室内バルコニーみたいなスペースが広がっていた。あそこで本読んで紅茶飲んだら最高だろうな……。そこからも階段が繋がっていて、降りると直接、一階のリビングダイニングに繋がっていた。)
「こっちに来たのは、元はブリムヒルダの提案だってね?二人とも、誰に似たのか強引な性格でねぇ。こうやって、真顔で迫られたでしょ?怖かったろうに」
いや、その仮面で距離詰められるのも怖いです、という言葉を、出された紅茶と一緒に呑み込んだ。
旅の疲れもあるだろうと、まずは荷解きよりも先に、ジークが作ってきたシナモンと蜂蜜のアーモンドパウンドケーキで一服することに。
二階から伝って来たリビングダイニングは、これまた意外にも庶民的だった。いや、だから広さは私の家のリビングの倍はあるんだけど。廊下やさっきの客間とは打って変わった、木と暖炉の温かみを感じる、ほっこりコテージ風のインテリアは、家族の団欒には持ってこいだろう。
「ケーキおいし~!」
「当然だ」
「これね、僕の大好物なの。僕が食べたいな~って思ってると、ジークウェザーがいつも作ってくれるんだよ」
そうなんだ。良い息子だなあ、と思ってジークを窺うと、魔界へ来て何度目かの苦い顔をしていた。
「……」
「本当に親孝行な子だ!」
ヴィリハルトさんがケーキを口に運ぶたび、ジークの眉間の皺が深くなっていく。
わかる。わかるよ。
たぶんこれは、片親ゆえに無茶な要求に逆らえない子供共通の感情だよ。私ももちろん、お母さんは大好きだけど、「ザラちゃんに見捨てられたらお母さん悲しいわ~」とか言われると、だめだとわかっていても甘やかしてしまう。ある種の暴力!
「ていうか、姉貴は?」
「まだ作業中みたい。言い出しっぺのくせに出迎えもしないなんてねぇ」
「さっき出来たところよ」
ちゃっかり自分のお皿を用意しながら、一階側の扉を開けてヒルダさんが現れた。
「ヒルダさん、お邪魔してます!」
「こんにちは、ザラちゃん」
部屋着にまとめ髪、この間会ったときよりも何だかやつれた印象だ。徹夜明けのうちのお母さんに似てる……。
「やっと二人のサイズに調整し終わったから、あとで試着して。そこから更に直して……撮影は明日の昼だから……」
何かに憑りつかれたぶつぶつ呟きながら、ヒルダさんが大口でケーキを平らげていく。
「二人にも結構長い時間付き合ってもらうかもしれないけど、いい?」
「その為に来てますから、大丈夫です!」
「俺はデートの時間が削られて残念だ」
ご家族の前でそのノリやめてほしいんですけど。いつもみたいに足踏んだりする訳にもいかないし。私はただ歯噛みしてスカートを握りしめながら俯くことしか出来ない。
「よし、じゃあお茶し終わったら私のとこ来てね。ちょっと片付けて来る」
カロリーだけ摂取しに来たといわんばかりに、そそくさと立ち去ろうとするヒルダさんをジークが一瞥する。
「食器も片付けろ」
「固いこと言わずに」
「おい!」
結局、ヒルダさんはそのままフラフラとどこかへ行ってしまった。
「僕も二人の晴れ姿、見たいな~!お邪魔していい?」
「親父は仕事が残ってるだろ」
「固いこと言わずに」
ああ、ジークが珍しく恥ずかしそうに頭を抱えている……。テンション上がってる家族が恥ずかしいことに種族の垣根はなさそうだ。
「だって、息子の結婚式をいち早く見られるようなものだろう?相手も揃ってるんだし!」
「そ、その事なんですけど!!」
聞き捨てならないワードに、立ち上がって抗議する。
「あの……その……ご、誤解があるようなんですが、ま、まだその……私たち、友達以上恋人未満みたいな感じでして……!」
「えっ…………」
ちらとジークの横顔を覗き見るも、お茶飲んで静観キメてやがる。だから何でジークは一切弁明してくれないわけ!?
仮面越しにもわかりやすいくらい、一気にしょげてしまったヴィリハルトさんには申し訳ないけど――このまま流れに乗せられてしまうのはよくない。ちゃんといちいち自分の意志で決めるって覚悟したばっかりなんだから。
それじゃあジークに気持ちを返してることにならないもの。
「そ、そういうのは、決まり次第私からご連絡しますので!!」
――言った。言ってやった。
そう勝ち誇ったのも束の間、ぱあとヴィリハルトさんの雰囲気が明るくなるのを見て、何か致命的なミスを犯したことに気付いた。
「そうか~そうかそうか。ごめんね、僕たちばかり早とちりしちゃって。家族が増えると思ってつい嬉しくなっちゃったけど、結局は二人の問題だもんねぇ」
なんか。なんか違うな。思ってたんと違うなこの反応。隣でジークがしてやったりな笑顔を浮かべている。
「じゃあ、それまで気長に待つとするよ。今を楽しんでね、二人とも」
最終的に物凄く暖かい言葉を頂いてしまった。そうじゃないんです。いや、私がジークを好きなのは合ってるんだけど、え?あれ??
「面白い子だねえ」
「だろ」
そこ、親子間の以心伝心やめてくれませんか。
「じゃあ試着、見に行ってもいい?僕、明日は仕事でね。写真が出来上がるの待ってたら、ザラさん帰っちゃうでしょう?だから今日のうちに現物を見て二人を冷やか……褒め讃えたいんだけど」
「何がじゃあだよ、仕事しろよ」
すごい。この家ではジークがツッコミ役に回っている。ていうかお父様、最大の目的は最後の一文なんですね??いちいちこの人たちの発言に驚くのはやめた。ここにきて更に直接相手の肉親に冷やかされるとかたまったもんじゃない、この間は気絶したんだから今度こそ私は絶命するわ。でも私は立場上嫌ですやめてくださいとも言い出しにくい。頼みの綱はジークだ。
「だってさあ……僕だってもう若くないから……二人の本物の式まで生きてられるかわからないじゃないか……。ジークウェザーだって全然実家に帰って来ないし……久しぶりに姉弟が仲良く協力してるのにさ……」
ヴィリハルトさんがまたしても、今度は仮面をしていてもわかるくらい更にわざとらしくしょんぼり気落ちして見せた。その様子を見たジークが、ウッ、と呻きを漏らすほどの悲壮感を帯びている。
「ジークウェザー、ますますカレンに似てきたしさ……いち早くお母さんにも教えてあげたいじゃないか……」
ウッ。
当人でもない私ですら胸を抉られる。策士だ、この人は……。
でも私のよく知るジークは、脅しにも泣き落としにも屈しない意志の強さの持ち主だ。ここははっきり言ってくれるはず。期待を込めて、ジークの横顔に注視する。
「わか…………わかったから、ザラに迷惑だけは掛けないでくれ…………イジるなら、俺だけにしてくれ…………」
「わーい」
俺様魔族、ここに敗北。
ジークは腕組みをしてがっくり項垂れて、全身で降参の意を示していた。
私は驚きを隠せない。
そうか……。このケーキもこうやって作られたのね。今度からこの手、私も使ってみよう。
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・魔界の人、放っておくと勝手にベラベラ喋るので、非常に処理に困ります。




