アットホーム・ボーイ
ジークさん、お家に帰るの巻。
実に半年ぶりに、魔界の地を踏んだ。
ふう、と息を吐くと、懐かしい空気が肺に戻ってきた。魔素の濃い、魔族たちの呼吸。実家の最寄り駅に降り立って、人間界と反対色の空を見上げる。
おおい、と、駐車場のほうから、親父が呼ぶ声がした。
「久し振り、ジークウェザー」
仮面をつけた痩身の紳士が、高級車から手を振っていた。
――ヴィリハルト・ハーゲンティ。俺の実の父親であり、ハーゲンティ家の現当主だ。
仮面の下は青い肌をした牛の獣人だが、本人が極度の照れ屋で赤面症のため、若い頃から人前では顔を隠しているらしい。俺が子供の頃からそうなので、疑問に思ったことはない。
「……久し振り」
親父に促されるまま、荷物を車の荷台に積み、助手席に乗り込む。
「いやあ。まさか半年近くも連絡がないとは思わなかった。家のことを忘れてしまったのかと」
「……わ、悪ったよ」
異様な見た目の割りに飄々とした態度で、親父が車のエンジンキーを回した。
「別に気にしていないよ。便りがないのは元気な証拠だ。元気だったかい?」
「ああ……まあ」
「怪我や病気はしていない?」
「……したけど。大したことなかった」
「ご飯はちゃんと食べてるね?」
「それを言うならそっちも――」
「どこに住んでるの?友達は出来た?人間に虐められてないかい?」
「いや、あの」
「お金は?ピアスはちゃんと手入れしてる?研究はサボってない?運動もしてる?」
「ちょっ……」
「あとお父さんのグレーのスーツどこか知らない?」
「うるせえ!いいから前見ろ!!」
こっちをガン見しながら運転するのはやめてくれ。
その後もうんざりするほど質問攻めに遭いながら、俺は帰路についた。
「ただい――」
邸の玄関扉を開けかけて、元に戻す。
おかしい。おかしいな。そうだ、見間違いだろう。
俺は疲れているんだ。
「ただいま」
――ふう。
もう一度扉を閉める。空気の重さが鬱陶しい。
これは……アレだな……。もう一回だけやり直してみよう。三度目の正直だ。いや、三度と言わずあと十回だな。そうこうしているうちにベストな乱数を生成するかもしれん。シュレディンガーのゴミ屋敷だ。開けるまでは俺はそれを知覚しない。つまり扉を開けなければ家が汚れることはない。よし。人間界に戻ろう。
「……」
意を決して玄関へ飛び込むと、眼前に悪夢が広がっていた。
書類で見えなくなった床。陽光に照らされ舞い散る埃。割れた窓硝子。枯れた花。申し訳程度に端に寄せられたゴミの塊。
エントランスでこれなら、リビングダイニングはさぞ悲惨な有様だろう。
「あのー、ちょっと、忙しくて、ね?ちょうど、家政婦さん雇おうかなって、お姉ちゃんと話してたんだよ」
殺気を背負った俺に、親父が手をすり合わせながら纏わりつく。
「親父」
自分でも信じられない低音が発せられた。今ならこの感情だけで真の姿に戻れそうだ。
「はい……ッ」
ありったけの怒気を込め、せめて殺さない程度に親父を睨みつけた。
「 家 族 会 議 だ ! !」
「はい。お姉ちゃん呼んで来ます!!!!」
だから帰ってきたくなかったんだ。今度こそ人間界に行くときに家政婦を雇おう。それか祖母を呼ぶ。俺が話をつけなければならない。でなければこの家は崩壊する。
姉がヒステリックな声を上げながら二階から降りてくる気配を感じながら、俺は気合いを入れるべく、シャツの袖を捲り上げた。
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「俺のフライパン……」
「ま、また作ってあげるから……」
幸いなことに、唯一、ダイニングのキッチンと俺の部屋だけは殆ど手がついていなかった。理由はこの焦げ付いたまま放置されたフライパンを見ればわかる。親父か姉貴が、ちょっと挑戦してみたはいいがまるでダメだったので諦めた、の図だ。これ、そうそう焦げ付かないんだぞ。一体何をしたらこうなるんだ。買うと高いんだぞ。届くのに何日もかかるんだぞ。料理のりの字も介さない親父が鋳造したところで、そこには職人たちの思いがないんだ。わかるか。
「ごめんって~」
「全く……」
親父の呑気な声が余計苛つく。すぐそばでは、姉貴が床に這い蹲って、床を磨いて、否、磨かせている。
「パパだって悪気あったわけじゃないでしょ」
手袋とエプロンを装着した姉貴――ブリムヒルダは、その美貌のせいで幾分かシュールだった。母親似の派手なヒューマータイプの外見に、牛の猛々しい角が生えたエキセントリックな美人だが、中身はクソだ。この俺をしてクソと言わせる限界女だ。年子なのでそもそも姉弟という意識はなく、互いに敵と認識している。
「口より手を動かせ」
「私に命令しないで」
「二人とも喧嘩しないよ。姉弟仲良くしなさい」
「親父も手を動かせ。耳を貸すな」
「ハイ…………」
これでも俺は歩み寄っているほうだが。ここでは奴らの生活を管理する俺が王である。家長だろうと有無を言わさず、二人に部屋の掃除を続けさせる。
「一旦ゴミ捨てて来るけど、サボるなよ」
サボったら飯抜きの圧力をかけて、俺はフライパンを放った袋を固く締めた。
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