祭りだワッショイ・5
大きな魔法の反応を感じ、シンディと私は二階の窓から、ジークたちが居るであろうエントランス下へと駆けだした。入口付近の空気は、さっきよりもずいぶん清浄になっていた。
というか、シンディのとは違う煙が立ち込めているんだけど。誰のですか。しかし煙は、ある一点の人影に収束していき、細くなったかと思うと、光の粒になって舞い散った。
「…………誰?」
そしてなぜかそこには、蒼白な顔で横たわっているディエゴくんと、腰を抜かしたマーニくんと、マーニくんが見上げている、黒衣の――
「おねえさん…………?」
美しい女性が立っていた。
やや遠くで、ネロ先輩も目を丸くして突っ立っている。――えっ、狼いる!?
情報量多いな、整理するよ。
とにかく、辺りを見渡したところ、エルヴィスくんの代わりに見知らぬ狼がいて、ジークの代わりに見知らぬ女性が増えているのだ。整理できてないよ?狼も口をあんぐり開けて呆けているじゃないの。
「ザラ」
女性にしては低いけど、艶のある声が、なじみ深い発音で私を呼んだ。
絹糸のように一本一本が風に靡く、深いワインレッドの髪。エルフよりもやや長く尖った耳。太陽を反射する海辺のように白く透き通った肌。針金で組み合わせたようなはっきりとした凹凸のある目鼻立ち、蝶が止まっているかのような長い睫毛、蠱惑的に熟れた真っ赤な唇。
自信満々な体躯は、惚れ惚れするほどの比率で、女性らしいたおやかでハリのある弧線を描いている。
そして、琥珀のように煌めく黄金の瞳。
誰だかわからないけど誰だかわかっちゃったっていうか、そんな人この世界に何人も居てほしくないというか。
もしかして、もしかしなくても。
「ジ…………ジーク……………………さん???」
「フハハハ!成功したぞ、褒めて遣わすぞバカ弟子!!」
「はい…………ありがとうございます…………」
あっ。あの笑い方はどう考えてもご本人ですね。えっ。嘘でしょ?
ここまで非日常の連続だったけどさすがにコレは許容範囲外だな。範囲外なんだけど不思議とあれがアレ(ジーク)なのが痛いくらいに理解できるんだよな。頭痛いな。心なしか心臓と胃も痛いな。ああ~~~待って待って。お母さ~~~ん。お母さん助けてえ。ジークが女の子になっちゃったよう。
「ななっ、な、なななにがどういうことなのよ!!説明しなさいよぉ!!」
ああ、大変。混乱したシンディが私の喉元にナイフを突きつけているわ。首がしっかり押さえつけられてる。ちゃっかりしてるな。気持ちはわかるわ。私も今許されるなら大声で泣き叫びたい。
「シンディ・ダイアモンド。貴様の魔法は、貴様を全く眼中に入れていない女にはまるで効かない。そうだろう?」
「そっ……そうよ。現にザラや……そこの女装の子にも効かないでしょ。それがどうしたのよ、わかりきってることでしょ。それにね、今のアタシならそんなの関係ないのよ。見たでしょ、このコを攫った時のエメラルド・カレッジ・タウン。いい?人間は潜在的には母親を求めるの。つまり誰しもが心の中に理想の女を描いてるの。だから――」
「俺は魔族だッ!!」
「そ、そ、そんなの、知らないわよぉ~~~!!」
泣いちゃった。シンディ、泣いちゃったよ。
つ、つまり。そのう。アレですか?ジークさんは……魔族の……それも今は女性で……なおかつ酷い話だけどシンディを全く異性として認識していないから、魅了を無効化できると。
いや理屈上はそうだけど。そうだけども!?
「これでお前の魅了は 効かんッ!!」
「はあ~~~~~!?」
そこにいたほぼ全員が、全く同じリアクションをした。
「思 い つ い て も や る な よ ッ ア ホ か あ ん た は ィ ! !」――と言ってやりたかった。
しかしここでジークと漫才を始めたらそれこそシンディがキャパシティオーバーで半狂乱状態になってしまうかもしれない。あくまでも慎重に、慎重に。刃物を突きつけられている事実は変わらないのだから。
いつの間にか服装までちゃっかりスカート姿になっているジー子さんが、悪人面でシンディとシンディに捕縛されている私ににじり寄ってくる。
「ううう、どうしてアタシより美人なのよぉ……!!アタシより胸も大きい……!!」
シンディは泣きながら混乱しながら私にナイフを近づけるという並列処理を行っている。可哀想。ていうかスプライト族、思ったよりも力、強いなあ。
「わ……“私は華、私は月、汝は虫、汝は信徒、汝らの理性を捧げ祈れ、瞳孔を開け、天に背け、私を求め死肉すら犯せ”ぇ……!!」
泣きながら、再びシンディは魔法を発動する。毒気ある発色をした霧がジークを包み込む。
だが、ジークの言った通り。ジークは霧をものともせず、これまたいつの間にかあつらえているパンプスを鳴らして、巨人のようにずんずん突き進む。
「なっ……なんで、お願い、効いてよ! “私は華、私は月……”ッ!!」
「無駄だ」
シンディがいくらオーブを掲げても、ジークは全く意に介さない。
「これが、アタシの、証明なのに……アンタを……!!だって、そうしないと……」
ジークの大きな手が、シンディの首筋を捉えようと、霧を突破してくる。
もはやなるようになぁ~れと言わんばかりに脱力している私だが、ジークの背後から、先ほどの狼が向かってくるのに気づく。
「……ん?」
「――エルヴィスぅ!!」
シンディが縋るように叫ぶ。やがてその風貌がはっきりとわかるほどの距離まで、狼は迫っていた。激しい戦闘の跡か、全身に黒い火傷を負った単眼の狼は、あッという間にジー子の背中に頭突きを食らわせると、ジー子がよろめいた隙間を縫うように身を翻して、シンディの身体を持ち上げた。
その拍子に、シンディのナイフが私の首筋を掠めていった。
「ひえええええ!!?」
「待てテメエ!!」
――逃げる気だ!
私も弾かれたように、つんのめりながら走り出す。そして、すぐにジー子たちに追い越された。
「ここで逃がす訳にはいかん!!」
「どどど、どうしよう!?」
「全員ジリ貧だよぉ!」
邸の裏手へ逃げていく狼とシンディを全員で追跡する。
ここで彼女らに行方をくらまされるのはとっても悪手だ。私としても一発くらいはお見舞いしてやらねば気が済まないし。何よりみんなもそのつもりらしい。
「魔法使える人!」
「はぁい!」
「は~い」
元気に手を挙げたのは私と――さっきまで仰向けにされていた筈のディエゴくんだ。
「あっ、ていうか私無理だった!これ!」
あまりにもおかしなことが連続して忘れかけていたが、私の腕には封魔の腕輪が嵌められている。それこそシンディ本人をとっ捕まえないと解除できないコレのせいで、私はいつもの簡単な魔法すら発動することが出来ない。お荷物ここに極まれり!!
「ジー子さんもダメ!?」
「ジ……!?いや、うん、これに全魔力使った。あとは素手で倒せるだろうと思ってな。あと存外、ヒールが走りにくい」
ジークの弱点、“計算がガバガバ”!!
どうしよう、一人と一頭の姿がどんどん遠くなっていく。
このまま森に入られたら、捜すのは困難だ。
「ザラさん!」
「はい、なんでしょうディエゴくん!!」
「その首筋の血ぃ、ちょお貸してください!」
「どうぞいくらでもーっ!!」
もう慣れてきたよ、そういう要求にも。私はシンディのナイフが掠った首筋の傷から血を拭い……拭い?どうすんのこれ。
「えい」
「ひょわあああああい!!!!????」
逡巡している内に、突如ディエゴくんの褐色の腕が伸びて、ものすごい冷たい“何か”が首筋に宛てがわれた。見ると、ディエゴくんの銃の“魔弾”に、私のものと思しき血がべったりくっついていた。
「先に言え!!!!」
「言いましたやんかぁ~」
ディエゴくんが情けない苦笑いから一転、真剣な顔で銃に弾を装填し、走りながら銃口を狼の背中に向けて構える。
一呼吸置き、何やらブツブツと自分に言い聞かせていた。
「ここで失敗でけへんで……。大丈夫や、おれは賭けで負けたことあれへん」
そんなディエゴくんの震える腕を、マーニくんが無言で支える。
二人は頷き合うと、同じ標的をまっすぐに見据えた。
「“借り受けたるは無限のワイン。 血よ、血よ!遠きにて鵯がお前の勝鬨を待っている。狂える馬が如く、獄の崖さえ転げ落ち、王の御旗にその首を埋めよ”!」
詠唱と共に、発砲。
『ぐあ……っ!』
見事、私の血液を帯びた魔弾は、狼の足に命中した。狼は支えを失い、背に乗せたシンディごと崩れ落ちる。と同時に、倒れた狼の身体から魔法陣が浮かび上がると、狼のシルエットがガラスのように飛び散った。そこに残されたのは、火傷だらけのエルヴィスくんで――私はなんとなく、彼の正体を察した。
「よくやった、ディエゴ」
「へっへ……」
ようやく動きを止めた二人にバタバタと駆け寄る。
倒れ込むシンディと、それを庇うエルヴィスを全員で囲む。
「ザラ、手」
「はい?――あああ!!」
どさくさに紛れて、ジークがさっき私が拭った血から魔力を補給した。
そして普段は絶対に見せない“真の姿”で――シンディに詰め寄る。身体が女性に変化しても尚、その姿は、痛々しく禍々しい。
よほど憤っているのだろう。以前見た苦しむような素振りもなく、ただ彼(女)は冷酷に、全ての感覚が怒りに塗りつぶされているかのように、害虫を駆逐する残酷な視線を少女に浴びせていた。
「人間の小娘……望み通り、お前に破滅を贈ってやろう」
ジークのものとは思えない、無感情な声が空気を圧迫する。
ネロ先輩たちも、その光景を固唾を呑んで見守っていた。手を出したら、どうなるかわからないから。私たちはいま、紛れもなく、悪魔と人間による命の駆け引きを目撃せんとしているのだから。
「……わかったわ。いいわ。そうよ。殺しなさいよ。でも、でも……お願いだから。エルヴィスのことは許して。カレはアタシに協力してくれただけなの。アタシが……そう、アタシが無理やり、命令したの。だから、アタシを殺して、カレを生かしてください」
「――気に入らん」
「ならどうすればいいの!」
「お前に選ぶ権利はもう無い」
私も、いざという時の為に気を抜かない。どうなろうと、シンディを守る為に。
だってこのままだと――ジークはシンディを殺すだろう。ジークが容赦のない性格なのは知っているし、彼の殺意を肌に感じるのだ。
だから止める、何としても。
大気がジークの怒りに共感してしまったのか、びりびりと震えている。一瞬で脂汗が噴き出す。
やばい。まずい。空間そのものが圧縮されそうなほどの地鳴りが内耳を脅かし、立っている筈の地面をもあやふやにさせる。私だけでなく、マーニくんもバランスを失ってずっこける。
「わぶっ」
「マ、マーニ、危ないて。掴まっときいや……!」
親友に手を差し伸べようとするディエゴくんもまた、へっぴり腰のまま立ち上がれずにいる。
「――」
ジークの瞳が鈍く見開いた。ああ、頃合いだ。
「ジーク、ストップ!そこまで!」
「……」
牛の姿をした悪魔の腕を引いて、気を逸らせた。シンディに向けたものと同じ視線が私にも降り注ぐ。
ぶっちゃけ死ぬほど怖い。でも死んでないわ。
「い、いくらなんでも殺すことないでしょ?ね?」
「生かしておけば必ず同じ事を繰り返す」
「そこを何とか」
「……」
「……何とか」
全員が緊張した面持ちで、私とジークの睨みあいの勝敗を待っている。私はかなりの体重をかけてジークを抑えつけているつもりなんだけど、どう考えてもほぼ同情で止まってくれているだけだな。私ですらそうわかるほどの手加減を感じた。
「アンタ、出しゃばんじゃないわよ!アタシにこれ以上惨めな思いをさせる気!?」
ぼろぼろの身体で恋人を守ろうとするエルヴィスの後ろから、シンディが声を荒げた。うーん流石女怪、しぶとい。
しかし私の本音はそんなところにはない。むしろ煩わしい。
「シンディのことはこの際どうでもいい」
「はあ~~~!?」
本日何度目かの素っ頓狂なブーイング。
私はジークが私にいつもそうするように、真っ直ぐに伝えることにする。言葉を濁さず、ただ自分の正直な思いだけを、熱だけを、放出する。
シンディは多分――止めてほしかっただけだと思うから。
何でかわからないけど大きな力を手にしてしまって、だけど立ち止まる理由もなくて――何なら人質でも取られていたのかわからないけど。
自分じゃどうにも出来なくなって、それで、自分が負けたことのある相手――ジークを選んだんじゃないかな。悪魔に魂を売ったのなら、ジークに命乞いするはずだから。なによりも――
「ジークにそんなことしてほしくないの」。
私の心と瞳と言葉、全てが同期する。純然たる魂の訴えだ。ジークはいつも、こんな風に、私に想いを伝えて……つた……つつつ……顔が赤くならないうちに二の句を継ぐ。
「やるなら私の知らないところでやって。絶対にバレないように。それならいいよ」
牛頭は不服そうにヒトの姿に変身すると、
「……ザラに感謝しろよ、人間」
と吐き捨てて、一歩後退した。
全員が安堵に胸を撫で下ろした。
もはや戦意も何もないシンディとその恋人を拘束し、私たちは廃墟をあとにした。
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