祭りだワッショイ・4
「うひぃ!!?」
入口のほうから、轟音がここまで響いてきた。ベッドのスプリングまでビリビリと振動が伝わってくる。
「なな、なんだぁ」
さっきまで据わっていた肝が早速軽やかに口から飛び出ていきそうになる。胸に手を当てながら、窓の外を覗くと、階下の部屋から黒煙が上がっているのがわかった。
「か、火事っ!?シンディー!!」
人質の自覚も無くシンディを呼んでしまった。
間もなくバタバタと慌ただしい足音がドアの前まで迫り、勢いよくシンディとエルヴィスが部屋に飛び込んできた。
「……来たかぁ」
私はシンディの呟きを聞き逃さなかった。さすがに私もこの数日が堪えたのか、それだけで強張っていた爪先が雪解けしていくような気持になる。おっと、まだまだ気を抜いちゃだめだ、お母さんに会って無事だよって言うまでが誘拐よ。
「レディ、打って出よう」
「そーね。ザラも持ってきて」
えっ。色々確認するタイミングすら無いまま、私はここへ運ばれてきたときと同じように、エルヴィスの肩に担ぎ上げられる。
「わ、ちょ、モノみたいに扱わないでってばー!!目線高い!!怖い!!」
何せ二メートルはあろう大男の肩だ、子供の頃ですらお父さんにこんな風に抱っこされたことあったかしら?
抵抗しても無駄だとわかりつつも、パニックで暴れる私の腕を、エルヴィスががっちりと掴んで捻りあげる。
「あいたたたた!!女子!こっち女子!!!!!」
「ちゃんとそれも着けてねェ♡」
シンディがそれ、と呼んだ腕輪――恐らく魔法封印効果を付与したアクセサリーだ――を無理やり手首にはめられて、私は再びダッシュで運ばれた。
「よ、酔いそう……」
私とエルヴィスのあいだに信頼関係がないせいか、微妙に体重を預けきれず、彼が走るたびに私の細い首と胃の中のものがシェイクされる。いやだ!年頃の女の子としてここで吐きたくはない!
「うぷ……」
「ちょっと、せっかくアタシがご飯もその服も用意してあげたんだから、無駄にしないでよ!」
そういえば、ここに軟禁されている数日間、私は結構厚遇されていました。三食&お風呂とベッドつき。着替えもシンディが持ってきてくれて。基本的にいつも誰も居ないし、服の趣味はアレだけど。状況の割に私が呑気なのもそのせいかもしれない。
「調子狂う子ねぇ……」
「シンディ、ジークたちに、勝てると、思ブッ」
「いま舌噛んだでしょアンタ……!」
子供に振り回されるぬいぐるみのような気分で、ガクガクと揺らされ続けながらもシンディの真意を今一度確かめようとする。
「……わかんないわよ」
ここからでは、走るシンディの頭しか見えないけど。シンディが吐き捨てた言葉に、私はこれが、白と黒の単純なゲームじゃないことを確信した。
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私たちは、私が閉じ込められていた部屋からまっすぐに廊下を突っ切って、広いエントランスホールに出る。そして、待ち望んだ人影と対面する。
「ザラ!」
黒煙と焼けた扉を背にして、ジークとネロ先輩、その後ろに続いてマーニくんとディエゴくんが、今まさに邸内に侵入を果たしたところだった。
ああ。ほら。
当たり前みたいに来てくれるんだから。
私は一度だって、この光景を想像することを諦めなかった。それはきっと、彼も同じなんだ。
「ジークー~!たぁ~~~すけてぇ~~~!!」
せめてもの抵抗にと、溜まりに溜まったフラストレーションを解放するように手足をじたばたさせて声を張り上げてみる。久しぶりに会えてまずはハグしたいところだけど、そうもいかないもの。
「ねえ、センパイのガールフレンド、敵に捕まったザコキャラみたいな感じ出してるけど」
「アイツ自分の立場わかってんのか?」
「呑気やなあ」
「……」
「ちょっと!聞こえてるから!はーやーく~~~!!」
ジークは苦い顔で溜息をつくと、シンディを射抜くように仰いだ。
「そいつは返して貰う!」
よく通る低い声に、明確に怒りと覚悟が感じられた。
「タダで返すわけないでしょぉ?」
「貴様と取引するつもりは無い。宣告する。貴様から全て奪い尽くす」
「……ッ」
階段を挟んだぶんの距離があるにも関わらず、ジークが纏う怒気が背筋を引っ掻くように焼く。まるですぐ傍まで炎が迫っているような、直感的な恐怖が、シンディから私にまで感染する。
「ちょ……ちょっと、なんの為にこのコがいると思――」
「ザラ!!」
シンディの虚勢を通り抜けて、びり、とひと際大きく名前を呼ばれる。
「なーにー!!」
「待ってろ!!」
あの笑顔だ。自信に満ち溢れた無敵の笑顔。
「はーーーい!!」
私は鏡になって、同じように口角をめいっぱい上げた。こうすると、なんでも大丈夫な気がしてくるから。
開戦の合図は無音だ。シンディは静かに懐からオーブを取り出した。ジークたちはそれぞれ、待ち構えていたように臨戦態勢に入る。
「――“私は華、私は月、汝は虫、汝は信徒、汝らの理性を捧げ祈れ、瞳孔を開け、天に背け、私を求め死肉すら犯せ”!」
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ザラがいつか聞いたものと一言一句違わない詠唱とともに、桃色の霧が風下に向かって放出される。
「みんな!」
「くそっ、なんだよこれ……聞いてたのより強烈じゃんか……!!」
「ゲホッ、ゲホッ、マーニどこや~!?」
雲のように膨らんだ霧はそのまま風に連れられて邸のなかへ拡散されていくが、ジークたちの眼前は依然として晴れない。
ジークの背後で、既にディエゴが膝をついていた。
「ディエゴ!」
「あっかん……立って……られへ……」
「しっかりしろ!」
「イヤやなぁ……こんな時に、足手まといなんて……カッコつかへん……」
マーニがすぐに相棒の肩を担ぎ上げ、事前にジークが渡しておいた解呪用のポーションを飲ませるが、やはり効き目は薄いようだ。むしろアレに曝され続けて、よく持ったほうか。
(明らかに常軌を逸している。人間以外の力が無ければ、こんな“暴走”は引き起こせない)
ジークは今回の騒動の黒幕に一つの見当をつけた。だが今は、それどころではない。ジーク自身も、心臓が超速で血液を運ぶ感覚を覚えた。やはりこのままではあの女に近づけないか。
「じゃ、ヨロシク。エルヴィスー」
薄くなった霧の向こうから、魔法が展開される気配がした。
『ウオォ―――ン!!』
「は……?」
場違いな獣の咆哮。
――どかっ、どかっ。
重く素早いモノが跳ね回り、まさしく叩きつけるように地面を蹴る、独特な四足の足音が、荒い息を伴ってこちらへ駆けてくる。
呆気に取られている後輩たちを庇うように、ネロが立ち塞がる。
獣と目を合わせたときのような不気味な恐怖が網膜の奥からじわりと染み出てくる。
この廃墟に獣や魔物が居ないことは、ネロとジークが確認済みだ。召喚、使役、転移――いずれかの方法で瞬時に呼び出さなければ、そんなものがいる筈がない状況だった。
「――男のほうか!」
合点が行った、と同時に、淫靡の煙を切り裂いて、ジークの腕に砲撃のような勢いで何かが食らいついた。
千切られまいと、押すように腕を払いながら垣間見たその姿は、単眼の狼だった。
「……人狼!」
狼――エルヴィスは企むように牙の奥で笑うと、再び霧に乗じて身を隠す。
人狼とは、端的に言えば人間と獣に変身出来る極めて特異な人種だ。
つまりこの場合、ジーク達は、人間の知能と狼の身体能力を持った生命体を相手取ることになる。
「ネロ!外に誘き出すぞ!」
「ああ!?中も外も変わんねえだろ!」
「ここでお前に魔法を使われたら洒落にならん!」
「チッ……」
ネロの魔法は、炎という特性上、室内での連発は様々な危険性を孕んでいる。邸の外へ出ても追ってくるかは不明だが、彼の得意なフィールドに引きずり出す為にも、次に襲い掛かって来た時にはどうにか指針を転換させなければ。
ジークは神経を研ぎ澄ませて、エルヴィスが居る方向を探知する。
走る時と僅かに違う爪と肉球の摩擦音。一瞬だけ浮かぶ二足、近づく体臭、温度、埃の舞い方、光の屈折、霧の対流、全てを丁寧に分析し――
「ここだッ!!」
『ガウ゛ッ――!?』
まさに今、マーニに飛び掛かろうとするエルヴィスの口に無理やり手をねじ込み、上顎と下顎をホールドさせる。手のひらの肉に食い込んだ鋭利な犬歯が杭になり、エルヴィスは逆に行動を封じられる。爪を剥き出してジークの腕や顔を引き裂くが、ジークはお構いなしだ。
「魔族舐めんなよ……!」
そのまま、先ほどネロが爆破した扉の外へエルヴィスの体を放り投げる。
上手く体を捻り着地しようとするエルヴィスにネロが追いつき、鼻っ柱にストレートを叩き込む。
狼の甲高い悶絶の声を上げて、エルヴィスは地面に叩きつけられた。
『あんた、速い、な』
忌々しいのか愉しんでいるのか、一ツ目に加えて狼の表情では判別しにくいそれは、確かにネロの姿をその瞳孔に刻み付けていた。
「まあな」
ネロが制服についた灰を叩き落とす。
「人狼か。奇遇だな。俺に憑いてるクソ野郎も、テメエと同じバケモノだぜ」
『オレは、化け物じゃない……!!』
「いいじゃねえか。俺は結構気に入ってる……ぜっ!!」
逆鱗に触れられたエルヴィスが冷静さを欠き、総毛を立てて駆けだそうとするよりも速く、ネロが攻撃に転じる。
「ブッ飛べ!!」
――爆発。
自身に埋め込まれた【イフリートの心臓】を起動したネロは、炎そのものに成る。
炎を利用しエルヴィスの足元を鮮やかなほどに爆発させ、爆風によってシンディの魅了の霧を晴らす。更に噴流で全身を射出するようにしてエルヴィスの懐に入り、鳩尾を抉る。
ディエゴを引きずりながらようやく邸から脱出したマーニの「げ……マジで殺す気かよ……!」という驚愕は、ネロとエルヴィス両者に向けられていた。
「そのまま時間を稼いでくれ!」
「貸しにしとくぞ!」
赤く燃え盛る魔人と化したネロの背中越しで、ジークたちが魔術の準備を始めていた。
「そういうワケだ犬畜生、お前もどうせ本気じゃねえだろ。軽くボクシングと洒落込もうぜ」
『……わかった。でも、腕一本くらいは、貰う』
「熱いぜ?」
『狼に食いちぎられるほうが、痛いに決まってンだろ』
人間でもあるエルヴィスは炎を恐れず、果敢に、執拗に、ネロの四肢を狙う。時に追い込み、時に誘い出し、時に煉瓦の壁すら大地の代わりにしてみせた。
ネロも戦車のように、エルヴィスを追跡し捕捉しては、その美しい体毛を遠慮なく焼いていた。
イフリートの心臓は、有限だ。対して人狼も、炎を浴び続ければ当然、消耗する。二人は恐らく、互いが屈するまで凌ぎ合い、そして同時に倒れるであろうことは、火を見るより明らかだった。
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一方のジークは、“秘策”に取り掛かろうとしていた。
およそ十年間、構想していた儀式をもとに、マーニと共同で術式を展開させる。
しかし肝心のマーニは、未だに踏ん切りがつかないのか、どうにかジークを諦めさせようとあの手この手で言い訳をしてみせる。
「本当にやるっての!?」
「ああ」
「まだ不完全だし、きっとすぐに元に戻っちゃうよ」
「その方がいい」
「どっ、どうなるかわかんないよ!!単純に組み替えるだけならいい、でもそんなことしたら……もう、次は無いよ」
「構わん」
「……ッ、ボクじゃ無理だ……!」
「大会でのお前の成績は聞いてる」
それを言われて、マーニはぐっと次の言葉を飲み込んだ。
マーニにとっても、これが初の試みだ。二人でやるって言ったって、成功する見込みも無いじゃないか。
だが、憧れ続けるセンパイは、金の瞳を輝かせて、ボクを信頼してくれている。
「やるなら今だ」
「……センパイの望みが叶わなくなっちゃうんだよ!?」
「俺の今の一番の望みは、あいつの無事だ」
男――ひいては生物すべてすら屈服させるシンディ・ダイアモンドに打ち勝つには、彼女の魔法の判定から外れなくてはならない。
彼女は愚かな男を、排他的な雄を、子孫を残せない女を憎悪の対象として“魅了”する。ならば、それ以外の何かになればいい。
ウルスラグナ――生体の錬成、その頂点にあるという錬金魔法を頼るのにこれ以上の理由が必要だろうか。愛する人が囚われているのだから、それ以上は無い。ジークはすでに結論付けていた。
例え己でなくなっても、ザラが救えるのなら、何だっていいのだ。
「……知らないからね!」
半泣きで魔法陣を広げるマーニの頭をくしゃりと撫でて、それから傍らで気絶しているディエゴの頭もついでに小突いて、ジークは変異魔法を受け入れた。
子供の頃から魔物と謗られ、母をも殺したこの姿を変えられるのならと、何度願っただろう。
偽りの身体を手にしても、真実はいつも残酷に、ジークの手にしたものを嘲笑っていた。前に進む為にと、そう決意した。
その筈が、まさか、こんな、人間の小娘一人に――そこまで考えて、ジークは意識を手放した。後悔しようがなんだろうが、細かい事を気にしたって始まらない。
嵐を抜けたら、新しい天気がやってくるだけなのだから。
――「“乖離に溺れる仮面の主よ 我は千の瞳を欲する羊なり 我は千の心臓を望む蛇なり 我は千の骨を求むる蝶なり 掲げしは石、杯、杖 痛みは祝福、渇きは光、崩壊は夜明け 時を忘れ、心を捨て、金を貪らん――宝に等しき奇跡を今ここに”。」
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