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無限の少女と魔界の錬金術師  作者: 安藤源龍
1.魔族にズッキュン
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祭りだワッショイ・1

 




「う……ん……」

「アラ、お目覚め?ちょうどいいわ。もう着くところよぉん」

 ――サイアクなアラーム音ね。

 まだこめかみがピリッとするわ。

 そうか、私はあの時――今目の前にいるシンディに盛大な麻痺魔法(スタン)でバチバチと気絶させられて。誘拐されてきたんだったわ。

「……ん?目の前?」

 目の前にしては……視線の高さが……おかしいような。

 そういえば私、どうやってここまで来たんだろう。シンディの体格じゃ気絶したままの私を運べないだろうし……。と、辺りを見渡してようやく、自分が置かれている状況を認識した。

「ギャワーーーッ!!??高い高い高い!!??なにこれ!!?どちら様!!?」

「騒ぐな。落とすぞ」

 声のするほうを見上げると、見覚えのある仏頂面があった。彼は確か――シンディのボーイフレンドの。あの異様に背の高い眼帯の。シンディにべったりの。

「エルヴィスよ。前に紹介したでしょ」

 シンディが隣まで歩いてくると、エルヴィスが軽くこちらを一瞥した。要するに私はあれからずっと、彼の背中に担がれていたらしい。それもかなり乱暴に。仮にも町内の美少女を小麦粉の袋みたいに担がないでほしいんだけど。

「だって、エルヴィスが他の女を抱っこしてる姿なんて見たくないもの」

「じゃあ他の人に頼めばよかったのでは……」

「アタシね、あの魔法、そういう使い方するのやめたの」

「はあ……」

 今更抵抗しようにも、私と地面の距離はざっと成人ヒューマー男性一人分以上。暴れても無駄どころか、無事に逃げ出すことも叶わないだろう。

「ていうかここどこ……」

「言うワケないでしょ」

「町じゃないのは確かね……」

 辺りには人気が無い。天気も時間もあやふやな薄暗さで、ときどき野鳥の鳴き声だけが空気を劈いていく。そもそも正面の砂利道以外は、シンディの魔法で靄に閉ざされている。

 やがて桃の霧海を抜けて辿り着いたのは、枯れ果てた廃墟だった。

「シュミ悪……」

 今すぐにでもアンデッドが飛び出しそうな迫力満点のお化け屋敷。

 本来は白い漆喰であったはずの壁には血のような染みがあちこちに滲んでいて、煉瓦の隙間からはヒトの指か海底生物のようにグロテスクな色合いの蔦が、這い出るようにして巻き付いている。

 錆びた柵からはひっきりなしに蝙蝠が飛んでいくし、その下は、彼らの餌にされた虫だったものと、排泄物で異臭を放っている。腐った土の隙間には、時々なにかの石碑や箱が覗いている。それの全貌については、まったく考察したくないわね。

 私は不快感を覚えながら、相変わらずエルヴィスに担がれて、邸内へ進む。扉は閉めた記憶がないのに、ごおんと大きな音をたてて私たちを閉じ込めた。

 蜘蛛の巣と埃と動物の死体だらけの廊下をしばらく歩いて、ある寝室に案内された。

 そこだけは妙に綺麗に掃除されていて、寝心地の良さそうな天蓋付きベッド、暖炉に、ぴかぴかに磨かれたテーブルとビロードの張ったソファまで、一式取り揃えられていた。

「人質は、丁寧に扱わないとね」

 そう言ってシンディは私をベッドに座るよう促した。エルヴィスは存外優しい仕草で私を肩から降ろすと、無言で部屋の隅に引っ込んでしまった。窓の外の冷たい風が室内を掠めるたび、シルクのベッドカバーの端が、蝶々のようにふんわりと舞った。

 シンディはというと、そんな私の前までえっちらおっちらと椅子を運んできて、ちょこんと座ってみせた。当然向き合う形になり、私はとっさに力んでしまう。何が出来るわけでもないのに……。

 けれどシンディは私を脅すでもなく、ましてや攻撃するような素振りも見せず、どこからともなくエルヴィスに運ばせてきたティーカップの縁を指で艶めかしくなぞりながら――まるで秘密の花園での切ない相談事のように、私に目線を流した。

「ねえ……幸せすぎると、怖くなっちゃうでしょ」

「なに、急に……」

「アタシ、最近とっても順調なの。サイコーに幸せ」

 確かに最近のシンディの評判は、鳴りを潜めたというか。

 エルヴィスというボーイフレンドを得て、順風満帆。以前町中で襲ってきたときより比べ物にならないくらい、生き生きとしていた。

 私は何となく遠くから見たり聞いたりするだけだったけど、少なくとも、シンディが今、こんな事をするとは信じられないくらいには、安定していた。

「なら、いいじゃない」

 それの何がいけなかったのか。何が気に食わなくて、私を攫って、町の人や友達まで巻き込んだのか。

「でもね、それって、アタシの人生にはなかったことなの。だから、何も分からないの」

「……」

「自分にその資格があるのか……いつか壊れちゃうんじゃないのか……今までのアタシは何だったのか」

 私はただシンディの呟きに耳を澄ませていた。

 何か。何か彼女の口から、聞き漏らしてはいけない隠されたメッセージが、零れおちてしまわないか。

 シンディは表情を変えず、伏し目がちに、枯れた薔薇の花弁でも弄んでいるかのように、艶っぽくボヤいてみせる。

「アタシね、試さずにいられないの。アタシは、アタシでいられるの?すごく、怖いの。つい最近まで見えていた景色が、違うものに見えるの。変わることは、恐ろしいわ」

 ――幸せが怖くなったから壊してみたくなった。

 壊れるのが怖いなら、最初から完成させなければいい。壊れてしまえば、怖くないもの、と。

 宝石を手に入れた少女がその輝きを失うことを恐れるように、余命を宣告された病人のように。

 今日と同じ明日が来ないかもしれないなら――“今日から同じでなくしてしまえばいい”。宝石を砕けばもう怖くない。首を吊ればもう怖くない。

 シンディが言っているのは、そういう、羽ばたいた時の希望よりも、着地する地面への恐怖に囚われた極論だった。

「だからって人を傷つけてもいいの!?私はそんなの許さないわ!」

 思わず語気が荒くなる。

「そうなのよ」

「わかってるなら、どうして」

「悪いことを、たくさんしなきゃ。みんなから嫌われるのがアタシだもの」

「そんなこと……!エルヴィスは、運命の相手なんでしょう!?そう言ってたじゃない!」

「そうよ。運命なら――宿命に勝てるはずだもの」

 シンディの瞳に炎が宿る。

 以前、廊下で私にエルヴィスを自慢して高笑いしていたときとは、決定的に違う。

 豪奢なベッドとミニチェアの間に、絶望的な溝がある。シンディの目から見ても、私はこの天蓋の下で呑気にしているように見えるんだろうか。

 彼女を縛り付ける深い宿命という闇の正体は、私の知るところではない。それを知っていたら、私は彼女を止められた。

 運命ね。どこかで聞いたワードだわ。

 ――ジーク、焦って出てこないでほしいな。拗れそうだし。

 私はこういう目の輝きに、どれだけの意志が宿っているか、身をもって知っている。

 これ以上、言葉を交わす必要はない。

 どっちみち彼女には、手痛く報復してやらないと気が済まない。手を握って優しく諭すなんて、してやらない。頬に一発いれて、そのあとだったらいくらでも抱きしめてあげる。

 私は、深呼吸して、渾身の剣幕で凄んでみせた。

「――悪いけど、あんたの思惑は全部ブッ壊すから」

「フン。言ってなさい。海の中で泳いでるだけのお姫様」

 私の視線を躱すように、シンディはスカートを翻して、部屋を出て行った。






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