魔族の青い春・4
グレン・エルダーフラワーは校舎への道のりを走り続けた。
ロザリアを救護に来た騎士団に預け、ただがむしゃらに、仲間の元を目指す。少し名残惜しいが、彼女も後押ししてくれた。
上がる息も、ヒールでつんのめる膝も気にならない。
――大切な人を守るために魔導士になったんじゃなかったのか。
そう自分を強く責めて、泣くことすら忘れた。既に情報は伝わっているかもしれないが、それでも、彼に一言、謝罪をしたかった。
「ジークくん!!」
「グレン……!?どうした!」
旧校舎のジークの部屋の扉を強く開けると、グレンは感極まったように、その場に崩れ落ちた。
「ごめん、私が……私に、力が無くて……ッ」
咄嗟にキョウがその肩を支える。
「落ち着いて、何があったの」
いつもの優しい瞳を見て、余計に自分が情けない気持ちになった。
「ザラが……、シンディに攫われた」
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「ほんとに、ごめん……目の前で、何も出来なかった……。友達で、君の、大切なひとなのに……っ」
体中の水分を絞り尽くしながら事情を説明し、顔を真っ赤にしたグレンに、キョウがコーヒーを勧めた。
「君は自分の恋人を守ったじゃないか」
「そうだ。ザラもそれを望んだんだろう。なら、お前が負い目を感じることは何もない」
向かいの席に座ったジークが落ち着いた様子で足を組み直す。
「……っう~……」
「泣かないでって~」
仲間たちの毅然とした態度に更に自己嫌悪を強めたのか、流せど流せど涙が止まらないグレンをキョウが背中を叩いて根気強く慰めていた。ジークらはひとまずグレンをキョウに任せ、テーブルを囲んで頭を突き合わせる。
「人質に取ってるなら、きっと無事だよね?」
「さあな」
「ちょっと……」
「アイツがどうしていきなりそんな強硬手段に出たのか……その動機によっては、楽観視ばかりも出来ねえってことだ」
「……動機か」
皆の視線がジークに集まる。学園きっての“女怪”――シンディ・ダイアモンドに因縁をつけられている当の本人は、先日彼女と対峙したばかりだ。
「前はジークセンパイ目当てだったんでしょ。今回も誘き出そうとしてるんじゃないの」
だから向こうの要求にそのまま応えるのは無謀だ、とマーニが促す。報復が望みなら、ザラもろとも一方的に痛めつけられる可能性もある。
しかしジークは言い切ってみせる。
「罠だとしても行かねばならん」
「……」
異を唱える者は居なかった。ジークはどの道シンディに真っ向から挑みに行くのだと、誰もが確信していた。
「居場所はどこか、わかってはるんですか?」
「それは、」
「――僕がお教えしましょうか」
音もなく、色もなく、温度もなく、男の影が円卓に割って入った。
気の小さいディエゴなんかは、ぎょっとして椅子から転げ落ちた。全員が突如現れた人物に顔を上げる。
「誰やこの人!?どこから入って来はったん……!?ノックしてえや……!!」
腰を抜かしたまま心臓を押さえるディエゴに満面の笑みを返したのは、華奢で色白な、ヒューマーの優男だった。
銀の短い髪と、白いジャケット。不気味なほどに衛生的な存在にも拘わらず、どこかありふれたシルエット。
影。背景。その他大勢。モブ。エキストラ。このヘルメス魔法学校、ひいてはこの世界において、有り得ないほどの埋没感があった。
誰もが一度は目にしたことのある、無意識的な人物像。そういったものをまるまる平均化して叩き潰した空間を一手に持つようなその姿を確認したネロとキョウが、忌々しそうに舌打ちをした。
「ヘンリー……」
「……ゲバラ」
地味な生徒の名は、ヘンリー=ゲバラ。
封印科二年生にして、“学園最強の魔導士”である。
「アイツとグルか?」
ネロの威圧にも動じず、ヘンリーは眉一つ動かさずに居た。
「いいえ。目的は違うので、共同戦線ってところでしょうか」
「でもキミが知ってるんだ?」
「はい。でもタダじゃ教えません」
ヘンリーはキョウに人差し指を突き付けた。
「キョウさん。今度の技術大会……剣闘部門で、僕と決着をつけてくれたら、シンディさんの居場所をお教えします」
――二人はヘンリーが入学してからの好敵手であった。
方や物理最強、方や魔法最強と目される男たち。となれば、どちらが強いのか?……賭けの結果を知りたがるのは、何もギャラリーだけではない。互いに積み重ねたモノがあり、背負うモノがある以上、分岐路でぶつかり合うのは自然の摂理だった。
「くだらないね」
キョウが一蹴する。宿敵と定めたからこそ、戦い以外の目的は余分だ。だがヘンリーという男はそうではない。
戦えればそれでいいのだ。着地点など端から念頭にない、ただ衝突の快感を味わうアドレナリンジャンキー。
「いいんですか?シンディさんすっかり気合い入っちゃってて。彼女の魔法にかかると、魅了どころか、ホルモンの分泌異常で、心筋梗塞とかを起こして死んじゃうらしいです。そんなの街中で使われたら、大変なんですけど……困ったことに今の彼女、誰のどんな行動が怒りの琴線に触れるかわかったもんじゃない。下手に嗅ぎまわるのは、あまりお勧めしません」
「脅しのつもり?」
「僕は事実を述べたまでです。でも正攻法が最効率なら、それでいいじゃないですか」
「……」
煽るような物言いに乗せられて、キョウは咄嗟に腰の野太刀に手を掛ける。だが、その柄をヘンリーが指先で押し戻した。
「あなたが今、その自慢のカタナを振るったところで変わらない。僕が死んでも、結局は同じことですよ。何しろ共同戦線ですから」
ヘンリーが例え拷問にかけたところでシンディの居所を吐かないだろうことは、ネロもキョウも熟知していた。そういう奴だ、と。
溜息をひとつ、全身から空気と緊張を抜くように、キョウが深く呼吸をした。同じように、選択肢もひとつ。
「……そう。なら、当日、お前を殺さないようにしなきゃな」
つい先ほどまでグレンを慰めていた時とは打って変わって、普段温厚な彼からは想像もつかない低い声が、ジーク達をも怯ませた。
「良かった。シンディさんにも伝えておきますよ、ザラさんを殺さないでくださいねって。キョウさんが本気にならなかったら、意味ないですから」
ほんの口約束だが、二人のあいだには魔法による誓約も必要なかった。
彼にとってはキョウの絶対の敵意を削いでしまうことが、信頼を裏切ることに繋がる。逆に言えば、敵対している内は、嘘を吐かないのだ。
ヘンリーは用件を済ませて満足したのか、軽く踵を返して、ジーク達の会議の続きに口を挟もうともしなかった。
「待て。何故、シンディ・ダイアモンドは狂い始めた」
「さあ。僕も訊いたんですけど、何言ってるのか理解できませんでした。ただ、まあ、今のシンディさんにとっては、“自分の良心こそが敵”――とだけ。遅めの反抗期ですかね?」
ただ最後に、葬式で笑うピエロのような不釣り合いな妖気を残して、ヘンリーは去っていった。
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