壁ドン。・2
※設定部分は読まなくていいです。
「はあ……絶対に必要のない労力を消費してしまった……」
午後の課外授業に向けて早くに昼休憩を切り上げたビビアンとフェイスくんの背中を見送ってから、私は最後のココアを飲み干した。
あの後も我を失ったビビアンをなだめつつフェイスくんの質問攻めに遭い、ときどき調子に乗ったジークを女子二人で殴る蹴るなどしていたので、やろうと思っていた午後の予習はパアになった。
とりあえずフェイスくんの止めどない質問攻撃で、ジークのどうでもいいプロフィールが詳らかにされた。まず年齢は十七歳らしい。一つ年上かい。身長は一七七センチ、乙女座。趣味は料理。特技は錬金術と家事。うーん、なんて余計な知識。
ペラペラ喋るようなことでもないし変に心配されるのも嫌で、どうして知り合ったかは適当に誤魔化してもらった。その内ちゃんと明かそう。
「良い奴らだな」
あれだけ暴行加えられてそう言えるあなたも、じゅうぶん良い人だと思いますよ、ジークさん。
「うん。私の自慢」
でも、あの二人は、胸を張って自慢できる最高の友達だ。
療術科の研究棟から、時報代わりのパイプオルガンの音色が聞こえてきた。そろそろ行かなくちゃだ。
「じゃあ、私も行くけど」
踵を踏もうとして、
「そうだ。お前、放課後、時間あるか」
なにかを閃いたようなジークに呼び止められた。
「あ、うん。今のところは暇かも。何か用事?」
「ああ――少し付き合え。探し物の手伝いを頼みたい」
だんだん、こういう真摯な表情でも命令口調なのが彼の性格なんだと理解してきた。そういえばそんなこと言ってたね。
よし――これは、またとない恩返しのチャンスだ。悩む必要はないでしょう。さっさと借りを返して、付き纏うのも止めてもらおう。今はアレだから、私の良心の部分を司る人格を人質に取られて、無理矢理ストーキングを看過させられている状況だからね。
「いいよ。むしろ力になれるか分からないけど、いい?」
「構わん。この間のように結界があるならまだしも、俺一人で今のこの学園内をウロチョロする訳にもいかなくてな」
「なるほど」
「それにアンリミテッドが近くに居ると、何かと……」
ジークが言い淀んで目を泳がせた。ので、あえて私はその先の言葉を導き出す。
「便利?」
「心強い」
よくできました。
かくして、私はジークに束の間の別れを告げて、午後の授業へと向かった。
組紐の抜き打ちテストを出されて、死ぬかと思ったわ。一体誰が、先生が冗談めかして話した“ただの水をちょっと甘く感じさせる呪い”の編み方を覚えてるっていうの?
年頃の女子にとって、同じく年頃の男子と時間を共有する約束を取り付けるということは――どうにも言い繕い難い後ろめたさを残すものだ。
私はいつものギャルグループと文系グループ、それからあまり顔を出さない不思議グループからの呼びかけのどれもを断るにあたって、何故だか上手く説明できなかった。いや、私は事実を述べたんだけど。勝手に盛り上がっちゃって。
「今日ヒマ?」
――ちょっと用事が。
「誰と?」
――あー、うーん、知り合い?
「男?」
――まあ。
「ザラが男と遊ぶの?」
――遊びじゃないけど……。
「てか誰と?ウチら知ってる人?学校の人?」
――学校……には居るけど知らないんじゃないかな……。
「マジ?写真ある?」
――いやねえよ。
「えっ?つかマジ誰?なんで?」
――だから!!知り合いだって!!言ってんじゃん!!!!
「えっ。別にそれ今日じゃなくてもよくね?マジ私めっちゃルナハニーのホワイトアップルラテ飲みたくて。今日から龍人族割引じゃん?」
――……。
ごめん、ジーク。
面倒くさくなった私のせいで、あなたは『たまたま私の記憶が曖昧な時期にやった合同授業で席が隣になった私に全然興味が無い錬金科の先輩で、その時に落とした親の形見をずっと探していて、そして今日以外は基本外に出ると発狂して死ぬ』、という設定になりました。
色々な矛盾を回避して嘘をついて風呂敷を広げた結果、回収できなくなってしまいました。もし今後、ジークが理不尽な風評被害に遭ったら、心底ごめん。誰も悪くないのよ。
待ち合わせ場所は研究棟だ。
本校舎から少し歩いた新学生寮に隣接していて、教師や生徒、その他学外の魔導士たちにも間貸ししている工房である。
魔導士――特に薬やアクセサリーといった細かい道具を使う黒魔術師や錬金術師、療術士たちにとって、道具一式を安全に保管できる倉庫と、それらの開発や調合に必要な釜戸、魔法陣を敷くスペース等々が確保された“工房”は、魔法の腕を上げれば上げるほど必要不可欠なものになっていく。
魔導士を生業にしちゃえれば家や部屋をまるごと工房にしたり、ギルドに入ってそこで一括管理、てことも出来るらしいんだけど、私たちは何分学生である。親が魔法に関係ない職業の生徒だって大勢いるし、学び舎は知識と引き換えに時間を奪われる場所であって、校内で私たちに約束された収入は、ハッキリ言って無い!(もちろんバイトやったり、独自に魔法で儲けてる子もいる。)従って、思いつきで「今日から私の部屋を魔法一色にリメイクしちゃうぞー✩」とかやってられない。まず爆発して終わりだわ。
そこでこの研究棟、という訳です。
見た目や内装はちょっと派手なアパートくらいのものだけど、破格の代金とレンタル無料の魔道書、学生割引の効く雑貨屋完備。事前に保険に入りはするけど、先人たちの魔法によって概ね安全が約束された一室というものが、いかに!ありがたいか!
……と、いうようなことを熱弁している友達がいた。私は実家に工房があります。
待たせたかな。なんて思いつつ、髪を指で梳いて、研究棟の門前へ早足で向かう。
乾いた石畳を鳴らす私の足音に気付いて、塀にもたれ掛かりながら、屋外時計に反射した夕陽を眩しそうに見つめていたジークが気障っぽく手を上げた。彼の背中が、シールみたいにクリーム色の塀から剥がれて、そこに彼の分身のような影が落ちていく。なんだか、寝起きの猫みたいな仕草だと思った。
……ええと。ありがちなセリフを吐くと、変に意識しそうなので、私も手を軽く上げる。
「き……来たよ!」
「お、おう……。……約束通りだな。準備はいいか?」
「え、ええ。抜かりはないわ」
よし。なんか怪しい取引みたいになったぞ。いいぞ。
「ここを探してみるってことだよね?」
赤く染まりはじめている研究棟を見上げる。杖や本を片手にした生徒たちが、窓のなかで踊っていた。
「ああ。この辺りから多少――フッ、俺からしてみれば塵芥のようなものだが――他とは毛色の違う“匂い”がしてな」
得意げに歯を覗かせるジークの言葉に、そういうのいいんで、という茶々を入れそうになるのをグッと我慢。
「それって、ジークが欲しい魔法ってやつ?」
「十中八九別物だ」
ありゃ。無意識に肩が落ちる。拍子抜けってんじゃないけど、まあ、そう簡単にはいかないか。
でも、彼としては気になるところがあるってことなんだろう。
「そういうことだ。お前の身を守ると誓ったしな」
私が了承の意味で眉を上げると、ジークも鏡のように悪戯っぽく笑った。
私を守る云々は、ジークが自分で勝手に課してることだと思うんだけどなあ……。
まあいいや。そういうことなら、行こう。
私たちは肩を並べて歩き出した。
「そういえばジーク、あれから今まで何してたの?」
「こっちで暮らすための準備を色々とな」
あれ、とは勿論、私たちが出会った例の事件である。一週間とちょっとのあいだ、私は療養も兼ねて謹慎していた訳だけど、ジークとはそれこそあの衝撃の自己紹介の後、実家に送ってもらってから顔を合わせていなかった。私としては、話したいことが沢山あったのに。
「暮らすって……そっか、いちいち魔界から通ってらんないよね」
彼の故郷である魔界がどこにどんな風にあるのか、私なんかじゃ知ることも想像することも出来ないけど――近くはないことだけはわかる。となると、ジークはやっぱり単身で、この辺りにでも居を構えたほうがいいと判断したのだろう。
「そうだな。それに、少しでも……お前の近くにいたいだろう?」
「だろう?じゃねーんだわ」
隙あらばアピってくんなコイツ。さては粘着質だな?
「その内、招いてやる」
「いいっす……」
胸を反らせるジークと若干距離を取る。
家族とか気になったけど、これ以上興味持ってもいいことなさそうだから、やめとこう。
ちょっとでも独りだと寂しかったり不便なことあるのかなーとか思ってやるものではないネ。
「遠慮するな。クッキー焼いてやるぞ」
「ハハ……行く時は私が何か持ってくからいいよ……」
「ふむ。なら紅茶は………」
ふと。ジークが突然足を止めた。突き放されたように、私の長く伸びた影がよたよたと跳ねて、人気の無い廊下で私のブーツの底が鳴いた。え――た、他人の作ったお菓子受け入れられない派だった?
研究棟に入ってから初めて向き合ったジークの琥珀の双眸は、真っ直ぐに私を捉えていた。
かつ。
ついさっき私を守ると言ってくれた人の足音に、私は――怯えた。
今度は私の時が突然に止まる。
私たちは影どうしで並行にくくりつけられたみたいに、ジークが一歩進んでは、私が一歩退いた。
「ひゃ」
背中に煉瓦の冷たさを感じて、私は逃げ場を失ったことを知った。
ジークの体躯に覆われて、いつしか私の目の前だけが、漆黒の夜に包まれていた。
「な、なに……!?」
これはいわゆる――アレではなかろうか。
確か、ビビアンに教えてもらった。
――壁際に追い詰められたときは、相手の顎目掛けて思い切り掌底、もしくは喉仏の下を思いっきり押す、あるいは相手の両耳をはたく、さもなくば腕を取って後ろ手に捻り上げる、ジャンプした勢いで屈んで抜け出す、最終手段は……股間目掛けて蹴りを……。
「ジー……ク……?」
「……」
技を極める前の決闘者とは、こんなにも緊張するのか。さあ、いつやる。いつ、いつ!心臓が急かすように高鳴る。隙を伺え、呼吸を伺え、成功を思い描け――
ジークの睫毛が、体温が、二人の息が混ざりそうな距離まで一層に近づく。高速で流れる血が、彼の腕が持ち上がる瞬間をスローに見せた。
――今でしょ!!
私は弓矢のように、思い切り肘を引き絞る。そう、拳ではダメなのだ。ビビアンの言葉を思い出す。慣れていない人間が力や物量に頼ってはいけない。それでは、己の拳が砕けるだけだと。
狙うはただ一点。あとは筋肉というカタパルトを解放するだけだ。
ばこん。
「え……」
すぐ耳元から、煉瓦の破片が埃と一緒に床へ舞い散っていった。
繰り出されたのは、私の掌底ではなかった。
「使い魔だ」
「使い、魔……」
ジークの手が、奇妙な色の煙を立ち上らせながらゆっくりと私の横顔から離れていく。
……どうやら私、彼の態度に盛大な勘違いをしていたみたい!
ジークはさっきのくだりの中で使い魔を視認して、集中する為に黙り込んで、私じゃなくてその使い魔を追い込んで、たった今壁に叩きつけて駆除したと。あと一歩タイミングがズレていたら、私は無実のジークを脳震盪で昏倒させていたところだったと。
「コイツは人間の体内に入り込んで、そこから主に信号を発信する。一体ずつは雑魚中の雑魚だが、追跡には持って来いだ」
「気持ち悪ッ」
私がその中身を確認する間もなく、ジークが更に煙を握りこむ。小さな火花が閃くと、ジークは軽く両手を叩いてそれを払った。
「誰かが私に、送り込んできたってこと?」
「ああ。やはりお前を連れてきて正解だった。向こうから尻尾を出してくれるとはな」
「な――最初からそれが目的で私を呼んだなー!?」
「なんだ。わかってたんじゃなかったのか」
わかっていたらもう少し精力的に行動しましたけど。ていうか私を守るんじゃなかったんかい。
それとも――どんな鉄火場だろうと私を守り抜けるような、よっぽどの自信があるのか。
「これなら逆探知は簡単だ。行くぞ」
ジークが首を振って私に促してから、大股で歩き出す。私もジークを追いかけて、再び隣に並んだ。
「行くって、どこに。もう犯人がわかったの?」
「誰かはわからんが、“どいつか”はわかる。罠くさいけどな。だが、これを送り込んできた魔導士が召喚士や馴手だった場合、後手に回ってズルズルと相手取るのは面倒だ。この場で片付けておく」
――召喚士・馴手は、時間をかけて使い魔や精霊を呼び出して操る。つまり、モタモタしていると向こうの手数が増えてこっちが不利になる一方ってこと。
私たち黒魔術師も使い魔を使役することもあるけど――彼らが操るモノたちは、私たちが使うようなガラクタとは違う。もっと高度で、それでいて精密。生命としての純度が濃い。
そして、使い魔には、自分の手駒として現界させるために、召喚術や降霊術には明らかな“しるし”が必要だ。これはワタシのモノですよ、それはアナタのモノですよ。それは時に契約で交わした代価だったり、紋章だったり、楔だったり、身に付けるものだったり――今回のような、魔力そのものだったり。
魔族はその辺を捕捉するのが得意なのかな?ジークは迷わずに研究棟の階段を登っていく。
『三一二号室』のプレートが提げられた、角の一室にたどり着いた。
「鍵、開いてる」
「ますます罠だな」
無用心な扉を開けると、外装と同じクリーム色の漆喰の壁が子供部屋程度の空間を作っていた。
そこいらに無造作に置かれた魔道書やビーカー、フラスコ、タイルの床が見えないくらい散らばった書類や蝋燭が持ち主の性格を表しているようだった。
「誰もいない……けど」
ジークの言う“匂い”を辿って来た私たち二人だったが、そこには人影らしきものは見当たらなかった。匂いといえば、私には埃と薬が焼け焦げたものしか感じられないわ。
「どこかで俺たちの会話を聞いていたか……?」
舌打ちしながらもジークは容赦なく部屋に進み入り、辺りを物色し始める。
私はさすがに、入口の隅のほうで肩をすくめて待っていることにした。
横目で部屋を見渡して――机の脇のサイドチェストに、小さな魔法陣が描かれた紙が広がっていることに気づいた。
「あ。そうかも。これ、私も見たことある。最近問題になってる盗聴紋でしょ。友達が家に仕掛けられて魔法庁の人呼んだって言ってたなー」
思わず摘まみ上げる。
盗聴紋――読んで字のごとく。設置したもう1つの魔法陣の周辺から音声を拾って持ち主に届ける、盗み聞き専用の魔法陣だ。簡易でパターンも沢山あるから、一般で悪用されがちね。一応禁呪指定だったと思うんですけど。
「あの廊下に仕掛けてたのかな」
「かもしれん」
「……なにかわかった?」
「この部屋の主はテイマーだな。俺たちのさっきの会話を聞いてどこかに逃げ出したようだ。ご丁寧に魔力痕も消してな」
ってことは追えないワケね。
「まあいい。この部屋ごと爆破するか」
「ええっ!?ちょっとそれは」
「爆弾錬成するから下がってろ」
「いやいや!!」
手袋を直すジークを慌てて止めようと、散らかった部屋の中央に押し入った。
書類や呪いの道具同士が滑り合い、床がスケートリンクのように私の体を放り出す。
無様につんのめった結果バランスを失い、紙吹雪を舞わせて、私は華やかに前転。そのまま不時着し、年甲斐もなく膝を擦り剥いてしまった。
「いっ……たぁ~」
あー。モノが乱雑に置いてある上で転んだもんだから、結構大げさな擦り傷になった。血出てる。
「おい、大丈夫か」
「あはは、ありがとう」
ジークが間もなく差し伸べてくれた手を取る。
と、同時に。
今この瞬間、私が立ち上がろうとした場所から、空に向かって光が放たれはじめた。
「いっ!?いや、違う違う!!私じゃないよ!?」
反射的に無罪を主張する。だって、ジークがあまりに凝視するから!
「目的はこれか……!」
光は私の居る部屋の中央から、火花を伴った蛇のように八方に広がって繋がり、ひとつの円を描き出す。
「魔法陣!?」
そして同時に、私たちは理解する。
――罠だ、と。
「お前の魔力に反応するようになってるんだ!退け!」
更にジークに引っ張られて、位置が入れ替わる。
「ジーク!」
また――また、危険に晒してしまったのでは。
ついこの間の悪夢が、脳裏に蘇る。
魔法陣の光は枝のように細かく分岐してせり上がり、ジークを呑み込んでいく。
――最初は、光が通った場所が火傷しているのかと思った。
だけど違った。
「え……あ………あ………」
私はいつから言葉を忘れてしまったのだろう?
魔法が発動しきって、室内が元の明るさに戻る頃。
私の目の前には、“魔物がいた”。
/
「見るな……」
ああ―――。
こんな初歩的な罠にかかるなんて、ハーゲンティの名折れも甚だしい。
贄の血肉を糧に、触れた者の魔力を増幅させる魔法陣か。アンリミテッドの活用法としては至極単純明快だ。だからこそ、効果がある。
この部屋の主である魔導士が俺の正体を知っていたかは定かでは無いが――なるほど、煮え湯を飲まされた気分で、深く歯噛みする。
「……俺を、見ないでくれ……!!」
震えて地面にへたり込むザラの表情は、俺が今まで幾度なく目にしてきたものだった。
怯え、不快、嫌悪、拒否、忌避、抵抗を湛えた瞳。
全てが俺を拒む感情だと、俺は知っている。
痛い、痛い痛い痛い痛い。
旋毛から爪先まで、痛いと絶叫しない箇所が無かった。
身体が造り替わる痛み。人間界で制御した格落ちの器に、アンリミテッドの魔力が熱を伴って神経を蝕む痛み。ザラの針のような視線。
「ジーク……大丈夫……!?」
きっと。さぞ強烈な呪いにでもかかったのかと、思っているのだろう。
自分でも止められない速度で、激痛と共に骨格が作り替えられていく。
異形が身体を冒し、膨れて天井に届くまで体積が増していくのがわかる。
二本の角が酸素を求めるように、頭蓋を割って登る。赤い体毛が全身に巡り、皮膚を焼いてその下の肉と骨を露出させる。耳と舌が二股に裂け、溶けた無数の眼球が顔の上を彷徨い、手足が班目の鱗に覆われていく。噛み合わなくなった牙の列から、抑えられなくなった魔力が血となって滴り落ちる。
――違うんだ。
誰にともなく、言い訳がましく唱える。
これは変化じゃない。俺が力を制限する為に用意した人間の擬態から、本当の姿に巻き戻るだけだ。
かつて、異形たちが蔓延る魔界でさえ魔物と謗られたこの姿こそ――俺がこの世で最も憎む、俺の正体だった。
「あ――」
力なく膝をついた。
――見られて、しまった。
俺を見た者は必ず、こう口にするのだ。
『醜い化物だ』と。
一度こうなってしまえば、魔力を使い果たすまで、人間の身体には成れない。
俺の姿は、魔力を得れば得るほどにその不気味さと苦痛を増していく。
だから、ザラとは距離を取るのが賢明で――ああ、ここからどうやって人目に触れぬように逃げ出そうか。透過の魔法なら魔力効率も悪くて、すぐに人間の姿に“戻れる”だろうか。
「ジーク、大丈夫!?」
ザラが駆け出して、俺の体を支えていた。
「なにこれ、呪い?私、すぐにアンチドート持ってくるから!怪我とかは?」
「いや、これは……」
「療術士も呼んだほうがいいかな……。待ってられる?」
立ち上がりかけた彼女の腕を掴む。俺のデカくて醜い手で、彼女が怯えるとわかっているのに。
「やっぱ、どっか痛む?」
ザラは心配そうに振り返って、俺の顔を覗き込んだ。視線が合う。それでも彼女は逃げ出すどころか、労わるような瞳で瞬きを繰り返した。
「これは――……元々だ」
「もともと……」
少し考えるような素振りをしてから、なにかに納得したように、ザラは頷いた。
「そういえば、変身してるって言ってたね!じゃ、こっちがホンモノのジーク?」
「……あっちもホンモノだ」
「へー」
そうなんだ、じゃあ平気なの?なんて呑気に訊ねてくる。
「……怖く、ないのか」
「あ。えーっと……よく見たらそう……かも……?ごめん、なんか、今気づいた!そういうの!」
「じゃあ……何で」
「なんでって、なにがでしょうか……」
あの時と同じだ。
何故そうしたのかと問うと、彼女は申し訳なさそうに肩を竦める。
同じだ。この少女は迷わなかった。
自分の中に何の理由もないまま、ただ俺が“苦しそうに跪いた”というそれだけの状況に反応したのだ。反射的に、目の前のものに寄り添ったに過ぎない。
――それが、俺が生きてきた時間の全てを、まっさらに塗り替えるものだとも知らずに。
“これさえなければ”と何もかもを恨み、結局、世界が正しいんだと結論を下した筈なのに。
魔物と間違えられて殺されかけたのも数度では無い。
父や姉を差し置いて、何故一族の、最も優れている俺が、こんな代償を支払わなければならない。
同じように醜い魔族などありふれているのに、何故俺だけが、こんなにも侮蔑されるのか。
この程度のことに足を引っ張られて――俺は生きるのか。
抱え続けてきた憎悪が、人間の小娘のたったひとつの気紛れで、溶岩のように熱く、泡を立てて融け出した。目の奥に火花が奔った。途端、この人間が、とてつもなく輝いて見えた。
「俺の手を、握ってくれるか」
口にしたことのない欲求だった。
馬鹿げている。今この状況でアンリミテッドに触れれば、魔力が増すだけなのに。
それでも、この人間に、縋ってみたくなった。
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