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無限の少女と魔界の錬金術師  作者: 安藤源龍
1.魔族にズッキュン
29/265

肩ズン

 




「おかあさん」

 母を呼んだ。

 どんなに触れてみても、母は笑わない。

 ただ氷のように横たわって、どろどろ溶けて、この世から母が失われていく。

「おかあさん」

 車から降りてきた男が、慌てて母に駆け寄った。

 ――お前、魔物じゃなかったのか。

 ――襲われているのかと思った。

 そんなことはいい、と俺は言った。

「おかあさんを病院に連れて行って」




「あんたが、そんな見た目してるから!おかあさんは死んじゃったんだ!」

 幼い姉の悲痛な叫びが耳を劈いた。姉は、暖炉のそばの火掻きを振りかざして、俺の剥き出しの眼球や筋肉を焼いた。

 痛みや悲しみを感じるほどの気力は無かった。

 姉は俺を幾度となく責め立てる。仕方ないとさえ思った。

「やめなさい、ブリムヒルダ!!」

「おとうさん、だって……おかあさんは、もう、帰ってこないんだよ……」

 この頃からだ。父の前でしか、姉とまともに会話しなくなったのは。

「……そうだね……」

 父もまた悲痛な面持ちで、幼い姉を抱きしめていた。

 “おれのせいなのかな”。

 そう呟いたときの、父の顔が忘れられなかった。穏やかな父の、絶望に打ち砕かれたような表情。

「違う。……それは違うよ、ジークウェザー。悪いのは……カレンを轢いた車の運転手だ」

「でもあの人、おれを魔物だと思ったんだって」

「ジーク。あんなのは、大人のみっともない言い逃れさ」

「おとうさん。おれが死んだら、おかあさんは帰ってくる?」

 子供ながらに、死というものがわからないながらに、心から願った。母と代われたのなら良かったと。

 父が泣きながら、俺の紅い体を抱きしめた。

「馬鹿なことを言わないでくれよ……」

 俺もいつか、妻と子を持てばわかるのだろうか。否、今なら少し解る。一番辛かったのは、きっと、伴侶を失った親父だった。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 ああ、また俺は、家族を悲しませた。家という世界を壊してしまった。

 どうすれば俺は、二人から母を奪わずに済んだのだろう。




「ジークウェザー。君は力が強すぎるんだ。だから、これで魔力を抑えるといい」

 あるとき父が、俺に特製のピアスを贈ってくれた。

 金の十字を耳に通すと、俺の姿は、たちまち小さくなった。

 鏡を見てご覧。と、いつもの父ならば絶対に口にしない台詞を吐いた。

 母が死んでから数年、見ていなかった自分の写し身を、埃が被った鏡面に垣間見た。

「これが……おれ?人間みたい」

 身体のどこを見ても滑らかな白い肌。琥珀色の双眸。上向きの鼻筋。尖った耳。指も五本。

 重い角も、他の眼も、穴だらけの赤い皮膚も、血管も、グシャグシャの牙も、長い爪も、どこにも見当たらない。

 きれいだ。

 素直にそう思った。目の前の男の子が自分であるなんて、信じられないほどに。

「そうだ。真っ赤な髪がお母さんによく似てるねぇ」

 父が優しく俺の頭を撫でた。今まで触れられることすら痛かった場所が、どこも痛まない。温かく、くすぐったかった。

 それから俺の周囲の世界は一変した。町のどこへ出ても、魔物だと謗られることは無くなった。父の仕事のあいだ、どこかへ隠れることも無くなった。

 おれはやっと、きれいな体を手に入れた。これがおれだったんだ。きっとおれはずっとこうだった。

 あれはただの事故で、ほんとうの姿なんて、どこにもいない。

 ただ歩くだけで、生前の母のように持て囃された。錬金術の研鑽を積んで、世間から評される魔導士になった。

 誰からも鼻をつままれていた醜い牡牛のジークウェザー・ハーゲンティは嘘だったのだ。

 俺は美しく、気高く、優れた魔族だった。

「あなたがそんな化物だったなんて聞いてない!汚らわしい!!最悪よ……」

 初めて出来た恋人が、怯えて泣いていた。

「あたしはあなたの家と――顔が好きだったのに」

 俺の世界は変わった。羨望と裏切りの世界になった。


 それでも胸を張れと。父は俺に教え続けた。

 ――恐ろしいものは克服しろ。足りないものは埋めるんだ。暗い雲は、嵐で吹き飛ばしてしまえ。お前はその荒天の中でも立っていられる男だ。

 ならばそうしよう、と決意した。

 一度誇りを手に入れたのなら、手放すな。一度望みを抱いたのなら、必ず掴み取れ。

 強い男になって、この家を守ってくれ。


 父も姉も、いつしか悲しみを乗り越えていた。

 今度は俺の番だ。

 折れた植物は元に戻すことが出来る。終わったオルゴールは巻き戻すことが出来る。割れた壺は、接着出来る。人の手が加われば、森羅万象はより強固なものに補修される。何よりも俺が、錬金術の修行で学んだことだ。

 俺が壊してしまったハーゲンティという家に、もう一度暖かい風を吹き込むために、俺は嵐となろう。


 破滅するほどの推進力で、一切合切を巻き込んで手にしてみせよう。




「――」

 ひどく懐かしい夢を見ていた気がする。

 胸の内が熱く、咄嗟に寝巻きの袖を捲くり上げる。

「……人間の、腕だ」

 昨日、ザラの魔力を吸いすぎたこともあって、落ち着いて眠れていなかったようだ。

 未だに恐怖を覚えることに、自己嫌悪する。

 ザラも、あの場にいたビビアンとフェイスも――きっと、ネロやキョウ達だって、俺の真の姿を見て怯えることは無いだろう。

 ――いいや、わからない。

 そのせめぎ合いがいつも、俺の鼓動を荒立たせた。

 こんなときだけ、他人に興味の無い姉が羨ましかった。俺は願い祈ることしか出来ない。どうか、悲劇が起きませんように。自分のせいで誰かが傷つくの姿を見るのは、もう御免だ。

 身を捩って、カーテンの隙間から射す朝日から逃れるように、もう一度布団を被った。




.

.

.




 ――「いやそこで二度寝したの?」

「うむ。まだ朝の八時だったのでな」

 妙にぼーっとしているジークに声をかけたらこれだ。夢見が悪くて二度寝して起きてきたばっかりだから、まだ半分寝てるだけとか。私の貴重な三分弱を返してほしい。

「てか八時て……」

「午前中は……生物が活動する時間ではない……」

 そう言って大きな欠伸をひとつ。こいつが昼休みや放課後にしか現れないのはそういうことか……。そういえば昨日も滅茶苦茶眠そうだったし。

「朝、弱いの?」

「そうだな…………」

 ゆっくり瞼を伏せて頷くジークは、今にも三度寝しそうだった。ので、脇腹をつついて覚醒を促した。

「ちょっと。せっかくお弁当作ってきたんだから」

「せめて二人が来るまで……」

「も~」

 仕方ないので、肩を貸すことにした。

 今日は三人に、ステッキのお礼として、早朝から準備してランチを用意してきたのだ!えっへん。いつもは微妙~な味になりがちだけど、ちゃんとお母さんの協力を得て、完璧なものに仕上げてきたわ。デザートもあるので抜かりなし。あとはこの中庭に、ビビアンとフェイスくんがやってくるのを待つばかり。

「しっかし……」

 間近にあるジークの顔をよく見る。伏せた睫毛は長く、彫りの深い輪郭が静かに息をするさまには、恐竜のような神秘的な造形美がある。つやつやの紅い髪は、触ると猫のように柔らかかった。

 前に膝の上で気絶してた時も思ったけど、黙ってればかっこいいのにな。悲しい存在だ……。

 と。

 視界の端に、そんな私をニヤニヤ見つめているアホ獣人とアホ少年を発見した。

「ちょっとー!いるなら早く来てったらー!!」

「ウケるんだけど」

「ザラのご飯、久しぶりだ」

 ビビアンとフェイスくんがやいのやいの騒ぎながら、私とジークが腰掛ける大木の日陰にやってきた。

「ほらジーク起きて」

「うむ……」

「わースゲー!気合入ってるー!!あたしこれ、これね。予約したから」

「ちょっと。僕もそれ狙ってるの。あんまり食べ過ぎないでね」

「ああ、はいはい。いっぱいあるから」

「……うまそうだな」

「でしょ?今日は自信あるよー!」

 全員が揃って、楽しいランチタイムが始まった。

 ああ。こんな日常が、私はとっても愛おしい。






.

.

.

.

・肩ズンなんて言葉調べるまで知しもしませんでした。

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