第四の剣・斧槌剣・4
ひんやりとした空気の肌寒さで、私は目を覚ました。
どうやら、ドラゴンに誘拐されている途中で気絶してしまっていたみたい。そらそうだわよね。あんだけ無茶苦茶なお空の旅から地底まで真っ逆さまの百倍ジェットコースターみたいなの味わったら。
意識がはっきりしてきたとはいえ、視界ははっきりとしなかった。
見渡す限り薄暗くて、不気味な静けさに包まれていた。
少しすると、冷静になって、地面を破ってきたのだから天井は空いてるんじゃ?と思ったんだけど、例のドラゴンが私の真上の舞台みたいな所ですやすやと眠っていて、ちょうど陰になっていることが分かった。ていうか、もう夜だし。
見覚えがある、といえば、あるような気がした。
何なら、近くに看板まで立っている。ようやく目が慣れてきて、私は自分が倒れていた場所を把握することができた。
上下左右を岩に囲まれた、暗くて狭くて、月の明かりすら届かない道の最果て。私が居るのはそんな所だ。
足もとには鉄のレールが敷かれていて、脇には古びれたトロッコも放棄してある。
──『アーケンストーン採掘場跡』。
看板の文字には、列車でよく聞く駅の名前が刻まれていた。
ドワーフ達が暮らす地下王国の炭鉱にして、生粋の職人町。
ドラゴンが眠っているのは、石切場というやつだろう。
まさか。
『目が覚めたか、お嬢ちゃん』
ドラゴンとは違う、しゃがれた、野性的な男性の声がした。
坑道に現れた亡霊は、私よりも背の低い、けれどがっしりと体格の良い男性の姿をしていた。二本角がついた兜に、たんまり蓄えられた顎髭は、まさしく伝承で知るドワーフを象徴化したかのような容貌だ。私みたいなヒューマーからしたら、ちょっとした憧れである。
『儂はガラ・アーケンストーン。そのビョルンスペードに呼ばれたんじゃがな。何でそんな餓鬼が儂の得物、持っとるんじゃ』
「ええと……」
『あっ!!そういや、儂、死んだんじゃった!!そうじゃったわ。毎年同胞共が盛大に祝うから、忘れとった』
ドワーフの男性──ガラさんもまた、人魔大戦で活躍した七英雄の一人。伝説の鉄の戦士こと“覇王・ガラ”だ。
もちろん、実際に姿を目の当たりにするのも、相対するのも初めてだけど──ここまでくると、もう慣れたっていうか。
こんなにはっきりと透けてる仮想も無いだろうみたいな。
とりあえず、私はガラさんが指差した七曜の剣・『ビョルンスペード』の在り処に注目した。
ドラゴンの背中、鱗の間に、確かに鈍く光るシルエットがあった。
私が取り出そうにも、重すぎて扱えないそれは、海のような真っ青な石で造られた槌のようだった。鉤爪になっている小口と、その逆側に斧のような広い刃を併せ持つ、この世に二つと無さそうな武器だ。これなら岩でもドラゴンの頭蓋骨でも、何でもかち割れそうだと思った。……扱えれば、だけど。
「てか、このドラゴンもしかして、七魔将の人……?」
七曜の剣を持って、こうして七英雄の亡霊のもとに辿り着いたということは、そうとしか考えられない。やっぱり、ドラゴンに変化しただけの人間だったんだ。
そんな人狼症まであるなんて……人狼の底知れ無さを思い知った気がする。
『そいつ、儂の子孫じゃねえかなぁ』
「ええっ!?この……ドラゴンの人が、ですか!?」
『流石に気配で分かるっつうかのぅ。むしろ、そいつがドラゴンに変じるのは、儂のせいって所じゃろ』
「あなたのせい……?」
『竜化症……本来は人狼症じゃったか?一族からそいつが出始めるようになったの、儂が鉄鉱山のドラゴンぶっ殺してからなんじゃ。他は知らんけどな。何かミミズに小便かけたみたいな話じゃよな』
「やめてください」
とんでもない歴史的事実が明らかになってしまったところ悪いんだけど、どうしても、“いやその見た目のまんまの性格なんかい”というツッコミが頭に浮かんで離れなくなってしまった。
「じゃあ……この剣は、この人が受け継ぐべきなんですね」
『あ~……!!なんかそんな話、ル=メルがしとったようなしとらんかったような……いかん、儂全然聞いてなかったかもしれん』
私がしんみりする原因にいまいちピンときていないようだったので、ガラさんには、改めて七曜の剣とそれに纏わる儀式ついて説明することにした。あくまで私の知ってる範囲でね。
私から話を聞いたガラさんは、特に驚く様子もなく、毅然とした態度のままだった。
『成程な。まあ、確かに、子孫だからなんて理由で儂の武器使えると思ったら大間違いじゃな。儂の斧槌は、儂と同等の力ある者が持つべきじゃ』
そう言って七曜の剣を鱗に引っ掛けた姿のドラゴンの元へ歩み寄ると、迷いなくその顔を蹴り上げた。
『おい。いい加減起きとけ。ヒューマーなんぞに先祖の宝、譲る気か』
私が止める間もなく、ガラさんに瞼や鼻先を殴られたドラゴンは、その不躾な刺激で徐々に眠りから覚めようとしていた。
ホワイトサロンでの暴れっぷりを見たばかりの私は、反射的に身構えてしまう。
しかし、ドラゴンの目覚めは、予想外に穏やかなものだった。
『こ、こは……地上……か……?』
ドラゴンの大きな口からは、これまた思ったよりも若い声がした。というか、普通に喋ってる。
理性を取り戻したんだろうか。
私も思い切って、話しかけてみることにしてみた。
「き……気が付きました?ここ、儀式の場所みたいです」
私が覗き込んだことで、ドラゴンの瞳が大きく見開かれた。ジークのような鋭い瞳孔から、狂気の影はすっかり消えていた。何でだろう、と思ったけど、もしかしたら地下深くに来すぎて、あの紅い月の光の影響を受けなくなったからかな……とか。
『君は……ザラ・コペルニクスか!?』
「あ、ハイ……」
『そうか、あの幻界人に面会に来ていた娘が……我々の敵だったとは』
「なんか、色々邪魔してすみません……」
私の名前を確認するなり、ドラゴンは体ごと起き上がって大袈裟に驚いていた。もしかしたら会ったことのある人だったりするのかな。
『申し遅れた。私は七魔将が一人、“鉄竜”のバーリン・レンオアムだ。此度の剣、ビョルンスペードの後継の儀を司ることになっている』
「あああ……」
『……エセルバード陛下は、君達を害すようにとは命じなかった。継承を巡る試練については……正々堂々と勝負しよう』
ドラゴン、もといバーリンさんは、彼らにとって邪魔者である私を排除するどころか、礼節を尽くしたような態度で接してくれた。
「あの、どうしてあなたは私をここまで運んできたんですか?……というか、その辺りのことは覚えてますか?」
『ううむ……。あの紅い月を見てからの記憶は朧げで……朦朧としながらも、騎士としてとにかく魔力の強い者をこの町から遠ざけねば、と思ったのは覚えている。あとは……無意識で儀式の場……先祖ゆかりの地に訪れたのかもしれないな』
「なるほど……私の魔力に反応しちゃったんですかね」
私としては結果的にラッキーだったけど。
こうなった以上、理由もなく攫われたとは思ってなかったにしろ、やっぱり大体のトラブルの要因は私にあるのが分かると、むしろこう、申し訳なさが止まらないわよ。
それに、あんな状況で自我を失っていたにも関わらず、騎士としての役目を優先していたなんて。
事件の元凶だとさえ感じた私にも、正々堂々とした勝負を持ちかけるような話をしたりと、今まで会った七魔将の中でも、珍しいタイプのように思えた。私が、魔導に携わる人から、眉間に皺を寄せず、“アンリミテッド”という名でも呼ばれないなんて、滅多にないことだ。
この人と戦いたくない、とさえ思った。
「ザラ!!」
「バーリン!!」
そんな折りに、聞き馴染みのある呼び方が、坑道内に響いた。なんかオマケ付きで。
私を私として扱ってくれる、大切な仲間たちが、迎えにきてくれたんだ。
……それにしては、足音が騒がしすぎるような。
「ザラちゃん、おげんこ~?」
「あ、ヘルメスさ……わあ、なんかいっぱい居る!?」
レールの上を走ってやって来るジークたちの後ろには、ホワイトサロンで見たような獣たちの群れがあった。な、なに、何か美味しいものでも持って走ってるの?先導してるようにしか見えないけど。
「ええい、動きづらい……!」
「なんか動物園みたいなニオイしてきたな……」
ヒエンとオリヴィエの嫌そうな反応を見る限りだと、喜んで連れて来た感じでは無さそうだけど……。
「バーリン!!無事ね!?」
そして今度は、バーリンさんが空けた上空の大穴から、大きな鳥の魔物に乗った女の人が現れた。……え?魔物?
「うわ、透けてるおっさん居る!!」
『オイ、英雄に向かって何じゃその言い草はァ!!』
「あ、コレ亡霊か。何だっけ、ドワーフの……ガリ?」
『ガラじゃい!!!!』
ああもう、あっちこっちてんやわんやだ。
そりゃそうだ。ドラゴンは居るし、おっさんの霊は居るし、大鷹みたいのに乗ったダークエルフは急に出てくるし、狼やら虎やら鹿やらが大勢付いて来て相変わらず雄叫び上げてるし、満月だし、ドラゴンの鱗には七曜の剣刺さってるし。
敵対云々は置いておいて、とりあえず現状把握したいのはよく分かる。
『彼等は……やはり人狼か?』
「このままだと埒が明かないわね……」
それにしても、この狭い空間にこの人数と頭数。
息がつまるような感覚もそうだし、何より目を光らせて、今にも暴れ出しそうな獣たちに囲まれている状況に緊張する。
彼らもバーリンさんと同じく人狼なのだとしたら、この地下では正気に戻っていそうなものなのに。それともやっぱり、バーリンさんとこの場所の相性とか、本人の理性の強さとかがあるんだろうか。ドラゴンに変身するくらいだし。
不安に負けてジークの裾を掴んでいると、その横からぬっと、唯一平静を保っている狼頭が顔を覗かせて来た。
何故か、フェイさんまで居る。どうなってるんだ。
「フェイ、貴方の権能で一時的に狼達を支配し、従わせてくれないか」
「えっ、そんなことできるんですか?」
「私の権能ならば可能だ。だが──」
低い唸り声を上げ、牙を剥いて私たちを睨み付ける狼たちを一瞥しながら、フェイさんはジークの提案に考え込むような素振りを見せた。
そして一言、ぼそりと呟いた。
「……どうしようかな」
「え。フェイさん……?」
そこには、今までの紳士然としたフェイさんとは違う、何か、悪魔との契約のような、悍ましい駆け引きの片鱗が見え隠れした。
知り合ったばかりとはいえ、フェイさんは、他の魔族に比べたらめちゃくちゃ良識的な人だった。人狼たちのことを考え、ジークやその周囲にも気遣いが出来る。
そんな人が、何を躊躇うのだろう。
でも、そういえば、私はまだフェイさんが“魔族として”何かを行う場面に遭遇していないことを思い出した。
一方、フェイさんと付き合いが長いらしいジークは、逡巡する彼にも躊躇わず、交渉を続けた。
「……シュヴァルツヴェルダーキルシュトルテ」
「ホールだ」
「良いだろう」
「フッ。──承知した。我が友のために、この力、存分に揮おう」
ジークとフェイさんは、彼らにしか分からない言語で淡々と条件を交換し、間もなく合意した。私は完全に置いてけぼりである。
ていうか、聞き間違いじゃなければ、キルシュトルテって。それ、キルシュのタルトですか?それのホール????何かの隠語なんだろうか。……とか思っていた私がアホでした。
「今の何……?」
「フェイの性癖だ」
「はい?」
「魔族にしてはマトモだと思っていただろう」
はい……。むしろ人間と比べてもかなりマトモな方だと。嫌なんだけど。もうこれ以上価値観を覆されるのは。
「確かに彼は先祖が堕天使ということもあって、魔族にしては珍しい倫理観と責任能力の持ち主だ。だが、彼自身が権能を揮う条件はただ一つ。──美味しいオヤツだ。これを抜きにして、彼が契約主の為に力を尽くすことは絶対に無い」
「……」
じゃあ本当の本当に、ケーキの話してたんだ。男二人、真剣な面持ちで。
「……ちなみにだけど、オヤツがない時は?」
「爽やかな笑顔のまま停止し、頑として動かない」
「安い物も駄目だ。技術が凝らされた至高の品でなければ、私の権能には相応しくない」
急に本人もワガママ言い始めてるし。
つまり──フェイさんという魔族は、外面は優秀で完璧な好青年だけど、何かを頼もうと思ったらこれ以上無い程に面倒くさいと。
逆に言えば、本人もグルメでお菓子作りの腕もプロ級のジークと相性が良いのは納得だ。ジークさえ頑張れば何でもしてもらえるもんな。
無事ジークの言質を取ることに成功したフェイさんは、今度こそ胸を張って、紋章が刻まれた指輪を手に、魔族の詞を唱えた。
「では──“我は三十五位、地獄の侯爵である。闇夜に彷徨う獣を誘い導く者。ヒトに遍く問いの答えと、誠実なる快楽を授けよう。喝采と讃嘆の雨よ、今ここに”!」
フェイさんを中心にして、人狼たちの間を黒い稲妻が駆け抜けた。
次の瞬間、獣たちは、魂でも抜かれたかのように揃ってぴたりと動きを止めた。
さっきまでの威勢と狂気はどこへやら、すっかり消沈した様子で、隣の動物と合図をしながら、身を伏せて息を潜めていた。
人語を介して正気に戻った、とまではいかないけれど、明らかに人狼たちの行動が変化している。
その様子は、まるで、一瞬で狼の王となったフェイさんが鶴の一声で人狼たちを平伏させたようにも見えた。
「狼は階級と群れの生き物。自分よりも優れた雄の個体の前では、個を捨てて大人しくなるものだ」
「おお……!!」
ただ一頭を除いて。
「……私の術を防ぐとは。余程強力な呪いか、加護の持ち主のようだ」
唯一、竜に変じているバーリンさんだけが、動じずにただじっとフェイさんと睨み合っていた。
『──それで。我が祖たる王よ、貴方が求める力とは?』
大鷲に乗って来た女性(仮)と合流したらしいバーリンさんが、ふいとフェイさんから視線を外し、仕切り直すように提起した。アルスから耳打ちしてもらった情報によると、彼女も七魔将の一人で、ミリアーデさんと仰るらしい。何でも情緒が凄いとのこと。逆に訊くけど、凄くない七魔将いた?
『……さっきはカッコつけてああ言っちゃったけど、実際もう物理的な強さとかはいいんじゃよな』
バーリンさんの問いかけに、英雄はあっけらかんと答えた。
「ええ~っ!?」
そのあまりの軽率さは、つい七魔将側とも声が揃ってしまうほどだ。
『だってお前らの勝負じゃろ~~~?儂と戦うでもなし……』
『貴方に直接腕っ節を示す方法でも構わない』
ドラゴンの見た目に相応しい荘厳な態度で、バーリンさんはガラさんに詰め寄った。今にも炎の息吹がガラさんを襲いそうなほどだ。あれで平然としていられるなんて、やっぱり英雄と呼ばれる人は器が違うんだろうな。
『……そっちの代表者は?』
ガラさんに促されて、私は仲間たちの前に一歩進み出た。
「私……かな?やっぱり」
これも何かの縁というか。
ビョルンスペードは木星──雷を司っていて、私が憧れる職人の工房街にルーツを持っている。
そして何より、バーリンさんにここまで連れて来られたこと。
偶然だとしても、私が立候補するには充分な気がした。仲間たちからも、反対の声は上がらなかったし──四振目という節目で、ルナティックのリーダーである私が儀式に参戦するのには、大きな意味があることだろう。
……とは言っても、相手は魔騎士でドラゴンだ。真正面から魔法で戦って勝てる道理はない。それならここはひとつ、シンディ直伝の技をひとつ、お披露目する機会だ。
「お……お手柔らかにお願いします♡なんて……」
私は精一杯の内股で、しなを作り、精一杯のキメ顔でガラさんに目配せした。
『よし。色気は無いがその度胸は買った。嬢ちゃんも戦い易いやつにしたろうな』
「やりィ!!」
『はぁ!?』
仲間や七魔将たちは猛吹雪にでも晒されたかのように凍結していたし色に掛けたというより温情だけど、やったモン勝ちなのよこんなのは。シンディもそう言っていた。
そしてガラさんは宣言通り、私たちにとって最も平等な勝負内容を発表した。
『このビョルンスペードは──儂の思い出の味を再現してくれた方に託すとしよう!!』
「はい!?!?」
今、ガラさんは確かに、“思い出の味を再現してくれた方”と言った。思い出の場所に行きたいとか、何かを持って来い、ってんじゃなく。
「それって……まさか、この場で料理対決、ってことですか!?」
『そうじゃな。儂が指定したもんをより上手く作った奴が勝ちじゃ』
ガラさんは自信満々で、さあどこからでも掛かって来いと言いたげに豪気に腕を組んだ。
『何だってそんなので決めようとするんですか!?』
『だってもう強いて言うならアレが飲みたいな~くらいの欲求しか湧かなかったんじゃ!死人ナメんなよ!!』
バーリンさんの疑問も最もだった。
正直、私も想定していなかった勝負内容だ。だって、今まで、全部普通に戦ってきたじゃん……!!
それが今回に限って、いきなりそんなトンチキなものになるなんて。いや、これは干渉した私が完全に悪いけど。何?反応した?私の笑の女神としての才能に?ふざけんな。
「思い出の味って何だ……!?」
ジークやアルスたちからも、どよめきが上がった。
私も分かんないよ。分かんないので、ここは語りたそうにうずうずしているガラさんの話に耳を傾けよう。
『あれは儂が初めて聖騎士王と会った時のことじゃった……』
──要約すると。
それまで地下帝国の略奪者として日がなドラゴンなどを狩って暴れ回っていたガラさんがったが、ひょんなことから地上でヘリオさん一行に加わり、魔物と戦うことになった。
で。その仲間入りが決まった初めての夜に、ヘリオさんたちが駐屯していた辺境の村で飲んだ、名称不明の飲み物をもう一度味わってみたいとのことだった。
何しろ名称不明で、当時は地上の食べ物についても明るくなかったので味についても詳細不明。更にその村自体も人魔大戦の折りに滅んでしまったという。
「ヘリオさんが初めて奢ってくれた思い出の一杯ってことですね」
『うむ。その後もどうしても忘れられなくてのう。何度か自作したり、レシピも探してみたんじゃが、ダメじゃったわ』
つまり私たちに求められているのは、唯一の手掛かりである、ガラさんの記憶だけを頼りにその“思い出の飲み物”とやらを今一度現代に甦らせてみせよ、という無茶ぶり中の無茶ぶりだった。
「こうなると……ワクワクしてしまうのが魔族の宿命」
「なんか言い出した」
途方に暮れる私たちを差し置いて、ジークとフェイさんだけが妙に浮足立っていた。流石、お祭り騒ぎと聞くと必ず現れる変態たち。こういう状況が楽しくて仕方ないんだろうな。
悲しいことに、お祭り好きの浮かれポンチはもう一人身内に潜んでいる。
「じゃあじゃあ~、いっそここを楽しいお料理バトル会場にしちゃいましょ☆はい、ハッピーうれピーよろぴくね~っと♪」
平和な料理対決と聞くや否や、瞳をきらきら輝かせていたヘルメスさんは、愛用のド派手な杖を取り出して一振り。無骨な坑道内にお得意の大規模魔法を掛けて、あっという間にデコレートしてしまう。
レールを挟んでルナティックと七魔将の前にそれぞれ、最新式のキッチンがどどんと召喚され、子供の玩具のように色鮮やかな調理器具と見たこともない食材たちが空中で列を作って踊り始めた。
ヘルメスさんが杖を振るたび、ぽん、ぽん、と紙吹雪が弾け、どこからともなくやってきた照明機器やオーナメントで、壁や地面が彩られていく。
とうとう最後は私たちが立っている地面ごとせり上がり、舞台のようになると、上等なスーツやドレスを纏った人狼たちが観客としてソファーに放り投げられた。ハットを被った狼や小鳥、ちょっと可愛い。
『ああああ儂の採掘場がァァァ!?』
「ちゃんと後で元に戻すからだいじょびよん♪」
継承の儀式の場が目まぐるしく飾り立てられていく光景に目を奪われているなかで、ガラさんの悲鳴が木霊した。無理もない。自分が心血注いで掘り続けた採掘場が、可憐な乙女のちょちょいっとした魔法だけで、瞬く間にショースタジオみたいになっていくんだから。気が付けば私もフリフリエプロンだし。ほんと、規格外だなこのお師匠。
「そういえばヘルメスちゃんと七英雄って、どっちが年上なんだろうな」
「さすがにヘルメスさんの方が若いでしょ……」
「でも七英雄、チョベリグとか言わないぜ……」
アルスとオリヴィエはどうでもいいこと気にしてるし。一応フォローしておいたけど実際どうなんだろう。絶対訊けないよそんなの。
「となると……次はアレが必要だな」
そして次なる一手はこの男。ワクワク顔のジークさんによるフェイさんへの再度のお願いごとだ。
「フェイ。頼めるか」
例に倣ってジークとフェイさんは静かに、そして素早く、スパイ同士のそれのようにやり取りを交わす。
「……というものがあるそうだ」
「分かった。好きなだけ作ろう」
格好つけているけど、相談している内容はお菓子についてである。
一体、何を頼んだのだろうか。
「では──」
それが明らかになるまでに、時間はかからなかった。
フェイさんは魔法の鍵で、何もない宙から骸骨の意匠がついた厳ついマイクを取り出した。
数度テストを経て、フェイさんがマイクを握り締める。
そして。
「チーム対抗グルメ対決!!~英雄の思い出の味を再現せよ~、開幕~~~~~!!!!!」
星全体に届きそうなほどのどでかい声で、フェイさんが司会として開戦を宣言を下した。
しかも、ここでもヘルメスさんの魔法演出つきだ。フェイさんがその場で一回転するのと同時に、金のテープが舞い散った。
「フェイさん!?」
「基本的に頼んだことは全部叶えてくれる」
「すげえな!?」
「だが俺は暫く焼き菓子を作り続けなければならない……!腕が鳴るぜ……!!」
誠実な騎士から陽気な司会者へと鮮やかな変貌を遂げたフェイさんを前に、ジークは何かを覚悟したように固唾を飲んでいた。
ここまでお膳立てされると、本格的に自分がクッキングバトル番組に参加しているような気持ちになってきた。
様変わりしたドワーフの職人町のもと、人狼の観客を前に、私は意を決してキッチンに向かった。
「してガラ殿、思い出の味は一体いつどこで味わったものですかな?」
『うーん……年代はァ……儂が二十代くらいの頃じゃったかのう。ヘリオ達に会ったのは~……確か、エルフの里の近くじゃったわい。そうじゃ、ル=メルの故郷じゃと言っとった』
頭を捻るガラさんの様子を見ていたヘルメスさんが、突然、はっとしたように大きな声を出した。
「それって!!」
「ヘルメスさん、心当たりがあるんですか?」
「う〜〜〜ん。あるよーな、ないよーな……」
「どっちやねん。いきなりでけえ声出され、耳キーンなったわ」
私とヤイバは、驚きを隠せないまま、珍しく考え込んでしまったヘルメスさんを見守ることにした。
そういえば料理対決といえば、ジークだけじゃなく、ヤイバにも以前、助けてもらったことがあったわね……。殆ど黒歴史と癒着してるけど。
同じ頃、向い側のキッチンでは、いつの間にかヘルメスさんの魔法でシェフの格好をさせられた剽軽な魔騎士たちが、慌てた様子で作戦会議をしていた。
『ミリアーデ。私はこの通り変化が解けない……調理は君に任せても良いだろうか』
「仕方のない人ね。貸しにしておいてあげる。でも私……料理なんて。今までずっと、戦いばかりだったから。男の人が喜ぶようなものなんて、作れるか心配」
『大丈夫だ。求められているのは飲み物一杯だし、レシピや調理工程の指示は私が行う。それに、君が不器用なのは君自身の問題だ。男女関係無く、君が素直に私の言うことを聞いてくれればそれで良い』
「はぁ……ッ!!男っていつもそうね。私が純粋無垢なお嬢ちゃんだと思ったら大間違い。ま、いいわ。今回は私が特別に、大人になってあげる」
『いいから早く準備しなさい』
……といったような会話が交わされていた。うん、噂通りの感じだ。そしてやっぱりバーリンさんは常識人枠らしい。ていうか、代理とかアリなのか。それなら私も調理担当はジークにやってもらいたいんだけど。
「ハイ!ガラさん!」
『はい、お嬢ちゃん』
「うちのチームも調理担当は別の人にお願いしたいです!」
『何でじゃ』
「私がポンコツだからです!」
『許可する!』
「やったー!!」
思い立ったら即行動、それが私。無事、魔騎士と同じ条件を受け入れてもらえました。ガラさん優しすぎるな。
私がジークの腕を掴んでキッチンまで連れていったところ、やはりフリフリのエプロンの装着を余儀なくされていた。これ強制フリフリエプロン結界だ。怖。あとジークのフリフリエプロン、似合わなさ過ぎて逆に似合うな……。
『じゃあ、早速本題といくかの』
咳払いをするガラさんに、私たちは再び注目した。
『まずな……あれは苦かったんじゃ。ありゃ、今思うと茶じゃのう。酒ではなかった。あったかくて、色が濃かったんじゃ。そんでな、ピリッと辛かったり、酸っぱかったり、甘かったり、それでいてサッパリしたりした』
昔日の憧憬を思い描くように、輝く瞳で力説するガラさんは、まるで少年だ。
でも申し訳ないんだけど何も伝わってこなかった。
この世にある殆どの味を網羅してるじゃん、それは。対義語が海水じゃん。
一応、メモを取ってみたりする。記されたのは、“辛くて酸っぱくて甘くてサッパリするあったかくて濃いめのお茶”。寝言か何かのメモ?
ジークと顔を見合わせても、眉間に皺を寄せているばかりだ。
「ふむふむ。香りはいかがでしたかな?」
『な〜んか……色んな匂いがしてわからんかったな。そこにな、何か……まろやかになるやつを入れとった。ありゃ牛乳と何かじゃな』
せっかくフェイさんがナイスパスを出してくれたのに、肝心の情報が雑過ぎる。本当にちゃんと味わったのかこの人……いや、でも一度きりしか味わってないのなら無理もない、のかなぁ。
なんて能天気に考えている私たちとは打って変わって、魔騎士側は早速揉め始めていた。
「そんなのわかる訳ないじゃない!!私を馬鹿にしてるの!?」
『いや……私の実家には英雄ガラに関する資料が残っている筈だ!今から飛んで取って来る!!』
バーリンさんはそう言うや否や、自分がぶっ壊してきた天井の穴に向かって素早く飛び立って、遥か上空へ去ってしまった。
「ずるい!!」
『ずるくない』
ずるいずるいと声を揃えながらドラゴンの後姿を指差す私たちに、ガラさんは静かに首を横に振る。ここでもなんか若者に甘い英雄だった。
「思い出した!!あたしも暇すぎて七英雄ゆかりの地ツアーに参加した時に飲んだことあるかも!?」
そして、ようやく、長らく唸っていたヘルメスさんがぽんと手を打った。そんなツアーあるんだ。
ここはヘルメスさん頼みだ。みんなで彼女を囲んで、応援することにした。
「ヘルメスちゃん!頑張って思い出せ!」
「ん~~~ココまで出てきてるのよ!!」
「全然下じゃん!!」
「ダメじゃこりゃ」
結局ヘルメスさんが言う“ココ”は、彼女のセクシーなお腹くらいの所を指していたので、私たちは早々に期待を捨て去ることにした。
対して、この件に関しては全然造詣が無さそうなジークは、以外にも私の隣で心当たりがありそうな顔で考え込んでいた。
「そういえば──フェイと、例の人狼の特効薬を作っていたんだが……似たような味かもな」
「えっと……?」
それは流石に、とは思ったけど。
今は最早、どんな情報でも欲しいところだし、とにかく話を聞いてみよう。
私は司会者としてクッキングバトル会場の中央にガラさんと並んで佇んでいるフェイさんを呼んでみることにした。
「確かにジークウェザーの言う通りかもしれない。私は様々な検証の結果、人狼症には人間界のカフェイン飲料が有効だと仮定したのだ」
「そんなことある!?」
「立派な薬学だとも、マドモワゼル。鎮痛と覚醒作用、リラックス効果……そこへ更にスパイスやハーブを加えることによって、人狼症の苦痛を和らげる特効薬が完成する。無論、厳密な計量や、儀式が必要だがね」
マ…………。突然のマドモワゼル呼びに戸惑ってしまったのは置いておこう。
フェイさんが嘘を言っているようには見えないし、いくら魔族とはいってもジークと二人で揶揄ってる訳でも無さそうだし。
「似てる味って、どんな感じ?」
「コーヒーにジンジャーとシナモン、カルダモン、ナツメグ、蜂蜜を加えたものだ」
「それただのジンジャーブレッドコーヒーじゃない???」
「ああ。理論上は正しい筈なのだがな……彼──エルヴィスに飲ませてもあまり効果は無かった。ほっこりはしていたようだが、現にあのように暴走している」
やっぱり何だか悪戯にしか思えなくなってきたけど。
でも確かに、想像する味わいとは近いのかもしれない。コーヒーの苦味と酸味、ジンジャーの辛さに、蜂蜜の甘さと鼻に抜けるスパイスの香り。
例のルナハニーカフェなんかにもメニューとして置いてあった筈だ。
それをジークが手ずから淹れる、となると、勝負よりも若干かなりすごく、美味しいのかどうか俄然気になってきたというか。
「私も飲んでみたい!」
「なら紅茶にしてみるか……」
「え、何で」
「コーヒーと胸の話をしたばかりだろう」
「そんな今すぐ萎まないですけど……」
「眠れなくなるぞ」
「あ、それは嫌かも」
「丁度、実家から茄子で作った紅茶を貰ったんだ。カフェインレスで美肌効果もあるぞ!」
私が何か口を挟む前に、ジークは愛用の鍵の魔法で材料や使い慣れた料理器具を取り出し、意気揚々と準備に取りかかろうとしていた。
「も、もうちょっと慎重に選ばないか?一応、継承権を賭けた戦いなんだし……」
「ぼくの分はあるんだろうな」
「ワシもワシも」
「ああもう、全員分作ればいいんだろう!」
オリヴィエの制止も虚しく、結局私たちのチームではスパイスおナスティーの作成が半ば強引に決定してしまった。
茄子の登場で一気に雲行きが怪しくなったというか、飲んでみたいと言ったことを早くも後悔し始めている自分が居るのは内緒だ。
けど、それくらい意味分からないもので挑んでみないと、この勝負では意味が無い気がする。
よし、と覚悟を決めた私の横で、ジークは袖を捲り上げ、やる気満々と言った風で──地道に茶葉を計量したり、道具の具合を確かめていた。
「錬金術使いなよ!?」
「何を言う。錬金術で作ったものなんか口に入れたくないだろう」
「急にマトモな倫理観持ちだすじゃん!!」
そういえば、ジークには料理だけは絶対に手作りで、という信念があるんだった。何だっけ、その工程の理解自体が錬金術の理解にも繋がるとかなんとか。単に趣味なのもありそうだけど。
「牛乳も必要だったな。ロイヤルミルクティーにするか」
「あ、じゃあどばっと入れちゃっていいね」
「おい!!」
私はジークが用意した、使い込まれたミルクパンに適当に牛乳をドバァと注いぎ、鷲掴みにした茶葉も同じくらいの勢いで放り込んだ。
「だから何で計量しないんだよお前は!?」
「いいじゃん量くらい適当で!」
ジークがショックでいつもより更に顔を青くしている。失礼なやつだな。
どうせ味付けは最後にするんだから一緒じゃない、ねえ。
私とジークがやいのやいの言いながら茶葉を煮ている間に、翼をはためかせながら、バーリンさんが戻ってきた。あれだけ羽ばたいたのにキッチンの道具ひとつ動かなかった。やはりヘルメスさんの結界、強力過ぎる。
バーリンさんは、大きな鉤爪の間に、分厚くて古い、箱みたいな書物を挟んでいた。
『持ってきたぞ!!』
「あなたって最高ね、バーリン!」
ずるい。ガラさんの子孫だというバーリンさんの家に伝わる、先祖に纏わることが書かれた何か重要な資料とかだろう。それこそ日記とかだったら、ヒントどころか正解が記されているかもしれないじゃない。
私はそんなことを思いながら、ちょっと不満を抱えつつ向かい側のキッチンを眺めていたのだけれど。
「──ちょっと!!これ全部古代ドワーフ語じゃない!!」
『あっ……』
「あなた今、あっ、って言った!?信じられない!やっぱり、私を頼る気なんてなかったってことね。いいわ、別に。私、独りは慣れてるもの」
『違う違うそうじゃない……。しまった……。あ~~~……勘で読めなくは……無いかもしれないが……』
物事は、そう上手く行かないらしい。
例え末裔であってもこの仕打ち。時の流れと人間の進化を感じる話だわね。
このままでは流石にまずいと思ったのか、私同様、バーリンさんが挙手でガラさんへ申し立ての声を上げた。
『審判長ガラ!』
『何じゃ』
『こちらの解読をお願いしたい!』
『却下』
『何故!?』
いつの間に審判長なったんだ、ガラさん。
というか、バーリンさんのテンションがおかしい気がする。やっぱり一度冷静になったとはいえ、人狼にとって満月の夜は興奮しやすいものなのだろうか。それとも元々こうなんだろうか。
ドラゴンの咆哮で以て狼狽えるバーリンさんに、ガラさんは淡々と告げる。
『ずばり答えじゃもん、ダメじゃろそういうのは。勘で読むのはヨシ』
『くっ……!!こちとら末裔だぞ!!サービスは無いのか!?』
『末裔っつってもどこの誰の血筋かも分からんじゃろうが!悔しかったらワシが死んだ後の七百年分の家系図持ってこんかお前!!』
『この……石頭!!』
『ハイ残念ドワーフにとっては褒め言葉です~。何じゃお前そんなことも知らんのか、血薄っすいなお前』
ガラさんに煽り返された結果、バーリンさんは怒髪天を衝いて、耐えきれずに
『ギャオオオオオオオーーーーーッ!!!!』
っと怒りのひと吼えを響かせた。気持ちはわかる。
私も同じ立場だったらああなるし最悪手が出るので、むしろ吼えるだけで我慢したバーリンさんを誰か褒めてあげてほしい。
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──そして。
待つこと数十分。
私たちルナティック、そして魔騎士側のキッチンに、淹れたてのお茶が人数分、並んでいた。
しかもこっち側はお茶菓子付きだ。ジーク曰く、少しでも点数を稼ぐ為とのこと。過去のクソみたいな料理試合を思い出すと、よくもまあちゃんと正々堂々やったもんである。
あ、でもあれは私とのデートが懸かってたからか……。うう、思い出させないでほしかった。
「どちらから提供する?」
「俺達のほうは出来てから暫く経った後が飲み頃だ、先にそっちを出してくれて構わない」
「ふむ。ではガラ殿、まずは魔騎士チームの飲み物のほうから試されると良い。果たしてそのお味とは──!?魔騎士チーム、飲み物を持って前ヘッ!!さあさあ、ここからが勝負の本番だ!」
ジークがやたら丁寧にお茶を淹れた甲斐あって、私たちが作ったお茶は、空気に触れて茶葉の香りが開く瞬間が一番美味しく飲めるようになっている。飲む前にカップを温める準備も万全なので、出来立てよりも待ったほうがいいくらいなんだそうだ。ジーク曰く。
ミリアーデさんは緊張した面持ちで、坑道にそぐわない可愛らしいユニコーンが描かれたデザインのティーカートを運んだ。勿論、あれもヘルメス印だ。
ガラさんがティーカートと同じ、羽根の意匠がついたラブリーなカップを手に取った後、それに続いて、私たちも魔騎士側のお茶のポットに群がった。
カップになみなみ注がれた液体は──なんか、ドス黒かった。
薄いのに黒いという不思議な質感だ。端っこのほうは粉っぽいのに、油の輪が浮いていて、ついでに医務室の消毒薬みたいな匂いがした。飲むのに大分勇気を要する感じだ。一体何を入れたらこうなるんだろう。あまり想像したくなかった。
ところが、ガラさんはこの暗黒物質か重油か、という飲み物を豪快に一口でぐいと飲み干すと、爽やかな笑みを浮かべた。
『おお~~~……かなり近い!!!!気がする!!!!』
その反応を見て、私たちも互いの顔色を見合わせながら、恐る恐るお茶を飲み込んだ。その後、二口目を続ける人は、誰も居なかった。
「ヘルメスさん、どうですか?」
「アこれかも!?!?」
「嘘ん!?」
ただ、ヘルメスさんだけは、記憶と照らし合わせるように何度もカップを口元に運んでいた。
なん……なんだろう。
しょっぱくてえぐくて生臭かった。なのにやたら甘くて、スースーして、口のなかがじゃりじゃりした。この世の全ての味がした。宇宙だ。宇宙的な不味さだった。
『謎の豆を挽いたものにドライイーストとリコリス、ペパーミント、塩、コーラ、牛乳等を混ぜてみました』
「食への冒涜だろ……ッ!!」
真っ先に膝から崩れ落ちたのはジークだった。混ぜるなそんなもん。
この名状しがたい汚泥を生み出してしまった本人たちも、再現を依頼したガラさんがこれだけ喜んでいるにも関わらず、どこか気まずそうに目を逸らしている。
『めちゃくちゃいいのう!もう殆ど勝利かもしれん。やるな、末裔!!』
『何か人として大事な物を失った気がします』
「私もだわ。これは一線を越えた蛮行よ」
キッチンでこの匂いを絶えず浴びていたらああもグロッキーになるだろう。継承権を巡って戦う相手とは言え、不憫でしかなかった。
多分、無事に古文書の解読は出来たんだろうに。真実がいつも人々にとって都合が良いものだとは限らないのね。
私たちは飲みかけのカップを無言で返却し、ミリアーデさんもそれに何も言わずワゴンを回収した。
すっかり気落ちしてしまった雰囲気を変えるべく、私はジークの脇を突いて、自分たちのお茶を披露する機会が巡ってきたことを報せた。
「よし。葬式みたいになったところで、気を取り直して後攻はチーム・ルナティックの茄子紅茶ラテ!何だか不思議な香りが既に会場を包んでいるぞ!では、前へッ!!」
私とジークは、トレーに乗せたカップを運んだ。さっきしてもらったように、七魔将の二人にもお茶を振舞う。
ほんのり温められたカップに、茄子から抽出された淡い青紫のミルクティーが、ジークの手によって打点高めで注がれと、辺りには野菜とスパイスが織りなす優しい香りが広がった。
こちらもガラさんは一口でごくりと飲み干すと、目が覚めたように
『あ、旨ッッッ!!!!』
と即座に叫んだ。
『クソみたいなの飲んだ後じゃから余計旨く感じるわ。そっちのクッキーも寄越せ』
「あ、どうぞ」
褒めてた割にはクソだと思ってたんじゃん!
ガラさんはほくほく顔で、ジークお手製ふんわりハニークッキーとロイヤル茄子ティーを交互に口へ行き来させていた。
私たち含め、七魔将たちも、ほとんど涙する勢いでミルクティーにありついていた。
美味しい飲み物の不思議な効果で、先程まで沈痛な面持ちをしていたみんなは、いつの間にかお茶を片手に笑顔で談笑するまでにメンタルが回復していた。何となく、七魔将のひとともはにかみ合う。
確かに、茄子の香りはするんだけど、スパイスとジンジャー、そして牛乳が加わったことで、ちょっとポタージュみたいな風味になっている。はちみつの甘さがじんわりと深みを持たせてくれて、キャロットケーキみたいな味がした。
というかこの絶妙な味わい、流石ジークシェフの腕前といったところだ。繊細、そして華美。これを作ったのは絶対に味覚の変態だと確信させるような拘りっぷり。私の将来が不安だった。
和やかなムードの中、用意されたお茶菓子を平らげたガラさんは、しかし、納得がいかないように腕を組んで唸っていた。
『圧倒的に美味いんじゃけど~~~……何か違う気がする……』
ここまで味わい尽くしておいて……と、ルナティックの仲間たちがややピリっとした怒りを纏っていたのを察した。みんな、ステイ。
ガラさんは続ける。
『なんかもっとこう、田舎くさいんじゃ。後になって気付いたんじゃけど、ヘリオはめちゃくちゃバカ舌だったんじゃよ。本人も食に興味が無いしな。儂のほうが全然、高級なグルメとかに詳しかったわ。だからこっちの、洗練されてない泥みたいな味の方が、儂の記憶にあるものとは近いんじゃ。これは都会風じゃ』
そう言って、魔騎士チームで余りに余って未だにたぷたぷと水面を揺らせているほうのお茶を指差した。
「つまり──」
フェイさんが一呼吸置く。
そして。
「勝者、魔騎士チーム!!」
「うっそーーー!?」
フェイさんが魔騎士側のキッチンに向かって手を挙げた後ろで、ガラさんが感慨深そうに頷いていた。
彼らを祝福するように、ヘルメスさんの魔法が弾け、花火が上がり、風船が飛び交った。
観客席の人狼たちからも歓喜の遠吠えが響き渡り、新たなビョルンスペードの継承者を賛美しているようだった。
「ま、ま、負けた……!?」
「こんなので……」
「不味いものに……負けた……」
私たちは現状が上手く飲み込めず、困惑と絶望のなか、脱力するほかなかった。
物理的な戦闘ならまだしも、ほぼプロと言っていいジークが居る状況で、料理を題材にした試合で敗北する。
伝説の斧槌の行方が、目の前であっさりとガラさんからバーリンさんに託されていく。
ドワーフの英雄が、ドラゴンの姿へと変じた末裔に、自らの武器を継承する。
何とも神聖な光景の筈なのに。
魔力の光を浴びるビョルンスペードをミリアーデさんに預け、魔布で包まれていくところを眺めているバーリンさんの胸中は、一体どんなものなのだろう。
想像している余裕さえなかった。ど、どうなっちゃうんだろう。
戸惑う私たちに、ガラさんは変わらない態度で歩んでくると、空になったカップを掲げてみせた。
『おい、おかわりくれ』
「あ、はい……」
私はそこで再起不能になっているジークに代わり、見様見真似で、お茶を注いだ。
すると、ヘルメスさんとフェイさんの魔法から解放された人狼たちが、ミルクティーの香りを嗅ぎ付けて集まってきた。
『何じゃ、お前らも飲みたいのか。ほれ、分けてやろうな』
ガラさんは動揺する様子もなく、当たり前のように、カップを地面に置いて人狼たちにミルクティーを飲ませた。
その中に、隻眼の狼の姿もあった。
大人しくカップのお茶をペロペロと舐める人狼たちは、ちょっと可愛い。
そんな風に和んでいた矢先。
『……あれ。オレ、何でこんな所に』
「エルヴィス!?」
ミルクティーを舐めた人狼たちが、不意に正気を取り戻した。
私は咄嗟に、ジークとフェイさんを振り返った。
二人は泥ラテを褒められた七魔将のように、驚愕と気まずさに視線を泳がせていた。
「カフェイン何だったの!?!?」
「小さなことばかり気にしていると前に進めないぞ、マドモワゼル」
今日、初めてジークと目が合わなかった。
「エルヴィス。そ……、それ、飲んで平気なの?」
『ああ。何ともねえどころか……すげえスッキリした感じがする。すげえなこれ。みんな飲んだ方が良い』
──まさかの人狼症特効薬、ここに完成である。
開発者であるジークとフェイさんは、ばんざーい、ばんざーい、と棒読みで喜びを表していた。
その後も、エルヴィスのお勧めを皮切りに、獣に変じた人狼がひっきりなしにミルクティーを求めては、我に返って大人しくなったり、安らかに眠ったりしていた。
ミルクティーの追加製作に追われた私たちは、結局、一晩中鍋と向き合うことになってしまった。
こうして、紅い月夜の戦いは幕を降ろした。
『だぁっはっはっは!!何かよく分からんが、これにて一件落着!!』
天井の穴から真っ直ぐに注がれる紅い月光が、ドワーフの王を照らし出す。
その豪気な笑い声は、狭い採掘場の坑道内、にいつまでも木霊していた。
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・茄子ティーは想像の産物なので実際の味はわかりませんが、魔騎士側の汚泥ラテはサルミアッキ味を想定しています。
・本編更新に伴って、新生アトリウム王国魔騎士団七魔将、七曜の剣と七英雄の紹介ページにバーリン、ミリアーデ、ガラを追記しておくのでお暇があれば是非読んでみてください。




