日出ずる国・4
「まさか本当に今日中に全部揃うなんて……!」
「ま、天下の宝はすべからくワシのもんじゃからのう」
ヤイバは得意げに顎を撫でて、冗談だか本気だか分からない笑みを浮かべた。
クルの人々の奔走の甲斐あってか、私たちが蔵で埃を被った骨粉やら胆石を回収して、お城に戻る頃には、宣言通り全ての材料が用意されていた。
私たちはこれまた城内の別の場所にある、魔導士専用の地下工房に通されると、室内にあるものを自由に使う許可を得た。
「あの体や。なるべく苦しゅうないもんにしてくれ」
「だとよ」
「ジーク、お願いね」
「……承知した」
紋章の上に材料を並べたジークが、眉間に皺を寄せたまま、二人伝てでようやく頷いた。ややこしいなリレーシステム。
カミロ曰く、クルの土地の神気を含み、魔を払う力を持った食物や滋養強壮の効果を盛り込んだ特効薬は、飲めばたちまち鬼煩悩の邪気を断ち切るという。
「──“我は序列四十八位、地獄の大公である。朝を夜に、心臓を脳に、大地を海に変える者。ヒトに富と知恵を唆し、真理を視る紅き雄牛である。意志なき万物よ、有魂の万象よ、我が手によって汝らが到達すべき姿へと導かん”」
ジークの低い詠唱で、紋章が赤黒く輝き始める。
魔界の力は瞬く間に紋章の上の物質を飲み込んで、煙と共に錬成された液体を空瓶の中に吐き出した。
「辛~い鬼煩悩に……名付けてオニノック!」
「俺の作品にダサい商品名をつけるな」
こうしてみんなで作り上げた薬を手に、私たちは早速、エイジャさんの寝所へ足を運んだ。
これできっとエイジャさんの具合も良くなる筈。ヤイバの心配事もひとつ減る。
──そう思っていたのに。
寝所の扉を開けるなり飛び込んできたのは、病に伏せっている筈のエイジャさんの凶刃だった。
エイジャさんは刀を手に猛然とヤイバに襲い掛り、病体とは思えない動きでヤイバを組み敷いた。ヤイバが油断してたのもあったんだろう。
「そなたは……誰じゃ」
血走った目で、しきりにそう呟いている。口の端に泡を浮かべ、痙攣する手でヤイバの首筋に刃を押し付けようとする姿は、まるで毒に支配されている魔物のようですらあった。
ヤイバは自分の短刀で刃を防ぎながら、冷静にエイジャさんの瞳を覗き込む。
「父上。ワシがわからんか」
「誰じゃ。そなたもわてを殺しに来たんか。わてを弑するんか!許さんぞ!名を名乗れ!わては藩王や。何もかも犠牲にして、何もかも手に入れた。わてからは、何も奪わせんぞ!」
いよいよ刀を振り下ろしたエイジャさんを強く突き放して、ヤイバは立ち上がった。
病んだ父親の姿に心を痛めたように瞑目したのも束の間、茜色の瞳に覚悟の鋭さを湛えて、エイジャさんと対峙する。
「──おう。そうじゃ。ワシが鬼や。獄卒じゃ。お主を六道に連れて行く。覚悟せえ」
「ヤイバ……」
ヤイバの背中に駆け寄ろうとする私を、ジークが止めた。無言で首を振り、邪魔をしてはならないと釘を差す。思わず、ジークの手を強く握り返した。
「来るな……!来るなぁ!!わての夢じゃ、これはわての夢じゃ、血の一滴も、渡すものかァ!!」
「御屋形様……!!」
「放せ、そなたもわての敵やろ!皆、みぃんな、敵じゃ!者ども出合え、出合えい!戦支度せえ!ああ、ああけども……あいつもこいつも、わてを恨んどる……!!敵に射掛けた矢ぁを、わての背中に向けるんや……!!」
刃物を持って暴れ回るエイジャさんの足下に、ランくんが絡みつく。しかし、小柄なヒューマーのランくんでは、すぐに振りほどかれてしまう。
「ツルヒコ!抑えつけろ!」
「しかし……」
「これ以上、オメェの乳兄弟の醜態が見てぇんか!!」
「……はっ、直ちに。」
ランくんに代わって、体格の良いツルヒコさんが、エイジャさんを背後から羽交い絞めにした。
武器を叩き落され、それでも両手両足を遮二無二振り回すエイジャさんのもとに跪いて、ヤイバが薬の包みを取り出した。エイジャさんの口元に運び、無理矢理に飲み込ませようとする。
「さあ、飲めい。人殺し。あれだけ人を殺したんじゃ。安らかに死ねると思うな」
「嫌や、毒でなんぞ死にとうない……!!」
エイジャさんが、虎の爪で、ヤイバの頬を引っ搔いた。
その隙に、ヤイバは、エイジャさんの毛皮に一本の注射の針を突き刺した。
薬を打たれた途端、エイジャさんはがくりと気を失って倒れ込んでしまった。
事態が沈静化したことで、ようやく緊張の糸が解ける。
「ヤイバが言った通り、注射器にして良かったね」
「こうなることはわかっちょったからのう」
ヤイバもやれやれと、安堵の息を吐いた。
そして、再び毛布に伏したエイジャさんのもとに跪き、カミロが祝福の祝詞を唱える。
「──“大いなる父よ。御身の貴きこと、畏きことは天上の光のごとくなり。その身に伏して我が祈りを捧ぐことを許し給う。御身の深き慈しみを以てこの者の罪、不浄を雪ぎ清め給う。御身と名も無き民の為に、我が血肉の麦、我が心の酒杯、我が魂の言葉を永久に献ずることを今再び誓わん”」
カミロが十字架を掲げると、エイジャさんの周囲に光が満ち、どこからか白い羽根が舞い込んだ。
きっと、エイジャさんの体から悪いものが出ていくように、祈ってくれたのだろう。
これでもう、一安心だ。
──それから数十分後。
魘されるような苦悶の声と共に、エイジャさんが起き上がった。
「うう……う……わては……どないなったんや……」
相変わらず痩せてこけた頬はそのままだけど、どこか憑き物でも落ちたように、すっきりとした顔色になっていた。
エイジャさんは近くにヤイバの姿を見るなり、眉を顰めた。
「ヤイバ……。……そうか。そなたが薬を……」
老いた虎の横顔が、気まずそうに頭を垂れた。自分の懐と掌を見下ろして、ままならないような溜息を吐く。
「まだあの醜女の為に、わての首を狙うとるんか」
「そうやなぁ。せっかく正気に戻しちゃったんじゃけ、そこ退いてくれ。鬱陶しゅうて適ん」
「ふん……。若造が。兄弟全員蹴散らしてから言いや。わてに媚びたところでそなたの功が上がる訳でなし。さっさと去ね」
親子とは思えない冷たい雰囲気に、こっちまで胃が痛くなった。
それは──むしろ、正気を失っていた頃の方が、優しいお父様だったんだと分かる、寂しい真実だった。
けれど、ヤイバは後悔していないようだった。エイジャさんが弱っていた時よりも、今のように、対等な立場でピリついた空気を作りだすくらいのほうが、愉快だとでも言いたげだ。
.
その日、お城では早速、エイジャさんの快気祝いの宴が開催されることになった。
「せっかくの祭りや!お主等も参加してけぇ!」
と、当の若君もこう仰られていることなので。
私たち三人もお城にもう少し留まって、その宴とやらに参加することを決めた。
いつの間に準備が進んだのか、少し汗ばむくらいの陽気の下では、ぽんぽんと景気の良い花火が上がっていた。
城下では人々が神像のようなものを運んで、歌って踊って、紙吹雪を散らしながら、お酒を飲み交わしている。
ぼんやり空を見上げていると、太陽の輝きを脅かすくらいの、ひと際大きい色鮮やかな大輪の花火が打ちあがった。
「すご……!!」
「派手だな」
立ち込める火薬の匂いすら、おめでたく感じる。
やがて陽が沈んでくると、露店が集まって、まるで競い合うようにそれぞれの軒先にカラフルな照明を提げ始めた。
クルの大自然に覆われた薄闇に、宝石や星を散りばめたような小さな煌めきが宿ると、そこは一気に幻想的な空間になった。
──殿下が久しぶりにお姿を見せるそうだよ。
──お忙しかったみたいだけど、お元気そうで何よりだねぇ
──そういえば、若様も帰ってらっしゃるんだってさぁ。嬉しいねぇ。
お城の人もそうでない人も入り混じって、あちこちから、楽しげな噂話が聞こえてくる。
この光景を作り出しているのが、大切な仲間のお陰だと思うと、誇らしかった。
咲き乱れる花をぶら下げた木々の枝に、出店の灯りが反射して、紫やピンクの淡いドームが生まれていた。
池の水面が音楽に合わせて揺れて、そこで泳ぐ魚の黄金色の鱗が波模様になる。
どこかから漂ってくる焼きたての飴の甘い香りも、風に乗ってやってくる草の匂いも。
すべてが、美しかった。
「口が開いてる」
「へっ、あ、あははっ。見惚れちゃったんだもん」
「確かに……なかなか見られない光景だな」
隣のジークまでもが、私と同じように、お祭りの風景に魅入っていた。
きらきらの花火のが瞬くたび、ジークの金の瞳も閃く。
わくわくしたような、夢中になっているような視線で遠くの空に釘付けになっているジークが、なんだかとても愛おしかった。
「それもあるけど……ジークの瞳の中に花火が映ってて、綺麗だなって」
「俺は今、口説かれているのか……?」
「えっ!?あ、そう聞こえたっ?」
「完全にそうだった」
私たちはどちらともなく、吹き出した。
暫く意味もなく笑った後で──ふと、私は、お祭りの喧騒から離れて、ヤイバが一人、お城の展望台で城下を見下ろしていることに気付いた。満足そうに人々の営みを見守る彼の姿が、妙に気になった。
「私、ちょっと行ってくるから、待ってて」
「あ、ああ」
彼氏と絶好のデートチャンスなのは勿体ないんだけど。
私はジークを差し置いて、ヤイバのもとへ駈け出していた。
.
「いい場所だね」
私が展望台にやって来ると、ヤイバは分かっていたかのように、自分の隣に来るよう私に促した。
隣に立って、同じ景色を見下ろす。
行われているお祭りじたいは何も変わらない。だけど、不思議と、ここから見える人々は、活気と夢に溢れて、全てを忘れるくらい楽し気に映った。
ちょうど城下の背後に、山脈の全景が見えるせいかもしれない。
自然に包まれた人々の夢のような輝きたち。
手を伸ばせば、それが全て掴めそうだった。
「ワシの夢はな……」
ヤイバが、小さく呟いた。
誰に聞かせるでもない、独りごとみたいに。視線は私ではなく、やはりどこか遠くを眺めている。
「ワシみてえな餓鬼をもう作らんことじゃ」
「え……」
いつも自信に満ち溢れたヤイバからは想像も出来なかった言葉に、思わず彼の横顔を窺った。
「クルの王は九つの種族からそれぞれ嫁を娶る。ワシの母もその内の一人やった。けど、オーガの女ちゅうんは、他種族から受けが悪うてのう。醜女から生まれたワシごと、領地は冷遇されて、王宮の贅沢たァ程遠い生活が続いちょった。毎日手下どもと、土塗れで渇いた田畑ァ耕したもんやで」
私は、静かにヤイバの語る過去を待って、聞いた。
泥まみれで畑仕事なんて、やっぱり、今のヤイバからは想像できない。
だけど、幼少の頃を思い出すヤイバは、いつになく楽しそうだった。
「しゃーけど、暮らしを、生まれを恨んだことなんかありゃせん。オーガの腕っぷしさえありゃあ、ワシャ英雄扱いよ。ワシのお陰で爺婆が老体に鞭打つ必要無くなったァ言うて、若衆どもも喜んどった!」
ヤイバの瞳にも、露店の灯りがきらきらと映り込んでいた。星を追いかける子供みたいに、必死にその光を取り込もうとしてるみたいだった。
「それも長うは続かなんだ。ワシに曙の神さんの力が宿っとると分かってから、親父はワシだけを都に呼んで、正式な世継ぎとして取り立てた」
「そうだったんだ……」
その話を聞いて、少しだけだけど、ヤイバとエイジャさんの関係にも納得がいった。
互いに、不服なのだ。
だけど、きっと愛情が無いわけじゃない。
上手くいってないだけなんだ。王様と、力ある異端児という立場がある以上、あれが最大限の愛情表現と言っていいのかもしれない。
「──上洛してからは、そりゃあ悲惨なもんやったで。ワシを鬼の忌子じゃと遠ざける者もおれば、ワシこそが神の寵児じゃと擦り寄って来る者もおる。誰を信じてええかも分からん。煮え湯飲まされたのも、一度や二度じゃきかん。あそこは欲望の坩堝や。えれぇ厄介ごとに巻き込まれたもんじゃ」
私は、子供の頃のヤイバを想像してみた。
今よりも背が低くて、だけど、腹の底が読めない生意気そうな態度はそのままのヤイバ。
きっと彼なら、どんな困難も乗りこなせるような気がした。乗りこなしてきたからこその、太陽のような笑顔なのかもしれない。
「次第にこう思うようになった。“──主ら、力に縋りたいんか、力を御したいんか、どっちや”、と。奴等の関心ごとは、ワシやのうて、ワシの“力”だけや。さんざバケモン扱いされちょったワシからしてみりゃあ、ワシを我欲の為に利用する道具としか思っちょらん主らのほうが、よっぽどバケモンじゃ、と」
「少し……分かるかも」
「おめぇさんも、さぞけったいな目に遭うてきたことじゃろ」
幸か不幸か、私には、そんな風に擦り寄って来る人は居なかったけど。
でも、過去に、私をアンリミテッドと蔑むように呼んで、腫物扱いしてきたひとたちは居る。
もし今になって、アンリミテッドの力が必要です、なんて大勢に縋られたら?
ちょっとだけだけど──気持ち悪いって、思うかもしれない。きっと大丈夫って思いたいけど、少なくとも、暫くは、何かを信じようって純粋な気持ちは忘れてしまいそうだ。
「神さん頼みはええ。オーガの差別も、好き勝手にやりゃええ。じゃが、餓鬼から魂ごと奪いよるんは、ヒトが踏み越えて良い領分を侵しとる。こねぇな思いすんのは、ワシで最後や。ワシが矢面に立ちゃあ、ワシみてえな餓鬼が、もしかしたら一人でも減るかもしれん。ワシはその為に戦う」
──そうか。
ヤイバが内に秘めた情熱の正体が分かった。
まだ見ぬ誰かの為の義憤。
過去に助けられなかった自分の影法師の為に、ヤイバは強くあろうとしている。
「しゃあから、親父殿にゃあ、さっさと玉座ァ明け渡してもらわにゃならんのよ」
「そっか。かっこいいね」
「かっこ……ええか?馬鹿げちょると思わんのか?ワシがこの話すると、皆、大声あげて笑いよるぞ。七光のうつけの息子が、いきがるんじゃねえ、いうて」
「笑わないよ。カッコいいじゃん。ヤイバなら出来そうだし」
「本当に……そう思うんか?」
「う、うん。ていうか、私からしたら……叶うとか叶わないとか以前に、そうやって夢中で、一心不乱に何かを求めてる人って、憧れるよ。楽しくてハチャメチャじゃなきゃ!」
「ワシの夢を笑わんかったんは、お前が初めてや……」
「私に手伝えることがあったら言ってね」
私がエールの意を込めてヤイバの手を握ると、人外二人に真実を告げられた時のように、彼は目を瞠ったまま硬直してしまった。
「ヤイバ、どうしたの?私、なんか、変なこと言ったかな……」
なんか、様子がおかしいんですけど。
恐る恐る様子を窺おうと思った瞬間、ヤイバは力強く私の手を握り返してきた。
そして、低く小さい声で、なにかを呟き始める。
「今晩……」
「はえ?」
「今晩、お主の褥に夜這いをかけてもええやろか?」
「よば……?」
一瞬、彼が言っている意味が分からなかった。
あまりに馴染みのない言葉だったので、脳内から引っ張り出してくるのに時間がかかった。
しかし、その意味を理解した途端、瞬く間に私の全身に電流が走った。
「いいいいい訳あるかあぁぁい!!!!????」
「何でや!?今のは明らかにワシへの口説き文句やったやろ!!部屋に呼んどるのと同じじゃろうが!!」
「違う違う違うそうじゃない!!全然違うから!!!!文化の違い、怖!!!!」
「お前くれえ豪気な娘やったら、腕枕くらいしちゃるぞ。どや?な?」
「ひっ、ひいい……!!」
ヤイバはうっとりとした恍惚の表情で、私の甲を撫でまわしていた。
あまりに急展開だったので、動揺と恐怖の赴くまま、思いっきりヤイバの頬をビンタしてしまった。
「あ、ご、ごめんだけど、わ、私、ジーク居るし……!!」
「構わん構わん」
「私が構うんじゃ!!!!」
思わず口調が移ってしまった。
何でよ。共感して励ましただけじゃん。別に好意は伝えてないよ。盛大に何かを勘違いしているよ。
私はにじり寄るヤイバから距離を取り、半分パニックになりながら大声で拒絶した。
すると。
「ザラ、どうした!大声が聞こえたぞ!」
「いや、あの、えと、」
すぐさまジークが現れた。
ジークは私とヤイバの微妙な距離と雰囲気を察すると、即座に殺気を纏ってヤイバに詰め寄った。
「貴様……この娘に手出しできると思うなよ」
「何を言う。お前のモンでもあるめぇし」
「いいや。ザラは俺のもので、俺もザラのものだ」
恥ずかしいので止めて、と言いたいのは山々なんだけど、この状況ではそうも言っていられず。
私はもう殆ど腰が引けた状態で、隠れるようにしてジークの背中にしがみついた。
それを見ていたヤイバは、怒るでも悲しむでもなく、愉快そうに大声で笑った。
「悪鬼羅刹も篭絡するたァ、やりよるわ!カッカッカ!」
ヤイバの背後で、人々が歓声と拍手をあげるほどの、大迫力の花火が弾けた。
茜色の火花は、まるで祝福するように、クルの若君の笑顔に降り注いでいた。
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