第二の剣・弓弦剣・3
「あー、なんかすっきりした!」
「酷い目に遭った……」
「危うく口から魂が出ていくところだったよ」
「それ笑っていいやつなのか……?」
平衡感覚を失って千鳥足を踏むオリヴィエとヒエンには悪いけど、人生で初めて思う存分魔力をカッ飛ばしたお陰か、私はいつになく爽快な気分だった。
カリフェンの透き通るような湖の上を流れ星のような速さで駆け抜けてきただけあって、どうやら私たち三人が一番乗りのようだった。
取り敢えず分かりやすいかなと思って、観覧車の近くに上陸してみたけど。ネロ先輩の説明通り、入園客らしい姿は無かった。
代わりに、避難の時に踏みつけられたであろうジュースのゴミや、マスコットのハーシェルくんが描かれた風船などが、ぺしゃんこになって散乱している。
いつかのヴィスみたいに、血だまりが見当たらないだけましだと思ってしまった。
「ここは……遊園地、なのか?」
オリヴィエが興味深そうに周囲を確認するや否や──私たちに近付く異様な気配をいち早く察知したヒエンが、腰の刀に手をかけた。
『恨めしや……』
『恨めしや、ウラヌス……』
地の底から響くような声は、私たちを取り囲む、大量のハーシェルくん人形のものだった。
人々を夢の楽園に案内する陽気でちゃっかりした猫のマスコットは、その造形の愛らしさからは想像も出来ないような虚ろな表情で呪詛を唱え続けている。
ていうか、こんなに数が居たのかって。
『ウラヌス……よくも、こんなものを……』
『罠にさえかからなければ、俺だって……』
じわり、じわりと。ハーシェルくんたちはにじり寄るように距離を詰めて来る。今にも飛び掛かってきそうな緊迫した雰囲気に、私は固唾を呑んだ。
──ふと、無数のハーシェルくんの群れの中に、人影が混じっていることに気付く。
長い杖を握り締めて、ハーシェルくんたちの間を縫うように移動する、女性のシルエット。
「グレン!?」
「ザラ……!そうか、ヘルメスからの応援で来てくれたんだね!」
緊張した空気のなかに現れたのは、先月、ヘルメス魔法学校を卒業したばかりのグレンだった。
──そうか、先に派遣されてる近隣のギルドの人!
……と、思ったけど、あれ。グレンって国境近くの新設ギルドに行ったんじゃなかったっけ。
そん風に、グレンの登場に気を取られた瞬間が仇になった。
私の油断を見透かしたのか、ハーシェルくんたちは堰を切った波のように押し寄せると、綿と魔術で出来た身体を幾重にも重ね、圧迫するように私たちの腕や足に絡みついた。
「何だ、コイツら……ぬいぐるみ!?」
「自律型魔導人形の筈だ。人間を襲うなんて考えられない」
「でも現に襲ってきてるじゃんかよ!うわ、力、強ぇ……!!」
オリヴィエの言う通り、背丈は子供にも満たない、ただのぬいぐるみの筈なのに、尋常じゃない力強さで私たちの動きを封じている。
唯一、その素早さでハーシェルくんたちが襲い掛かって来る寸の間を掻い潜り、事なきを得たらしいヒエンが、手持ちの刀で容赦なくハーシェルくんを真っ二つにした。
切れ目から血の代わりに綿と糸を吐き出し、火花を上げて沈黙するハーシェルくん……という光景は、そんじょそこらのホラーよりもおぞましいものだった。いくら何でも可哀想じゃない……。
「これで少しは静かになるか」
「……斬ったのに動いてるぞ!?」
しかし、ヒエンの一撃によって一度停止した筈のハーシェルくんは、真っ二つになったまま、まるで何事も無かったかのようにむくりと起き上がった。
「馬鹿な!中の魔術機関ごと切り裂いた筈だ!」
吠えるヒエンに、再びハーシェルくんが飛び掛かる。
しかし、グレンが咄嗟に杖を翳し、
「“硫黄の腐臭振り撒く幽けき遊魂よ──浄化の祈りを聞き届け給え”!」
詠唱すると、周囲のハーシェルくんたちはがくりと膝を付いて、それきりうんともすんとも言わなくなった。
グレンが安堵したように息を吐く。
「どうやら、誰かがハーシェルくんの身体に降霊術を施したみたいなんだ」
「降霊……操ってるってこと!?」
「ウラヌスの使い魔に魔術を上書き出来るなんて、相当の実力者だと思う。私達療術士が今みたいに浄化するか、動きを封じるかしないと、頭だけになっても動き続けるみたい」
「地味に恐ろしい……!」
そして、グレンが浄化したそばから、また新たなハーシェルくんがわらわらと出現し、集まってくる。
こちらに手を伸ばして迫って来る様は、平時なら、おやつをねだってくる子供みたいでかわいいものだけど、いかんせんこの状況だと恐怖でしかないのよね。
ていうか、ハーシェルくん人形どんだけ居るのよ。どこかに隠れてたってこと?怖いよ、お客さん一人あたりに対して一体以上配属できちゃうじゃん。
四方を無数のハーシェルくんに囲まれ、私たちは観覧車を背に追い詰められていく。
不自然に首を揺らす人形たちの内の一体が、光の宿らない瞳で、グレンを射竦めた。
『……グレ、ン』
ハーシェルくんの発声機能を司る魔導機構が、歪んだ音色の中に、確かにそう呼んだ。
「どうして、私の名前を……」
流石のグレンの横顔にも、緊張が浮かんでいる。私は彼女のコートの裾を握って、いつ何が起きてもいいように身構えた。
グレンの名前を口にしたハーシェルくんの隣に、別のもう一体が寄り添うように歩み出た。まるで、夫婦か、恋人みたいな距離で。
『グレン、無事、だったのね』
『ああ、良かった、良かった……』
「何、を」
私は耳にしたことのない、けれど、グレンには何か致命的な記憶を想起させた声は、若い男女のものだった。
幽霊でも見たような驚嘆と怯えに満ちた表情のまま、グレンの時間が凍り付いていた。
彼女の口元が僅かに、音も無く、どうして、と動いた。
『心配、してたのよぉ……あんなに、痛かったんだから……あなたもきっと……一緒に来てくれると思ってたのに……』
『お誕生日、祝ってあげられなくて、ごめんね……。パパたちはもう、二度と、グレンのプレゼントを選べないから……せめて、忘れないでいてね……』
「違う……!嘘だ!あの二人は……!!」
『ああ、どうして……どうしてどうしてどうして……あなただけ……』
二体のハーシェルくんが放つ言葉の中に、悪意が介入したかのような雑音が飛び交う。
グレンのご両親は、ご健在の筈だ。それに彼女は、自分の両親をパパ、ママ、なんて子供のように呼んだりしない。だから──あの声は。嫌な想像ばかりが膨らむ。
空気が張り詰めるような魔力の気配に、いち早くヒエンが反応した。
動けないグレンの代わりに、私たちが何とかしないと。
『あなただけ──生きてるのぉぉぉぉぉッッ!!!!』
嘆きと共に、ハーシェルくんが火花を散らしながら牙を剥いた。地面を蹴り、呪詛を吐きながらグレンの杖に纏わりつく。
「ザラくん、雷の魔法を!!」
「わかった!!」
ヒエンに弾かれるように背中を押し出され、グレンの前に勇み出る。
彼女は未だ、杖にしがみつく亡霊を振り払えないでいた。
「こンのぉ……っ!!」
短い杖の先端を地面に叩き付ける。銀の意匠と煉瓦道が触れ合う瞬間に、魔力を迸らせると、私を中心とした円形に、雷の魔法が拡散した。
私が放った魔法で、グレンに執着していた二体も、周囲のハーシェルくんも、纏めて吹き飛んでいく。
丸焦げになったぬいぐるみは、煙を上げながら、それでも壊れたラジオのように何かを呟きながら、次第に動かなくなっていった。
「グレン、今のは……もしかして」
「私の──パパとママはもう居ない。あいつらはただの悪霊だ。負の魔力の集合体──魔物に成る直前の何か、みたいなものだよ。それらしいことを言ってるだけ」
「……でも、良い気分じゃなかったでしょう」
「……そうだね。だから嫌いなんだ。ザラ、助かったよ。ありがとう」
グレンが苦い顔で自分の眉間を皺を解していた。
私は初めて、降霊術の恐ろしさの一端を垣間見た。
もう会えない、けれどよく知った声色で、自分の名前を呼び、怨嗟の言葉を吐く異形の何か。その真贋に関わらず、別れを経験した人間ならば、例え一瞬であろうともその声に耳を傾けてしまう。
もともとのハーシェルくんが、戦闘ではなくあくまで遊園地の案内するだけの能力しかない非力な存在だから助かっただけだ。
これが本当に強力な魔物だったりしたら、その寸の間の隙が命取りになるかもしれない。そう思うと、ぞっとしない技術だわ。
「ザラ、注意して。あいつらは、生者の心の弱い部分を敏感に嗅ぎ付けてくる。死者に後ろ暗い気持ちを抱いていると、あっという間につけ込まれるよ」
私だけでなく、オリヴィエやヒエンも、覚悟したように強く頷いた。
「多分、占拠されてるのは天文台の方だろうって、私たちは睨んでる。そっちはうちの魔導士が向かってるから、ヘルメスのみんなは他を回って、逃げ遅れた人が居ないか探してみてくれないかな」
落ち着けそうな物陰に隠れて、グレンと情報を交換し合う。
そしてやはりというか、先に現場に到着していた聖魔導ギルドは既に騒動の内容を把握しているらしい。
連携が取れている専門家の邪魔にならない為にも、私たちは大人しく彼女らの言うことに従うべきだろう。先生にもそう言われてるし。(傍から見れば)女子四人で頭を付き合わせてるっていうのに、全然ガールズトークでも何でもないのが我ながらクールだわ。
「分かった。なら、オレたちで伝達に行ったほうがいいかな?」
「そうだね。一応、魔紋で狼煙も上げようか。えーっと……何色と何色だっけ」
「救助優先は緑だ」
流石に物覚えの良いヒエンに言われるまま、出発前に持たされた魔紋を取り出そうとして──
「……って、モニカァ!?」
「わ、びっくりした」
私の準備の手は、グレンの驚愕につられて滑ってしまった。火薬が、火薬が落ちる。
今更気付いたとでも言うように、グレンはヒエンの両肩を掴んで、その容貌を上から下までなぞるように観察していた。
「君、モニカだよね?図書館の……うわあ、随分雰囲気違うから見違えちゃったよ……!どうしたの、イメチェン?キャラ変?」
「説明すると長くなる」
「ま、また今度ちゃんと話すね」
ヒエンが余計な事を言って混乱させる前に、切り上げておこう。実際、そんな悠長に話していられる暇ないし。
掌ほどの紙切れに刻まれた魔法陣の上で、ヒエンが指し示した火薬に火を点けれると、その通りに緑色の煙が上がった。
私たちヘルメスの生徒は、事前に学校から、有事の際の伝達方法をレクチャーされている。これで、同じ生徒なら、遠くからでも大まかな連絡が取り合える。
中には、水晶や使い魔を用いる人も居るんでしょうけどね。このパーティ編成だとね。足がやたら速い妖怪が居るくらいのメリットしか無いのでね。
狼煙を焚いて間もなく、観覧車の向こうから応援の人影が駆け付けて来るのが分かった。
「お前たち、無事か!」
いやあんたかい。と、ツッコミたくなる気持ちは置いておいて。むしろこういう状況では、私が一番頼りにしている人物だ。
「ジークくん!?」
「グレン、久しぶりだな」
ジークが単独で現れた。
そりゃ、確かに生徒だけってことは無いだろうけども。わざわざ私が居る方に来たのかな……嬉しいやら恥ずかしいやら……他の生徒に示し付かないんじゃないのと思うけど、そういうの気にする性質じゃないしなぁ。
いつもみたいに駆け寄る訳にもなぁとか私がまごついている一方で、グレンは友人として遠慮なくジークの様子を窺っていた。
「あれ、君……ああ、そっか!ネロくんキョウくんと一緒に教師になったんだっけ。いいなぁ、卒業してないみたいで」
「仕方なくだ」
「あっはっは、生徒って顔じゃないもんねぇ!」
「悪かったな」
「うんうん、ザラの傍に居るにはそれしか方法ないしね。いいんじゃない」
グレンは親し気に、ジークの背中をばしばし叩いていた。その親しさゆえに、事情を察するのも早い。
ちなみに、相手に礼儀正しくされれば同じだけ礼儀正しく、無礼にされれば倍、無礼に振舞うジークにとって、グレンやアルスのような気さくな人物は微妙にやり辛いらしく、強く責められないんだそうだ。そんな二人の関係がぼんやり見えるやり取りは、見ていてちょっと面白い。
改めてジークにも、グレンから聞いたことを伝えると、話はトントン拍子で纏まり、私たちはジークを加えた四人で行動することになった。
グレンはここで別れて、ギルドの仲間との合流を目指すそうだ。
「私からアドバイス。悪霊の気配が一番近いのは向こう──高台のほうだよ。ほら、あそこ。見えるでしょ」
ハーシェルくんに降ろされた、悪しき負の魔力と魂。
そのボスとも言えるような存在の居場所が示唆されたのは、私とジークとアルスが、同じ心の傷を負うことになった、あの場所だった。
「ザラ、大丈夫か……?」
「ジークウェザーくんもだ。その調子で、ぼくの足を引っ張るようなことはしないでくれよ」
いつの間にか私とジークは、高台を仰いだまま、言葉を失って放心していたらしい。
「平気。ね、ジーク?」
「ああ。行くぞ」
再び、どこからともなく出現し始めたハーシェルくんたちの間を掻い潜って、私たちは高台を──あの丘を目指して駆け出した。
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私は、高台を目指す道中にある劇場──『蟹ハウス』に、先ほどと同じく、降霊ハーシェルくんに囲まれる人影を垣間見た。
「待って!誰か居る!」
「あれは……!」
咄嗟に横道に逸れて、目標を定めた先の人物は、見たことのある格好をしていた。ていうか、着たことある。
「「クリスタリリー!!」」
既視感の正体に気付いたジークと声が重なった。
隣で並走するオリヴィエとヒエンが、露骨に“何言ってんだコイツ”的な視線を注いでくるのが分かった。こっちだって本意じゃないやい。
「じゃなくて、女優さんだよね!?助けに行かなきゃ!」
「ひぃぃ~~~~ん!!誰かぁ゛~~~!!」
私が急遽演じることになった、架空の美剣士・クリスタリリーの衣装を身に纏った女優さんは、職業柄のよく通る声で、役とは裏腹の情けない嗚咽を漏らしていた。
ステージの中央にたった一人取り残されて、今にも観客席を埋めつくすハーシェルくんたちに取って食われそうな状況に置かれれば、仕方のないことだ。
へっぴり腰で必死に模造の剣を振り回して応戦しているものの、あれじゃいつ怪我をするとも限らない。
「今、そっちに行きます!」
私も負けじと声を張り上げた。
こちらの気配に気付いて振り向いた女優さんは、私とよく似た背格好をしていた。もしかしたら顔も似てるかも……?
「あああ、もしかして、ヘルメス魔法学校の学生さんですか!?助かりますぅ~~~!!」
私たちがステージに到着するや否や、女優さんは、多分私たちより年上だろうに、恥も外聞もなく鼻水を垂らしながら縋りついてきた。
「まだ安心するな。あんたは下がっててくれ」
オリヴィエがそれとなく手を取って、涙で仮面を濡らす女優さんを背中に庇った。さすが王族、紳士だ……。
「何故、こんな目立つ場所で呆けて立っていたんだね。従業員は皆、退避したんじゃなかったのか?」
「それが、そのう……お客さんを先に逃がしていたら……すっかり囲まれてしまいましてぇ……!!もうあたし、ここでハーシェルくんに食べられて死んじゃうのかと思いましたぁ~~~~!!!!」
安心して腰が抜けてしまったのか、女優さんは立つことすらままならないようだった。
それでも、これは彼女が勇気ある選択をした結果の姿だ。
「客は全員、無事に避難したんだな?」
「あ、は、はい。それはもう、ばっちり見届けました。でも、あたし、トロいから、お子さんたちに手を振ってる間に一人で取り残されちゃいました……。こんなことならカッコつけずに逃げてれば良かったぁぁぁ……」
確認するジークにも怯まずに受け答え出来ている時点で、この女性もだいぶ、肝の据わった性格だというのが分かる。じゃなきゃ、お客さんが何人も居る舞台で、演技なんて出来ないもんね。
「そっか……。でも、きっと子供たちも、最後にクリスタリリーが見送ってくれて、心強かったと思います。誰にでも出来ることじゃないですよ。もっと自分を誇ってください」
「……そんな、あたし……」
「もう大丈夫。ここからは私たちに任せてください!」
私もオリヴィエの隣に並んで、女優さんを守るように、ハーシェルくんたちと向かい合った。
「……本物のクリスタリリーだぁ……」
女優さんが何か言っていたのは聞こえなかったけど。
ステージを伝ってせり上がってくる人形の群れは、襲い掛かるべき標的が一つではないことを悟ると、その勢いを増し、私たち目掛けて覆いかぶさるように飛び込んできた。
「ッ……!この人形たちは、一体何が目的だというんだ……!?」
「くそっ、離れろ……!!」
剣を構えるオリヴィエとヒエンの腕に、ふわふわもこもこのハーシェルくんの四肢が巻き付いていた。
「オリヴィエくん、きみの瞳術は通じないのか!?」
「無理だよ!こいつら、生き物じゃないし……!」
刃を振りかざして一刀両断しても、次なるハーシェルくんが足を絡めとり、背中に負ぶさる。
鳩尾に地味なパンチやキックを叩きこんで、追ってきたところに別のハーシェルくんの体を引っ掛け、転倒させるなんて姑息な真似まで披露する始末。
確かにハーシェルくんは、直接的な攻撃、というよりは、私たちの動きを封じ込めるような動きばかりをしていた。
「……止むを得ん」
ハーシェルくんたちの行動に違和感を覚えたジークが、ぼそりと呟いた。
──あ。私、これ、知ってる。
注意も何も勧告せず、ジークは静かに膝をついて、ステージの床に両手をついた。
ジークが手を翳した箇所から、紅い光を纏った紋章が浮かび上がる。
「みんな、私の後ろに隠れて!巻き込まれちゃうよ!」
困惑するオリヴィエとヒエンの腕を無理矢理に引き寄せる。
何で唐突にやるかな。一声掛けなさいよ。私が居なかったらどうしてたのよ。
「──“我は序列四十八位、地獄の大公である。朝を夜に、心臓を脳に、大地を海に変える者。ヒトに富と知恵を唆し、真理を視る紅き雄牛である。意志なき万物よ、有魂の万象よ、我が手によって汝らが到達すべき姿へと導かん”」
ジークの詠唱が終わるのと同時に、膨れ上がるような魔力の圧が、空気を震撼させた。
まるで雷にで打たれたように、紅い光の中に曝されたハーシェルくんたちのシルエットが、瞬く間に崩れていく。
大量のハーシェルくん軍団は、ジークの手によって、物言わぬ一つの氷塊に錬成されてしまった。
「依り代が形を失えば、悪霊も留まってはいられまい」
もはや、ハーシェルくんの可愛らしい面影は残っていない。あとは陽射しに照らされて、徐々に溶けて無くなっていくのを待つだけの、無情な氷の像が佇んでいるだけだ。
「ひえええぇぇぇ……ハーシェルくうぅぅん……!!どうか恨まないで、ごめんなさいぃ~~~……!!」
「これが、本物の魔族の錬金術……!エゲツね~……」
「ふん。なかなかやるじゃないか。ぼくの次にな」
正直、私も女優さんと一緒に泣き喚きたかった。だから、可哀想だって。みんな容赦ないな。もしかして、ハーシェルくんを可愛いと思ってるの、私だけなんだろうか。そんな気分にさえなってくる。
新手が出てこない内に、私たちは女優さんを避難させなければならない。
子供たちを見送った英雄の手を取って立ち上がらせると、本当に鏡でも見ているような気持ちになった。ははあ、そりゃ緊急で代役も頼んでくる訳だ、と妙な納得。
「オレ、ヒエンと一緒にこの人を安全な場所まで送ってくるよ」
「きみが居ると、余計なトラブルに巻き込まれかねないからな」
私から女優さんの身柄を引き受けてくれたのは、オリヴィエだった。
ヒエンの言うことも最もだ。こういう状況下だと──悔しいけど、私の側に居るほうが危険なのよね。さんざん他人を巻き込んできた嫌な実績と信頼があるわ。
「じゃあ、お願いね。ヒエン、失礼がないようにね。何かあったら、学校全体の品位が疑われちゃうんだから」
「ぼくそのものが気品の代名詞のようなものだと自負しているが?」
「んじゃその寒そうな格好をヤメなさいっての」
私が脳天にチョップを叩きこむと、ヒエンは小さく呻いていた。
まあ、オリヴィエが居るし、エスコートは問題ないだろう。この二人なら戦闘力も折り紙付きだ。余程のことさえ無ければ、安全に保護してもらえる筈。
二人に先導される女優さんは、去り際に私の元まで戻って来ると、期待に満ちた子供のような純粋な瞳で私の顔を覗き来んだ。目の前に自分によく似た顔があるって、不思議な感覚だ。今まで兄弟姉妹とか居たことないし。
「あ、あの、あなた、もしかして、あたしが怪我で休んだとき、リリーの代役を務めてくれたっていうお嬢さんじゃないですか!?な、なんとなく、そうかなって思ったんですけど」
お……っとぉ。
私は途端に、舞台に立った時のことを思い出した。あとついでに、ついさっきまでのカッコつけ散らかした自分の言動も。
全身にこそばゆい感覚が走った。──ので。
「し……真の美剣士は、正体を明かさないものよっ!」
「ああっ、待ってくださぁ~い!!」
私はクリスタリリーよろしく、颯爽と身を翻し、高台を目指していた本来の道筋に戻ることにした。
「で、では。」
ジークも一応教員らしく会釈をして、女優さんを振り切り、私に続いた。
「そっちも気を付けろよーっ!!」
遠くで無邪気に手を振っているオリヴィエには悪いけど、とても笑顔で見送れるような状態じゃなかった。もう耳までじんじん熱いのよ。
さらば、美剣士クリスタリリー。
「……あの時のパンツってガチ下着だったのか?」
「見せる用に決まってんでしょうが!!!!」
空気の読めないお馬鹿にも、脳天チョップをお見舞いしておいた。どんな状況で何を訊いてんだこの魔族は。
.
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フュルベールくんとベルナールくんを見送った丘。
カリフェン湖畔とウラヌス・キャンドル・ツリーの大きな観覧車を望む、夢のような賑やかさから切り離された静謐な大地の欠片。
墓標のような閑寂に包まれた高台には、やや冷たい風が吹き付けて、砂利道の隙間から生えた草花のかんばせを容赦なく蹴散らしている。
待っていたのは、私やジークの身長を優に越す、巨大なハーシェルくんだった。
ふわふわの毛皮に包まれたぬいぐるみではなく、遊園地内の案内所などに設置された、無機質なブリキのオブジェクトだ。悪霊を降ろすのに、依り代の性質はあまり問わないらしい。そういえば、五体が揃ってればいいとか、そんなような条件だったかな。
日頃は地図やパンフレットを提げて佇み、永らく愛され続けてきた証拠に少し色褪せていて、それでも綺麗に磨かれた鉄板の体には、残酷な降霊術の魔法陣が刻まれていた。
──許せない。
人々や──子供たちに夢を届ける遊園地のマスコットキャラクターにこんな事をして。この事件を起こした犯人は、自分が何を踏みにじっているのかをよく知るべきだわ。
巨大ハーシェルくんはたどたどしい足取りで前進すると、瞳に禍々しい蒼い炎を宿しながら、観覧車の時と同じように低く唸り声を上げた。
チャンネルの合わないラジオのように雑音だけを奏でていた音色は、やがて、亡霊を模した声色に変わる。
私はジークと共に、武器を手に身構えた。
『ジークウェザー……大きくなったね』
艶やかな妙齢の女性の声で、ハーシェルくんはそう言い放った。
「そんな筈無い……」
ジークの喉仏が固唾を吞み込んで、ぎこちなく上下した。
強靭で奔放な理性を持つ魔族という生物が、必死に自分の激情に抗っている。
いつものジークなら、こんなので動揺する筈がない。私も、彼自身も頭では分かっている。
けれど、この降霊術というものには、それを割り切らせてくれない悪意があった。罪悪感を煽って、相対した者の判断力を鈍らせる。
「ジーク、あれは」
「分かってる」
ジークは、私が言わんとすることも理解している。
あれは本物じゃない。──あなたが亡くした、大切だった誰かではない。
それが紛れもない真実だったとしても、言葉にするのがこんなに怖いなんて思わなかった。グレンはなんて、勇敢だったんだろう。
『あたしが……あんたのこと、せっかく庇ってやったのに……。あんたはもう、忘れちゃったのぉ……?』
「……猿真似のつもりか。」
『痛かった、の、よぉぉぉ……女優なのに、顔もぐちゃぐちゃでさぁ……あんたはあたしに似て、きれいな顔に、育ったねぇ……。あはははははっ、あぁんなに、醜い子だったのに……』
魔族は巨大ハーシェルくんをただ冷たく睨み付ける。最早、母親の死と怨嗟の言葉に対する戸惑いはなく、そこには家族の魂を侮辱されたことに対する荒々しい憤りの気配だけがあった。
火の玉にも怯えるような、普段のジークからは想像も出来なかった。死者の鎮魂を願う祝祭ですら、帰って来ることを拒んでいたのに。
私も隣で何度か目にしたことのある、強い拒絶と侮蔑の意志を孕んだ、見たものを射殺すような睥睨。
『鏡見てて、思い出さないワケぇ……?あたしのこと忘れて、人間の女のコと幸せになるなんて……許さないわよぉぉぉ……!!』
ハーシェルくんはそれでも尚、止まらない。
必死にジークのお母さんのような何かの振りをして、惑わすべき相手に向かって、その大きな腕を伸ばす。
私は、手出ししない。ただ黙って、ジークがどうするのかだけを見届ける。
ハーシェルくんの抱き付くような動作で、ブリキの胴体の中に呑み込まれたかと思ったジークは、次の瞬間には猫の額を押し返しながら、魔法を発動していた。
紅い光と共に、周囲に灰が舞った。魔族が放つ心火の炎熱に燃やされながら、虚ろな亡霊の影は、塵と消えていった。
「下劣な趣味だな、人間。こんな我楽多以下の汚物を生命と呼ぶつもりか?」
ジークの手袋の中から、最後の灰塵が風に攫われた。
それから間もなくして、金の瞳が捉える先──丘の向こうから、ハーシェルくんの影に隠れていた人物が姿を現した。
「アハハハハ……酷い言われようですねぇ、ハーシェルくん」
『ボクを弄んでるのは事実だろぉ!いい加減、ボクらを元に戻してよっ!』
逆光の中で、人影は正常に機能しているハーシェルくん人形の頭を鷲掴みにしていた。ちゃっかりしたパークの案内係は、以前会った時と同じ、可愛らしいダミ声とぬいぐるみの体で、必死にもがいて抵抗している。
「そんなぁ……今のほうが、僕好みなのに」
『いいから!第一、君、入場料払ってないでしょ!?入園口からきちんとやり直して、遊ぶならアトラクションに──ボギョュッ』
こんな状況でも呑気に、冷静に、自分の役目に従事しようとしたハーシェルくんは、その甲斐もなく、仕事の最中だと言うのに、内臓された魔導機関ごと頭を握り潰されてしまった。
持ち主の手から、歯車やネジ、バネや鉱石がぽろぽろ零れ堕ちる。血のような褐色オイルが滴り、草露を穢した。
「ああ。やっぱりこういう、いかにも陽気な場所って苦手です。狂騒的というか……無理矢理に現実から目を背けようとしている感じが、どうしても怖いな……」
頭を搔きながら、ハーシェルくんの部品を乱暴に放る若い男性の姿に、見覚えがあった。
羊獣人の特徴に、眼鏡の奥の深い隈。そして、貼り付けたような、不似合いの薄ら笑い。
「シルヴィウスさん!?」
──“死を超越する者、シルヴィウス・シファー”。確かに、そう名乗っていた筈だ。
今まさしく目の前に立っているのは、先日、図書館で起きた騒動……本の中の世界に吸い込まれるという奇妙な事件の中で、襲い来る死神を押し留め、私たちを助けてくれた魔導士で、『魂の解剖』の著者。
会ったらお礼が言いたいとは思ってたけど、何も今こんなところで再会しなくてもいいじゃない。
「あれ、どうして僕の名前を知ってるんですか?すみません、メスを入れたことの無い人の顔ってどうしても覚えていられなくて……」
「いえ、あの!図書館でのこと、覚えてないですか……!?」
「図書館……?」
しかし、シルヴィウスさんの反応は芳しくなかった。白を切っているようにも見えないし、あれはマジで何も知らない人の顔だ。
え。き……記憶障害とかある方、だったりするのかな……。
ちょっと気まずさを覚える私に、ジークがそっと耳打ちしてきた。
「恐らくあれは“本の中に登場する、作者としてのシルヴィウス”だったんだ。本人と記憶は共有していないんだろう」
なるほど、そうだ……!?じゃなきゃ、壁、摺り抜けたりしないもんね……!?
一方的に顔を知ってるから、つい知り合った気になってしまっていた。
「す、すみません、会った気になってました、勘違いです!」
「ああ、なんだ……気にしないでください。時々、僕の論文を読んだという人にもお会いするんですが……僕も大概、物覚えが悪いそうですから。お互い、些末事に脳の容量を割くのは止めにしましょう」
良かった、特にそういうことを気にするタイプの人ではなかったらしい。ちょっと言い方が怖いけど。
なんだろうな。恐ろしく他人に興味がないって感じの、嫌われるよりも遥かに刺さるような感情を向けられている気分。ゴミを見る、よりももっと酷い、虚無の視線。
面白がられる分、魔族や神霊に囲まれている時のほうが、いくらかましだとさえ思えてしまう。
「あの……この騒動は、シルヴィウスさんが?」
「ええ。いやぁ、苦労しましたよ……ウラヌスの術式も強固でしたから。依り代の複製自体は簡単だったんですけどね。これだけの数の降霊となると、もう魂の質も拘っていられませんから、その辺に居る魔物もどきも精霊も、次元や時間軸の設定も適当にしちゃえ、みたいな。僕の流儀には反するんですけど、僕にしか出来ないことですし、楽しくなかったかと問われるとそれもノーではないんですよね。フフフ……」
自らの内に籠もるように、シルヴィウスさんは纏ったコートの袖を抱え込んだ。
こちらには見向きもせず明後日……というか一昨日くらいの方向に視線を落とし、早口で捲し立てる語調には、私たちが介入する余地すらない。偏屈な研究者というのが相応しい振る舞いだ。
「何でこんなことをするんですか!?」
「何でって……陛下に命じられたので。天文台に誰も近づけさせるなと。僕も、陛下が居なかったらただの犯罪者ですからね……フフフ。あの人の言うことに従っておけば、僕は取り敢えず研究を手放さなくて済むんですよ……」
「天文台を占拠するのが、王様の命令……!?お客さんを傷付けてまでする必要があることなんですか!?」
「それで騎士団も派遣されていないのか……!妙だと思った」
「うーん……ちょっと、一般人に言っても良い物なのか……。説明も面倒だから、ハーシェルくんたちに悪霊を降ろしたんですけどねぇ……」
死霊術の研究者である筈の彼が、何故、国王・エセルバードの名のもとに、ウラヌス天文台を封鎖するような真似をするのか。
それも、王国軍の騎士や魔法庁役人の出入りを廃する徹底ぶり。そのお陰で、わざわざグレンが所属するよ僻地の新設ギルドや、私たちのような学生が現場に出張って来るようなことになったのだ。
まるで身内にも知られたくない秘密を守る為に、あえて騒ぎを起こして、世間の目を欺こうとしているかのような行いに、ジークが真っ先に思い当たった。
「まさか……七魔将の一人か!?」
「ええ、まあ、はい。改めまして──僕は狂霊将ことシルヴィウス・シファー。なるほど、今、理解しました。あなた達が──七曜の剣を狙うアンリミテッドとその仲間ですね」
「……!!」
シルヴィウスさんの眼鏡の奥で、死霊術師の暗く濁った瞳が僅かに見開かれた。
「妙な気配は魔族だったんですねぇ。魔族って…………体組織や体構造、どうなってるんですか?人間界の麻酔やメスって、通用します?通らない場合は……ちょっと乱暴にしますけど……まあ、すぐ、死霊術で蘇らせてあげますから……」
「そう簡単にバラせると思うなよ、人間」
「デュフフフフフッ……良い……まるでお手本のような魔族っぷり……!!ああ、まさか本物を解剖出来る機会が巡ってくるなんて……!!」
その二つ名に似つかわしい狂気的な笑みを浮かべて、シルヴィウスさんは不気味な形の注射器を何本も取り出した。
解剖。そういえば、フェオ=ルさんとエルネストさん……あの二人が初めて学校に来た時そんな事言ってたような気がするけど、もしかしなくても仲間にコレが居たから。
私、あの時捕まってたら、マジで一足早くシルヴィウスさんと知り合って、天界の空を眺める羽目になってたかもしれないんだ。最悪。
しかし、今にもジークに針の矛先を向けようとしたシルヴィウスさんは、はっと我に帰ると、自分を窘めるように一歩下がって、独り言を繰り返した。
「いけないいけない……興奮するのはまた後にしないと……。まさにあなた達を警戒するように言われてますからね。ちゃあんと役目を果たさないと……」
怖い怖い怖い。この情緒の緩急が怖い。
これが魔族なら新鮮なクランケだヒャッホーウ!とばかりに全力全開で突っ込んできそうなものだけど、シルヴィウスさんは人間ゆえに、妙に理性的な一面も見え隠れしている。それが余計掴みどころが無くて怖い。
シルヴィウスさんは咳払いをひとつすると、指輪から繋がった振子を翳し、丘の上に吹く風に揺蕩わせた。
「ここは面白い物が眠ってますね。ウラヌスの天文台を目指した者達の末路……あなた達もこうならないように、気を付けてくださいね」
振子の先に誘われるように、土が膨らみ、盛り上がる。
「──“底の底に眠りし、美しき灰色の塵の精魂よ。今、汝らに再び時を与えん。暁天の光のもとに這い出でて、空疎な木枯らしの影と踊るが良い”」
シルヴィウスさんの詠唱と共に、湿った土の底から、古びた鎧が這い出るようにして姿を現した。
青白い光を湛えた泥の泡のような、うにょうにょした物体が、錆び付き、朽ちた鎧を繋ぎとめて、人間の形を成している。
おんぼろの騎士たちは、閉じ込められていたところから解放されたみたいに、次々と地上に上がってきては、被った土を零しながらゆっくりと得物を構えていた。
「これは……帰参者か!?」
「魂の形をちょっと変えてみました。さっきまでのハーシェルくんのようにはいきませんよ」
──レヴナント。死霊系の魔物の中でも、かなり厄介な存在だった筈だ。
生前の無念の意志と、人間としての知能、力をそのまま魔物として転化されたレヴナントは、確かに、低く呻りながらただこちらの動きを止めようとしてきたハーシェルくんとは訳が違う。
「それじゃ、僕はお先に失礼します。もし間に合えば、また後で会いましょう」
そう言って、シルヴィウスさんは薄ら笑いのまま、いつぞやのフェオ=ルさんの転移魔法と同じもので、煙のように何処かへ消えて行ってしまう。いや、禁呪ってあんなにホイホイ使っていいものなの。
『オオオオオォォォ……ウラヌス……よくも……よくも俺の部下をォォ……』
『まさか、罠にかかって遊び惚けてるうちに餓死するなんてよォォォ……許せねえ……許せねえェェェ……』
死霊術によって蘇った、ウラヌスの丘に眠っていた亡霊たちが、恨み節を詠いながら、私とジークを取り囲んだ。古びた鎧同士がぶつかり合う金属音がそこらじゅうで反響して、自分が立っている場所すら分からなくなりそうだった。
私はすかさず、最大出力で雷の魔法を放った。
しかし、流石に装備が良いのか、私程度の魔法じゃ威力が足りないみたいで、薙ぎ払うことは出来ても致命打にはならない。
当然に、肉体を持たない死霊種は、それだけで動きを止めるような魔物じゃない。
幻魔と戦った時に思い付いた、雷の檻の魔法も試したいけど……どっからどこまで閉じ込めたらいいか、杖を向ける先を迷っている間にも、冷たい籠手で足や腕を掴まれそうになる。
その度に、ジークが鎧の部品を砂や灰に錬成して対応してくれている。
けれど、鎧の中の空洞に宿った蒼い炎だけは絶えることなく留まって、鎧同士を繋ぎ、押し固めるように、私たちの視界を塞いでいた。
亡霊たちの間には、凍るような寒い空気が漂う。精神を汚染するような負の魔力を必死に振り払い続けるのも、なかなかに辛いものがある。
「どうしよ、雷効かないよ……!?」
「……今、俺は自分の弱点に気が付いた」
背中越しのジークが、珍しく焦りの色を滲ませた声で呟いた。
「な、何?オバケ苦手だけじゃなくて?」
「俺の錬金術であいつらの鎧を砂に変えることは出来ても──やつらを動かしている魂までは錬成できない!物質的な干渉が不可能なんだ!俺が幽霊を苦手なのは……つまりそういうことを直感的に理解していたからだったんだ!」
「ああ、はいはい。って、要するに、鎧をぶっ壊しても意味ないってことね?」
まさか、こんな所でジークの意外な弱点が明らかになるなんて。ううん、もしかしたらそれも折り込み済みで、対策されたのかもしれないわね。
うーん。色々ピンチを乗り越えてきた私たちだけど、今回はその中でもかなり、というかダントツにやばいかも?
「……使ってみるか」
ジークが腰に提げたエメラルド・タブレットの柄に手を伸ばしたその時──
『お、かあさん』
『おとう、さん』
鎧の群れの中から、聞こえてはいけないものが聞こえた気がした。
私が、そう思っている、願っているだけで。もしかしたら、本当は、だって。
心の弱い部分に付け込んで、その人が一番会いたいと思っている、もう会えない誰かの声を借りる──そう聞いた時から、少なからず覚悟はしていた。
惑わされちゃいけない、頭ではそう分かっている。
「フュルベールくん、ベルナールくん……?」
「耳を貸すな、ザラ」
天文台のいにしえの魔導士、ウラヌスを呪う言葉たちの中で、その双子の声は飛びぬけて異質だった。
『おれたち、どうしてまた、ここに……』
『兄ちゃん……これ、どうなってるの……?』
目の前に立ち塞がる二体が、私の頬を確かめるように撫でる。
彼等は、他のレヴナントと同じような鉄の体を持ちながらも、まるでそれが馴染まないとでもいうように、自分たちの姿を見下ろしては、不思議そうに小首を傾げていた。
『会いたかったよ』
『久しぶりだね』
「こんな危ないところに来ちゃ、だめじゃない」
鉄の胴体を抱き締めると、温度は感じられないのに、何故か心に火灯るような温もりを感じた。
後ろでジークが何かを叫んでいる。でも、気にならない。
『平気だよ』
『大丈夫』
二人がそう言うなら、他はどうでも良かった。
もう離れたくない。そう思う気持ちとは裏腹に、どこかで、まだ一緒に行けないという未練に後ろ髪を引かれた。
おかしいな。前に、船の上で死霊たちに襲われた時は、そんな風に考える余裕さえ無かったのに。
『また変なのと戦ってるんだ?面白そう~!』
『そっか。父さんの魔法じゃ、死霊や亡霊には攻撃する手段がないのか。ピンチだね』
『じゃーおれたちが、ひと肌脱いじゃいますか!脱いだら中身空っぽだけどね!あはは!』
『兄ちゃん、デリカシーって知ってる……?』
私の胸に満ちる辛気臭さをぶち壊すような明るい声色に、はっと頭を上げた。
鎧兜の下で煌々と揺らめく金色の炎が、焚きつけられたように、一瞬、強く燃え上がった。
『行っくぞぉ、ベルちゃん!!』
『いつでもいいよ、兄ちゃん!!』
フュルベールくんとベルナールくんの魂が宿った二体の鎧は、紛れもなく蘇った騎士として、私を庇い、護りながら、抜群の連携で他のレヴナントたちを圧倒していく。
私の見せかけだけの魔法とは違い、同じレヴナント同士としての体格のぶつかり合いは、迫力あるものだった。
「お前達……本物、なのか」
『とーぜん!そんなこともわかんないの?』
『父親失格だね。流石、俺達を見捨てただけのことはあるよ』
「それは未来の話だろうが!」
事情を知った今となっては不謹慎な、けれど気安い揶揄いを口にして、双子はジークの背後に迫る錆びた槍の矛先を力づくで叩き折った。
「今度は見捨てない」
『当たり前じゃん』
『そんなことしたら、今度こそ恨んでやるからな』
軽口を叩き合いながら、三人は魔族の体術で、レヴナントたちの鋼鉄の肢体を千切っては投げていく。
その構えも、足さばきも、呼吸のタイミングさえも揃う光景に、私は思わず目を奪われた。
フュルベールくんが浮かべる不敵な微笑みを、ベルナールくんが敵を見据える眼光を、目の前で舞うように戦う鎧の姿に重ねる。
どちらにも、ジークの面影がある。アルスのようなしなやかさもある。慌てた時のうろたえ方は、私を見ているようだ。
やがて私たちを取り囲んでいた鎧の大群は、双子の活躍によって、大部分が退けられた。
外殻を失くした蒼い炎だけが執念のように留まり続け、こちらの様子を窺うように、じっと、静かに燃えている。
「すごい……!すごいよ、二人とも!!」
『へっへっへー!どんなもんだい!もっと褒めてもいーよっ!』
『調子に乗るとまた眠れなくなるよ、兄ちゃん』
双子が呑気にハイタッチをする向こうで、魂の炎だけとなった亡霊たちが、見計らったように再び動き出した。
周囲に蔓延る負の魔力にいち早く勘付いたジークが、即座に鍵を取り出し、レヴナントが襲い掛かってくるよりも速く、錬金術を発動した。
紅い錬成反応と煙の中から、縁まで並々と水が注がれた黄金の杯が出現する。
「お前達、下がってろ!」
『え、なになにー!?』
『いいから、兄ちゃん来て!』
ジークは杯を掲げると、そのまま天高く放り投げ、更に跳躍しながらレヴナントの群れに向かって叩き付けた。バレーボールの要領である。何だその無駄に美しいフォームのスパイクは。
地面に転がった杯から溢れ出した水は、たちまちに眩い光を発し、丘の景色を真っ白に染め上げた。
「この俺が神霊の真似事なんぞをする時が来るなんてな」
「な、なに投げたの……!?」
「聖水だ。人間界で真逆の属性も扱えるとは……やはりこの身体は便利だな」
あまりの輝きに目を覆う。
そうか、無いなら創れが錬金術師の理論。彼の手にかかれば、死霊の穢れを祓う為に、聖属性を帯びた天界の水を用意するのだって簡単なことだろう。
迅雷が落ちたような明滅に曝された蒼い炎と鎧の影は、その聖なる光が放つ温かく、柔らかな神気の中で、次第に輪郭を失っていく。
『あ……なんか……すごい満たされた気持ちになってきた……私、このまま天に昇れそう……』
『人のこと恨んだりしちゃ、いけないよね……うふふふ』
『あははは、もうな~んの未練もないや!さよなら……あははは……!』
天井の楽園へ向かって旅立つように、雲間から射す陽光のもとへ、次々と蒼い炎が吸い込まれていった。
土と錆に汚れた鎧は、肉体の代わりを果たしていた魂が抜け落ちたことで、文字通り死んだように地に伏した。
持ち主の居ない武器と防具が転がり、まるで伝承に語られる古戦場のような景色と化したウラヌスの丘は、すっかり静けさを取り戻していた。
「ふう……全員無事に昇天したか……」
「あれで合ってるの!?大丈夫!?」
何か物凄く無理矢理な除霊を見てしまった気がする。絶対不本意でしょこんなの。しかも魔族が。
納得のいかない私の後ろでは、双子の魂を宿したレヴナントの生き残りが、兄弟手に手を取って震えあがっていた。
『に、逃げてて良かったぁぁぁ……!!』
『父さん、なんであんな危険なものをそんな易々と放り投げられるんだよ!?』
「ザラを守る為だ」
『うわぁーお……言い切っちゃった……』
迷い無くて怖いよね。分かるよ。
ていうか。聖水とか怖いんだ。
「魔族、やっぱりああいうのダメなんだ?」
「まあ、せいぜい肌が焼けるくらいだ」
『いやいやいや、それ、父さんが強いからだよ!無理無理!』
『俺たちみたいな半端者があんなの浴びたら、しばらくは動けなくなる』
「へーーー……ジークと出会った頃に作り方知っておけばな」
『そしたらおれたち存在しなくなっちゃう!!』
我が息子たちが縮こまって怯えるのも頷けた。なるほど、しっかり諸刃の剣だったワケね。自分を顧みない手段を選ぶ上にそれを説明しないとこ、早々に改めてほしい。
ちなみにジークに聖水ぶっかけたかったのは半分冗談、半分正直な気持ちだよ。
レヴナントの気配が全て消えたことに、全員で安堵の息を漏らしたかと思えば、今度は間髪入れずに、フュルベールくんが、
『あ!!!ていうか、もう時間無いかも!!』
と大きな声を上げた。
「え!?」
『今のおれたち、ほら、あの死霊術?でたまたま喚ばれただけだからさー、帰んなきゃダメなんだって!』
再会を喜ぶ暇も無く、慌ただしく帰路を急ごうとするのが、どうしようもなく、フュルベールくんらしかった。
ちょうど、四人で魔界に行った日のように。何もかもが突然で、唐突で。
──忘れていたのは、目を背けていたのは、私のほうだ。
彼等は本来なら、存在しない。
グリムヴェルトとの対峙で決定的になった矛盾によって、“両親を失ったフュルベールとベルナール”という定義は、生まれる以前の白紙の状態に戻ってしまった。
だから、そもそも、ここに居ることがおかしくて。だけど、きっとそれも、私たちだから、起きたことで。
「そっか……また、お別れなんだ」
『うん……寂しいけど。でも、会えて良かったよ。ザ…………母さん、きっと……気にしてると思ってたから。俺たちのことは、心配しないで、いいから』
「……するよ」
『もー、忘れてていいのに。昔からちっちゃいこと気にするよね』
『母さん、記憶力は良いからね』
「記憶力“は”、って何よ」
『嘘、嘘。えーっとほら、美人だし』
『……魔力多いし……?』
「魔族基準だなぁ」
厳めしい白銀の兜の下で、似てない双子が同じ表情で笑っているのかと思うと、たまらなく愛おしくなった。
「二人とも、よくやった」
ジークが無機質な双子の頭を撫でた。ベルナールくんは照れて、フュルベールくんの影に隠れてしまう。いつも自分のお兄ちゃんをする役割なのに、こういう時だけ、お兄ちゃんを頼りにするのが彼らしい。
気付けば、空は茜色に染まっていた。
カリフェン湖畔の水平線に誘われるように、金色の炎は、陽炎となって空気に溶けていく。
がしゃ、と音を立てながら、夕陽に照らされた鎧が足下から崩れていく。脛あてや腿あてが私たちの眼下に転がり落ちるのと同時に、それらを繋ぎとめていた黄金の火種も緩やかに分解され、細かい粒子となって風に散る。終わったパレードの花火みたいに、振り返ることなく。
『もうじき、夜になるよ』
『頑張ってね』
最後に、二つの兜がそう囁いて、丘の草花の上で眠りについた。
頭上では満月が、早く降臨して、自分が支配する時間を望みたいとでも言いたげに、夕焼けを急かすように、自分の存在を主張している。
もう涙は出ない。
差し延べられたジークの手をしっかり握り返して、私は丘を降る決心をした。
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・この世界の療術士、大変すぎる。占星術師に次いで仕事が多いです。
・レヴナントのくだりはオマージュです。
・pixivで二次創作とかしてたらすっかり更新が遅れてしまいました。待ってた人には申し訳ない…。




