ハミングバード・3
シルヴィウスさんの本は、整頓されていたお陰か、随分とあっさり次の本に繋がる境界を見つけることが出来た。
無機質でさえあった情報の山に別れを告げ、私たちが降り立ったのは――
「……とうとう来たようだ。――ぼくの巻物に」
月夜の林の中だった。
湿った風に揺られる、細く長い、蒼い幹の束のなかに、ぼんやりと浮かぶ灯火がある。
辺りを警戒しながら、炎を頼りに近づくと、次第にその輪郭が明らかになっていった。
それは辺りを照らす為の照明ではなく、見たこともない文字で描かれた魔法陣の四方に添えられた、儀式用の蝋燭の灯かりだった。
陣の中心には、カード――いや、ええと、紙の霊符が幾重にも貼られた祠……?ドールハウスみたいな小さな木箱が安置されていて、いかにも何かを閉じ込めておく為の結界のように見えた。
「ヒエンの知ってる場所?」
「ぼくが封印されていた……“燕月の書”だ。ぼくたちは、この書物に呼ばれたんだ」
「本が意志を持つのか?」
「正確には……この書の中に眠る者だ」
ヒエンは躊躇いなく林の中を進む。
見たことも、想像もしたこともない眺めに、得体の知れない胸のざわつきを覚えながら、私たちはヒエンの後を追う。
林の奥には、石畳が続いていた。苔むした灰色の地面は、通学用のローファーで歩き続けるには、少し固すぎるくらいだった。
そして――長い石の道は、赤い門の下で途絶えていた。
「ザラ……!?」
「モニカ……!!」
門の真下には、目の粗い縄で囲まれた結界のような場所の真ん中で、所在なさげに座り込んでいるモニカの姿があった。
間違いない。西方かぶれの格好になったヒエンではなく、正真正銘、紛れもなく、行方不明になった筈のあのモニカだ。
私はモニカのそばまで駆け寄って、彼女の身体を抱き締めた。良かった、特にやつれたりはしていないみたいだ。
「モニカ……!どうしてこんな所に……!?」
「私、ずっとここに閉じ込められてるのよ~!どっかの誰かさんに身体を乗っ取られたせいで!!」
悲観的な様子はなく、けれども心底不服そうにモニカは頬を膨らませた。
その“誰かさん”は、気まずそうに私の後ろから顔を出して、モニカを窺っていた。
「あれ。でも、ヒエンはモニカだし……モニカが二人ってのも、変……よね?」
私は目の前の友人モニカと、モニカの姿をしたヒエンを見比べる。
冬休みの間に行方不明になったモニカが、冬休みを開けたら別人になっていた。そこまではいいとして、じゃあ元のモニカの人格はどこに行ったんだろうと、ずっと気になってたんだけど。
「彼女は魂だけの存在だ。ぼくと入れ替わりになって、ずっとこの書の中に封印されている」
「ええ~っ!?何それヒドい!!」
「ヒドいんだよ~~~っ!!ヒエンを通して外の様子は分かるけど、楽しいコトもなんにも無いしさ~~~っ!!返す気ないならもうちょとプライオリティ高めでお願いしますよ~~~!!!!」
「存外元気そうじゃないか……?」
ジークはちょっと拍子抜けしてるけどね、モニカは元々こんな感じの女の子ですよ。ピンチの時ほど剽軽にお茶らける、強かでしなやかな女性だ。
でも、そんなモニカだからって、いつまでも閉じ込めておいて良い訳じゃない。
私とモニカは寄り添って、ヒエンを批難するように迫った。
「……身体は、まだ、返せない」
「そんな……!勝手に私と交代して、図々しく居座り続けるっていうの!?」
「週一くらいにしてあげなよ!」
「何故、人間の身体に拘る?爵位があれば現界することは可能だろう」
「……ぼくの使命の為だ」
私たちがいくら咎めようと構わず、ヒエンは頑なに首を縦に振らなかった。
ヒエンが何度も口にする、“使命”。
何事にも我関せずを貫く、この不遜で利己的な妖が、唯一拘り続けている絶対の信念。
「――ヒエン。あなたの使命って?」
巻き込まれた張本人のモニカには、それを問い質す正当な権利があると思った。
ヒエンは躊躇するように何度か無言で口を開いては閉じを繰り返すなかで、今か今かと告白を待つ私たちに観念したのか、眉根を寄せて、戸惑いを吹き飛ばすように鋭く息を吐いた。
「大切な友人に会いたいんだ」
――ヒエンにしては、意外なものだった。
およそ友情とか愛情とかからはかけ離れていそうな、全自動ワガマママシーンみたいな異界の民が零したのは、深い後悔のような独白だった。
「……会えないの?」
「彼は……ずっとずっと、遠くに居る。空に浮かぶ、月に居るんだ」
「月……!?」
ヒエンが垣間見せた珍しく繊細な一面に、一瞬、神妙になった私たちだけど、“月”というワードの突拍子の無さに、おセンチな気持ちはどこかに忘れ去ってしまった。
え。比喩とかじゃなく?ガチ月?
「ぼく達は月で、長い間一緒に過ごしていた。何百年も、気が遠くなるくらい、たった二人でね。ただの小鳥だったぼくには、歌うことしか出来なかったけど……友人はぼくの歌を気に入っていたし、ぼくにとってはそれが何よりの自慢だった」
再び私たちは、静かにヒエンの語り口に耳を傾けた。
ヒエンは、今まで幾度となくそうしてきた癖のような仕草で、眩し気に遠い天を仰ぎ見ていた。
それだけで、ヒエンがどれほどその友人との思い出を大切にしているかが窺い知れた。
「だけどある日、ぼくは――友人のそばでただ歌うことに疲れて……それに、彼にもっと他に楽しいものを見せてやりたいと思って、月を飛び出して地上に降りたんだ」
距離だけじゃなく、時間さえも、もっとずっと遥か彼方に置いてきたような懐かしみかたで。
誰よりも月の光を浴びたがっていた小鳥は、その影の中でずっと、こうやって離れた友人に想いを馳せていたのだろう。
「だけど堕天したぼくは、地上じゃ妖怪扱いだった。まんまと人間の祓魔師に捕まって、自慢の舌も切られて、そのまま書物の中に封じられてしまった」
「そうか……。それで実体を持っていないのか」
ジークが納得したように呟いた。せっかく切ない話なんだから水を差さないでよ、と思わないこともないけど。
ヒエンは同情されて嬉しいタイプじゃないだろうしね。
「……ぼくは、もう、歌うことはできないけど。せめて、きっと独りぼっちになっているあいつの傍に居てやりたい。モニカが燕月の書の封印を解いてくれたのは、好機だ。ぼくには、ぼく自身が課した使命の為に、この身体が必要なんだ!」
妖怪が力強く、少女の胸に手を翳した。
課されていたのは、使命という名の、戒めだ。そして、もう一度、大切な友人と手を取り合う為の試練。
二人ぼっちの世界を拓いてあげたかった自由な小鳥を責めることは、少なくとも、今の私には出来ないと思った。
だって。――分かるもの。
大好きな人とずうっと、ずうっと、世界に二人きり。幸せな瞬間が永遠に続けば良いなんて、誰だって一度は考えるだろう。
だけど、私だったら、同じものをずっと二人で分かち合うより、もっと素敵なものを求めて、二人で冒険に出たいって思うわ。
それで、時々は一人になって、一人の時間のなかで見つけたものを、ああ、大好きな人にも見せてあげたいって思いたい。
私とヒエンでは、置かれている環境も、その友人との関係も違うだろうけど。
歌だって、どれだけ好きだと言われても――むしろ、好きだと言われたら、もっと上手くて、綺麗で、新しい曲を聴かせてあげたいって考える筈だ。
幸せな気持ちに、なってほしいから。
まさかヒエンにもそんな願いがあったなんて、想像もしてなかった。
「ザラ・コペルニクス。きみは七曜の剣を探しているんだろ」
「う、うん、まあ……」
過去を打ち明けたヒエンは、モニカではなく、私を真っ直ぐに見据えていた。
「あれは月の力を帯びた物だ。何か……友人に繋がる手掛かりになるかもしれない」
「……私もそう思う」
「ぼくの力が必要になる時が来る筈だ。ぼくを仲間に加える気はないか?」
そうしてくれれば、この身体は返すから。
ヒエンのことだから、自分で頭を下げるような真似はしない。だけど、言外に、そう必死に訴えられているような気がした。
「ザラ……私からも、お願い。私の為でもあるけど……ヒエンに協力してあげて」
「……ぼくを許してくれるのか?」
「許しはしないけど……どうせ願いを叶えなきゃ、満足しないんでしょ?私が元に戻れたとしても、私の次に、また誰かが犠牲になるんじゃない。だったら、ここでさっぱり終わらせちゃったほうがいいわよ」
頑固な妖怪に代わって、その意思を汲んだモニカが、私の袖をいじらしく引っ張って懇願した。あざとい、かわいい。
「……モニカ。あなたって、素敵」
「よく言われる」
私の素直な賞賛に、モニカは冗談めかしくウインクをしてみせた。他人に気負わせることを由としない、どこまでもチャーミングな娘だ。
「それにね。身体とか魂とか、そういう部分で繋がってるからかな。何となく、ヒエンの必死な思いが分かるんだ。本気なんだよね、ヒエン」
モニカが鏡合わせのような自分の肩を、労わるようにそっと引き寄せた。
彼女と瓜二つの顔は、けれど、帰り道が分からなくなった迷子みたいな瞳を空に泳がせて、小さく頷いた。
「どうする、ザラ。俺は、構わないと思うが。同じく、キュリー女史のことを鑑みれば、こいつの未練を断ち切ってやるのも手段の一つじゃないか」
「そうだね。仲間は多い方が良いし!」
本当は、大事に思う友達の為なら、今すぐにでもヒエンを追い出してしまうのが正しいんだろう。
けど、当のモニカに頼まれてしまったら、私もイヤとは言えない。
何よりそれがモニカをこの場所から解放することに繋がる、最短の道だというのなら、喜んで提案を受け入れよう。
私が右手を差し出すと、ヒエンがそれを握り返してくれた。交渉成立。ヤイバに続いて、七曜の剣獲得作戦の新たな参加メンバーだ。
これで何人だろ。私と……勝手に頭数に入れてるジークとアルス、結果的に七曜の剣のひと振り目を手に入れてしまったオリヴィエで……六人か。いやでも、オリヴィエのもあれ、数えていいんだろうか……。その辺りもちゃんと話し合わないといけない気がするゥ。
ともかく。
私とヒエンの結託を見届けたモニカは、ぽんと手を打って、空気をリセットするように促した。
「そうとなれば……」
息を吐き出して心を整理していたヒエンとは対照的に、モニカは大きく息を吸って、肺の具合を整えた。
「せめてヘアケアとネイルケアだけは徹底させておいて〜〜〜……!!!!」
「あ、う、うん、そうだね……自慢だったもんね」
「あと露出も抑えてぇ〜〜〜……!!!!」
「無理を言わないでくれ。きみの服は動きにくいんだ」
「や゛め゛て゛よ゛〜〜〜」
最初の消え入るような絶叫で、既に三人で盛大にずっこけてしまった。何を言い出すのかと思えば。
いや、でも、年頃の女子には死活問題だからね。ヒエン、絶対そういうの理解してないし。
不満を出し尽くしたモニカは再度、ヒエンをの両腕をがっちり抑えつけると、獣に調教でもするかのような怒声で脅しつけた。
「あとここの環境どうにかしなさいよ!!あなたに身体を貸す間、私が不自由なのはどう考えても理不尽でしょ!!ビーチとパフェとイケメンを所望するわッ!!」
「ぜ、善処するとも」
「そこは約束しなさいよ…………??」
「わ、分かった。必ず。戻ったら、書に描き足しておく。他に欲しいものがあれば、用意する」
「絶対よ……絶対だかんね!!」
廊下で追いかけてきた死神よりも深く暗い、地の底から這い出してきた死霊のような禍々しさで、モニカはヒエンに手厚いホスピタリティを強要していた。相当フラストレーションが溜まっていたらしい。
姿形だけの同一人物同士によるやり取りが終わる頃を見計らい、私たちはそろそろこの『燕月の書』から抜け出して、次の本の世界に向かおうか~という合図を互いに出し合った。
「……どうにかしてモニカの魂を連れて行けないかな?」
「容れ物が無いことにはな。それこそ、外に出た瞬間、死神や魔族に連れ去られてしまいかねん」
「彷徨う魂を導くのは、何もきみたち魔界の民だけじゃない。天使や聖人、信心深い人間の僧侶だって、幽霊と見るやすぐさまに浄化させようと駆け付けて来るぞ」
「私……幽霊扱いっすか……」
「き、きっと体重計乗ったら人生で一番軽い数値が出るよ!ドンマイドンマイ!」
「まず感知しねえわよ……っ!!このおバカ……!!」
……――モニカを置き去りにすることが決まってしまった。
せっかく久々に会えたモニカとは、ここでお別れということになってしまうらしい。
私は後悔が無いように、たくさんのことを伝えて、たくさんモニカの肌に触れた。これが魂だけの存在なんて、信じられなかった。
繋いだ手を離すのが怖い。
「じゃあね……モニカ」
「ザラ。ヒエンのこと、よろしくね」
「うん……。絶対、モニカのことも助けるから。ここにも通うようにするね」
「暇な時でいいよっ。忙しいんだしさ」
それでも尚、気丈に振舞うモニカに堪らなくなって、私は彼女を思いきりに抱き締めた。
「モニカ……会えなくて寂しいよ」
「ばか。なんで今言うの……」
「親御さんにも、ちゃんと伝えておくね。もうちょっとだけ、待っててね」
「うん……!!」
赤い門の下で手を振るモニカの姿が見えなくなるまで、私は、後ろを向き続けた。
生垣に挟まれた石の通路は、途中から霧に包まれて、あっという間に何もかもを覆い隠してしまった。
どこを歩いているのかも分からず、感覚だけを頼りに、ヒエンの寂し気な背中を追従し続ける。
「……きみ達も、大事な友人同士だったんだな」
「そうだね……」
「きみ達の無念の分は、働きで返す。ぼくに期待しててくれ」
靄のなかに、金色に光る糸の筋が通った。
扉の形をした金糸の輪郭に向かって進むと、私たちは、元いたヘルメス魔法学校の地下図書館の床の上に立っていた。
見下ろせば、足下に散らばっているのは、乱雑に開いたままの本、本、本。
ページ同士が歪な歯のように噛み合っているのを丁寧に取り除きながら、私たちは三人で、たった今、冒険してきた書物の内容を確かめた。ヒエンの見立て通りだったみたいだ。
床にべったりと貼り付くように投げ出された『燕月の書』の巻物の上には、布張りの分厚い二冊が、まるで牽制し合うように、開いたまま伏せられていた。
「……あ。これだ、シルヴィウスさんの本。ほんとに挟まってたよ」
そのうちの片方を手に取って、私は背表紙に縫い込まれた著者の名前をなぞった。
「シルヴィウス・シファー著……『魂の解剖』……」
「有名な死霊術の本だ。一時期、禁書扱いされていた」
「ええっ!?」
一時期、ということは今はそうじゃないんだとしても。そんなもんを学生が読めるような所に置いておかないでよ。
「確かに、そんなような中身だったな。人類には未だ早すぎるというか……本当に作者は人間なのかどうか疑いたくなるというか……きっと死後、良い魔族になるだろうな」
ジークがしみじみと本の内容を思い出しているようだった。ソレ絶対褒め言葉じゃないよね???
「え~怖……。……てか、書いた人、生きてるんだ?」
「相当若かったと思う。なかなかやる人間だ」
「どこから目線なのよ……」
ヒエンはヒエンで何か言ってるし。
はあ。先生達に見つかる前に、この辺りも片付けちゃわないとな。
私とジークは荷物を置いて、しばらくはヒエンに指示されるがまま、臨時の図書委員として活動することを余儀なくされた。
――それにしても、シルヴィウスさんか。
いつかどこかで会ったら、お礼を言わないとな。
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・そういえば地味に登場人物とか用語集とか、七英雄や武器に関する紹介項目を増やしました。良かったら見てみてください。
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