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無限の少女と魔界の錬金術師  作者: 安藤源龍
4.月の魔力は愛のメッセージ
205/265

ブローク・ブレッド・マウンテン・2




 ジェダイトシティの駅に降り立った瞬間は、地元(こっち)とあまりに違いすぎない!?……という困惑から始まった。

 何故かトンネルを抜けた瞬間からお日様がご機嫌ナナメになったのと、超高層の建物が本棚の中みたいに整列してるせいで、昼なのになんか空は暗いし、その割りに看板は電飾でビカビカ七色に光ってて不気味だし。森や茂みに隠れている獣と目が合ったみたいな気分になる。

 町の至るところに配管が張り巡らされているところなんかは、モビーディックを思い起こさせないこともない。でも何か、全てが黒い。煙突からもくもく登る煙すら、真っ黒だ。路地裏なんて一層、闇深くて、一度入ったら戻って来られなさそう。

 一番近い光景があるとするなら、魔界の“門”だ。というか、似せてるんじゃないかってくらい雰囲気に覚えがある。でもここはもっとこう、整頓されていなくて、雑多な印象だ。雑踏に紛れてあちこちからお店のBGMが漏れ聞こえていたり、商店の軒先で過激な宗教の勧誘や客引きも行われている。

 ついでに歩いている人々まで胡散臭いというか。こう言っていいのか良いのか分からないけど、町の人が全員、吸血鬼だと言われても納得してしまいそうな程だ。

 うう。絶対、夜に一人で歩きたくない。今もジークとアルスが居るからいいけど、ここに通い詰めるような大人にはなっちゃいけない気がする。あ。そういう点でいうとカミロとかはその辺捜したら簡単に見つかりそうな感じする。

 私はジークとアルス両方の腕を掴んで、真ん中で侍らせながら、ジェダイトシティの危険な香り漂う町並みを進んだ。

 アルスの案内に従って入り組んだ歩道を幾度か曲がり、町の深淵に吸い込まれるようにどんどんと複雑になっていく道程をひたすら歩く。新しい角に入り込む度、私達を興味深そうに眺める人が増えているような気がして怖かった。

 悪趣味な(言っちゃった)町並みが少し落ち着いて、今度は静かで地味な住宅街に繋がろうとしているちょうど境界の辺りで、アルスが地図を手にしたまま足を止めた。

 そのままアルスは、とあるアパートらしき建物の地下を顎で示した。私たちは頷き合い、アパートの階段を降りることにした。

 狭い幅の階段を降った先にあったのは、確かにパン屋の看板だった。傍には、今日のオススメ・シナモンロールのイラストが描かれたメニュー黒板まで設置してある。しかし扉は重く閉ざされていて、中の様子を窺い知ることは出来そうにない。仕方ないので、ここからジークに気配だけでも探ってもらおう。

 ジークは扉に手を翳し、しばらく瞑目して神経を集中させる。次に目を開けるまで、そう時間はかからなかった。

「どう?本物?」

「魔力は確かにそうだな。恐らく同郷だ」

「グリモワの都の魔族ってこと?」

「ああ。紋章(シジル)さえ分かれば正体も……」

 流石の探知力に感心していると、閉じきっていた扉が僅かに開く気配があった。

 油を欠いた鉄の扉は耳に刺さるような金属音と共に、ゆっくりと内側の灯かりを地下に推し広げていく。そうして、小麦のふくよかな香りの中から、この町らしい、厳めしく艶やかなとんがった爪先が顔を出した。

「お主ら、近頃我の周りを嗅ぎ回っておるハンターだな?」

「出たぁーーーっ!?」

 店から現れたのは、青灰の肌に長い黒髪を靡かせる美青年だった。

「妙な気配で三人も連れ立って、何か隠せるとでも思うたのか?浅ましいことだ」

 見目にそぐわない大仰で老練な口調で、青年は呆れたように私達を一瞥した。

 ヒューマーに似た姿をしているけれど、シャツを捲った素手には鱗が生えていて、龍人を思わせる。背中には鷲のような翼を畳んでいた。

 涼やかな目元はキョウ先輩に似ていて、私たちが普段から目にしているアトリウム人とは大分違った美しさを持っている。

 そして、同時に。

「わ、なんか、香水……!?」

「すんごいニオイだな……」

 “彼”が一言二言、口を動かし、微かに身を揺するだけでも、強烈な花の香りが漂った。失礼だと分かっていても、思わず顔を顰めてしまうほどの噎せ返るような甘い匂いは、嗅いだ者を惹きつけて殺す、毒草や毒花を思い起こさせた。扉が開いた瞬間はパンが焼けるいい匂いがしてたのに、あっという間に空間が上書きされてしまったみたいだ。

「ほお。同胞に、アンリミテッドと……お主が噂の幻魔とやらか?」

「あ、えーと、似て非なるモノというか……俺は一応、人間です」

「そうか。妙な人間も居たものだな」

 香り高き美青年は値踏みするような視線で私達三人を上から下まで舐めるように観察すると、淡々と品定めをした。

 ……何か。いつもと違う。

 今まで会ってきた魔族のケースでいうと。私、ジーク、アルスが三人並んでいるのを見た瞬間、物珍しそうにあれこれ質問攻めにしてくるっていうのはあったけど。ここまで落ち着いていなかったというか。もっと物凄いハイテンションで絡んできて、大体は言うに事欠いて『ふーん、それでどっちが非常食?』とか、『へー、初めて見た、どんな味がするの?』とか、とにかくどんな物騒&無礼をぶちかましてくるものかと身構えていたんですけど。

 この美青年は、嵐の前の静けさのように、森に隠れる捕食者のように、しんとこちらの出方を警戒している。それが逆に怖くて、ついジークの耳を引っ張って不安を囁いてみたりしたくなった。

「結構怖いタイプなんじゃないのぉ、コレ」

「大丈夫、魔族なんて基本的には全員押しなべて度し難い変態だ」

「だから身構えてんだよっ」

 小声でツッコミをさすな。あなたが落としたのは騒がしい変態ですか?それともこの静かな変態ですか?ってか?やかましいわ。

「店の前で騒がれては適わん。丁度今は休憩中だ、用があるなら中で聞こう。ほれ、入った入った。ついでに新作を試食させてやろう」

 青年魔族が意外にも友好的な態度で入店を勧めてきたものだから、私達三人は面喰って、お互いの顔色を窺った。どうする?どうしようか。

 まごまごしていると、青年は何かを思い出したように、戸惑う私達を振り返った。

「名乗るのを忘れていたな。我が名はアヴァルファム=フンテスベルク・グンター・ベオザルバトル・ラハイネ・キュリオスデルタ……」

「長ッ」

「ではこう名乗ろう――地獄の軍団長、アスタロト、と」

「アスタロトだと……!?何でそんな大物が、こんな所でパン屋なんかやってるんだ……!?」

 美青年魔族——アスタロトさんの名前を聞いた瞬間、ジークが苦い顔で後退りした。これも珍しい反応だ。

「そんなに凄い人なんだ?」

「重鎮という意味ではな……。その姿を目にしたことさえ無かった」

「ハーゲンティの小童、お主はどことなく初代に似ておるのう。初めて会うた気がせぬわ。相変わらず憎らしい程に美しい……フフフ……」

「……ッ!?」

 こっちのほうは名乗ってもいないのに、すっかり正体を看破されているし。アスタロトさんの舌なめずりに怯えてるし。ジークが同じ魔族相手にペースを乱されているところを初めて見た気がする。

 アスタロトさんに誘われるがまま、私達は地下の怪しいベーカリー……『ドラコ・スピリタス』の店内に足を踏み入れた。

 お店の中は薄暗い中にぽつぽつと照明がある落ち着いたラウンジ風の造りになっていて、なんかちょっと大人っぽい雰囲気が漂っている。天井が石のアーチになっていて、まるで坑道の中みたいにも思える。あれだ、ドワーフの人たちが樽みたいなエール杯を飲み交わして、ガハハと笑うような場所だ。ここには、お酒を出すカウンターの代わりに、コーヒー豆の袋が並んだカフェスペースがあるけど。彼が休憩中だと言っていた通り、他のお客さんの姿は見当たらない。

 そして何と言っても、アスタロトさんの香水の匂いも掻き消えてしまいそうな焼きたてのパンの香り。地下という場所柄か、よくある窓辺のディスプレイこそ無いものの、清潔な商品棚には食欲を刺激されるきつね色が整然と並んでいる。工房は奥にあるみたいだ。

 私達は適当な席について、いよいよこの魔族の正体を明かそうと、テーブルの下で臨戦態勢をとった。やや空腹を感じながら。

「コーヒーと紅茶、どちらが良いかのう」

「あ、私は紅茶で」

「俺も!」

「……お構いなく」

 そして、相変わらずアスタロトさんは自分のペースで奥の厨房に引っ込むと、湯気に包まれた三人分のカップとパンが乗ったトレーを両手に戻ってきた。

 お察しの通り、最早私とアルスにはアスタロトさんに対する警戒心などありませんとも。

 そんな、こんな山盛りの生クリームをつやっつやのブリオッシュで挟んだ悪魔的な食べ物を目の前にして、今更攻撃性なんて保ってられませんですよ。

「存分に味わうが良い」

「これが新作ですか!?わ~、おいしそ~!!」

「焼きたてだ~!めっちゃイイにおい……」

 あれ。ハンターギルドの依頼で来た筈なのに、何で当の調査対象におやつ振舞われてるんだろうな。まあいっか!

 今にも悪魔ブリオッシュに齧り付こうとする私とアルスとは打って変わって、ジークはコーヒーがなみなみ注がれたカップを訝し気に傾けていた。

「よくこんな激臭漂うオッサンのパンを挙って買いに来るな」

「フ……。それはそうだろう。何せ魔界の食材で作ったパンだ。」

「なっ……待て、二人とも、まだ食うな!!」

 私とアルスは、口を閉じた。痛った唇噛んだ。

 アルスと二人、多分同じ顔でジークとアスタロトさんを交互に見比べた。そんなぁ……。ここまで気てお預けは酷いよぉ……。

「そう簡単に、人間界でばら撒いて良いものなのか?」

「あんたがそれ言う……?」

 ジークだっていっつも料理作ってるじゃん。あ、でも食材は人間界(こっち)のを使ってる……のかな?

「何を。俺がお前の健康を気遣わなかったことがあるとでも?」

「はいはいございませんでしたわね」

「でも魔界で普通にメシ食ったよな」

 アルスの言う通りである。たっぷり三食、魔界でお腹を満たした経験があるんですが。人間界に帰って来る度軽く魔力酔いになるだけで、体調面では他にこれといった問題が起きたことは無い。何か、やたら舌が青くなるお肉とか、寝るまで歯が光る飴とかはあったけど。

「お前は知らんが、ザラのことは正式な“客人”として招いたんだ。ある程度は魔界に順応するようになってた。アルスはまあ……幻界人だからか……?」

「あはは!そうかもな!」

 そこワヤワヤさせちゃうんだ。まあ確かに、我が兄ながら、ぶっちゃけアルスはその辺の石とか食べても大丈夫そうというか……健啖家にも程があるというか。どこで何食べても生き残りそうな感じはする。

 ヨダレを我慢してお皿を睨みつけている私達を、アスタロトさんが興味深げに眺めていた。

「そこのレディじゃないが、我も驚いている。人間の身体を慮るなど……魔族の癖に、随分、秩序的だな」

 そう言って侮蔑を孕んだ嘲笑を浮かべる姿さえ、どこか艶めかしい。

 しかし、この男に限ってはそう映らなかったようで。

「なッッッ……にィィ~~~~~ッッ……!?!?!?」

 普段なら同じレベルの弁舌で皮肉を返しそうなタイミングで、ジークが怒りのままに勢いよく立ち上がった。おっとっと、コーヒー零れるところだった、危ない。

「え?何が地雷?」

「あー、魔族的に秩序とか善とかそういうの、罵倒の意味なんじゃね」

「ああ~……?」

 そこなんだ。今度から私も積極的に使っていこう。

 とはいえ、ジークじゃないけど、アスタロトさんの発言は見過ごせるものではない。当の本人はジークの神経を逆撫でしたことがさぞ愉快でたまらないといった風に、大仰な仕草で続けざまに煽りたてた。

「当然、このアスタロトが振舞う物が、人間にとって無害である訳がなかろうて。我は地獄の軍団長……遍く人間を堕落させるのが存在証明に他ならぬ」

 ――ということは。

 アルスが所属するハンターギルドに寄せられた“怪しい魔族が経営する怪しいパン屋”と、ここのところ若い女子の間で噂になっている“ジェダイトシティのバチバチにアガる激ヤバパン屋さん”が最悪の接続を見せたことが確定してしまったようだ。

「……まさか、今時、大昔に与えられた魔族の使命をご丁寧に全うしようとしている奴がいるなんてな。――あんた、年は」

「さぁ。三百から先、数えるのも忘れてしまった。何しろ、我は我の士族の祖にして末代。子を残せぬ指向ゆえな、魔王にいくらか目溢しされて、生き汚くも歳月を重ねておる」

 一触即発の雰囲気で対峙する魔族の方々には申し訳ないんですが。ちょっと何言ってるかわからない。

「……どういう意味?」

「つまり――この男は少なくとも千歳を越えた大ジジイで、現代の魔族たちが守り続けている法や規定などお構いなし、ということだ」

「えっ、じゃあ、吸血鬼みたいな不老不死!?」

「それも違う。死ににくい、というだけの話だ。我に近づく死の気配を片端から追い払っていたら、いつの間にか膨大な時間が経っておったのよ」

 誰ともなく、固唾を呑んだ。

 アスタロトさんという魔族は――ただの享楽や酔狂ではなく、ジークの言う“古い魔族の在り方”に則って、明確に害意を持って人間に接している。そして、それを千年以上は続けてきた、私達人間が寝物語で聞かされてきたような、生粋の()()だ。

 もしかしたら――アルスはおろか、ジークでも手に負えない相手なんじゃないかと、今更になって背筋に嫌な汗を浮かべている。

「魔王もあんたには迂闊に手が出せないってことか」

「さあのう。あれも若造と思うておったが、機械の城を手懐けてからはちと目を当てられるようにはなった。せめてあ奴の生き様に泥を塗ってやるくらいが、退屈な余生の慰み程度にはなろう」

「……有害だ。捕まえて、魔界に帰すべきだ」

 うーん。私もジークの意見に賛成だ。アルスはやや頭を捻ってるけど。

 確かに、今のところ、アスタロトさんのパンを食べてショック死したとか、そういう現場は目撃してないけど。何か……こういう手合いは放置しとくのも良くないんじゃないかという本能が。

「我は何も生者を魔界の暗く冷たい氷河に沈めようなどとは考えておらん。死後に生命の奔流(プール)……源祖魔法に到達すべき魂を、ほんの幾らか、掠め取ろうというだけだ」

「いけしゃあしゃと……。媚薬がどうこうというのも、あんたの仕業だろう」

「だって我の権能がそういうモンなんだから仕方ないじゃーん。あの程度の魅了(チャーム)なら、パン生地で希釈してようやくおまじない程度といったところだろう。人間共が大袈裟に吹聴しているだけだ。ま、虫けらに畏怖されるのも、それはそれで愉快ではあるが」

 本人もこの調子だし。悪人ではあると思うんだよね。

 かと言って、まだ話が出来ている相手にいきなり飛び掛かって……というのも野蛮だし、ここは一つ私から提案をしてみることにした。

「ええと、じゃあせめて、この町じゃないところでやるっていうのはどうでしょうか……?」

「魔法庁に直々にあんたへの苦情が来ててさ。町の人が不気味がってるし、あんたこのままだと、魔騎士とかにしょっぴかれちゃうぞ」

「ほお……我に強制退去を命じるか、行政の狗め。そう容易く宝を取り上げられる我では無いわ」

 なんか市役所に注意されるゴミ屋敷の老人みたいなこと言い出すし……。

 しかし流石に魔騎士の悪名はスルー出来なかったのか、アスタロトさんは一考の余地はあると判断してくれたらしい。やや苦い顔で、自分用のコーヒーを呑み下した。

「魔騎士か……あれも少々、扱いにくい玩具だ。だが……人間と、人間に与するような卑屈な同胞に言われるがまま大人しく魔界に帰るというのも癪に障る」

 どうして素直に聞き入れてくれないのか。さらっとジークにも痛烈な皮肉をお見舞いしつつ、アスタロトさんは思案に耽っているようだった。

「そうだな……」

 工房の作業台の上で長い足を組み替える仕草は、とても上品な仕草とは言えないものなのに、妙に様になっていて。

 ああ、もしかしたら、こんな風に釘付けになっている時点でアスタロトさんの魅了(チャーム)の術中に嵌まっているのかも——なんて考えながら、私はこの美しい魔族が、艶やかな指先で、ジークの顎の輪郭をなぞる瞬間をぼんやり眺めていた。

「――我はお前が気に入った」

「は?」

 ……え???

 時間が停止する。私もアルスも、当のジークさえ、全く反応が出来ず、ただアスタロトさんの行動に呆気に取られていた。

「ハーゲンティの小童。お主のような傲慢な若者の鼻っ柱を折ってやるのが、このアスタロト最大にして最高の悦楽よ」

 アスタロトさんはいつの間にかジークの背後に回り込んで、まるで親しい間柄のように肩を抱き寄せ、耳元で低く喉を鳴らした。

 な、何が。起きてるんだ。理解が追い付かない。夢魔が見せるという淫靡な幻覚であることを疑うような高度なお耽美が目の前で展開されいやしないだろうか。え?この間、私の嫉妬のルーツを暴いて修行を決めた矢先にこの仕打ち??

「お主が啼いて跪くところを想像するだけでン〜〜〜下腹部が熱を帯びるというもの……」

「ヒッ」

 アスタロトさんがジークの胸元から侵入する軟体動物のようないやらしい手つきで指を這わせると、ジークが小さく悲鳴をあげた。既に表情からは血の気が失せ、額に脂汗さえ滲ませている。

 ――いや。ていうかこういうのは(ヒロイン)がその立場になるもんだろうが。何、私を差し置いて次々とセクシーなトラブルに見舞われてんだコイツ。どういう星の下に生まれてんの。まあ、実際私がアレやられたらこの店……というか町ごと消し炭にするけど……。

「というかシンプルに顔が好みだ、肉付きも良い」

「は、放せ……ッ!!臭っせぇ……!!」

 あのジークが必死に抵抗しているにもかかわらず、アスタロトさんはびくともしない。それだけでも力の強大さが伝わってくる。それどころかどんどんヒートアップして、ついにはジークの臀部を捥ぎ取る勢いで鷲掴みにした。

「知っているか、太腿が逞しい男は精力に溢れているそうだ……ふ〜む、そしてどうだこの美尻っ!!」

「ウグッ……!!!!」

「ジークーッッ!!!!」

 抵抗する力さえ失って、ジークががくりと膝をついた。

 想像を絶するとんでもないセクハラをかまされて、最早正気を保っていられなくなったのだろう。えげつな……メチャクチャえげつないな。私とアルスはあまりの恐怖に互いの手と手を取り合って震えるばかりだ。

「ハハハ、どうだ錬金術師。狩られる側に回った気持ちは。お主は強いからのう、今まで味わったこともなかろうて。ん?」

「だったら何だと言うんだ……ッ」

「その屈辱さえも我が初めて与えたものだ。我がこの世界で初めて、お主の尊厳を穿ち、貫き、奪ってやったのよ」

「ヒイィ……!!」

「う、うわぁ……!!ただただ引く……!!」

「ジーク、泣くな!泣いたらそいつの思う壺だぞ!!」

 アスタロトさんに羽交い絞めにされたジークの瞳に明確な怯えと涙が浮かんだ。あまりにも可哀想で、見ている私まで泣きそうになった程だ。泣きそうっていうか吐きそうまである。見てよ、この鳥肌。一部には需要がある絵面なのかも分からんけど、自分の彼氏でやられるとかなり凄く、胃にクるものがある。助けてあげたいのは山々だけど身体が動かない。ごめん、ちょっと怖いもの見たさもある。

「お主をペットとして飼えば、さぞ愉しいだろうなぁ〜……。どんな首輪が似合いそうか、今から考えなくては」

「っ、く……ッ、は、放せ……!!」

「フッ」

「…………――」

「ジークーーーッッ!!」

 耳に息を吹き掛けられた瞬間、ジークは絶命した。白目を剥き、口から泡を噴き出すその様子を、それ以外なんと表現していいのかも分からない。

 その隙に、アスタロトさんはパンで出来た枷をどこからともなく魔法で召喚し、あっという間にジークの両手両足に装着させてしまった。完全にジークを人質に取られた。ていうか律儀にそこもパンなんだ。

「勝負だ、無限の少女と夢幻の少年」

 (何か上手いこと言ってる、と思っちゃったのは内緒にしておこう。)

 ジークの死体を担ぎあげたアスタロトさんは、私とアルスに向き直ると、誘うように顎をしゃくった。

「陽が沈むまでに、我が作り上げた物より上等なパンを持て。我の代わりにこの町の人間を虜にし、堕落させるような物をな。さすれば、我もここに思い残すことは無くなる。さもなくば、この小坊主は好きにさせてもらう。それはもう、滅茶苦茶にしてやるぞ。青少年がトラウマになるレベルのことを山ほど施してやる。そうら、時間は無いぞ!さっさと材料でもなんでも買いに行って来るが良い!工房は貸してやるがな!」

「くっ……なんて卑劣なんだ!!」

「いくら何でもコレは酷すぎるなぁ……」

 かつてない宣戦布告にアルスは割とその気になっているみたいだけど、私はもう全くと言っていいほど乗り気じゃない。どうにか雷を落としてやりたいところだけど、あの距離じゃジークも巻き込んじゃうなァ……とかその程度だよ。

 パンの山の主の高笑いを背に受けながら、私とアルスは魂が抜けたジークを置いて、『ドラコ・スピリタス』を後にした。






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.

.

.

・この魔族、これがやりたかっただけだろ。

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