ブローク・ブレッド・マウンテン・1
穏やかな春の週末。
まだまだ休暇中の延長戦上のような、始まったばかりの新しい季節の中を、遠慮がちにふわふわした感覚で漂う時期の休日は、必然的にのんびりしたものになる。
私はジークと連れ立って、アルスの仕事の手伝い……という名の見学に行く途中だ。
いつかの魔界の時のように列車のボックスシートに三人仲良く身体を押し込めて、窓から吹き込む温かな陽光と爽やかな風に、新芽の香りを見出している。
ジークはわざわざご指名だったんですけどね、私は完全にその、暇つぶしというか、だって、目の前で“ジークと仕事行ってくるなー!”とか言われたらさ。予定なかったら行くじゃんね。
おほん。アルスの仕事というのは、彼が依然所属している、黒猫横丁の冒険者ギルドでの依頼で、『ジェダイトシティに現れた怪しい魔族のことを調べてほしい』とのことだった。
ジェダイトシティは、私が通学にも私用しているクナド線沿いにある、大人達によるちょっと派手めな繁華街で——所謂、“夜の町”としても有名だ。西部諸国との交流が盛んな地域で、魔法の要素が少ない代わりに科学が発達し、電気を始めとした新しいエネルギーで町そのものが昼夜を問わず稼働し続けている。
「怪しい魔族か……」
「魔族なんてみんな怪しいんじゃないの?」
「おっ。差別は良くないぞ」
正直なところを言うと。夜に学生が歩いているだけで犯罪に巻き込まれるとまで言われているレベルの治安の町に、今更魔族の一人や二人迷い込んでいたところで、何かもっと、先に気にしなきゃいけないことがあるのでは、とか思ってしまうんですが。わ、私の一個人的なとことだと。
「まあ……俺とかは、ジークを知ってるから怖くも何ともないし、魔界の人たちのことも好きだけどさ。やっぱ魔導士や冒険者でもない民間人からしたら、ちょっと怖いみたいだぜ。てか、単に町に見慣れない不審者が現れるようになったってだけでも、結構不気味だろ」
それまで無邪気に車窓から顔を出して金髪を靡かせていたアルスが、おどけたように肩を竦ませた。
なるほど……?それでアルスが直接出向くっていうのも、変な話のような。
「しかし、何故そんな案件がお前のところに?適切な召喚士や吸血鬼が対処すべきだろう」
私と同じものを抱いたジークが、疑問を口にした。
「どうも魔法庁からの依頼らしくてさ。身近に魔族の知り合いが居るってんで、俺にお鉢が回って来たみたい。ジェダイトシティみたいな所は、店やギルド同士でも縄張り意識が強くてお互いにピリピリしてるみたいだし、不穏分子には関わりたくないってのが本音だろーなって、ギルマスが言ってたよ」
「ふむ……。要は露払いか。であれば、俺達で始末をつけてやるか」
「いいね!俺の手柄になれば、かなりの箔がつく!」
ええ。表だって手は出したくないけど、解決しない訳にもいかないから、遠い町の、その手の問題に慣れてそうな丁度良いハンターを用意しましたってこと。微妙にうちのアルスの扱いが悪いような気がするんですけど。
まあでも、二人の言う通り、これで一気に厄介ごとを片づけちゃえば、アルスの評価も今までよりも更に上がる筈だ。
「ていうか、あんま物騒なコト言わないでよ。まだ戦うって決まったワケでもないでしょ」
「いいや。どんな思惑で動いていたにせよ、魔族は魔族。最終的には拳が物を言う」
「……確かに」
そして私は、これまでの魔族たちと遭遇の経験をもとに、これからの標的との交流を想像した。それだけで大分、頭痛がした。
何せ、魔族たちとまともに話し合いを行えた記憶が殆ど無い。彼等は心身共に力強く、自信とエネルギーに満ち溢れていながら、狂気を愉しむ底抜けの快楽主義であり、その為ならどこまでも冷酷な合理主義者になりきれる、災害の擬人化みたいな人たちだ。
ジークをはじめ、ハーゲンティ家の皆さん、ジークフレンズ、バルバトス兄弟、イフリートさんに、キャンティルージュさん……あとついでにリューラさん。どれも大曲者だった。人間(私)と魔族の血を半分ずつ分けたあの双子ですらその片鱗は大いにあった。
暫く忘れてたけど、またあのハイテンションと正面切ってやり合えって、結構ハードだな。
でも、着いて来たこを後悔するにはまだ早い。
「ああ、そういえば最近、おいしいパン屋さんが出来たって有名なのよね。お母さんへのお土産に買って帰ろうよ」
何も、ただの暇つぶしと監視で行こうと思ったんじゃないわ。
ジェダイトシティで新しく開店したというベーカリー。そこで売られている、ハート型のデニッシュが大層可愛く、美味しく、ついでに恋愛成就のご利益もあるとかで、最近巷を騒がせているのだ。私がたまに買う雑誌にも、流行の服に身を包んだ可愛いモデルの女の子が、ハートのデニッシュにかぶりつく写真が掲載されている。でもあれだとモデルの顔が小さすぎてサイズ感分かんないんですよね。
「ザラも知ってるのか」
「え?」
「今回の仕事だよ。何でも、その不審な魔族ってのが、変なパンを売ってる魔族らしいんだ」
「変なパンを売ってる魔族……」
まさかね。
まっっっさかね〜〜〜〜……。
冷や汗かきそうな勢いだけど、念の為確認。
「パン売るくらいならいいんじゃないの……?」
「いや。だから、変なパンなんだって」
「どう変なの?」
「なんでも惚れ薬入りとかつって」
アウトだ。アウトすぎる。
せっかくお昼はそこで食べようと思ってたのにぃ。 春の陽気で浮かれていた気持ちは一転、私の気持ちに同調するかのように、列車は暗いトンネルの中へと突入した。
「そもそも、よく魔族だと分かったな」
「あー、擬態してんだっけ」
「俺は魔術があるからな。爵位が低いと、魔界での力と姿を大幅に削減された状態での顕現になる。召喚士との契約を忌避する連中は真名の看破を恐れ、その状態を擬態だと捉える事も無くはないだろうが……」
薄暗がりの中でも、ジークがいつものように腕を組んで、顎に指を添えて考え込んでいる姿が容易く目に浮かぶような声色だった。
「それが、一目で魔族と分かる奴なんだと」
「えーっと……?やる気無い、とかじゃないよね……?」
「爵位が高い……実力がある証拠だ」
「あ、そっか。そうやって聞くと、微妙にメリットデメリットあるね」
魔族や神霊が人間界に降り立った時の天敵は、人間の降霊術師や召喚士だ。目に見える情報が増えるということは、真名やルーツから対策を講じられてしまうことにも繋がる。
幸い、ジークはその似非エルフ風の変身能力も手伝ってか、学園内外問わずトラブルに巻き込まれる様子は無いものの、高位の爵位という切符で魔界と同じ魔力で顕現した魔族であれば、それこそバルバトス兄弟のように目立って仕方ない筈だ。
一方で、カホルさんのように殆ど力を持たずに人間界に降臨した魔族は、魔界での力を発揮出来ないという制限がある代わりに、降霊術師や召喚士の目を掻い潜り易い、という利点もあるってことだ。どっちがいいんだろうね。
「力さえ強ければ人間に負けることは無い。あまり高位の存在が正体を隠し立てする必要性があるとは言えないが……魔導士の本能だな」
「そーゆーもんなのか」
「ルーツが分かると、弱点も分かっちゃうからね」
「ふっ。言うようになったな」
「ふふん。もう三年生ですから」
それくらい勉強しましたとも、えっへん。そこでキョトン顔してるアルスよりは幾分か魔族にも詳しくなったつもりだし。
「ようし、教師権限でさっさと単位を満たして卒業させ、俺と結婚出来るようにしてやろう」
「……」
「絶句は傷付くんだが?」
易々と職権乱用するような駄教師には、是非ともそのまま重いトラウマを負ってほしいものだ。
「あはは!なあジーク、俺は?お揃いのタキシードとか着るの、どう?」
「い……」
アルスの天然アプローチで割り込まれなかったら、このまま目的地までジークを蔑視し続けるところだった。
それはそれとして、アルスを即、拒絶しようとした筈のジークが、微妙に間を持って言葉を探しているじゃない。眉間の皺エグいことになってんよ。
「ちょ……っとカッコ良さそうだな……」
「わかる。私、めっちゃ見たい。写真に残したい」
うーん、流石あのヒルダさんの弟というか。割と好きよね、ジークも。そういう感じ。いちいちイベントごとで着飾ったりするのに抵抗ないし。
そんな訳で、私達三人は怪しい魔族のことをすっかり話題の隅に追いやって、ジェダイトシティまでの道のりの間、たっぷりジークとアルスのタキシードについて話し合った。
ジークは圧倒的に黒が似合うけど、逆にアルスは圧倒的に白なのよね。間を取ってグレーはどうかな、私もマフラーの色に選んだやつだし。そんな提案をすると、魔界式の派手なデザインもあるぞとか返ってくるもんだから。もう止まらなかったよね。何かの機会でお揃い着てくれないかな……。
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・●ンデルセンに謝れ。




