第一の剣・鈎鎖剣・4
――まずは呼吸だ。
公邸内で師事した剣術の師匠からはそう教わっていた筈だった。
でも。けど。
(――呼吸を整える暇も無いじゃんかよ!)
黒鎧の騎士――エルネストが重心を低くしたのを目で見てから走り出したのでは、到底遅かった。
オリヴィエは集中すら碌に出来ないまま、ただエルネストの切っ先を追うのに必死になった。
幾度となく、構えた剣に、重い衝撃が圧し掛かる。その度に火花が散って、目を瞑りたくなった。
「まずは小手調べってとこだ……」
気だるげな吐息に混じって、エルネストが余裕そうに振り翳す剣戟は、オリヴィエが覚悟していたものよりは、幾分か易しいものだった。
まるで子供の手慰みのように、小突いては引き、ちょっかいを出しているようにさえ感じた。ゆらゆらと揺れる刃の先で、“さあ斬ってご覧”と誘い立てる。
「俺の戦闘狂ってのも……伊達じゃなくてさ~……ぶっちゃけ勝率で言えばビミョ~なとこなんだよね~……」
鍔ぜり合う距離で、エルネストが邪悪に、静かに嗤った。それが蛇の纏わりつく威嚇だと気付いて、オリヴィエの背筋に悪寒が奔った。
(こいつ、わざと手加減してる……!オレと戦う為に!)
直感した。この男が本気で戦えば、オリヴィエは敵わない。手も足も出ない。だというのに、魔騎士エルネストは、“愉しみの為だけに”、オリヴィエと同じ土俵までわざわざ降りて、本来ならすぐに決着が着くであろう勝敗を先延ばしにしている。
この男にとっては、“闘争そのもの”が目的なのだと。
相手に合わせて自らの力量すら調節出来る、手練れなのだと。
「はいはいちゃんと脇締めな……っと!」
「うっ……」
エルネストの黒い両刃剣がオリヴィエの肩口を掠める。オリヴィエは即座に魔眼の力で傷を癒やし、距離を取って体制を整えた。
「天空神の瞳ねェ~……。斬った傍から回復してくとか……疑似吸血鬼ってカンジで……メチャクチャ頭に来るぜ……!!」
顎に伝う汗を拭う暇さえなく、エルネストが再び、たった数歩で肉迫する。身長はさほど変わらないにも関わらず、いとも容易く射程を詰める様子に、実力差をまざまざと見せつけられるようだった。
幸か不幸か、エルネストは相も変わらず戯れのようにオリヴィエとの打ち合いに興じていた。
始めこそ、そのエルネストの“悪癖”によって立ち回ることが出来ていたが、オリヴィエは徐々に自身の体力が削られていくのが分かった。エルネストの斬撃を受け止める度、往なす度、剣を空振りする度に、肺の底から熱が上がってきて、手元を鈍らせる。
「お~いおいおい……若いんだからさ……この程度でバテてんなよって……」
(そっちは何で息切れしないんだよ……!?)
浅く呼吸を繰り返すオリヴィエとは裏腹に、エルネストはあの全身鎧で動き続けて尚、涼やかな表情を浮かべていた。
あの男にどれだけの攻撃を叩きこめば良いのだろう。あの男はいつ疲れるのだろう。雲を掴むような感触に、嫌が応にも焦燥感が募る。
剣の柄を両手で支えるオリヴィエを一瞥すると、エルネストは満足したように息を吐いた。
「ま……剣技はフツーって感じだな……てっきりあの人狼に稽古つけてもらってるかと思ってたけどな~……」
「あのバケモノと一緒にすんなっ……!」
磨き上げられた刀身に映った自分に魔眼の術を使い、無理矢理に傷と体力を回復させる。親族や家庭教師、エルメスからはあまり褒められた真似ではないと規制されていた手段だが、構っている場合ではなかった。寿命を前借してでも、この戦いに勝たなければ。
ふと、自分たちが居る結界の外で、祈るような面持ちで勝負の行方を見守っているザラが視界に入った。
それだけで、オリヴィエが立ち上がるのには十分だった。
――もし、本当に、恋になるのなら。オレはオレのままが良い。かも、しんないし。
神経を研ぎ澄ませて、魔眼に集中しているからだろうか。何故だか、エルネストの剣を防ぎながらも、妙に思考が鋭くなっていくのが分かった。
一方で、防御一辺倒でありながらも、落ち着いた呼吸と重心で耐え続けるオリヴィエの精神的な再起を感じ取ったのか、先ほどまでは攻めては引いて反撃を待っていたエルネストが、攻撃の手を緩めずに連撃でオリヴィエを押すようになってきていた。
(さっきから魔眼を使ってるのに、手応えが無い!何でだ!?)
――いくら耐魔力に優れた魔騎士の鎧つったって、癒やしの生命魔法すら通さないような作りじゃ困るだろ!
瞳で捉えた対象の体内細胞を活性化させる“天空神の瞳”は、生命力を司る癒しの魔眼であると同時に、生命を容易く御し得る危険な魔術組織でもある。
以前に、ザラの魔力で暴走した時と同じく、相手の代謝――血肉の生成速度を促進し、物理的に肉体を膨張させたり、温泉でカエル魔物に向けて使った、相手の五感に生命力を送り、感覚を鋭敏化させることで大脳による情報処理の遅延を誘発する等、決してポジディブなだけではない力も秘めている。
しかし、エルネストにはそれが通用している様子が見受けられなかった。
「な~んか今日は冴えがイイな……」
むしろ、オリヴィエが魔眼を発動すればするほど、エルネストの動きのキレが増していくようにさえ思えた。悪戯に魔力だけが消耗していく。
(フツーこんだけ心臓動かして血送ったら眩暈くらいすんだろ!)
一か八か、魔眼の力で弱体化していることに賭けて、一歩踏み込んで刃を横に払う。
「ほいっと」
「クソッ……!」
「当たんねー当たんねー……」
羽でもついているかのような軽やかな足取りで避けられると、オリヴィエの切っ先は虚しく宙を薙いだ。移動しきらなかった自分の体重に引っ張られて、よた、と爪先が地団駄を踏んだ。
「そ~んなに熱烈に見つめられてもさ……オレには逆効果かもだぜ……」
効果が無いように見えても、流石に魔眼の魔力を至近距離で浴びていることくらい察知していたらしく、エルネストは挑発するようにオリヴィエの瞳を揶揄ってみせた。
安い手だ、と頭では理解しつつ、オリヴィエは躍起になって魔眼の魔力出力を上げた。瞳孔の奥で、水晶体と視神経に刻まれた魔法陣が鼓動と共に脈打つ。刺激に耐えかねて、瞼の奥からは熱を帯びた涙が、血の色になって滴ろうとしていた。
オリヴィエの眉間に激しい痛みが走ったのと同時に、エルネストの鼻腔から、つう、と、一筋の血が流れ出した。
「って、ウワ……何で鼻血?コーフンし過ぎかね~……ふ~…………」
エルネストが籠手で強引に血を拭う。
その瞬間、確かな違和感があった。
恐らく、こっちの攻撃が殆ど届いていないにも関わらず、突然鼻血が出たのは、オリヴィエの魔眼が放つ魔法によるものだ。手応えのなさに焦って、魔力を次々に注いだので、エルネストの体内で循環しきれなくなった血潮が、血管を破って溢れだしてきた。それはまだ分かる。
ふつう――それを拭っただけでどうにかなるものなのか?
エルネストの不自然なまでの都合の良い回復力に、ひとつだけ思い当たるものがあった。
(血を吸ってる……?)
そうだ。確かにオリヴィエは目撃した。あの籠手が――鎧の一部が、エルネストの血を吸い上げる瞬間を。まっさらな布地に染料が沁み込んでいくが如く。
「あんたのそれは、吸血鬼とは関係ないのかよっ……!」
「さ~なァ……っと……!」
正答が返ってくることは最初から期待していない。だが、言葉は時として揺さぶりになる。勿論エルネストがそう簡単に動揺する精神の持ち主ではないことは、ここまで刃を交えて理解してきている。それでもどこかにヒントはある。
深く息を吸って、相手を見据える。場に出揃っているカードを慎重に確認する。
――この人も、俺も、剣士だ。今もこうやって、互いが知名になる箇所を狙って剣を振るう。それが近接戦闘の意味だから。逆に――全く相手を傷付けるつもりのない、敵意の無い一矢には、反応する必要が無い。
エルネストの出血を直に確認出来るのは鎧を纏っていない首から上だ。首や目は当然、警戒される。
やれるか。出来るか。自分の技術と心に問う。
無理だ。ぜってーヤダ。怖いし。怪我どころじゃねーだろ。脳内を席巻するのはそんな弱音ばかりだ。
けれど、柄を握る掌には、力が湧き上がってくる。
言ってる場合かよ。
「ハァ~……なんだそりゃ……!?」
重い一振りを片腕一本で受け止める、それだけで筋肉と神経が引きちぎれそうだった。鋭い刃は鼻の先に迫り、それを支えている自分の剣の刃にすら食い込んで、今にも貫通してきそうだ。
それでももう一方の手を伸ばし――猫のように、爪先で、エルネストの頬を引っ掻いた。即座に鳩尾を蹴られて吹っ飛ばされたお陰で、むしろ爪は深くエルネストの皮膚を抉った。
今のは膝じゃなくて尻餅だから、ノーカンだろ、と、亡霊を窺う。決着の合図はまだ無い。
呪いを掛けられた女体の姿で過ごしていたのが功を奏した。ザラやヘルメスに言われるがまま爪を伸ばしていたので、武器として機能したらしい。今ので伸ばしてい分も割れてしまったが、爪と皮膚の間には赤い汚れが詰まっている。
初めてエルネストが余裕を失くした表情で、オリヴィエを睨みつけた。射殺すような双眸の下で、真っ赤な血が彼の輪郭を伝いながら、消えていった。
今夜ほどの眩しい満月に照らされなければ、気付けなかった。
(そういうことなら……オレにも勝機がある……!!)
刀身に映った自分の姿に治癒の魔眼の視線を向ける。
もう一度、剣を高く構える。
残った気力と魔力を総動員して、一点に引き絞る。
「へえ……。結構楽しめたぜェ~……王子様…………。何しろ戦り合う機会のね~相手だしな……悪くねえ経験だった……謝礼代わりだ、手厚く葬ってやるよ」
奇しくも、“これ以上相手取るのは得策ではない”、と踏んだのは、両者とも同じタイミングだった。
エルネストの身体にも、魔力が漲っていくのが分かった。泥のような影が、うねりながらエルネストの姿を覆い隠していく。絡みつくような黒煙の中から、不気味な紅い眼光だけが鈍く届いていた。
オリヴィエの背筋に電撃のような悪寒が走った。絶対にやばいと細胞じゅうが警告している。
魔眼さえあれば、怪我は癒せる。継続的に大きな負傷を負っても、都度魔眼を発動していれば死に至ることはまず無い。
だが、それは――一度に回復しきれない致命傷を受ければ、死ぬ、ということだ。
今まさに、濃厚な“死”の気配が漂っている。
「“制限術式、限定解除。出力最大発動”――」
エルネストが呟く度に、暗い闇が絶望を運んでくるように蠢いた。
「ってなワケで……あばよォ!!」
満月の真下から、暗黒を纏った大剣が真っ直ぐに、宙を裂く勢いで昇っていく。
「オリヴィエ……!!」
背中側から、ザラの悲鳴が聞こえたような気がした。
やれることはやった。オリヴィエはその光景から目を離さず、食い入るように目に焼きつけた。
先に膝をついたのは、エルネストの方だった。
「……ッ!?」
エルネストの手から大剣が滑り落ちる。
漆黒の柱のように掲げられていた大剣からは灰燼が霧散し、まるで跡形もなく魔力を失っていく。
がしゃ、と。見えない何かに叩きつけられたように、エルネストは鎧ごと、その場に五体投地で伏せった。
「何、しやがったァ~……?」
指一本も動かすことが出来ないのか、ぎこちなく頭だけをオリヴィエに向ける。
「さあ。その鎧と剣に聞いてみろよ。そいつら、生まれて初めて満腹になったんじゃないか?」
オリヴィエが指摘した瞬間、エルネストの身体から、割れるように黒い鎧が剥がれ落ちた。
先ほどまで彼を覆っていた泥のようなものが、破いた水風船のようにどっと溢れ出して、地面に黒いシミを描いていく。まるで直火で熱した生卵や貝類が、爆発して砕けるさまを想起させる光景だった。
「まぁじか……な~る……俺とあんた……最高に相性悪かったっつーコトね……」
「運だよ、運」
突っ伏したエルネストの顔から、みるみるうちに血の気が失せていく。唇は青く染まり、冷や汗を浮かべている。目の焦点も合わないようで、オリヴィエとしてはまだ意識があることのほうが驚きだった。
エルネストの鎧と剣が、持ち主の血を吸って、持ち主の力に還元しているという仕組みを察知したオリヴィエは、それを消費させるのではなく、抱えきれないほどに溜め込ませる作戦に打って出た。大技を使おうと魔力を使おうとすれば、それだけ鎧に吸わせる血液の量も増えるに違いない、そう当たりをつけて、エルネストが力を発揮するたびに、その消耗を上回る生命エネルギーを魔眼で送り込んだ。
結果、鎧と剣は動作することも出来ない程の血を得て、目詰まりを起こしたのだ。エルネストもその反動で鎧に多くの血と魔力を吸収されて、立つことすらままならなくなった。いわば失血症状だ。
「……てか、やば……めっちゃ、星……見えるんですケド~……」
そう言い残して、エルネストは気を失った。
同時に、オリヴィエも力なく座り込んだ。あまりの疲労に、もう二度と立ち上がれない気さえした。呼吸をするのが精一杯で、自分で自分の身体を支えきれず、エルネストと同じように、大の字になって倒れ込む。
英雄の亡霊――ハオが結界を解いたのか、遠くから、ザラ達が駆け寄ってくる足音がした。
彼女たちに向かってサムズアップする。
月下に掲げた、血濡れの割れた爪先が、今宵の勲章だ。
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エルネストさんに僅かに遅れて、オリヴィエが手足を投げ出すようにぶっ倒れた。
同時に、ずっと手に張り付いていた分厚い硝子の壁のような結界が解除される感覚があり、私はつんのめりながら、一も二も無く駆け出した。
鎧も脱げて、完全に気を失っているエルネストさんとは違って、オリヴィエは意識こそしっかりしているものの、魔力切れで相当に消耗していた。
ぐったりとした肢体を抱き起こし、私の無限の魔力を与えられないかと彼女の手を握ってみたところ、抵抗もなく案外すんなり受け入れてくれた。抵抗する気力も無かったのかもしれないけど。
一方で、エルネストさんの傍にも、フェオ=ルさんが佇んで、杖の先で生死を確認するように数度突かれていた。こっちとは偉い差である。
『勝者、お嬢ちゃんチーム!!』
ハオさんの声が響き渡った。
私も、ジークと一緒にずっと、オリヴィエの戦いを見ていたから、知っている。彼女――いや、今は、彼?が最強の魔騎士と刃を交えて、それでも膝をつかなかった、その雄姿を。
ハオさんの宣言はオリヴィエの健闘を称える賛美の言葉にも思えた。
「……!!ありがとう、オリヴィエ!!」
「うわっ!?」
「やった、すごい、すごいよ!!」
「「抱き付くな!!」」
「ハイ……」
感動のあまりオリヴィエをぎゅっと抱き締めたら二人同時に怒られた。はい。すいません。
勝敗を分けた私たちのもとに、ハオさんが歴戦の戦士の悠然とした足取りで歩み寄って来る。
ハオさんの掌で月色に輝く鈎爪が、オリヴィエに託されようとしていた。
『ここに――銀龍鈎の正式な継承者を認めよう』
「……!!は、はい。謹んで、お受けします……!?」
オリヴィエは姿勢を正すと、おとぎ話の騎士が精霊の聖剣でも賜るように、仰々しく頭の上で英雄の遺産を受け取った。この仕草がすぐ出来るあたり、流石だな……。
「マジか~……やっちまったな、オイ……」
フェオ=ルさんの魔法で復活したのか、戦う前よりも更に生気の無い色を浮かべて、エルネストさんがゾンビのようにぬらりと立ち上がる。
剣を抜くことさえ覚束ないエルネストさんとは対照的に、フェオ=ルさんは殺気を纏って、杖をオリヴィエに向けていた。
「動くな。せめて痛みだけは感じないようにしてやろう」
「殺しちまったら元も子もね~んじゃね~の……?」
「いいや。“継承者が生きてさえいれば良い”のだ。その意思の有無は問われていない」
相変わらずさらっと怖いこと言うし……!
杖の先端を突きつけられたオリヴィエが、肩を強張らせて、それでも気丈に振舞おうとしていた。私なんかはもう何されるのかと恐くて冷や汗ダラッダラだというのに。
「オ……オレを誰だか忘れたのか?アトリウムの騎士」
「ヒューマー共の法など知ったことか」
どんどん怒気を増すフェオ=ルさんからオリヴィエを庇うように、エルネストさんが間に入った。
「いい加減にしとけよ~、相棒……アンタのそういうトコ嫌いじゃないけどさ~……。アンタだって陛下に大恩ある身だろ~がよォ……あんまし迷惑ばっか掛けんじゃね~って……。第一、子供相手だろ~が……」
「我を止めるつもりか?薄汚れた魔訶の猿に、この計画がどれほどの意味を持つのか理解しろというのも酷な話であったか」
「テメ……。妄念に囚われた亡霊はどっちだっつーの…………」
「祖先の仇を容易く忘れるとは。矜持も誇りも持ち得ぬ、まさしく卑しい蛮族よな」
二人が舌打ちする。あー、これ。大人が本気で喧嘩するときの雰囲気だ。めっちゃ怖いやつだ。互いに一歩も譲るつもりは無いといった態度で睨み合う。その空気のギスギスっぷりは、私たちがまあまあと止めに入りたくなる程だった。
「仲間割れし始めたな」
一触即発の雰囲気でも魔族は呑気だし。
『今のうちに持ってけ』
「そ、そうします」
所在なく狼狽えている私とオリヴィエに、ハオさんがそっと耳打ちしてくれた。
魔騎士二人が喧嘩に夢中になっている間に、そうっと、気付かれないように、闇に乗じて抜き足差し足で銀龍鈎を運び出す。
『最後に、ちょっといいか』
このままダッシュで切り抜けようというところで、ハオさんに呼び止められた。足下だけはいつでも駆け出せるように準備しつつ、ハオさんの語る言葉に耳を傾ける。
『銀龍鈎の継承者はあくまでそのボウズ。お嬢ちゃんのモンではない』
「そ……っか……」
そりゃそうだ。実際に戦って勝ち取ったのはオリヴィエだ。今は、ただ、“七曜の剣が友人の手にある”という状況でしかない。
『そいつは最早オレが持っていただけの単なる武器じゃない。八百年余りの怨念と妄執、呪いと、月の魔力を帯びた魔道具だ。恐らく、想像もつかないような絶大な力を秘めている。あらゆる願望を叶える為の、万能の神器にも等しい』
「願いを叶える、か……。あんたから受け継いだ今なら分かるよ。こいつがそれだけの代物だって」
眩く妖しい輝きを放つ銀龍鈎に語りかけるように、オリヴィエが呟いた。
八百年前の英雄たちが遺した、七曜の剣。
お父さんを人間に戻す為の、魔騎士と奪い合いになる程のアイテム。その力は手に入れた者にしか計り知ることが出来ないのだろう。
『その上で、だ。オマエは何の為にその武器を振るう?』
亡霊とは思えない、空間さえ掌握し、舞い散る桜の花びらひとつをも逃さないような、鋭く、静かな問いだった。
まさに、聖者と問答をしているかのような、精神の根幹を揺さぶる一声。
逃げ出す用意をしていたオリヴィエはハオさんに向き直り、今一度、銀龍鈎の存在を確かめるように柄を握った。
「……正直、今はあんまりピンと来てない。勝負に勝って手に入れたって印象だ。オレに使いこなせると思わないし……もし本当にアトリウムの至宝だって言うなら、責任も取らなきゃならないだろうし……」
『答えはここにある』
ハオさんは自身の心臓に手を当てて示した。
あまりに真摯な所作は、透明である筈のハオさんの身体に、血肉が巡っているように錯覚させた。一瞬、本当に生前のハオさんを垣間見たような、幻が現実と交差する時間だった。
「――自分の為、って言ったら。怒るか?」
オリヴィエは、英雄の決意でも、公族の宣誓でもなく、等身大の少年の不用意さで答えた。
ぶっきらぼうでつっけんどんで明け透けで、ありのままの言葉に、英雄ハオも思わず、好青年のように破顔する。
『いや、アリだろ。オレも自分の為に戦ったぜ。生きる為に、仲間を守る為に。そういうの全部、テメーの為だろ?別に無理して生きなくたって、仲間なんか居なくたって、良いのにさァ。な~ぜか頑張っちゃったんだよね、オレ』
「……変なの」
純粋な困惑と親しみを持って、オリヴィエが朗らかに微笑み返した。
遺産を託した者と継承した者の飾らない対話を聞いた追い風が、彼等を祝福するように、柔らかく桜の樹を撫ぜた。
『じゃーな、現代の若者たち。疲れたら湯に浸かれよ』
「……湯???」
ふわりと包み込むような温かい風は、まるで空飛ぶ絨毯のようにやって来て、瞬く間に月影のあいだを縫うと、別れを告げるハオさんを攫って、音もなく吹いて消えて行った。
英雄の魂が還っていくと、狂気的なほど露わになっていた満月も、門を閉じるように、雲間に飲み込まれていってしまった。
幻の中を彷徨っていたかのようだ。全ては跡形もなく姿を消して、騒乱の月夜は幕を降ろした。
ただオリヴィエの手元に残った白銀の鈎爪だけが、不気味な宴を乗り越えた招待状として、いつまでも妖しい光を湛えていた。
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「……ってオイ~、言い争ってる間に逃げられてんじゃ~~~ん……」
「貴様の言葉がいちいち間延びしているからだこのウスノロ!!」
「ひっで~~~……律儀に付き合ったのそっちじゃんよ~~~…………」
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・色々やばい自覚があるので後日正気になってから加筆・修正します……。。
・ブックマーク、評価あると励みになります。
・オリヴィエの魔眼について捕捉:…通常時、制御が効いている場合であれば、視界に入れた対象のどこにどれだけ生命エネルギーを与えて代謝促進させるか、という部分までコントロール出来ます。
なので、以前カエルに使ったように筋肉や血管だけを膨張・肥大化させて内側から物理的に破裂させたり、大脳にエネルギーを送り込みまくって感覚を鋭敏化させることで相手の体感を狂わせる、今回のように回復拷問に近い血流操作で起立性低血圧を誘発したりといった、ゴー●ドエクスペ●エンスや五●先生の無●空処的な使い方も可能です。
勿論、そのコントロール精度もオリヴィエの実力によるところなので、同じ魔眼を授かったからといって同じ能力が使える訳でもなかったりします。
弱点としては、“視界”が術の影響範囲なので、自分自身や視覚で捉えられない対象には作用しない、といったところです。一応、姿見の鏡などがあれば自分の身体の傷なども回復も可能でしょうが、平時では正面、それも胸部辺りまでが限界です。




