第一の剣・鈎鎖剣
長いようであっという間だった一か月の研修期間を終えて、ようやく私の進級試験の合否が発表される日になった。
最後にヘルメスさんの工房で働いてから一週間。久しぶりに訪れるモビーディックの街は、たった数日離れただけなのに、非日常の光景のように思えた。
地下の工房での面談に向かうと、そこにはいつもより更にご機嫌なヘルメスさんと、呆れ顔のオリヴィエ、ソファで昼寝中のヒエンが待っていた。
ヒエンを無理矢理起こしてどかし、ソファに腰掛ける。
対面のヘルメスさんはにこにこの笑顔で一枚の封書を取り出すと、魔法の杖の先で封蝋の窪みをつつくように叩いた。
「ダラララララララ……」
口で再現されたドラムロールに、不釣り合いな緊張感が走る。いつの間にかオリヴィエも同じように隣で固唾を呑んでいる。
クラッカーのように、紙吹雪を舞わせながら破裂した封書には、ヘルメスさんの直筆で、でかでかと文字が記されていた。
「じゃんじゃじゃーん、ご・う・か・く〜〜〜!!!!一ヶ月ほんとにほんとほ~んとにお疲れ様!たくさんお手伝いしてくれてありがとね〜助かっちゃった!オリヴィエちゃんとも随分打ち解けたみたいネ!弟子同士が仲良しなんて、師匠としては嬉しい限りだゾっ!☆」
書類がひらりと私の手元に飛び込んでくる。それは、ヘルメスさんお手製の賞状だった。
――“進級オメデトウ!”。
可愛らしいシールで縁取りされた賞状は、どんな褒め言葉よりも嬉しかった。
「弟子になった記憶ないんですが……」
「……ドンマイ」
「ドンマイじゃなくて!!」
内心ハラハラしていた結果に脱力しつつも、気の毒そうなオリヴィエにツッコミを入れずにいられなかった。一点そこだけはちょっと、まだ譲った覚えは無いんですが。
何はともあれ、こうして私の進級試験は無事、結果を残すことが出来たようだ。
「良かった……」
「ウンウン!文句ナシ、バッチグーの働きだったワヨ☆」
「事故ばっかりだったけどな」
「オリヴィエには迷惑掛けたね……」
「ああ。居なくなってくれて清々したね」
「またまたぁ、素直じゃないんだから、このこの~っ!」
なんだかんだオリヴィエも私の試験結果を気に掛けてくれていたみたいで、ヘルメスさんに脇腹を小突かれながらも、安堵の微笑みを浮かべていた。
「まあ、不合格になるほうが難しいような気もするがね。よくもまあそんな簡単なことで大騒ぎできるものだ」
「はいはい。お昼寝の邪魔して悪かったわよ。ていうか、あなたも一応従業員なんだから、真面目にやりなさいよ」
「効率化のための適度な休憩中だったんだ。邪魔した自覚があるなら、きみが損失分を補うかい?」
「いちいち人をイラつかせないと会話できないのかアンタはァ……」
「ふん。勝手に苛ついていたまえ。暇になったらいつでぼくの代わりになってくれて良いんだぞ」
ソファから引き摺りおろしたヒエンは、不機嫌そうにカーペットで肘をついて横になっていた。放り出された意趣返しとでも言うように嫌味を吹っ掛けてくるこの小憎たらしい態度も、今となっては懐かしく思えた。
ちなみに今、ヒエン――というかモニカは、休学扱いになっている。私とヘルメスさんの報告で学校側とご家族は現状を把握していて、大魔女であるヘルメスさんの下であれば安心だろうということで、暫くは様子見……というか、保護観察だそうだ。
「じゃあ、これで正真正銘最後のお別れになっちゃうのねぇ~……寂しいわぁ、くすん」
一応、送別会は先週の、研修最終日にもやってもらったんだけど。あの時は無事に職業体験を終えた達成感のほうが優っていたから、こうして実際に結果が出てしまうと、嫌が応にも現実を意識してしまう。
そうか。これでもう、私は、今この瞬間の“跳ぶ星の魔女”の一員ではなくなってしまったのだ。今後の私が選択することも可能だけど、でも、一度は部外者になってしまう。
その寂しさに、種族や年齢の垣根は無いらしい。
「別に、今生の別れでも無いだろ。ヒエン(こいつ)じゃないけど、その……まあ、顔くらいは見せに来いよ。茶くらい出してやるから」
「ありがとう、オリヴィエ……!!私も、ヘルメスさんに呼んでもらえて、ここで働かせてもらえて、本当に良かったです。凄くいい経験になったし、何より毎日楽しくて。ヘルメスさんも、この工房も、オリヴィエもヒエンも、この街も大好きになりました」
涙を見せないように、私は一生懸命笑顔を作って見せた。事実、寂しさよりも、感謝や充実を伝えたかったから。
けれどもヘルメスさんは、私の顔を見るなり顔を手で覆って、わっと泣き始めてしまった。
「やだぁ、泣かせないでよぉ。メイクが落ちちゃうわぁ。ヒエンちゃん、ハンカチ取ってぇ~」
「ヘルメス女史、ついでに鼻も拭きたまえ。いい歳をした女性が垂らすものではない」
「うう~~~っ、ほんとにね、おばあちゃんになると涙腺弱くてイケないわっ。おセンチなのはダメなのよぅ~っ」
私まで釣られて泣きそうになる。失礼かもしれないけど、ヘルメスさんは、こういうの笑顔で流しちゃうタイプかと思っていたから、意外性で余計に。
――もしかしたら、だけど。
長命ゆえに、きっとこうやって何度も、誰かを見送ってきたのかなぁなんて想像もしたりしてしまって。
「ヘルメスさん……。あの。私こそ、呼んでくださったらいつでもまたお手伝いに来ますから。まだまだヘルメスさんに教わりたいこともたくさんあるし。それに……」
私はヘルメスさんのハグを受け止めて、極力彼女にだけ聞こえるように声を潜める。
「出来ればあの、内申書のほうにですね、もうちょっとばかしお口添えなんか頂けると私の就職のほうがですね……」
「オイッ。なに雰囲気台無しにしてんだっ」
ちっ。耳ざといオリヴィエね。
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――そしてその夜。
工房の皆から再び手厚い歓送を受けて、自宅に戻って来た私は、明日の三年生の卒業式に備えて早く寝てしまおうと支度を整えていたところだった。
ふと、第六感で何か気配のようなものを感じて、机のほうを振り返った。
今、机の上にあるのは――教科書、魔導書、文房具、工具。ジークから貰ったお花でしょ、アルスから貰ったお土産のお菓子でしょ……あとは、ヘルメスさんから託された、ブリキの瓶筒。
住み慣れた自分の部屋に、にわかに不気味な雰囲気が立ち込めている気がする。
私は慎重な歩みで、机に近づいた。すると。
『こんばんは、アンリミテッド』
「ひっ……!?」
喋った。何かが。どっかから知らん人の声した。
しかもまたアンリミテッドとか呼んでくる部類の人。びっくりして持ってた本、落っことしちゃった。
『あの……もしも~し……聞こえてたら、返事をお願いします……虚しくなってきちゃうから……』
ど。ど。どう考えても。あれだ。
――机の上の水筒から、くぐもった声がしている。
なんなら声が鳴るたびに、かたかた微かに動いているようにさえ見える。
恐る恐る水筒を手に取り、口を開けてみる。中身は相変わらず少量の水しか入っていない。
『ああ~……んか……波が悪……すね……』
「な、なに、何ですか!?」
『……』
「なんで急に黙るの!?」
私が向き合おうとした瞬間反応無くなるのやめてもらっていいですか。
数秒遅れて、水筒は再び震えだした。
『……みませ……ラグがあり……して……水筒を……月……える場所まで……移動させて……さい』
「ええと……?す、水筒を、月が見える場所に、で合ってますか?」
『あ~……そうそう……お願……ます……っと……遮蔽物があると……なくて……』
何なんだコレ。通信魔法の一種か何かなんだろうか。電話が掛かってきたと思えばそんなに怖くない……かな……。
声の要望に応えて、古ぼけた水筒を灯かりの無い机の上から、月明かりが真っ直ぐ降り注ぐ窓辺に移動させた。
「こ、この辺かな」
『も~~……ちょいですね……』
私が水筒を動かす度に、中から聞こえる声がラジオのような途切れたものから、間近で話しているくらいの距離になっていくのが分かった。
薔薇を咥えた魚の意匠が月光に照らされて鏡のように煌めくほどの場所に置くと、今度こそチューニングが完了したようだった。
『あ~そこそこそこ……ベスポジですね。最高です』
「わっ。急に鮮明になった」
私は慌てて、窓辺に椅子を準備した。これでようやく落ち着いて話せる、かも。
『どうもどうも。失礼しました。改めて、こんばんは』
「こ、こんばんは……?あの、ど、どちら様で……??ていうか、どうなって……??」
『初めまして。僕は天使ミレニエル。ヘルメスの依頼で、この“ピスケスの瓶”を経由して、貴女に通信しています』
「は、はじめまして、ザラ・コペルニクスです。て、天使様、ですか」
『いや僕は天使様なんて大それた存在じゃないです……せいぜいが天使(笑)くらいのモンですよ、ホントに……』
声の主の名はミレニエル、さん。
妙齢の女性にも、未熟な青年にも聞こえる、独特の声色をしていて、声を聞いただけでは性別が判断出来ない。
口調は柔らかく、詩でも謳っているかのような流れの良さで、とても耳障りが良い。
そして、天使――と、いうと。
カミロやイヴァンさんといった、隣次元なんたら、即ち“天界”に住む、神の御遣いとされる神聖で高位の魔導存在だ。
ええと、多分、カミロよりは上で、イヴァンさんよりは下の立場の人、だと思う。
今まで会った天界の住人たちとはまた違う感じの人だけど、既に、なんというか、扱いにくさが露呈している気がしないでもない。
でもヘルメスさんの依頼ということは、一応信頼に値する、かな。よね?
「あの。何かご用があって、連絡をくださったん……ですよ……ね?」
とりあえず、放って置くとどこまでも自虐しそうなので、さっさと本題を聞き出したいところだ。
『あっ。そうだ。そうでした。突然の希死念慮で忘れるところでした……。月を見てください』
ミレニエルさんに言われるがまま、私は夜空を仰ぐ。
真ん丸のお月様が天高く登って、星々に囲まれている、いつものこの窓辺からの景色だ。
「え。ああ……満月……ですね……?」
『違います。今日は十四日月、満月の前夜です。ちょっと……仮にも人間の魔導士なんでしょう?月齢くらい把握しておいてくださいよ』
「すいません、魔導士の中でもかなりぺーぺーのぺーの位置でして……」
……だ、そうです。確かにそうですね……仮にも黒魔術を学んでいる身で……一応、教科書に一年ぶんの月齢が記されたカレンダーが挟まってたと思うけど。一回もちゃんと見たことないや……。へへ……。
『まあ、いいです。それは。僕も他人のことをとやかく言えるご身分じゃ無いですし……すみません……急に偉そうな事言っちゃって……』
「いや、構わないですけど……」
『あーあ……人間に気を遣われた……』
いややっぱ確実にめんどくさいなこの人。今のところ天使の威厳ゼロだよ。
私の中の天使ってこう、真っ白な翼を持った美しく清廉かつ剛毅な存在ってイメージだったんだけど。これ大丈夫?向こうただのメンタルやってる人だったりしない?……いや、まあ、カミロとかいう前例があるから、天界人への希望なんてもう僅かにしか残ってなかったけども。
「満月だと、何かあるんですか?」
『ありますよ。これから毎月、七回に分けて――過去の亡霊が甦ります』
「…………はあ」
それしか出なかった。それを知って私にどうしろと。
ヘルメスさんの話だと、この水筒――というかもう、この人……じゃない天使様が、七曜の剣探しに役に立ってくれる、みたいな前置きじゃなかったでしたっけ。
『全然ピンと来てないじゃないですか……。いいですか。明日、満月の夜です。こう言い換えましょうか。“貴女のお父様を救う為の戦いの日”がやって来ます』
「……――!!」
そう言われると、私も、無意味とは分かりつつも前のめりにならざるを得ない。ミレニエルさんの発する一言一句を聞き逃さないように、意識を切り替えて更に耳を澄ませる。
「戦い……」
『まあ、戦いと言っても、決して暴力を振るい合うようなものだけではありません。そこは、人に寄ると思います』
「なんだか随分アバウトですね……」
ちょっと拍子抜け……かもだけど、何の手がかりも無かった私にとっては重要な情報だ。水筒を授けてくれたヘルメスさんには感謝しかない。
『全てを説明しても良いんですけど……ちょっと……僕の体力があんまり……保たなくてですね……』
「えっ、大丈夫ですか!?」
『いやなんかもう……ただでさえ通信とか勇気要るのにこれが毎月あと六回もあるのかと思うとだいぶ眩暈がしてきて……お腹とか痛いし心臓が嫌な脈の打ちかたするんですよね……いくらマニュアル通りって言ったって…結局対面みたいなものじゃないですかこんなの……』
あ。なんか、そっち都合だったんだ。じゃあもうちょっと詳しく聞き出そうと思ったら聞き出せるのかな……。来月もあるなら次の機会にしておこうかな……。
私も今、ようやく冷静になってきたところだし、ジークやフェイスくんみたいな秀才じゃあるまいし初回でアレコレ詰め込まれても多分整理できないので。逆にシンプルな注意喚起がありがたいかも。
「えーと……じゃあ、とにかく、明日の夜に備えておけばいいんですね?分かりました」
戦い、なんて物騒な言葉が出たものの。お父さんの為だ。四の五の言わずに、当たって砕けてみるしかない。考えるのはそれから。
ジークやアルスあたりにも共有しておかなきゃな。
『ああ……まあそういうことになります……すみませんね……僕が仕事出来ないばっかりに……』
「いえ、あの、気にしないんで、ゆっくり休んでください……。わざわざご連絡していただいて、ありがとうございました」
『優しい……どうして僕以外の人はみんな優しいんだ……僕なんか優しくされる価値も無いのに……人の優しさを無駄にするばかりの人生……いや天生だ、僕は……天使どころか羽の生えた吐瀉物……』
もう何が地雷になるのか分からないよ。ミレニエルさんが消え入りそうな声で延々自虐を呟き始めると、
「……切れた……」
そのままフェードアウトしたっきり、水筒は静かになった。何度か叩いてみても、うんともすんとも言わない。
なんか、寝る前にちょっと胸糞悪くなったな。
もしかしてこれから毎月コレ?深夜のメンヘラ電話かかってくんの??
新たな悩みを抱えつつ、ベッドに潜り込む。
明日は、卒業式があって、その後ジークの部屋でパーティーして、夜には何かがあると。
「……過酷か」
忙しさが迫っているときに限って、寝つきが悪くなるものだ。良かった、一時間早く目を閉じていて。
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