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無限の少女と魔界の錬金術師  作者: 安藤源龍
4.月の魔力は愛のメッセージ
192/265

スワロウテイル・2

 



 街のメインストリートに戻ると、工房街の一角からごうごうと炎が上がり、周囲には煙が立ち込めていた。

 けたたましく鳴り響く警鐘の下、逃げ惑う人や、バケツやホースを手に自力で消火活動を行う人が慌ただしく行き交うなか、炎上し続ける建物の前で、先ほど跳ぶ星の工房(おみせ)に来ていたドワーフの男性が、腰を抜かして、木造の柱や壁が崩れ落ちていくのを呆然と見つめていた。

「何があったんですか!?」

「む、向かいの工房だよ……。突然大きな爆発があって、あっという間に燃え広がっちまった」

 おじさんが危惧していた事が、かなり早く、最悪の形で具現化してしまったらしい。おじさんの額には脂汗が浮いている。

 きっと、あの炎の中から逃げて来たのだろう。命があって良かった。

「事故か……!?」

「あいつら、外国の魔術なんて使うからバチが当たったんだ……!ちくしょう……!!」

「オッサンは怪我とかないか?」

「俺は平気なんだが……」

 オリヴィエが、立ち上がれずにいるドワーフおじさんに肩を貸して、火災の現場から遠ざけようとする。

 しかし、おじさんは、避難に消極的な態度を見せて、不安そうに辺りを見渡した。

「なあ、俺の娘たちを見てないか……?」

「娘たち……?」

「娘と、その友達だよ……!!爆発の直前まで通りに出てた筈なんだ……!!」

 突然、おじさんはオリヴィエを振り払って、一歩、燃え盛る工房の前へと進み出る。寸ででオリヴィエがそれを引き留め、もう一度強く肩を掴んだ。

「落ち着け、消防団が捜索してる筈だろ」

「けど、けどよ……!!」

 今にも火の中に飛び込んでいきそうなおじさんを二人で抑えていると、そこへ、どこからともなく走って来る小さな女の子の姿があった。

「お父ちゃん!」

「エダ……!!」

 父娘は煤だらけのまま強く抱き合い、お互いの無事を確認した。

 その光景に安堵したのも束の間、おじさんははっとした様子で顔をあげると、不安げに娘の頬を撫でた。

「一緒に居たメリアはどうした!?」

「メリアちゃんが……さっきまで一緒にいたのに、戻っちゃったみたいなの」

「何だって……!?」

 ――そうか、エダちゃんって。メリアちゃんが真剣おままごとを勝負するって言ってた子だ。

 その子と一緒に居ないってことは。

 嫌な予感に呑まれて喉を引きつらせている私を押しのけて、モニカ――じゃなくて、ヒエンが、親子のあいだに割り込んだ。

「あの火の中にかい?」

「う、うん……メリアちゃん、だいじょうぶかなぁ」

「ぼくが見に行って来よう。きみはお父さんとここでじっとしているんだ。いいね?」

 それだけを聞き出すと、ヒエンは眉一つ動かさず、さもそれが当然のように立ち上がると、外套を翻して、ひとびとが不安げな面持ちで見つめる煌々とした火花の先に爪先を向けた。

「ちょっと!モニカの身体なんだから、無茶しないでよ!」

 しかし、大人しく行かせる訳にはいかない。

 二人がどういう仕組みになっているかは分からないけど、身体のほうはまず間違いなく私の親友のものだ。

 それも、地下図書館で毎日書類と睨めっこをしているような、普通の十代の女の子だ。それをなんの対策も無しに、火災現場に送り出せるほど頭湧いてないって。

「メリアはぼくを助けてくれた。彼女の恩義に報いたいんだ」

「でっ……、でも、危ないよ!せめて消防団や自警団の到着を待って」

「きみはそうしていればいい。ぼくは行く」

 私たちがヒエンに言われて気付いたのも今さっきで、恐らく火事が発生してから殆ど時間が経っていない。

 それゆえに、普段モビーディックの街を守っている消防隊やギルドのレンジャーたちも、未だに駆け付けていないようだった。

 気持ちは分かる、けど。

 私だって、いつもなら飛び出して行くところだ。

 成り行きを見守っているオリヴィエの瞳に映りこむ紅い光を見て、私は思い出した。

 そうだ、いつもの私ならそうする。迷いようがない。

「オリヴィエの目って、火傷とか治せる?」

「は?ま、まあ、致命傷じゃなきゃ大概の傷は元通りになるけどさ。でも大掛かりな怪我になると、オレの魔力が足りるかどうか……」

「じゃあ、魔力さえあれば平気ね?」

「おい、待て、あんた何するつもりだよ」

 私は動きやすい格好になるよう、スカートの裾をできるだけたくし上げて、端と端をキツく縛り上げた。

 靴紐もきちんと結ばれていることを確かめて、念のため(キャスリング)にも魔力を込める。

 鼻を鳴らして私が続くのを待っているヒエンに頷き返して、私は渦中の工房へと足を進めた。

「ザラってば!!」

「初めて名前、呼んでくれたね」

 オリヴィエに笑顔で振り返って、あとは、ヒエンと共に、真っ黒に焦げた扉を潜った。




.

.

.




「熱くない……これ、幻術だ!」

 燃え上がる家屋のなかに飛び込んだと思ったのに、その温度や感触といったものは、一切感じなかった。

 工房のなかはむしろ冷え切っていて、崩壊したように見えていた壁や床も、傷一つ負っていないようだ。

 試しに、窓際でゆらゆらと揺れているかがり火に触れてみたけど、まるで実体を伴っていない。透けたハリボテみたいに、手のひらを摺り抜けていくばかりだ。

 つまりこれは、魔導士か知能の高い魔物によって施された、幻覚を見せる魔法による、見せかけの火災だ。

 どうりで、怪我人が居ない筈だ。

 おじさんが最初にうちにやってきた時のことを思い出す。

 おじさんの言葉が確かなら、ここは国外の魔導マフィアと繋がったきな臭い工房だと。

 それが何かしらの事故によってこの規模の幻影の魔術が展開された、ということだろうか。

「だから待つ必要は無いと言ったんだがね」

「言ってないよ!ちゃんと説明しくれれば良かったのに~」

 何でかはわからないけどヒエンはそんなのとっくに承知していたとでも言いたげに、堂々とした足取りで屋内を進んでいく。

 私もそんなヒエンに続いて、最新の注意を払いながら、メリアちゃんの姿を捜す。

 怪我の功名というか不幸中の幸いというか、火事という災害の幻覚でみんな一目散に避難した為か、中には人っ子一人、影すら見当たらない。

 あるいは、それすらも陽炎のなかに隠されてしまっているのかもしれない。

 小さな物陰さえも見逃さないように探索していると、二階に上がる階段の途中から、記憶に新しいワンピースの裾の端が見えた。

「メリアちゃん!」

「おねえちゃん、ピーちゃん!」

 小さな後ろ姿に声を掛けると、まるで私達が来ていることを察知していたかのように、メリアちゃんがすぐにこちらを振り向いた。

「怪我は無いな?」

 透けた火花のなかで、ヒエンは騎士のようにメリアちゃんの前に跪く。態度と言葉は不愛想だけど、彼女に恩義を感じている、というのは本当みたいだ。

「うん、わたしは平気よ。ただ……」

 メリアちゃんは一歩退いて、二階の奥——工房の倉庫になっているらしい狭い棚の隙間に私たちの視線が向くように誘導した。

 積まれた木箱と木箱の間で、双頭の山羊が、頭を抱えて悶絶していた。

 二つの顔にはそれぞれ色の違う、けれど同じ、邪悪なピエロみたいな仮面が張り付いていて、どうやら山羊はそれをはがそうと躍起になっているようにも見えた。

 ――魔物だ。

 流石にそこまでの造形なら、私でも見ただけで判断できる。ほんと、魔物を気配だけで感知できる人たちってどうなってんだろう。

「あれが幻術を見せているのか」

「そうみたい」

 ヒエンだけならともかく、メリアちゃんまでもが山羊の魔物を遠目から冷静に眺めている。流石というか、やっぱりちょっと変わった子だ。

「メリアちゃん、分かるの?」

「わたしね、ひとのなかみがみえるの」

「中身……?」

「どうも彼女は、ヒトやモノに宿った魂が視える体質みたいなんだ。ぼくのことを小鳥だと思っているのも、そのせいだろう」

「あのひと、ずっとくるしんでるの。だから、もどってきたのよ」

 簡単に言うけど。危ないでしょ、黙って来ちゃダメじゃないと言いかけて、メリアちゃんの言葉におかしな箇所があることに気付いた。

「人……あの魔物が、元人間ってこと!?」

「そういうことらしい。彼を叩けば、火事騒ぎも収束する」

 そんなのって有り得るの。と思ったけど、私は結構最近、似たような状況に遭遇したことがある。

 そうだ、たとえ動物だろうと人間だろうと無機物だろうと――魔族だろうと、魔力と怨念しだいで魔物に変じて、人に刃を向ける。

 魔物になった途端、心身すべてが人間への憎悪に蝕まれ、あっという間に正気を失ったと、ジークが後に語っていた。

 ヘルメスさんに頼めば、あの魔物(ひと)を人間に戻してもらえるかもしれない。

 やるべき事はハッキリした。私は杖を握りしめて、矛先を絞る。

「気絶させればいいんだよね?」

「うん。しんじゃったら、たぶんもどれないわ」

 メリアちゃんが女神に思える。

 覚悟を決めた私に倣って、ヒエンも姿勢を低くして、腰から提げた刀の鞘と柄を両手で掴みこんだ。

 私たちの敵意に気付いたのか、山羊頭の魔物も、頭を振りかぶって、その眼光を鈍く光らせた。

『グ……アアアアア!!最高にハイ!ってヤツだアアァァハハハハハーッ!!』

 魔物の雄たけびに合わせて、周囲の空間がぐにゃりと歪み、血色の煙を燻らせる。

 人間の目のうような模様の蛾が飛び交い、灰になって、また再生する。

 床から焼けただれた人間の腕が何本も飛び出しては、蛾に食い破られて塵と消える。気味の悪い幻覚に、思わず顔を顰めたくなるほどだ。

「な……何あのテンション?」

「わからないけど、あんなのはひとまずブン殴ってしまえば良いんだ」

 憎悪どこいったんや。魔物は狂ったように嗤い続けて、酔っ払いの千鳥足でふらふらと接近してくる。

『へへへ……この魔導器のお陰で、俺は無敵の生命体に生まれ変わったんだ……!!誰にも邪魔はさせねェ!!この街で“テッペン”執ってやるァーーッッ!!』

 冷徹そうなピエロ面の下で、山羊の横長の瞳孔がぎらりと野卑な輝きを湛えた。

「……あの仮面怪しいよね?」

「見れば分かる。ぼくを馬鹿にしてるのか?」

「してません~……」

「あのお面から、すごくいやなかんじがするわ。魔物とおなじものが入ってるの」

「……ぼく達と同じということか」

 むう。会話の着地点としてはそこでいいんですけどぉ。ていうかつくづくメリアちゃん凄い。

 まあさっき自分でもご丁寧に説明してくれてたし、今回の騒動の元凶はあの仮面ってことで間違い無さそうね。

 あれがその、ドワーフのおじさんが言っていた、外国の魔導マフィアと取引した違法魔導具、とかなんだろうか。今は気にしている場合じゃなさそうだけど。

「きみ……ザラくん、といったかな」

「うん」

「彼の動きを封じられるなら、やってくれ」

「任せて。ヒエンはどうするの?」

「ぼくは――あの仮面を斬る」

「出来るんだね」

「ああ。生憎、人間を斬る趣味は無いんだ。刃が脂で(よご)れるだろう」

 ヒエンと頷き合う。あれと同じ魔物……本人は否定してたけど、やっぱり人間の身体を乗っ取っている時点で尋常ならざる存在ではない彼?彼女?とでも、こうして意思の疎通が出来て、同じ目的の為に戦える。不思議なこともあるものね。

 でも、だからこそ自信が持てる。何とかなるって。

 ようし、と杖に魔力を込める。屋内だし、メリアちゃんも居るし、ちょっといつもよりセーブしないとね。この間発明した電気の檻くらいが丁度いいかもしれない。

 しかし、いくら元人間といっても魔物だ。臨戦臨戦態勢の私たちに大人しく身を晒す訳もなく、私が肩の力を抜いて集中しようという矢先に、幻術で以て対抗してきた。

「きゃあっ……!!」

 先に被害を受けたのはメリアちゃんだった。

 メリアちゃんの細い首に、倍以上の太い体躯を持った蛇が巻き付いていた。見るからに毒々しい色彩の鱗に、幻の炎がぬらりと反射する。いくら幻覚だと頭では分かっていても、その姿は全くの本物だ。

「メリアちゃ……ひぃっ!?」

 そして、蛇から逃れようともがくメリアちゃんに手を差し伸ばそうとした私の腕にも、無数のムカデや蜘蛛がへばり付いていた。

「うわあああやだやだやだだぁ~~~!!キモ~~~!!!!」

 必死に腕を振っても、当然剥がれ落ちる筈も無い。確かに何かがくっついているような感触も実体も無い。無いけど、逆に対策のしようが無くて嫌だ、嫌すぎる。

「惑わされるな!魔術に集中してくれ!」

「わ、分かってるけど……!」

 詠唱が必要な魔導士にとってこれ以上の嫌がらせもないでしょ。

 一方のヒエンは、刀を鞘に収めたまま、山羊魔物と近接で鍔ぜり合っている。

 彼?のためにもはやく魔法を発動したいのは山々なのよ。でも自分の腕が視界に入るたび、背筋にぞぞぞと悪寒が走る。

「おねえちゃん、だいじょうぶよ。目をとじていれば、こわくないわ」

 蛇を首からぶら下げたままのメリアちゃんがそう言って、気丈にも、私の手を握り締めてくれた。

 ――そうだ。この温度が現実だ。誰を守るのか、はっきりしなきゃ。目に見えているものが全てじゃない。

 魔力だってそうだ。自分の中で、祈るべきもの、願うべきもの、信じるべきもの、そういうものの奥深くと繋がる感覚で、目の前に奇跡を起こす。

 ぱち、と、見慣れた青白い閃きが脳裏に浮かぶ。

 集中を解き放ち、術の対象を捉える為に目を見開く。

 私の腕を這い上がろうと、害虫の群れが蠢いていた。

「やっぱ無理ですけどーーーーーーっっっ!!?!?!?!?」

 そのあまりの光景に恐慌すると同時に雷の魔法を放ってしまった。

 雑念が加わったことで魔法の雷光は暴走、分裂して壁や床を奔り抜けると、束になって山羊の魔物の四肢を磔にした。

『ギャアアアアァァーーーーーッッッ!!!!!!』

 電気の十字架に焙られて、魔物の骨格が白黒の残像になって浮かび上がる。

 なんて悲痛な絶叫なんだ、まるでこっちが悪者みたいじゃないの。

 これを奥義ザラサンダー・クロスと名付けよう。拷問受けてるようにしか見えない。

「良い的じゃあないか。開いて()()()にしてやる」

 ヒエンの刀が風を切る。その切っ先を視認する暇もないまま、ヒエンが身を翻して再び刀を鞘に収める。

 鞘と鍔の金属が擦れて嵌まる、小さく細い音とともに、魔物の双頭にべったりとくっついて離れなかった仮面が、それぞれ真っ二つになって床に転がった。

 私の魔法からも解放された魔物は、力を失ってどっと倒れ込む。そして私たちの推測通りに、仮面という媒介を失った幻影たちも、柔らかに溶けて消えていった。




.

.

.




 事故の元凶である山羊の魔物をシバき上げたことにより、街の火事幻覚騒動も穏やかに収束していった。

 実害が無かったとはいえ、原因は結局あの工房で取り扱っていた違法魔術等にあったということで、今までグレーゾーン扱いされていた件も、正式に騎士団や魔法庁の調査が入ることになったようだ。

 メリアちゃんも無事お友達とおじさん、ひいてはご家族のもとに帰ることが出来た。

 メリアちゃんを送り届けたヒエンはそのまま何処かに行ってしまったけど、多分、彼?彼女?なりに、メリアちゃんに迷惑が掛からないように配慮したんだと思う。

 後から駆け付けたヘルメスによれば、仮面の力で魔物化していた人間も、時間は掛かるけど元に戻すことが可能らしく、聴取と治療を兼ねて魔法庁管轄下の聖魔導ギルドに連行されていった。

 渦中の工房から戻ってくると、まず置き去りにしたオリヴィエにしこたま怒られた。

「ビックリするからいきなり行くな」

「ババアを呼びに行くべきだったろうが」

「オレが責任負わされるかもしれないだろうが、勘違いするな、心配とかじゃないからな」

 だそうで。

 彼女の混乱っぷりから立派にハラハラさせてしまったことが窺えた。申し訳ない。まあ私も無傷だし万事解決ってことでここは快く迎えてほしいとこね。

 さんざんオリヴィエに文句を言われながら『跳ぶ星の魔女工房』に帰って来ると、先にヘルメスさんが帰っていた。よかった、今日は鍵持ってたみたいで。

 さあて仕事再開しなくちゃとカウンター下の帳簿を手に取ろうとしたところ、ヘルメスさんに指先のボディランゲージで「ちっちっち」と制止された。何でも大事な話があるとのことだ。

 ヘルメスさんは杖で食器や家具に魔法を掛けて、自分の手を一切使わずにお茶の席を設けると、私にもそこに着くように促した。

 オリヴィエは何かを察したのか、そそくさとカウンター裏の倉庫に引っ込んでいった。

 な、なんだ、なにが始まるの。説教?私、色々やらかしてるから……?今日も勝手にお店空けたから……??

 こういう普段明るくて優しい人にガチめに仕事のことで注意されんのヤダな~~~いっそ怒鳴って叱ってくれたらな~~~と若干胃を痛めて、ヘルメスさんの言葉を待った。

「お耳ダンボちゃんにして聞いてね~!前に言ったぁ、ザラちゃんのお父さんのことなんだけどぉ~!!なんとこのたび、啓示がありました~!!わ~ドンドンパフパフ~!!ひゅーひゅー☆」

「本当ですか!?」

 予想にしなかった報告に、思わず掛けたソファから立ち上がってしまった。

 以前……というか、職業体験の初日の帰り際に、オマケのように話題に出されてからそれっきりだったお父さん――魔硝剣ミストラルに関すること。

 日々の活動の目まぐるしさで頭の隅に追いやっていたけど、こうしてヘルメスさんはちゃんと気に掛けていてくれたんだ。

「ザラちゃんのお父さんを元に戻すには~なんだけどぉ~、もしかしたらぁ、月の力が要るかもなの~!チョベリバよね~」

「月の力……ですか」

 また漠然とした答えだ。でも慌てちゃだめだ、こう見えて偉大な魔女であるヘルメスさんのことだ。きちんとした道筋がある筈。

「そ~なのよ~!!多分なんだけど~、月と魔力ってアベックみたいな関係なのね~。だからそれって要するにぃ~幻界ともねんごろってころでぇ~、その魔力を辿ってスバーンってすればパパーっといける的なことだと思うの~!!あたしちゃん、天才でしょ~っ!?」

「全然わかりません」

 そう思って耳を傾けたけど、何一つとして確かな情報が入ってこなかった。この人の言語感覚がある種天才ということしか分からん。三流学生魔導士にもわかる説明をお願いします……。

「具体的に言うと~!七曜の剣あたりを媒介にするのが最適かしらネっ☆多分だけど☆」

「しちようの……つるぎ……」

 ――七曜の剣。頭のなかで改めて字に起こしてみる。

 どこかで見かけたような。うーん、何だったかな。学校で習った覚えは無いんだよなぁ……。

「あ!思い出しました!前に図書館で見た!」

 記憶を辿るなかで、不意にその時の映像がフラッシュバックした。そういえば、あれもヘルメスさんに関連することだった。

 あれは――ルカさんに会って、グリムヴェルトを殺さずに彼の思惑を止めたいなら、という条件で託されたエメラルド・タブレットのレシピ――その材料を探すなかで、ヘルメス魔導学校の地下図書館でジークやアルス、双子達と調べものをした時だ。

 月の雫、だったかな。伝説のアイテムに関わるものを片っ端から手探りしたとき、たまたま手に取った本に七曜の剣とムーン・ドロップ・デイについての記載があった。うん、そうだ、間違いない。

「えっと確か~、正確には~、七曜の剣ってアトリウム王国の国家機密プロジェクトなのよ~」

「はい…………?」

 ヘルメスさんが仰っていることの意味がますます分かりません。

「でもしょ~がないわよね~。なんとか頑張って、七振りゲッチュしてみそ☆」

「え?集めろって言うんですか?」

「しょゆこと!」

 え。

 え???

 だって。あれでしょ。八百年前の英雄の武器っつってなかった?

 それを更に百年に一度のムーン・ドロップ・デイの儀式で強化したヤツなんでしょ。最期のひとつが今年完成とかって。

 それが?王国の指導でやってんの?それを?一般人の私が?一般人の父親の為に?

 実物を見たことも無ければ、どこにあってどう扱っていいかも分からないものを。

「無理過ぎません???」

「だってぇ~ん、そう出てるんだもぉ~ん」

 楽天家を自負している私ですら冷や汗をかかずにいられない。

 だ、だって、それ、下手したら、国に歯向かうっていうか……は……犯罪なんじゃ……。

 ――でも。だから諦めるかって訊かれたら、多分私は頭を縦に振らない。

 だって、家族と一緒においしいご飯を食べるためなら、それこそ世界中敵に回したって構わないもの。方法があるなら、何もせずに見送るなんてことは出来ない。

 えーーーーん。それもこれも大体カミロのせいなのにさーーー。カミロが何とかしてよう。

「だいじょびだいじょび、あたしちゃんも協力しちゃうぞっ☆ヘルメスちゃんの力があれば、何だって余裕のよっちゃんよ!」

「メ……メチャクチャ助かるんですけど、いいんですか!?お忙しいんじゃ……」

「う~ん、何て言うのかな~。これも運命というか~、あたしちゃんの使命というか~、ともかく今のあたしちゃんはそういうお手伝いモードなのよん☆」

 エメラルド・タブレットの時といい、ヘルメスさんは何故か積極的に私と私の仲間に協力を申し出てくれる。

 お互いそんなに深く知り合っている訳でもないのに、それを“運命”とか“使命”で片づけて、気軽にウインクしながら他人の為に自分の魔術の腕を惜しげもなく揮う……それが、ヘルメスさんが大魔女と呼ばれる所以なのかもしれない。

 かっこいい。私もそんな魔導士になりたいと思える。

 そんな人に後押しをしてもらったら、尚のこと出来ないやりたくないとは言えない。

 私は私のエゴの為に皆の力を借りて、同じかそれ以上に皆の力になりたい。

 だから頼れるものは全部素直に頼って、誰かが困っているときは迷わずに助ける。そういう現金な生き方だけど、だからこそ、今目の前に垂らされた魔女の糸に縋ってみたい。

「とは言ってもぉ、何にもヒント無しじゃわけわかめになっちゃうわよね」

 かわいく唇を尖らせたヘルメスさんが閃いたように手を打つと、何も無かった掌から、パステルカラーの煙を吹き出しながら、“何か”が出現した。ヘルメスさんは今しがた現れたそれを私にぐいと押し付ける。

「ハイこれ」

「何ですか、これ……水筒、ですよね?」

 交差した革の帯に包まれたブリキの瓶筒を受け取った。ところどころ錆びついているものの、よく見るとバラを咥えた魚のような細かい模様が描かれている。これを一体どうしろと。

「時期が来たらわかるわよん☆きっと七曜の剣を探すのにとぉ~っても役立つから、大切にとっておいてね」

「は、はあ……」

 ヘルメスさんの説得力に押されて、言われるがまま水筒を抱え込んだ。試しに振って中身を確かめてみたけど、ごく僅かに水が入っているような気がした。

「きっとその水筒()が導いてくれるわよ☆あ、中の水は飲んじゃダメよっ」

 なるほど。あくまでこのガワが重要なのね。

 とか納得していると、息つく暇もなく、ヘルメスさんが次なるサプライズを公開する準備に取り掛かってしまった。

「それからぁ~、工房の新しい仲間を紹介しまぁ~す!!」

 ヘルメスさんが再び杖を振るうと、今度は、私が座るソファの隣に大きな衝撃が降ってきた。

 驚いて、恐る恐る真横に視線を向けると――

「モッ……じゃなくて、ヒエン……!?」

「うわっ、何でそいつがここに居るんだよ!?」

 さっきまで一緒に居たモニカじゃなくてヒエンが、腕を組んでどっかり胡坐をかいていた。やめなさいっての。物音を聞きつけたオリヴィエも何事かと慌てて駆け付けてきたようだ。

「問題でもあるのかい。メリアへの恩義には報いた。これ以上、彼女の庇護下にいる理由はないと判断したんだ。ぼくがどこに行こうがぼくの勝手だろう」

 あー。つまり、行き場を失くしたところをヘルメスさんに拾われたってことなんだろうか。それにしては随分不遜な態度だ。

 彼?としても、確かにこれ以上あの幼い恩人に世話になる訳にはいかないと、さっきの騒ぎのなかで思い至ったのかもしれない。

 彼?が魔物?であるなら、もっと恐ろしい場面に遭遇させてしまうかもしれないし……。

「でも、怪我してるんじゃなかった?てゆか、モニカの身体なんだから勝手はダメって言ってるでしょ!」

「怪我ならオリヴィエくんに治してもらうつもりだ。きみ、治癒の力があるのだろう?」

「あるけどなんかムカつくなコイツ」

「それに、ぼくが居る以上、尚のことモニカの家には帰れないだろう。ぼくはぼくだし、彼女は彼女だ。全く同じ生活に戻れる訳もないし、ぼくが彼女に成り代わるつもりもない」

 これから居候になるという割りに遠慮のえの字もないヒエンに、オリヴィエは苛つきを隠そうともしない。言ってることは筋が通ってんだけどさ。

 もし仮に今、ヒエンがヒエンとしてモニカの実家に戻ったところで、本人が言うようにモニカとして暮らす気が無いのなら、それは“モニカ・キュリーが無事に帰ってきた”という事にはならない気がする。

 むしろ、ご家族や友人に余計に心配を掛けるだけだ。だったら、せめてモニカの身体で無茶をしないよう近くで見張れるくらいが丁度良いのかなぁなんて思ったり。

「……あなたがその身体を出ていくっていうのは?」

「それは譲れない。ぼくにはこの身体が必要だ」

「とか言って、案外自分が出ていけないだけなんじゃねーのか?」

「ふん。何とでも言うが良いさ。ともかく、暫くはここで厄介になると決めた。工房の用心棒としても、そこらの役立たずよりはずっと腕が立つ。ぼくを追い出すほうが愚策だと思うがね」

 ヒエンはやれやれといった風に肩を竦めている。まるでもう自分がここで重宝されて当たり前だといわんばかりの堂々たる立ち振る舞いだ。なんだこいつ。

「……なんかメンドクセーのが来たなぁ」

「同感……」

 本人に聞こえないよう、オリヴィエとそっと声を潜める。

「あははっ!そゆわけで、みんなで仲良くがんばルンバ~~!!なんちて☆」

 工房の長であるヘルメスさんは、そんなヒエンの不躾さも意に介さず、彼?の背中を愉快そうにバンバン叩いて笑っていた。

 ……一応、学校には連絡しとこうかなぁ。

 新しい同僚の登場に、ちょっとだけ先が思いやられる私だった。


「改めて――ぼくはヒエン。燕の(アヤカシ)だ。せいぜいぼくの足を引っ張らないようにしてくれたまえよ、人間の子供たち。」






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